EP 3
みかん箱の貧乏人魚姫と、パンの耳のフレンチトースト
ポポロ村の朝は、澄んだ空気と小鳥のさえずりで始まった。
村長公邸の客間で目を覚ました赤木大地は、畳んだ毛布を綺麗に整え、障子を開けて中庭へと足を踏み出した。昨夜の肉じゃがのおかげでぐっすりと眠れ、長旅の疲れもすっかり吹き飛んでいた。
深呼吸をして朝日を浴びようとした、その時である。
「愛! アイ! 愛! アイ! ラ〜ブラブ!(Fu Fu!)」
「マネー! マネ! ローン! ダーリン! グ!(Yeah!!)」
中庭の片隅から、朝の静けさを木っ端微塵に粉砕する、やけにリズミカルで切実な絶唱が響いてきた。
大地が目を白黒させながら庭の木立を覗き込むと、そこには異様極まりない光景が広がっていた。
スーパーの裏から拾ってきたような木製のみかん箱の上に、一人の少女が仁王立ちしていた。
髪は海底の真珠を思わせる艶やかな青銀色、瞳は吸い込まれそうなエメラルドグリーン。水棲種族特有の透き通るような白肌を持つ、文句なしの絶世の美少女である。
だが、その装いがすべてを台無しにしていた。
身につけているのは、ワゴンセールで叩き売られていたような上下小豆色の芋ジャージ。足元にはゴム底がすり減った健康サンダル。そして手には、壊れたメガホンにトイレットペーパーの芯をガムテープでぐるぐる巻きにした、お手製の『自作マイク』が握られていた。
「ダイヤが欲しい♪ 土地も欲しい♪ (Want You! Want You!)」
「朝の路上ボイストレーニング完了ですわ! 今日も完璧なアイドルステップでしたわね!」
――グゥゥゥゥ〜〜……キュルルルル。
少女がビシッとポーズを決めた瞬間、みかん箱がきしむほど盛大なお腹の虫が鳴り響いた。
少女は青銀の髪を揺らしながら、足元の籠から何かを取り出した。
それは、近所の土手から引っこ抜いてきたと思われる泥付きのタンポポとオオバコの葉、そして――炭のように黒ずみ、カチカチに乾燥した二本の『パンの耳』だった。
「……ふっ、朝食の時間ですわね。雑草はミネラルが豊富で美肌に良く、この硬化したパンの耳は顎の筋肉を鍛えて発声を良くするストイックフード。……決して、決してお金がないわけではありませんのよ……! ガジッ、ボリッ……うぅ、硬い……前歯が折れそうですわ……」
ボロボロと大粒の涙を目に浮かべながら、炭化したパンの耳を懸命に前歯で削る少女。その足元からは、なぜか薄気味悪い鉛色の小石――不運を呼ぶという厄災の『ふ〜ん石』が、ポロポロと音を立てて転がり落ちていた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
見かねた大地がそっと声をかけると、少女はビクゥッ! と飛び上がり、みかん箱から派手に転げ落ちた。
「ひゃああっ!? だ、誰ですの!? わたくしの極秘レッスンを覗き見る不届き者は!」
「ご、ごめんなさい! 怪しい者じゃありません。昨日からこの屋敷に泊めてもらっている、赤木大地と言います」
大地が慌てて手を差し伸べると、縁側の引き戸がガラリと開き、寝癖のついた兎耳を揺らしながらキャルルが顔を出した。
「ふわぁぁ……大地さん、おはよう……。あ、リーザちゃん、またみかん箱で歌ってたの? 近所迷惑だから朝の六時から大声出しちゃダメって言ったでしょ」
「キャルル様! 近所迷惑とは心外ですわ! わたくしは深海王国シーランの王女にして親善大使、そして全大陸を熱狂の渦に巻き込む未来のトップアイドル、リーザ・シーラン・リヴァイアサンですのよ!」
リーザと名乗った人魚姫は、ジャージの胸を張ってフンスと鼻を鳴らした。
だが、キャルルは深いため息をつきながら、大地にこっそり耳打ちした。
「……王女様なんだけどね、帝都の路上ライブで投げ銭の五円玉しか稼げなくて、家賃も払えなくなって私のところに転がり込んできたの。毎月、月末になると光速スライディング土下座で家賃を免除してもらってる、筋金入りの居候ちゃんよ」
「な、何を耳打ちしてますのキャルル様! わたくしは今、あえて過酷な環境に身を置くことでハングリー精神を養っている最中ですの! ファン以外の施しは受けない主義ですから、この極上のパンの耳があれば十分――」
強がるリーザの胃袋が、再び「ギュルルルゥ」と悲鳴を上げた。
見れば、彼女の唇はカサカサに乾き、握りしめたパンの耳には歯型すらまともについていない。あまりにも乾燥して硬くなり、石のようになってしまっているのだ。
「……リーザさん。そのパンの耳、僕に預けてもらえませんか?」
「えっ? な、何をする気ですの? いくら大地さんが居候仲間だからといって、わたくしの貴重な主食を奪う気なら、人魚族に伝わる超音波の鼻息でスナイプしますわよ!」
「奪うんじゃありません。もっと美味しく、心もお腹も満たされる朝ごはんに変えるんです」
大地は優しく微笑むと、背負っていたリュックから紺色の木綿エプロンを取り出した。
腰の後ろに手を回し、キュッと紐を固く結ぶ。
