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『異世界オネエ転生』 ~元新宿三丁目ママ、無敵チートで最強受付嬢になり気ままに無双します~  作者: 雛森リコ
転生オネエさん、最強受付嬢になる。

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第五章 最強受付嬢、魔族を拾う③

貧民街を歩くこと、しばらく。


 日が傾き、街並みが夕焼けに染まり始めた頃、マリアとティアナは子供たちから聞いた道順を頼りに、街の外れへと向かっていた。


 進むにつれて、人通りは少なくなっていく。


 古びた倉庫や使われなくなった商店が並ぶ一角。その先に、周囲の建物とは不釣り合いなほど立派な塀が見えてきた。


「……あれです」


 ティアナが声を潜める。


 塀の向こうには、二階建ての大きな屋敷が建っていた。


 庭木はきれいに手入れされ、正門には頑丈な鉄柵。門の両脇には、武装した男が二人立っている。


 建物自体は古いものの、荒れ果てている様子はない。


 人目につきにくい場所にあることを除けば、裕福な商人が所有していても不思議ではない屋敷だった。


「……ずいぶん立派なお屋敷ねぇ」


「ええ。ですが、この場所にあるにしては、少々不自然です」


「そうなの?」


「貧民街の外れで、周囲には倉庫ばかり。人の往来も少ない。普通の商家なら、もっと商売に便利な場所を選ぶでしょう」


 ティアナは眼鏡の位置を直し、門の様子を注意深く観察した。


「それに、門番の装備も気になります」


「どんなところが?」


「腰の剣だけでなく、鎧の下にも厚手の革を着込んでいます。少なくとも、客人を迎えるための門番には見えません」


 マリアは、ふむふむとうなずいた。


「なるほどねぇ。つまり、あそこは怪しいってことね」


「まだ断定はできません。ですが、子供たちの証言と合わせれば、調べる価値は十分にあります」


「じゃあ、もう少し近くで見てみましょうか」


「……マリアさん」


「なあに?」


「くれぐれも、堂々と正門に向かうのはやめてくださいね」


「あらやだ。そんなことするわけないじゃないのぉ」


 マリアはにっこりと笑った。


 ティアナは、嫌な予感がした。


 この人の言う「そんなことするわけない」は、必ずしも信用できない。


 何しろ、これまで何度も予想の斜め上を行く行動を取られてきたのだ。


「……本当にお願いしますよ?」


「はいはい♡」


 二人は屋敷から少し離れた路地へ入り、建物の陰から様子をうかがった。


 しばらくすると、正門が開いた。


 中から出てきたのは、一台の荷馬車だった。


 荷台には木箱がいくつも積まれている。御者台には男が一人座り、門番の男が短く何かを告げると、荷馬車はゆっくりと通りへ出てきた。


「……荷物の搬出でしょうか」


 ティアナが小声でつぶやく。


「そうみたいねぇ」


 マリアは目を細めた。


 荷馬車は屋敷の前を通り過ぎ、街の中心部とは反対の方向へ走っていく。


 そのときだった。


 荷台の奥から、音が聞こえた。


 ――ドン、ドン。


 木箱を内側から叩くような音。


 マリアの笑みが、すっと消えた。


「……今の、聞こえた?」


「はい。荷物が動いた音……でしょうか」


「そうかもしれないわねぇ」


 マリアは荷馬車の後ろ姿をじっと見つめた。


 もう一度。


 ――ドン、ドン、ドン。


 今度は、はっきりと聞こえた。


 荷台に積まれた箱の一つが、わずかに揺れている。


 ティアナの顔からも、表情が消えた。


「……生き物でも入っているのでしょうか」


「その可能性はあるわね」


 マリアは静かに答えた。


 いつもの明るい声とは違う。


 けれど、怒鳴るわけでも、すぐに飛び出していくわけでもなかった。


 ただ、荷馬車を見失わないよう、その行方を目で追っている。


「マリアさん。追跡しますか?」


「そうね。でも、今ここで騒ぎを起こしたら、屋敷の中にいる人たちまで危険にさらしてしまうかもしれないわ」


「……同感です」


 ティアナは小さくうなずいた。


 荷馬車を追うべきか。


 それとも、屋敷の様子をさらに探るべきか。


 どちらを選ぶにしても、今は慎重に動く必要がある。


 そのとき、マリアがふと顔を上げた。


「ねえ、ティアナちゃん」


「はい」


「あの門番さんたち、交代する時間は決まっているのかしら?」


「わかりません。もう少し観察する必要がありますね」


「じゃあ、もう少しここで様子を見ましょうか」


「……マリアさんが、待つ?」


「あら、何よその反応!」


「いえ……」


「失礼しちゃうわねぇ。あたしだって、必要なときはちゃんと待てるのよ?」


 ティアナは返事に困った。


 必要があるときでさえ、これまで何度も待ってくれなかったことを思い出したからだ。


「……期待しています」


「その言い方、何か引っかかるわぁ!」


 マリアが小声で抗議する。


 ティアナは、思わず口元を緩めた。


 張り詰めた空気の中でも、この人といると妙なところで調子が狂う。


 けれど、今はそのおかげで、冷静さを保てている気もした。


 それから二人は、通行人を装いながら屋敷の周辺を観察した。


 しばらくして、今度は別の男が門から出てきた。


 男は周囲を警戒しながら、懐から小さな紙片を取り出す。


 そこに何かが書かれているらしい。男は内容を確かめると、すぐに紙片をしまい、足早に路地の向こうへ消えていった。


「……今の男、何かを確認していたようですね」


「ええ。誰かとの連絡に使うものかしら」


 ティアナは手元の地図を開き、屋敷の位置を書き込んだ。


 門の位置。


 周囲の路地。


 人の出入り。


 そして、荷馬車が向かった方向。


 見聞きした情報を、一つずつ整理していく。


「いったん戻りましょう」


 やがて、ティアナが口を開いた。


「これ以上ここにいても、得られる情報は限られています。荷馬車の行き先も気になりますが、まずはギルドに戻って情報を共有しましょう。応援を要請するにしても、状況を整理してからです」


