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人狼の花嫁〜薄幸の華族令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第23話 落ち着かない家路

「アヤ、大丈夫か?」

「すみません、こんなに早く帰ることになってしまって」


 綾子とエーリッヒは既に自動車の後部座席に乗り込んでいた。


「いいんだ。どうせそろそろ切り上げるつもりだった」


 妙に喉が渇いた。

 胸騒ぎが止まらなかった。

 正子は何のことを言っていたのだろう。


(エーリッヒさまになんとお伝えすれば……)


 エーリッヒはどこか緊張した面持ちで、一振りの刀を肩に立てかけるように抱えていた。

 

「それは……」

「大山家の刀だ。少し借りることになった。護身用だ」

「その鞘の宝飾に反りと長さ。豪華なつば……太刀でございますね。何かあったのですか?」


 戦国の世、馬に騎乗して振るうことを前提に反りが深く、長めに打たれた刀である。一般的に見る徳川の世で武士が腰に差していた打刀より、古い時代の刀だ。


「ああ、そんな心配するようなことじゃない。俺は異国人だ。日本で商売していることを面白く思っていない者も多い。それだけのことだ。あのステッキも実は武器が仕込んである。居合で使っている打刀も実は車内に忍ばせてある。ノブはピストル持ってる」


 驚いて彼を見つめると、彼は苦笑して見せた。


「大丈夫、念の為だ」


 エーリッヒはそっと綾子の肩を抱いて抱き寄せた。

 彼の長い指が、綾子の首筋から肩にかけて撫でた。ただただ労わるような優しいものだ。

 エリックが綾子に撫でられていつも気持ちよさそうにしている意味が少しわかった気がした。


 好きな人に触れられると、これほど気持ちがいいのである。

 綾子はきゅ、と彼のジャケットを掴んだ。

 

「そうそう、もたれかかっているといい。今日は無理をさせたな。あんな生活をしていたんだ、社交なんて久しぶりだっただろう。足は痛まないか?」

「大丈夫ですわ」


 実のところ、足は痛くて仕方なかった。

 足の指は擦れてヒリヒリしたし、つま先も足首ももう限界。

 でも楽しかった。エーリッヒとダンスができたこと、それから大山財閥の三兄弟たちと話ができたこと。


 しかし、綾子は妹である正子の言ったことが気になってどこか気がそぞろだった。


(……そもそもなんで、エーリッヒさまはあの家宝を欲したのかしら……)


 綾子はあの実家から逃れられることと、夫となる人が礼儀正しく美しい異国人であること、それらで頭がいっぱいで家宝のことをあまり考えもしてこなかった。


 あの家宝もきっと欲する人の手元の方が大切にしてもらえるだろう。そう思っていた。

 

「あれだけ踊って足が痛まないだなんて、本当か? 子供の頃、ハイヒールとはどのようなものなのか気になって、ノブとこっそり履いてみたことがある。あれでダンスだなんて正気の沙汰じゃない。我慢するな、脱いでもいいぞ」


 驚きにエーリッヒを見上げた。彼は苦笑していた。


「え、履いたことがあるのですか?」

「若気の至りだ。背が高くなって面白そうだなと……そしてまともに歩けなかった。なんだその不安定な履き物は。あれが淑女の嗜み? どうかしている。だがマナーである以上履くなとも言えない」

「その革靴もなかなか窮屈そうに見えますが……」

「窮屈極まりない。履き物は草履に限る。だが……君のそれに比べたら遥かにましだ」


 ゆったりとした低い声。彼が綾子の髪に頬を寄せたことがわかった。

 早く、あのことを言わなくては。

 しかし、どこから話せばいいのだろう。焦って言葉がまとまらない綾子だが、自動車はついにオイレンブルク家の屋敷に戻ってきてしまった。

 門がゆっくり開き、自動車は敷地内の緩やかな坂を登って屋敷に向かう。 


 やがて、自動車は停止した。エーリッヒが先に降りて、綾子に手を差し述べた。綾子はその手を迷うことなく取って自動車を降りる。


「君は背が高いからいいが、この自動車は日本人には車高が高すぎるな」

「そうですわね」


 ふたりは小さく笑い合った。


 予定より早く帰ってきたからか、準備をしていなかったのだろう、未だ出迎えはない。

 綾子はエーリッヒの持っていた太刀を両手で受け取った。綾子は剣道しか経験がないが、祖父は居合道も嗜んでいた。


 打刀は持ったことがあるが、太刀はズシリと重かった。彼は一度車内に戻り、隠し持っていた打刀を取り出した。


「ノブたちはまだみたいだ」

「ええ」

「引き離された? 道も混んでいなかったのに……まあいい。山下、今日は助かった。ありがとう。車庫に戻してゆっくり休んでくれ」


 エーリッヒは運転手の山下と握手を交わした。


「おやすみなさいませ旦那さま、奥さま。失礼いたします」


 山下は運転席に乗り込んだ。

 小さく会釈をした彼に、綾子も頭を下げたその時。


「アヤ!」


 エーリッヒの鋭い声が聞こえた。彼は刀を放り出して綾子に走る。

 

 ぶつかったような衝撃。

 世界が、回った。綺麗な月が見えた。


(月?)


 気づけばエーリッヒに頭を庇われて、地面に押し倒されていた。

 エーリッヒは間髪入れずに起き上がりながら綾子に預けた太刀の鞘を左手でつかみ、右手で刀を抜こうとした。

 そこに黒い人の形をした影が迫るのが綾子の目に映った。


(な……)


 次の瞬間。人型の物体の膝蹴りがエーリッヒの腹に直撃し、彼は後方に吹き飛んだ。

 彼は派手な音を立てながら自動車の後部座席の窓を突き破って後部座席に突っ込んだ。

 

「エーリッヒさま!」


 綾子が身を起こしながら叫ぶ。

 彼の手から弾かれた太刀が空高く舞い、鈍い音を立てて目の前に転がった。

 少し離れたところに、エーリッヒの持っていた打刀も転がっていた。

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