【ユニークスキル:家庭科 が起動しました】
【調理技能・食材鑑別・リメイクプロトコルが接続されます】
大地の視界に、厨房の食材データが柔らかい光となって流れ込んできた。
大地はパンの耳をそっと受け取り、真剣な瞳でリーザを見つめた。
「リーザさん。僕の故郷には、こんな言葉があるんです」
「『捨てる神あれば拾う神あり』」
「そして、『始末とは、物を最後まで活かしきること』です」
「す、すてるかみ……? しまつ……?」
「はい。世間では『パンの耳』なんて硬くて味気ないからと、切り落として捨ててしまう人もいます。でもね、どんな食材にも命があり、美味しく食べてもらうための価値が眠っているんです。節約や始末というのは、単に我慢してお金をケチることじゃない。今あるものの良さを見つけ出して、最後まで大切に活かしきることなんです。捨てられそうなパンの耳だって、一手間かければ、一流ホテルのデザートにも負けないご馳走に生まれ変わるんですよ」
「パンの耳が……一流ホテルのご馳走に……!?」
リーザのエメラルドグリーンの瞳が、期待と疑念で揺れ動いた。
「見ていてください。すぐに作りますから」
大地はキャルルとリーザを台所へ招き入れ、手際よく調理の準備を始めた。
作るメニューは、朝食の王様――『絶品・極上フレンチトースト』だ。
用意したのは、リーザの持っていたカチカチのパンの耳、村の特売で手に入れたという有精卵二個、新鮮なミルク、そして少量の粗糖とバター。
「大地さん、そのパンの耳、本当にカチカチだよ? 普通に卵液につけても、中まで染み込むのに何時間もかかっちゃうんじゃない?」
心配そうに覗き込むキャルルに、大地は「ふふっ、そこが家庭科の知恵なんです」と微笑んだ。
「硬くなったパンに短時間で味を染み込ませるには、二つの裏技があるんです」
大地はまず、フォークを手に取ると、パンの耳の表面全体にプチプチと細かく穴を開けていった。
「こうして繊維に小さな隙間を作ってあげると、卵液の通り道ができます。そして、ここからが一番のポイント――『温かい卵液』を使うことです」
深めのバットに卵を割り入れ、菜箸で白身のコシを切るように手早く溶きほぐす。そこに粗糖を加えて混ぜ合わせたら、人肌程度(約四十度)に温めたミルクを少しずつ注ぎ入れた。
「冷たい牛乳を使うとパンの油脂が固まって吸い込みが遅くなりますが、人肌に温めた卵液を使うと、パンの中の空気が押し出されて、スポンジのように一瞬で中心までグングン吸い込んでくれるんです。家庭に電子レンジがあるなら、卵液に浸したパンをラップなしで両面三十秒ずつ温めるだけでも、一晩漬け込んだのと同じくらいトロトロになりますよ」
大地がバットにパンの耳を並べると、驚くべき光景が起きた。
ジュワッ、と微かな音を立て、カチカチだったパンの耳が、まるで乾いた砂漠が雨水を飲み干すように、黄金色の卵液を猛烈な勢いで吸い上げていく。わずか三分ほどで、バットの底の液体は消え失せ、パンの耳は持ち上げるとプルプルと崩れそうなほど重く、柔らかく変化していた。
「す、すごいですわ……! あんなに凶器みたいに硬かったパンの耳が、プリンみたいにフルフルしていますわ……!」
リーザがゴクリと喉を鳴らす。
「さあ、ここから焼き上げますよ」
大地は鉄のフライパンを弱火にかけ、バターをひとかけら溶かした。
ふわりと広がる芳醇なミルクと焦がしバターの香り。
そこに、たっぷりと卵液を含んだパンの耳を静かに並べる。
――ジュワァァァ……。
心地よい音が響く。ここで大地は、フライパンにぴったりと蓋をした。
「フレンチトーストをパサつかせず、ホテルのスフレみたいにふわっふわに膨らませるコツは、『弱火の蒸し焼き』です。強火で焼くと表面だけが焦げて中が生焼けになりますが、蓋をして弱火でじっくり蒸気を閉じ込めると、中の水分が水蒸気になって全体をふっくら持ち上げてくれるんです」
数分後、蓋を開けると、フライパンの中には倍近くにふっくらと膨らんだ黄金色のフレンチトーストが鎮座していた。
大地は手際よく裏返し、仕上げにほんの少しの粗糖をフライパンのフチにパラリと振りかける。
溶けた砂糖が熱い鉄肌でキャラメル色に焦げ、パンの表面にツヤツヤとした香ばしいコーティングを作っていく。
「よし、完成です!」
皿に盛り付けられたのは、かつてゴミ同然に扱われていたパンの耳とは到底信じられない、黄金色に輝く極上のスイーツだった。湯気と共に立ち上る甘いバニラのような香りと、焦がしキャラメルの芳醇な匂いが、台所を埋め尽くす。
リーザの目は完全に釘付けになり、口元から垂れそうになる涎を必死でジャージの袖で拭っていた。
「……フン! み、見かけ倒しですわ! いくら見た目を整えたところで、所詮はわたくしが拾ってきたパンの耳! 誇り高き深海のアイドルが、このような甘い罠に屈するはずが――」
「リーザさん、冷めるとしぼんじゃいますよ。どうぞ」
大地がフォークを添えて皿を差し出した、その瞬間だった。
――ズザザザザザザァァァッ!!