「そうねぇ。あの子にも報告したいもの。仲間を探しているんだものね」


 マリアは屋敷をもう一度振り返った。


 鉄柵の向こうは静かだった。


 まるで、何事も起きていないかのように。


 けれど、あの箱の中から聞こえた音は、どうしても気にかかった。


 もし、あの中に助けを求めている人がいるのなら。


「……待っててね」


 マリアは誰にともなく、小さくつぶやいた。


「ちゃんと助ける方法を考えるから」


 そして二人は、来た道を戻り始めた。


◇


 冒険者ギルドへ戻ると、先ほどの女性はフードは深くかぶったまま壁際の席に座っていた。


 手元には、飲みかけの水が置かれている。


 周囲の冒険者たちが騒がしく話す中、女性だけは静かに入口を見つめていた。


 その横で、少し遅いお昼を嬉しそうに食べていたルナの耳がピクリと動いた。


 二人の姿を見つけると、ルナはすぐに立ち上がる。


「ママ!おかえりなさい!」


「……何かわかったか?」


「ええ。ちょっと気になる屋敷を見つけたわ」


 マリアは、ティアナが広げた地図をテーブルに置いた。


「ここよ。門番がいて、荷馬車が出入りしていたの」


 女性は地図に目を落とした。


 屋敷の位置を確認した瞬間、わずかに眉を動かす。


「……やはり、あの辺りか」


「心当たりがあるの?」


「いや、確かなことは何もない。ただ、王都に入ってから、どうにも気になる場所がいくつかあってな」


 女性は地図を見つめたまま、静かに続けた。


「それで、屋敷の中には何があった?」


「まだ中までは見ていないわ。でも、荷馬車が出ていくところを見たの」


 マリアの表情が、少しだけ険しくなる。


「それでね。荷台に積まれた木箱の中から、音がしたのよ」


「音?」


「ええ。内側から、箱を叩くような音がね」


 女性の指が、ぴくりと動いた。


「……人が入っていた可能性がある、と?」


「断定はできません。ですが、子供たちの証言と合わせて考えれば、無視できない情報です」


 ティアナが冷静に補足した。


 女性はしばらく黙っていた。


 やがて、深く息を吐く。


「……あやつら」


 低く、押し殺した声だった。


 テーブルの上に置かれた女性の手が、わずかに震えている。


 怒りか。焦りか。


 それとも、もっと別の感情なのか。


 マリアにはわからなかった。


 ただ、今にも一人で飛び出していきそうな気配だけは感じ取れた。


「ちょっと、待ってちょうだい」


 マリアが女性の肩に、そっと手を置いた。


「気持ちはわかるけど、今はまだ、突っ込むときじゃないわ」


「……そなたに、何がわかる」


「全部はわからないわよ」


 マリアは、まっすぐ女性を見つめた。


「大切な人がどこかに連れていかれて、どこにいるのかもわからない。早く助けたいのに、何もできない。……そういう気持ち、簡単にわかったなんて言えないわ」


 女性は、口を閉じた。


「でもね。あたしたちが焦って動いたせいで、助けられる人まで危険にさらすわけにはいかないでしょう?」


「…………」


「だから、ちゃんと助けるために考えましょう。ね?」


 女性は、マリアの顔を見つめた。


 そこには、ふざけた様子も、いつもの軽い調子もなかった。


 ただ、目の前にいる人を本気で心配している。


 そのことが、伝わってきた。


「……よかろう」


 女性は、ゆっくりとうなずいた。


「そなたの言う通りじゃ。今は情報を整理するべきじゃな」


「ええ。それでこそよ♡」


 マリアは、いつもの笑顔を取り戻した。


 その変わり身の早さに、女性は思わず目を細める。


「……本当に、妙な人物じゃな」


