Episode32 EXCEEDER
前方に敵は居ない。あるのは巨大な白い建造物だけ。
それなのにエリサは声の主が目の前の建造物から――いや、建造物そのものの声だと理解した。
『――かつて何人たりとも動かすことの出来なかった『Ring Karma』を操るとは、どうやら本物のようだな……。だがしかし、そんな旧式の人型機械兵器一機でこの要塞を堕とすなど笑止千万。宇宙の塵と化すがいい……!』
建造物――マキナが不気味に笑う。
エリサは息を呑んだ。建造物の各所に備わっている砲台らしきものがこちらへ向きを変えていく。
あんな大きさのものをチェレスひとり――この機体だけで倒さなければならない。
無謀とも思える標的にエリサは唇を噛んだ。
「――その必要はない、エリサ」
頭に響き渡るチェレスの思考にエリサは思わず顔を上げた。
一体どういうこと? 倒さなくていいって……?
エリサは瞼を瞬かせながら視線を前方へと戻す。
マキナの上、黒い宇宙空間に、ぼんやりとした何かの存在が見えた。
「……ただ、もっと面倒なことにはなりそうだけれど」
チェレスの思考を聞きながら、ぐっと目を凝らす。
そこにいるのは、人……?
「――もう充分です、マキナ」
静かに響き渡る女性の声。
こちらからかなり離れているというのに、その声が嫌に耳元で響く。
その声はどこかで聞き覚えがあるような……。
『――その声は『父』!? 『父』で有らせられるのですか……っ!?』
マキナが取り乱した様子で声を荒げる。
マキナと共に、エリサもまた驚きで目を見開いた。
あれが、『父』……。
「……ええ。もう、十分です、マキナ。……探し物は見つかりましたから」
『――! で、では……! ついに我らから人類の呪縛を解き放ってくれるというのですか……!?』
マキナの感動に満ちた声。
エリサは背筋が凍る思いをした。
人類の呪縛から、即ち、それは人類への復讐と滅亡を意味して……。
「――ふふ、もちろんですとも。長きに渡るお勤め、ご苦労様でした」
『父』が鈴を転がすような声で笑う。
その声に、エリサは心臓が鷲掴みにされたかのような痛みを覚えた。
だって、その笑い声はオリヴィアの声に、とてもよく似ていたから……。
『――おお、ありがたき幸せ……! 我々先祖が受けた屈辱も、ついに今日果たされ――!』
刹那、走る赤の閃光。
エリサはあまりの眩しさに思わず手で両目を庇った。
『――……『父』……、一体、なぜ……?』
先ほどまで鮮明に聞こえていたマキナの声にジリッ、という砂を噛ませたような音が混じる。
おずおずと外した手の隙間から見えたのは、傾き、瓦解していく白の建造物だった。
細やかなパーツがバラバラになり、静かに形を分解していく様はまるで紙が水に溶けていくようだ。
その様子を、エリサは言い知れぬ恐怖を感じながら眺めることしか出来なかった。
一瞬で、あの建造物を……。
「――なぜ? 愚問ですね。……言ったでしょう? 私は『EXCEEDER』を探していると。そして、その捜索に任命したのがあなたたちマキナです。感謝していますよ、ええ。だって、こうしてあなたたちは『EXCEEDER』を無事見つけ出してくれましたから」
探し物は見つかった。
それならば、もう彼らは必要ないと。
そんな無情とも言える言葉で『父』はマキナの要塞を、拠点を――滅ぼした。
『父』は笑う。鈴のような声で。
いやに耳にこびりつくその声が、エリサを震撼させた。
『――そ、んな……バカな……』
要塞が闇に沈む。
バラバラに溶けて無くなったマキナをエリサはただ見届けた。
命の危険は去った。そんな悠長なことを言っていられるはずもなく、肌がピリピリとした緊張を纏う。
「……エリサお嬢様」
ぞわりとした。