リーザは床の上をノータイムで五メートルほど光速スライディングし、大地の足元で完璧な五体投地の土下座を決めた。
「食べますぅーーーッ!! 神様仏様大地様ぁーーッ!! いただきますわぁぁぁ!!」
「あはは、前言撤回が早すぎるよリーザちゃん!」
キャルルが呆れ笑いする中、リーザは立ち上がるやいなやフォークを握りしめ、震える手でフレンチトーストを一口大に切り分けた。
刃を入れた瞬間、サクッ……と表面のキャラメルが心地よい音を立て、中からトロリと温かいカスタードのような生地が顔を覗かせる。
リーザはそれを口いっぱいに放り込んだ。
「………………っっっ!!!」
リーザの背筋がピンと伸び、エメラルドグリーンの瞳が限界まで見開かれた。
モグ……モグ……と咀嚼するたび、彼女の白く美しい頬が薔薇色に染まっていく。
「な、なんという……なんという口溶けですの……!? 外側はカリッとして香ばしいのに、中はまるで出来立てのプリンのようにトロットロで……甘くて、温かくて、口に入れた瞬間にジュワァッて幸せが溶け出してきますわ……! これ、本当にあのカチカチのパンの耳なんですの!? 信じられませんわぁぁぁ!」
「わぁ……本当だ! すっごく美味しい!」
キャルルも一口頬張り、長くて白い兎耳を嬉しそうにパタパタと揺らした。
「耳特有の香ばしさがキャラメルと合わさって、普通の食パンで作るよりむしろコクがあって美味しいよ! 大地さん、本当に魔法使いみたい!」
「うぅ……うぅぅ……美味しい……美味しいですわぁ……」
リーザは涙をボロボロとこぼしながら、夢中になってフォークを動かし続けた。
帝都に出てきてからというもの、冷たい路上でみかん箱に立ち、嘲笑われ、空き缶を拾い、硬いパンくずを水で流し込む毎日だった。誰からも顧みられず、寒さと飢えに震えていた彼女の心に、大地の作った温かい甘みが、凍えた魂を芯から溶かすように沁み渡っていく。
最後の一口を飲み込んだリーザは、皿をペロリと舐めそうな勢いで見つめたあと、両手で大地の右手をギュッと握りしめた。
「大地様……! 決めましたわ! 大地様を、わたくしの専属プロデューサー兼、専属シェフに任命いたしますわ! 大地様が作ってくださるこの朝食があれば、わたくし、帝都のドーム公演だって満員にしてみせますわよ!」
「え、えぇっ!? プロデューサー!? 僕はただの高校生ですから、そんな大層なことはできませんよ……!」
慌てる大地だったが、リーザの足元を見れば、先ほどまで転がっていた不吉な『ふ〜ん石』は跡形もなく消え失せ、代わりに彼女の周囲にはキラキラとした生命の輝きが満ちていた。
その頃――神界の片隅のこたつ部屋。
下界観測用の魔導モニターに映し出された黄金色のフレンチトーストを凝視しながら、小豆色の芋ジャージを着た女神ルチアナが、敷布団をバンバンと激しく叩きむしっていた。
「ちょっとぉぉぉ! 朝からあんなホテル級のフレンチトーストを流すんじゃないわよ! 私の朝ごはん、昨日食べ残してカピカピになったタローソンの冷やし中華なんだけど!? あーもう! あんなの濃いめのブラックコーヒーと一緒に食べたら絶対最高じゃない! 私にも一口寄越しなさいよぉぉぉ!!」
神々の涎と羨望を集めながらも、ポポロ村の食卓には、温かい笑顔と幸せな満腹感が広がっていた。
大地のエプロンが、また一つ、傷ついた誰かの心を優しく救い上げていた。
【今日の大地のエプロン手帖】
今日のことわざ・格言
『捨てる神あれば拾う神あり/始末とは物を最後まで活かしきること(見放されたり捨てられそうな物でも、見方や工夫を変えれば最高の宝物に生まれ変わる)』
今日からできる生活の知恵
【硬いパンが3分で染まる「人肌時短」フレンチトースト】:パンの耳や硬くなったパンは、フォークで穴を開け、「人肌程度に温めた卵液」に浸すと、パン内部の空気が抜けて一瞬で中心まで染み込みます。弱火で蓋をして蒸し焼きにすれば、短時間でホテル級のふわとろ食感になります。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




