EP 4
月収2億円の天使キュララと、散らかり放題の配信部屋
絶品のフレンチトーストで満たされた穏やかな朝の空気は、突如として村長邸の奥から響いたけたたましい絶叫によって、無残にも打ち破られた。
「ないっ! ないないない、どこにもないよぉぉぉ〜〜っ!!」
「ひゃっ!? な、なんの叫び声ですの!?」
食堂で皿を片付けていた赤木大地と、まだフォークを名残惜しそうに握りしめていた人魚姫リーザが顔を見合わせる。
キャルルが「あちゃぁ……起きてきちゃったかぁ」と、白兎の長い耳を困ったようにペタンと垂らした。
「キャルルさん、今のは……?」
「うちのシェアハウス区画の奥に住んでる、もう一人の居候ちゃんよ。……百聞は一見にしかず、行ってみよっか」
キャルルに案内されて廊下の突き当たりへと進んだ大地は、その光景に思わず息を呑んだ。
木造の頑丈な廊下を埋め尽くしていたのは、天井に届きそうな勢いで積み上げられた無数の段ボール箱と、豪華なリボンがかけられた贈り物の山だった。中には高級そうな果物の化粧箱や、最新型の魔導家電のパッケージが乱雑に折り重なり、床の板張りすら見えない。
その雪崩の頂点から、バサバサと白い翼を羽ばたかせながら一人の少女が這い出てきた。
艶やかなピンク色のツインテールに、頭頂部で感情に合わせてピョコピョコと揺れ動くアホ毛。背中には小ぶりだが美しい純白の天使の羽が生えている。
パジャマ代わりにブカブカの特大パーカーを羽織ったその美少女は、半泣きで床の残骸を引っ掻き回していた。
「うぅ……今日の昼の『超高級ダンジョン特攻生配信』で使う、限定モデルの神聖マイクがないの〜! あとリスナーの石油王から貰った魔導タブレットの充電器も行方不明! 誰か私のマイク知らない〜!? このままだと配信に遅刻しちゃうよぉぉ!」
「キュララちゃん、おはよう。また物を失くしたの?」
キャルルが呆れ顔で声をかけると、少女――キュララは涙目で顔を上げた。
彼女こそ、天界と地上を繋ぐ動画配信網『GodTube』でチャンネル登録者数数千万人を誇り、月収二億円を叩き出す超人気メガゴッドチューバー、下級天使のキュララその人であった。
「キャルルちゃん助けて〜! 三日前には確かにデスクの横にあったはずなのに、昨日の夜にリスナーから届いた高級イチゴとブランドもののドレスの箱を開けたら、どこかに埋もれちゃって……!」
「ギ……ギギギ……ッ!」
キュララの言葉を聞いた瞬間、大地の隣でリーザが奥歯をギリギリと噛み鳴らし、鬼のような形相で震え出した。
「な、なんですのこの富の墓場は……! 床に転がっているあの『太陽マンゴー』、帝都のデパートなら一玉で金貨三枚はしますわよ!? 箱を開けっぱなしで放置して、端っこが傷みかけていますわ! な、なんて冒涜……! わたくしがみかん箱の上で命を削って歌っても五円玉しか稼げないというのに、この手羽先天使は贅沢の極みでゴミ屋敷を作っていますのねぇぇぇ!!」
「ひっ、寄生魚ちゃん怖い! あっち行って! 悪霊退散〜!」
キュララが飛び退いた拍子に、開け放たれた彼女の部屋の全貌が露わになった。
大地は思わず絶句した。
十畳ほどある部屋の床は、完全に「物」で埋没していた。
脱ぎ捨てられた配信用のフリル衣装、未開封の通販の箱、ファンから届いた山のようなぬいぐるみ、床を這い回る何十本もの黒い配線コードがスパゲッティのように複雑に絡み合い、もはやどこを歩けばいいのか分からない。机の上には飲みかけのペットボトルや食べかけのお菓子が散乱し、甘ったるい香りと埃っぽい空気が部屋中に淀んでいた。
「……これは、すごいですね」
大地がぽつりと呟くと、キュララは気まずそうにアホ毛をしょんぼりと垂らした。
「うぅ……だって、毎日数千個単位でプレゼントが届くんだもん……。配信の準備や動画編集で忙しくて、片付ける暇なんて全然ないの! 片付けようとしても、どこから手をつけていいか分からなくて、とりあえず隅っこに寄せてたらこうなっちゃったんだもん……」
困り果ててしゃがみ込むキュララを見て、大地は優しく微笑んだ。
決して彼女を責めたり、嘲笑ったりする色はない。ただ静かに、困っている人を助けたいという温かい光が宿っていた。
「キュララさん。僕の故郷には、昔からこんな言葉があるんです」
「『部屋の乱れは、心の乱れ』」
「へやの……みだれ……?」
「はい。散らかった部屋にいると、視界に入る無数の『物』が脳に余計な情報を送り続けて、無意識のうちに集中力を奪い、心を疲れさせてしまうんです。探し物が見つからない焦りやイライラも、全部そこから生まれます。でもね、キュララさんが片付けられないのは、あなたがだらしないからじゃありません。ただ『正しい手順』と『物の住所』を知らないだけなんですよ」