「あら、褒めても何も出ないわよぉ?」


「褒めてはおらぬぞ」


「うふふ♡」


「……マリアさん」


 ティアナが額を押さえた。


「今は大事な話をしているんですから、少し真面目にしてください」


「ふふ……そういう主も、そのような華やかな格好で会議とは、締まりがないのう」


「なっ!? 今は急を要しているんですから、いいんです!」


 ティアナは顔を赤らめ、テーブルをばんばんと叩いて抗議した。


 着替える時間が惜しかっただけなのに、どうやら、先ほどから気にしていた自分の服装まで蒸し返されたらしい。


 女性は、こらえきれずに小さく笑った。


 その笑い声を聞いて、ティアナは少しだけ驚いた。


 彼女が笑ったところを、初めて見た気がしたからだ。


「……それで、これからどうする?」


 女性が尋ねる。


 ティアナは気を取り直し、地図を広げ直した。


「まずは、屋敷から出ていった荷馬車の行き先を調べたいと思います。もし、別の場所に人を移しているのであれば、そこも拠点の一つかもしれません」


「人手が必要なら、ギルドに協力を求めるのも手ね」


 マリアの言葉にうなずき、ティアナは続けた。


「ただし、情報が漏れる危険もあります。誰にでも話すわけにはいきません」


「そうね。信用できる人にだけ、ね」


 ティアナはうなずいた。


「それから、先ほどの屋敷については、騎士団にも内密に確認を取ります。正式な捜査にするには、もう少し証拠が必要ですが……」


「騎士団が動けば、相手に気づかれる可能性もあるのではないか?」


 女性の問いに、ティアナは少し考えた。


「その可能性はあります。ですから、まずは信頼できる団長にだけ話を通します。大勢を動かすのは、情報がそろってからです」


「……なるほど」


 女性は納得したようにうなずいた。


 マリアは二人のやり取りを聞きながら、ふと何かを思いついたように手を叩いた。


「そうだわ!」


「……今度は何ですか、マリアさん」


「屋敷の中に入る方法よ!」


 ティアナの顔が引きつった。


「まさか、正面から突入するつもりではありませんよね?」


「やぁねぇ。その通りよ、責任者とお話ししましょう!」


「馬鹿なんですか!?」


「冗談よ、冗談♡」


 マリアは笑いながら、地図の屋敷を指で示した。


「でも、あそこに出入りしている人がいるのは確かでしょう? だったら、出入りする人たちに紛れ込む方法があるかもしれないわ」


「……潜入、ですか」


「そう。正面から戦うんじゃなくて、中の様子を確かめるの」


 ティアナは、少し考え込んだ。


 確かに、今の段階で大人数を動かすのは危険だ。


 屋敷の中に何人いるのかも、どのような武器を持っているのかもわからない。


 捕らえられている人々の居場所も不明だ。


 まずは内部の状況を把握する必要がある。


「……検討する価値はありますね」


「でしょ?」


 マリアは得意げに胸を張った。


「名付けて、潜入大作戦!」


「名前をつける必要はありません!」


「あらぁ、いい名前だと思ったのに」


 女性は、二人のやり取りを眺めていた。


 そして、ふと目を伏せる。


 この者たちは、まだ知らない。


 自分が何者なのか。


 そして、なぜ自分が彼らを探しているのか。


 話すべきか。


 黙っているべきか。


 答えは、まだ出ていなかった。


 だが、一つだけ確かなことがある。


 この二人は、自分の利益のためではなく、目の前にいる人々を助けるために動いている。


 ならば――。


「余も、協力しよう」


 女性は顔を上げた。


「まぁ!素敵ね!」


「待ってください」


 ティアナが即座に口を挟んだ。


