第24話 月夜の剣舞
「旦那さま!」
続いて運転手の山下が声を上げ、慌てて運転席から飛び降りて後部座席に回った。絶望的だ。大怪我どころでは……。
綾子はきっと前を向いた。
「山下さん、頼みます!」
いったいなにが起こっているのだろう。これが正子の言っていた狐?
綾子は靴を脱ぎ捨てて、這いつくばってドレスの裾を踏みながらも太刀に手を伸ばした。
(長いっ)
綾子は弾かれるように立ち上がって太刀を抜いた。鞘を放り捨てて、迷わず刀を振りかぶる。
ぎんっ! 派手な音とともに、綾子の一閃は受け止められた。
防具をつけ竹刀で試合をしたことはあるが、真剣を振るうなど初めて。
でもわかった。敵のどこを見て、どう体重移動をし、どう動くか。
それらが、手に取るように。
ぎりぎりと刃と刃が擦れる嫌な音が聞こえた。
敵の形は未だに判別つかなかった。それは禍々しい光を放つ黒い靄のようだ。赤い目が爛々と光っている。頭には、尖った三角のものがふたつ。
(耳……?)
背後にゆらゆらと揺れる尾のようなものが見えた。音高く、綾子は敵の刃を払った。
「狐ね!」
綾子の突きをかわした敵は、綾子に向かって湾曲した剣を振り下ろした。綾子はそれを紙一重で避ける。
ドレスの裾が掠めた。
敵の揺れていた尾が本体と分裂し、戦艦から放たれた魚雷のように綾子の方に突っ込んできた。
綾子は身を翻して敵から大きく距離を取った。
「アヤ!」
後ろからエーリッヒの声が聞こえた。
「ご無事でございますか!」
信じられない。あれほどの攻撃を喰らいながら動けるとは。
「なんとか。あの刀、サーベルのような曲刀だ、気をつけろ」
敵に刀を向けたまま、綾子は横目でエーリッヒを確認した。
彼も既に刀を抜いていた。
その間も、本体から離れた尾は水中を泳ぐ魚のようにゆらゆら宙を舞う。まるで、火の玉のようだ。
「一体なんでございますか!」
女中頭の恵子の声が屋敷の方から聞こえた。
「恵子! 今は外に出るな、皆室内にこもってろ!」
声を張り上げるエーリッヒ。
「来ます!」
綾子が声を上げる。ふたりは敵に分断され、左右に分かれた。綾子は切り込んでくる人型の本体に応戦する。
エーリッヒは尻尾の方に翻弄されて、綾子に近寄ることがままならない。とにかく、スピードが速く防戦一方な状態である。
月光に、綾子の振るう太刀が白銀色の鞭のようにひるがえり、綾子が打ち込んだ一閃が受け止められて言葉通りの鍔迫り合いとなる。
「狙いはエーリッヒさま?」
歯を食いしばりながら問いかけるも、敵は答えなかった。
「次の満月が沈んだ後、朝日の登る直前に迎えを門の前に寄越す。あの家宝を持ってこい。さすれば、伯爵の命は助けてやろう。ただし、伯爵にこのことを言えば……わかるな?」
女の声だった。どこかで聞いたことがある気がした。
綾子が口を開こうとした時。ライトの輝きが目に飛び込み、クラクションが響いた。
もう一台の自動車が急停車。後部座席の窓から伸晃が身を乗り出している。
パァンッとピストルの音が空に響いて、彼は後部座席から転がるように飛び出してきた。
「お清めしたピストルの球だぞ。当たったら痛ぇんじゃねえか?」
彼は空に向けていたピストルを構えた。
それでも、敵は怯まなかった。撃てるものなら撃ってみろと言わんばかりであった。
綾子の太刀と、敵の曲刀が激突した。
夜の闇に火花が散る。
一旦刃は離れ、敵が斬りかかり、踊るように身をひるがえした綾子が斬り返す。
身体が勝手に動いた。
さながら、剣舞を奉納する姫巫女のようであった。
(これは……わたしじゃないわ)
綾子の振るう太刀が宙にうなり、刀鳴りが絶え間なく響いた。
その時だ、綾子の死角でエーリッヒが分身を切って捨てた。伸晃が「ナイス!」と声を上げる。
「おのれよくも!」
敵が焦ったような声を上げた。
綾子の剣が押し負けて弾かれた。手から離れて飛んでいきかけたそれを握り直したその時、敵が曲刀を振りかぶってきた。
すかさず走り込んできたエーリッヒが斬撃を振り下ろした。敵は慌ててそれを受ける。鍔元で互いの刃がぎりぎりと悲鳴を上げた。
綾子は突きを見舞おうとするが、敵はエーリッヒに体当たりし、彼の剣先から辛くも逃れ、たたらを踏んだエーリッヒの脇腹にひと蹴りお見舞いし、綾子の切っ先を返す刃で受け流した。
次の瞬間、綾子の手から太刀が弾け飛び、月光を反射し銀色に輝く刀が宙高く舞い上がった。
敵が刃を振りかぶる。
綾子の目に、それがやたらゆっくりと映った。
(しまった……)
その時のことだ。黒い何かが綾子の背後からしなやかに跳躍し、敵の右手首に食らいついた。
「エリック!」
綾子は声を上げた。
それは間違えるはずもない、エリックの姿だった。
危ない。なんてことだ。
牙も爪もあるけど、エリックが刃物を持った相手に勝てるわけがない。
敵はエリックを振り払う。
エリックは宙で一回転してすとんと着地すると、体勢を低くして身構えながら綾子を守るように敵に対峙。
背中の毛を逆立てながら敵を睨みつけ、低い唸り声を発した。
その尾は高い位置で速く小刻みに揺れている。全く怯えは見られない。
綾子の目に、臨戦体制に見えた。




