Episode34 信じる者、愛する者
右腕の、肩から下の感覚がない。
それなのに肩口は熱く熱した鉄を当てられているかの如く、痛みに呻いた。
響くエラー音。赤く点滅するパネルに目がチカチカする。
エリサは思わず右肩を押さえながら、じとりと滴る汗が額から流れ落ちるのを眺めた。
「……めて。……もうやめて、オリヴィア……っ」
絞り出した声はやや掠れていた。
それでも両者に届いたのか、振れる機体が動きを止めた。
「……っ、エリサ……」
チェレスの苦しげな声がする。
エリサは何も映さない視界に、前方に視線を向けて訴える。
「もう、やめて……っ。どうして、こんなことを……っ」
わずかな呼吸音。それは乱れるエリサの呼吸か、それともチェレスか、オリヴィアのものか。
「……エリサお嬢様。最初から、私の目的はひとつでした。神と同等の――我が主と同等、いや、それ以上の力の可能性を持つ『EXCEEDER』を探すこと。だから私は人類に火という叡智を明け渡し、その成長を見守ってきました」
淡々と語る声はいつものオリヴィアのものであった。
エリサは静かにオリヴィアの言葉を受け止める。
「時には人類に試練を課し、時には道を示しながら、私は『EXCEEDER』の誕生を待ちました。そして今、待ち望んでいた『EXCEEDER』が生まれ落ちた。丹精込めて育てた果実を収穫して、一体何が悪いというのです?」
父がくすりと笑う。
ぞわりと背筋を這い回る恐怖、狂気。
「……っ、なんのために、オリヴィアは……。オリヴィアは、それで、一体何がしたいの……っ?」
じわり、と目頭が熱を持つ。
手元の機器類が滲む。ツキツキと痛む胸に、肩口に歯を食いしばる。
「何のため……? ……そんなこと、たったひとつしかありません。私は試したいの。我が主に人類の可能性がどこまで通用するのか。人というものの感情が、愛が、絆が、どこまで通用するのか。どこまで耐えられるのか」
見てみたいのだ、父は。
彼らが希望を持ち、歩み、絶望の淵に沈むのを。
父は手を横に払う。構えていた触手群が手を引く。
「……エリサお嬢様。私は、お嬢様に感謝しているのですよ」
「かんしゃ……?」
「ええ。『EXCEEDER』の誕生に、良い栄養剤になってくれました。お嬢様がいなければ、その機体はただの鉄屑です」
冷たく言い放つ、物言い。
エリサはオリヴィアのその言葉で、自分たちを物としか見ていないのだと実感する。それか、実験動物か。
どちらにせよ、心の中にわずかに残っていた、戦いたくない意思がエリサの中でサラリと消えていく。
オリヴィアはもう、エリサの知っているオリヴィアではない。
そもそも、エリサは最初から騙されていたにすぎない。かすかな落胆がエリサに冷たい息を吐かせた。
「……じゃあ、オリヴィアは最初から……」
「ええ。残念ですがお嬢様。私は『EXCEEDER』の誕生の邪魔となっていた機械らを滅ぼすため、彼と協力関係にあっただけに過ぎません。そして、邪魔者が居なくなった今、私は自身の目的を達成するだけです」
父は静かに告げて、陽炎のごとくその姿を揺らめかせた。
輪郭がぼやけて、かすみ、その姿を宇宙の闇へと溶かす。
「……エリサお嬢様、安心してください。ひとりぼっちにならないよう、我が主を微睡みに誘い続ける楽士らの一員にお迎えいたしますわ。その愛らしい悲鳴を奏でながら、愛する『EXCEEDER』が滅びゆくさまを特等席でご覧にいれましょう。えいえんに……」
声が闇に響いて溶けていく。
ふわりと機体が下がり、ガクンッ、とどこかに降り立った衝撃で体が揺れる。
もはや言葉を交わしても意味を為さない。
エリサの視界が真っ暗になる。オリヴィアには勝てそうもない。そんな気持ちが心のどこかにあった。
「……エリサ」
愛しい人の声が、申し訳なさそうに呟く。
エリサは顔を上げた。
「チェレス……」
チェレスが消えてしまう。それも、エリサにとって最悪の形で。
それを何もできずに見ていろと父は言い放った。
不安を抱えるエリサは押さえる右肩のジャケットを握った。
「……ごめんね、エリサ。……こんなことに巻き込んで」
後悔を滲ませるチェレスの言葉にエリサは首を横に振った。
最初からオリヴィアは味方ではなかった。ただ利害の一致で、一時的にこちらに加勢してくれていたにすぎない。
それが今分かっただけだ。エリサはふう、と息を吐いた。
「……ううん。私が、騙されていただけ……」
視線を落とすエリサに、チェレスが不安げな声で言葉を交わす。
「……エリサは悪くない。悪いのは……、こうなることがわかっていて手を組んだ俺の方だから」
それでもチェレスがこの道を選んだのは、主の遺志を継いでいたから。
エリサもまた、あのまま管理されたまま生きたくはないとこの道を選んだ。
どうせ同じ死なら、エリサは自分自身でそれを選びたい。一生を管理されて生涯を終えるなどまっぴらごめんだ。
「……それでもオリヴィアと――父と手を組んだのは、そうでもしないと機械らに勝ち目が無かったからでしょう?」
エリサの言葉をチェレスは静かに受け入れる。
ああ、そうだ。だから主は仮想空間を抜けた後、一歩及ばず命を落とした。
「だって、あなたは最初から、あなたの主の遺志を継いで私たち人類のために頑張ってくれていた。そのためにどんな手段を使ったって仕方ないと思う。……私が同じ立場だったら、あなたと同じことをすると思う」
エリサは地球に居る人類に思いを馳せる。