「あなたは、すでに一度、捕まることも覚悟して行動していたんですよね?」


「……ああ。だが、戦力になれることは保証しよう」


 フードの隙間から覗くトパーズ色の瞳が、怪しく輝いた。


 その眼差しには、ただの旅人とは思えない力強さが宿っている。


「腕に自信があるようですが、戦いの心得でも?」


 ティアナが尋ねると、女性は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。


「……共闘する以上、隠し事をしたままというわけにもいかぬか」


 そう呟くと、女性はフードの縁に手を掛けた。


「な、何をするつもりですか?」


 ティアナが警戒するように身構える。


「安心せよ。そなたらに危害を加えるつもりはない」


「そういう問題ではなくてですね……」


「まあまあ、ティアナちゃん。落ち着いて、落ち着いて」


 マリアに促され、ティアナは渋々ながらも口を閉じた。


 女性は一度、静かに息を吸った。


「私は――魔族領を治めていた者。魔王じゃ」


 次の瞬間。


 魔王はフードを脱いだ。


 隠されていた頭部から、魔族特有の角が姿を現す。


 そして、フードに押さえつけられていた暗い朱色の長い髪が、解放されたようにふわりと広がった。


 腰まで届く、ウェーブのかかった髪。


 夕刻の光を受けて、艶やかに揺れる。


 その下で輝くのは、トパーズを思わせる黄金色の瞳。


 人間とは明らかに異なる、わずかに尖った耳。


 気品ある顔立ちに浮かぶのは、王者としての威厳と、長い逃亡生活で刻まれた疲労だった。


 その姿を目の当たりにしたティアナは――。


「…………」


 固まった。


 瞬きすら忘れたように、魔王の頭部を凝視している。


「……え?」


 かろうじて漏れた声は、それだけだった。


 マリアは、目の前の魔王をじっくりと眺めた。


「まあ……」


 感心したようにうなずく。


「やっぱり、綺麗な髪ねぇ♡」


「……ブレぬな、そなたは……」


「あら、女性の魅力を褒めるのに理由がいる?」


 魔王は呆れたように息を吐いた。


 一方、ティアナの顔色はみるみるうちに青ざめていく。


「……ま、魔王……?」


「うむ」


「…………魔王?」


「そう言っておるじゃろう」


「………………」


 ティアナはゆっくりと両手を伸ばした。


 そして――。


 ばさっ!


「なんじゃ!?何をする!?」


 魔王の頭に、勢いよくフードを被せ直した。


「見なかったことにします!!」


「いや、もう見ておるじゃろうが!」


「見てません! 私は何も見てませんから!!」


 ティアナはそのまま、ふらふらと後ずさった。


 近くの椅子に手を掛けようとして、失敗する。


 どさっ。


 白地に青い小花が散りばめられたワンピースの裾が、床に広がった。


 ティアナは、その場に泣き崩れた。


「……もう、いや……」


「ティ、ティアナちゃん!?」


 マリアが慌てて駆け寄る。


「どうしたのよぉ! しっかりしてちょうだい!」


「しっかりなんて、できるわけないでしょう……!」


 ティアナは顔を覆った。


「魔王ですよ!? 魔王! 魔族領の頂点に立つ、あの魔王です!!」


「うん、そうみたいねぇ」


「そうみたいねぇ、じゃありません!!」


 ティアナは勢いよく顔を上げ、金糸のような美しい髪を振り乱した。


 目には涙が浮かんでいる。


「ただでさえ、誘拐事件の調査だけでも大問題なんですよ!? そこに、正体不明の女性を保護していた件が加わって……! その人が、今度は魔王本人だったなんて……! 私は一体、団長に何と報告すればいいんですかぁぁぁ!!」