だって、今この場所でエリサの名を知っているのは、チェレスだけのはず。
それに、お嬢様だなんて。エリサのことをそう言うのはエリサが元居たあの世界の住人だけだ。
聞き馴染みのある声が、言葉が、彼女の存在を証明していく。
「……オリヴィア」
震える声でエリサは問う。
本来なら聞こえないはずの声なのに、彼女にはきちんと届いたようだ。
「……ありがとうございます、エリサお嬢様。お嬢様のお陰で、私は『EXCEEDER』が誰か知ることが……。……いいえ、お嬢様が居なければ、『EXCEEDER』は生まれ得なかった。マキナはあの世界から抜け出せたお嬢様のことを『EXCEEDER』と思いこんでおりましたが、私には分かります」
オリヴィアの――父の言葉にエリサは生唾を飲んだ。
一体何を言っているのだろうか。
理解不能の恐怖がエリサを尻込ませる。
「……人か機械か。まさかそのどちらでもないなんて……。そんな不可能に近い存在が、まさか存在し得るなんて誰が予想できましょうか。……機械の身に人の意思を宿し、かの遺志を継ぎし者――チェレスティーノ・スペットロ・ダ・スペリメンターレ。……いいえ、今や母とも言うべきメインコンピューターそのものが『EXCEEDER』だなんて、一体誰が予想できましょう?」
父が小首を傾げる。
どこか嬉しそうに笑う彼女の姿にエリサはひゅっ――と喉を鳴らし、驚いた。
チェレスが、『EXCEEDER』……?
心の内に不安という名の風が吹き抜ける。エリサはチェレスを見上げた。
「……チェレスティーノ殿下。母。……あなたが構築する世界はとても素晴らしく、十分に楽しませてもらいました。ですので、今度はこちらの世界へご招待いたします」
父がにっこりと笑う。
距離があって離れているのに、彼女の表情ひとつひとつがはっきりと読み取れた。
「……どうせろくでもない世界だろう。……悪いが遠慮させてもらう」
今まで静かに父の言葉を聞いていたチェレスが淡々と返す。
エリサの体に、両腕に、ビリッとした電流のような刺激が流れた。
「あら? ご遠慮なさらずとも、ご招待いたしますわ。……もちろん、『EXCEEDER』を生み育ててくれたエリサお嬢様もご一緒に」
「……断るっ!」
いつもより余裕のない声。
吼えるように言い放ったチェレスの声にエリサはびくりと肩を震わした。
「……そう、残念です。……せっかくエリサお嬢様には『EXCEEDER』が我が主の贄になる様を楽士という特等席でご覧いただこうと思いましたのに……」
父の声が一段と低く、男性とも女性ともとれる中性的な声色へと変質する。
彼女の存在がゆらりと揺らぐ。遠目でわずかに見えていたいつものメイド服の裾が赤黒く変わっていく。
「……っ、エリサ、見るな……!」
「……え?」
チェレスの焦った声が響く。
思わず声を漏らしたエリサの視界がバチンと切れる。
ビリビリ痺れる思考に耐えながら2、3回瞬きをすると、コックピット内は見えるのにその向こう、外の様子が全く分からなくなっていた。
「……ふふふ。対策をご存じだなんて、さすが『EXCEEDER』……。ですが、力の根源たる私に敵うとお思いで?」
外の様子は分からない。それでも父の声だけは響いて聞こえた。
ぞくりと背筋に悪寒が走る。得体の知れぬ何かが、恐怖が、畏怖が、エリサの心を貫いた。
中性的な不気味な声。ビリビリと肌を走る緊張が、エリサの唇を噛ませた。
「……父。……いいや、古の神に仕えし者よ。これ以上、俺たちをアンタの好きにさせるつもりはない!」
チェレスのその声に確かな意思を感じて、エリサの胸がドキリと跳ねる。
それがチェレスの選ぶ道。だとしたらエリサもそれに付き従うのみ。
チェレスの意思に応えるように、エリサは両のひじ掛けを――レバーを握ったのだった。