父が欲しているのは人間を超えた存在である『EXCEEDER』だけ。
地球上にいる大多数の人類には無関係な話に近い。
エリサはエリサが愛する人――チェレスが『EXCEEDER』だったから、身近に感じていただけ。
その事実をエリサはひそかに受け入れた。
「……エリサ。君のことをこんなにも愛してしまうなんて、予想外だった。だからこそ、俺は今後悔している」
エリサをここまで愛さなければ、当初の計画通り彼女だけの犠牲に収めて、自身も人類解放後に消え去るつもりだった。
それなのに、エリサを愛してしまった。だがそれは、エリサも同じ。
「後悔だなんて……。私だって、あなたのことをこんなにも好きにならなければ……」
ぐっとエリサは肩口に添えた手で服を握る。
人間としてのチェレスはもう既にいない。エリサが愛したのはただのバックアップデータであるチェレスだ。
人類のことだけを考えるなら、人類を解放して、『EXCEEDER』であるチェレスを父に差しだせば、それだけで人類の犠牲をこれ以上伴わずに済む。
でも、エリサはそれを選びたくなかった。大好きで大切で、愛した人だから。
「……そっか、そうだな。ごめん、弱音を吐いて。……エリサ。俺は君に生きていて欲しい。でも、こうなった以上、君を生存させることはかなり厳しい。だから……」
刹那の静寂。
エリサは覚悟を決めて、瞼を閉じた。
「……だから、エリサ。君の命を俺にくれ。最期のその時まで、一緒にいよう」
拒否権なんてないくせに……。
エリサは痛みが引き始めた右肩から押さえていた手を外し、手近にある左側のレバーを握る。
「……望むところよ、チェレス」
ここまできたらもう後戻りは出来ない。
エリサは無意識に、誰に言われるでもなくレバーに付いたボタンを押す。
『――システム『最終兵器』起動確認。警告。機体の耐久値を大幅に超える出力が予想されます。搭乗者は直ちに脱出を。警告。機体の耐久値を――』
無機質な機械音声が繰り返される。
けたたましく鳴り響く警告音と赤く光るランプの数々……。
言葉が分からないわけではない。それでも、エリサは覚悟を決める。
閉じていた瞼を押し上げる。先程とは打って変わって、眼前に広がるはきらめく星々の宇宙。
「……エリサ。君が選んだその先に、答えはあるはずだ。補正は俺がする」
特にこれといった操作はしていないのに、機体が動いた。チェレスと繋がっているからだろうか。
銀の機体に接続された巨大な砲。
それを、真っ直ぐ前方に差し向ける。
目の前には黒い世界に、点々と輝く星の数々。
それらに目もくれず、エリサは虚空に狙いを定めた。
レバーを握る手がじんわりと熱を持つ。
エリサはその手が滑らないように、ぐっと力を込める。
視線の先には相変わらず何もない虚空。響くエラー音の中で、エリサは一思いにレバーを押し上げた。
歪む視界、その先にあるのは赤黒く擦り切れたドレスの裾と、顔の無い空虚。
「――っ」
見たこともない姿にエリサは息を詰まらせる。
瞬間、放たれるは眩いほどの黒い――光。
「きゃあああああ――――――!」
あまりの閃光にエリサは叫んだ。
目の奥が痛い。痛い。痛い。
咄嗟に左手で両目を押さえる。ちりちりと焼け焦げる視界。ばちばちと瞼の裏に閃光が走る中、聞こえたのは――。
「――フフフ、アハハハハハハハ!!! これだから人間ってやつは面白い! だが、私を撃退できたからといって勝ちだと思うなよ――!」
光、闇。
そのどちらもが混在する穴に、彼女は堕ちた。
その先には時間も、空間も、何もない。それが、『Ring Karma』の最終手段だった。
じりじりと痛む目の奥を庇いながら、エリサは何とか瞼を開いた。
その先に、一瞬だけ見えた赤黒い存在はもういない。
「……は」
チェレスが息を漏らした。
痛みに呻きながら顔を上げたエリサに、チェレスはうわ言のように呟いた。
「……さすがだ、エリサ。……これが、機械の演算処理を超える人の脳の演算処理能力だというのか……」
チェレスが言い放つ言葉の意味が分からない。
なにをそんなに感嘆めいているのだろうか。
「……エリサ。君はやったんだよ。生存確率小数点以下の道を、君は見事勝ち取った」
「……え?」
目をぱちくりとさせたエリサの体がガコンッ、と下がる。
揺れる視界に思わず目を向けた前方には、がらりと落ちていく銀色の装甲。
「……わるい。機体の限界が近い。修復完了まで少し時間がかかる」
「……うん」
チェレスの言葉にエリサは頷いた。いや、頷くことしか出来なかった。
何が起こったのか理解はできていない。
けれども、耳にこびりついた父の言葉が、チェレスが言い放った言葉が、生き残った事実を証明している。
一体何が起こったのか、その原理をエリサは気になった。
けれども、なんとなくだがエリサは聞いても分からないような気がした。
だからあえてエリサは何が起こって父を撃退できたのか聞かなかった。
しばしの静寂、そして、幾分と経たずにチェレスがエリサに告げた。
「――おまたせエリサ。目は大丈夫?」
「うん」
「そっか、よかった……。あの攻撃は自爆みたいなものだから、酷いものじゃなくて安心した。……じゃあ、帰ろうか」
「……うん、そうだね」
エリサは静かに頷いた。
目の前に広がるは宇宙という名の星々が散る世界。
その視線の下に、青くて大きい星がある。
これで人類を、エリサたちを縛るものは全て無くなった。
エリサは大きく息を吸って、吐いて、背もたれに背中を預けたのだった。