 最後は悲鳴になった。


 そして、再び床に突っ伏す。


「嘘であってください……。お願いですから、今のは全部嘘であってください……!」


「そ、そこまでか……?」


 フードの下から、魔王の困惑した声が聞こえた。


「そこまでです!!」


 ティアナは即答した。


「私はただ、誘拐事件の手掛かりを探していただけなんです! どうして魔王と一緒に作戦会議をすることになっているんですか! どうして私は、魔王の正体を知ってしまったんですかぁ……!」


「……なんか、すまぬ」


 さすがの魔王も、申し訳なさそうに肩を落とした。


 しかし、ティアナの嘆きは止まらない。


「しかも私、さっきまで普通に話していましたよね!? 魔王に向かって『一人で先走らないでください』とか『腕に自信があるのか』とか言っていましたよね!?」


「うむ。なかなか頼もしかったぞ」


「褒めないでくださいぃぃぃ!!」


 ティアナの悲鳴が、ギルドの一角に響き渡った。


 周囲の冒険者たちが、何事かと一斉に振り返る。


 マリアは慌ててティアナの肩を抱いた。


「ほらほら、落ち着いて。大丈夫よぉ」


「何が大丈夫なんですか……!」


「少なくとも、魔王ちゃんは今のところ、あたしたちを襲うつもりはないみたいだし?」


「今のところ、という言い方は一番怖いんです!!」


 マリアは困ったように笑いながら、魔王へと視線を向けた。


「それで、魔王ちゃん。どうして移民の人たちと王都に来ているのか、聞かせてもらえる?」


 その問いに、魔王の表情が変わった。


 フードの下から聞こえる声も、先ほどまでの軽いやり取りとは違い、静かな重みを帯びていた。


「……私は、魔族領で和平を進めておった」


 魔王は、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「人間との争いを終わらせ、互いの領土を侵さずに暮らす。そのための交渉を続けていたのじゃ」


 しかし、その方針を快く思わない者たちがいた。


 魔族領の中でも、他種族への侵攻を強く主張する強硬派。


 彼らは、和平など弱者の選択だと考えていた。


「奴らは戦を望んでおった。人間の領土を奪い、力を示し、魔族こそがこの世界を支配すべきだとな」


 魔王の声に、苦々しさが滲む。


「私は、それを認めなかった。じゃが……多勢に無勢。私の味方は次第に追い詰められ、最後には、私自身が政権の座から引きずり下ろされた」


「……失脚させられた、ということですか」


 ティアナが床に座り込んだまま尋ねた。


「そうじゃ。そして、魔族領から追放された」


 魔王は一度、言葉を切った。


「その後、強硬派は侵攻を進めた。争いを望まぬ者たちも、巻き込まれていった。住処を失い、逃げるしかなくなった者たちが大勢おったのじゃ」


 その中には、老人も、怪我を負った者も、女子供もいた。


 魔王は、かつて自分を王として敬った者たちだけでなく、行き場を失った人々と共に歩くことを選んだ。


 自らの正体を隠し、彼らと同じ食事を取り、同じ場所で眠り、数週間もの道のりを共にした。


「私は、あの者たちを見捨てることができなかった。王ではなくなろうとも、守るべき者たちであることに変わりはないからの」


 魔王は、膝の上で拳を握った。


「ようやく王都の近くまでたどり着いた。ここならば、少なくとも一時は身を隠し、助けを求められるかもしれぬと思ったのじゃ」


 だが、その希望はあっけなく打ち砕かれた。


 王都郊外で、共に旅をしてきた人々が姿を消したのだ。


 老人も、怪我人も、女性も、子供も。


 気づいたときには、何者かによって連れ去られていた。


「私は、荷馬車の車輪痕を追った。手掛かりはそれしかなかったからの。そうして王都へ入り、あやつらの行方を探しておった」


 魔王の声が、かすかに震えた。


「……じゃが、私を追っておるのは奴隷商人だけではない」


「どういうこと?」


 マリアが静かに尋ねる。


「強硬派にとって、私は邪魔な存在なのじゃ。侵攻を進める彼らの真意を知り、それに反対していた者が生きておる。私が再び表に出れば、彼らの計画を覆す可能性がある」


 魔王は、フードの下で目を伏せた。


「ゆえに、私の所在を知られるわけにはいかぬ。奴らは私を探しておるはずじゃ。もし、この王都で私の正体が知れ渡れば……あの者たちを救うどころか、さらに危険にさらすことになるやもしれぬ」