「正しい手順……? 物の住所……?」
キュララが大きな瞳をパチクリと瞬かせた。
「はい。今から僕が、絶対にリバウンドしないお片付けをお手伝いします。探しているマイクも、必ず見つかりますよ」
大地は背中のリュックから、お馴染みの紺色の木綿エプロンを取り出した。
腰の後ろへ手を回し、――キュッ、と紐を固く結ぶ。
【ユニークスキル:家庭科 が起動しました】
【環境認識・動線分析・空間整理収納プロトコルが接続されます】
大地の視界の中で、散乱していた部屋の空間がグリッド状に分割され、床の上の物たちが属性ごとに色分けされて見え始めた。
「さあ、始めましょう! お片付けの基本は、『分ける』『手放す』『定位置を決める』の3ステップです!」
大地はまず、廊下の段ボール箱を手際よく畳んで広いスペースを作ると、部屋の中から物を運び出し始めた。
「ステップ1は【全出しと仕分け】です。片付けが苦手な人は、引き出しや箱の中を覗きながら『これどうしよう』と悩みますが、それだと絶対に終わりません。まずは特定のエリア――今回はまず『机の上と床の上』にある物を、全部外に出して更地にします!」
「ええっ!? 全部出すの!? 余計に散らからない!?」
「一度リセットして『自分がどれだけの物を持っているか』を目で見て把握することが大切なんです。そして、出した物を【今使っている物】【使っていないけれど大切な物】【手放す物】の3つに仕分けていきます」
大地の手が電光石火の速さで動く。
散らばっていた配線コードを一本ずつほどき、机の上のゴミをまとめ、洋服をハンガーに掛けていく。キャルルとリーザも大地の指示に従って手伝い始めた。
「ああっ! 私の神聖マイクあったぁぁぁ!!」
衣装の山の下から、金色の装飾が施されたマイクがひょっこりと顔を出した。キュララが歓声を上げて抱きしめる。
「よかったですね。でも、ここからが一番大事なステップ2――【1年の法則と手放す勇気】です」
大地は部屋の中央に積まれた、大量のファンレターや高級家電、何着もある似たような衣装を指差した。
「キュララさん、ファンの方からの贈り物は本当に嬉しいものですよね。でも、使わずに箱のまま埃をかぶらせたり、床に放置して腐らせてしまうのは、かえって相手の好意を無駄にしてしまうことになります。『この1年間、一度も使わなかった物』は、今のあなたの人生にはもう役目を終えた物なんです」
「う……確かに、同じような美顔器が五台もあるし、着てないドレスもいっぱいあるかも……」
「ファンレターや特に思い入れのあるプレゼントは、専用の『思い出ボックス』を一つだけ作ってそこに大切に保管しましょう。そして重複した家電や着ない衣装は、村のバザーに出して寄付したり、困っている村人たちに譲ってあげるのはどうですか? その方が、贈ってくれた人の善意も世界に循環して、みんなが幸せになれますよ」
「わぁ……! それ、すっごく素敵! リスナーのみんなも『キュララちゃんのチャリティバザー』って言ったら絶対喜んでくれる!」
キュララの表情がパッと明るくなった。手放すことへの罪悪感が消え、前向きな循環へと意識が切り替わったのだ。
仕分けが猛スピードで進み、不要な箱や手放す物が次々と部屋から運び出されていく。
そして最後は、ステップ3――【物の住所(定位置)の決定】だ。
「物は、使った後に元の場所へ戻せないから散らかるんです。だから、『使う場所のすぐ近くに、3秒で戻せる定位置』を作ってあげます」
大地はタローマートで手に入るという安価な木箱や仕切り籠を使い、机の引き出しや棚を機能的に区切っていった。
配信用のマイクやヘッドセットは、机のすぐ右手の特等席へ。
床でトグロを巻いていた大量の配線コードは、トイレットペーパーの芯や結束バンドを使って種類ごとにまとめ、壁沿いのボックスの中へ綺麗に収める。
洋服は「着る頻度が高いもの」だけをクローゼットの手前に吊るし、一目で全体が見渡せるように配置した。
「そして最後のルールは、『床には絶対に物を置かないこと』。床が見えている面積が広ければ広いほど、部屋は広く感じられ、掃除機やモップも一瞬でかけられるようになります」
窓をガラリと全開に開け放つ。
ポポロ村の爽やかな朝風が吹き込み、淀んでいた埃っぽい空気を一瞬にして外へと連れ去っていった。
木漏れ日が、磨き上げられたフローリングの床を黄金色に照らし出す。
「……うそ……これ、本当に私の部屋……!?」
キュララは呆然と部屋を見渡した。
先ほどまでの足の踏み場もなかったゴミ屋敷が、まるで高級ホテルの配信スタジオのように、清潔で開放的な空間へと生まれ変わっていた。