 しばらく、沈黙が落ちた。


 マリアは、魔王の言葉を一つずつ受け止めるように聞いていた。


「……そっか」


 やがて、静かに口を開く。


「大変だったのねぇ」


「……同情はいらぬ」


「同情じゃないわよ」


 マリアは、まっすぐに魔王を見つめた。


「あなたは、守りたい人たちを守るためにここまで来たんでしょう? だったら、あたしたちが手伝う理由としては十分よ」


「……マリア」


「困っている人がいるなら助ける。それがあたしの流儀だもの♡」


 魔王は、言葉を失った。


 その言葉が、あまりにも自然に差し出されたからだ。


 王としての地位も。


 魔族領での立場も。


 人間から見た危険性も。


 マリアは、そのどれもを理由に助けることを拒まなかった。


「……そなたは、本当に妙な人間じゃな」


「あら、よく言われるわぁ♡」


「褒めておるわけではない」


「はいはい」


 マリアは楽しそうに笑った。


 その隣で、ティアナだけは笑えなかった。


 彼女はまだ、床に座り込んだままだった。


「……つまり」


 ティアナは、震える声で言った。


「魔王は、魔族領の強硬派から追放されていて……その強硬派は侵攻を企てていて……魔王は、その計画を知っているから狙われている。しかも、王都の近くで移民の方々が誘拐され、その捜査に私たちが関わっている……」


「うむ。おおむね、その通りじゃ」


「…………」


 ティアナは再び顔を覆った。


「報告事項が……増えました……」


「ティアナちゃん……」


「誘拐事件だけでも、騎士団への報告、ギルドとの連携、証拠の確保、応援の要請……考えることが山ほどあるのに……! 魔王の亡命に、魔族領の政変に、侵攻計画まで追加されたら……!」


 肩が震える。


「……もう、無理です……」


 そして、ついに耐えきれなくなった。


「嘘であってぇぇぇ……! お願いだから、全部嘘であってくださいぃぃぃ!!」


 ティアナは、ワンピースのまま再び床に泣き崩れた。


 魔王は、どうしたらよいのかわからず、フードの上から頭を押さえた。


「……私は、正直に話しただけなのじゃが」


「それが一番大変なんですぅぅぅ!!」


 マリアは、そんな二人を見比べて、とうとう吹き出した。


「ふふっ……あはははっ! もう、ティアナちゃんったら!」


「笑わないでくださいぃぃぃ!!」


 ギルドの一角に、ティアナの悲痛な叫びが響き渡る。


 ひとしきり嘆いたあと、ティアナは涙を拭い、どうにか顔を上げた。


「……とりあえず! 絶対に! 他の人の前では正体を明かさないでくださいね!?」


「……善処しよう」


「約束です!」


「わ、わかった! 約束する!」


 魔王が思わず声を上げた。


 魔王と知られれば恐れられ、追われることになる。そう考えて身を隠してきた彼女にとって、目の前の二人の反応は、想像していたものとはずいぶん違っていた。


 ……もっとも、ティアナの場合は恐怖というより、増え続ける報告事項に打ちのめされているようだったが。


 マリアは、くすくすと笑った。


「ふふっ。ティアナちゃん、苦労が尽きないわねぇ」


「誰のせいだと思っているんですか!!!!」


「あらあら♡」


 ギルドの一角に、いつものような騒がしさが戻る。


 しかし、テーブルの上に広げられた地図には、確かに一つの目的地が記されていた。


 貧民街の外れに建つ、謎の屋敷。


 そこに捕らえられているかもしれない人々。


 そして、その背後に潜む者たち。


 まだ、何もかもが明らかになったわけではない。


 けれど、手がかりは確かにつながり始めていた。


「……よし」


 マリアは、ぱん、と両手を打ち合わせた。


「それじゃあ、まずは作戦会議ね!」


「今度こそ、真面目にお願いしますよ」


「もちろんよぉ」


 マリアはにっこりと笑った。


「困っている人がいるなら、助ける。それがあたしの流儀だもの♡」


 その言葉に、魔王は静かに目を伏せた。


 胸の奥に、小さな希望が灯る。


 今度こそ、あの人たちを救えるかもしれない。


 そう思えたのは、いつ以来だっただろうか。


 魔王は、誰にも気づかれないように、そっと拳を握った。



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