必要な機材はすべて手の届く場所に美しく整列し、無駄なノイズが一切ない。
「す、すごい……! 部屋がこんなに広かったなんて知らなかった! 空気が美味しくて、頭の中のごちゃごちゃがスッて消えていくみたい……!」
「ふふ、お疲れ様でした。これで配信にも集中できますね」
大地が汗を拭って微笑むと、キッチンの方から甘酸っぱくて香ばしい極上の香りが漂ってきた。
片付けの合間に、大地が仕込んでおいたものだ。
「あ、そうだ。傷みかけていた太陽マンゴーと高級フルーツ、救出しておきましたよ」
大地が運んできたのは、サクサクにトーストしたパンの上に、水切りしたヨーグルトとほんの少しの蜂蜜を敷き、薄切りにした完熟マンゴーとイチゴを薔薇の花のように美しく並べた『フルーツオープンサンド』だった。
「わぁぁぁっ! 可愛い! すっごく美味しそう!」
「捨てられそうだったフルーツも、傷んだ部分を取り除いてこうして合わせれば、立派なご褒美スイーツになりますからね」
「い、いただきますっ!」
キュララがサクッと口いっぱいに頬張る。
濃厚なマンゴーの甘みと、甘酸っぱいイチゴ、爽やかなヨーグルトの酸味が、カリッとしたトーストの上で完璧なハーモニーを奏でた。
「んんん〜〜っ! 美味しい〜〜っ! 身体中にビタミンが染み渡るよぉ〜!」
「う、美味ですわぁぁ! マンゴーがとろけますわぁ!」
リーザも隣で涙を流しながら貪り食っている。
その時、机の上で起動しっぱなしになっていたキュララの魔導配信端末が、激しいアラート音を鳴らし始めた。
『ピピピピピピ! GodTube生配信中:同時接続者数300万人突破!』
「……えっ!? うそ、配信カメラ、つけっぱなしだった!?」
キュララが飛び上がった。
画面のチャット欄には、全宇宙の神々や視聴者からのコメントが、滝のような猛スピードで流れていた。
『うおおおお! あの汚部屋が一瞬でピカピカになったぞ!?』
『「1年使わない物は手放す」「物の住所を決める」……めちゃくちゃ勉強になるんだが!?』
『うちの神殿の散らかり放題の部屋もあれで片付けられるじゃん!』
『エプロン少年、何者だよ! 手際良すぎて惚れるわ!』
『虹色スパチャ投げるから、うちの部屋も片付けに来てくれぇぇぇ!!』
画面の端では、神界の通貨が雨あられのように投げ込まれ、キュララの配信ランキングが瞬く間に総合1位へと急浮上していた。
その頃――神界の片隅のこたつ部屋。
散乱したみかんの皮とビールの空き缶に埋もれながら魔導モニターを見ていた女神ルチアナが、カッと目を見開いて立ち上がった。
「な、何よこれぇぇぇ! 『1年使わなかった物は手放す』ですってぇ!? 耳が痛い! 耳が痛すぎるわよ! 私のこの部屋にある五年前の月人君の限定生写真とか、一回も開けてない腹筋ワンダーコアとか、全部手放せって言うのぉ!? ……で、でも、あの床に物を置かない部屋、めちゃくちゃ羨ましいじゃないのよぉぉぉ! 私の部屋も片付けなさいよエプロン少年ぇぇぇ!!」
ポポロ村のシェアハウスでは、すっかり大地に懐いたキュララが、瞳をキラキラと輝かせながら大地の腕にぎゅっと抱きついていた。
「大地くん! 決めた! 私の専属ルームマネージャー兼、専属シェフになって! 月給一千万円出すからぁ!」
「え、えええっ!? い、一千万……!? そんなの困ります!」
「だーめーでーすっっ!」
すかさず割り込んできたキャルルが、大地を背中に隠しながら、長い兎耳をビシッと立ててキュララを押し返した。
「大地さんはポポロ村の大切なお客様! 手羽先天使のマネーパワーで囲い込もうとしたってそうはいかないんだからね!」
「むぅ〜! キャルルちゃんのケチ〜!」
スッキリと整った明るい部屋に、少女たちの賑やかな笑い声が心地よく響き渡っていた。
大地の【家庭科】の知恵が、また一つ、混沌とした暮らしに心地よい秩序と光を取り戻していた。
【今日の大地のエプロン手帖】
今日のことわざ・格言
『部屋の乱れは心の乱れ(散らかった部屋は無意識に脳と心を疲れさせる。身の回りを整えることが、心をスッキリ軽くする一番の近道)』
今日からできる生活の知恵
【リバウンドしない「3ステップ片付け術」】
①全出しと仕分け:机の上や引き出しの中身を一度全部出し、「今使っている」「大切」「手放す」に分ける。
②1年の法則:この1年間触らなかった物は役目を終えた証拠。人に譲るか処分してスペースを空ける。
③物の住所を決める:使う場所のすぐ近くに定位置を作り、「床には絶対に物を置かない」ルールを徹底する。
読んでいただきありがとうございます。
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