第三章 最強受付嬢、ギルドに就職する
翌朝。
アルヴェリア王国の王城、その正門前。
「……んーーっ! いい朝ね!」
マリアは大きく伸びをすると、背後にそびえる王城を振り返った。
昨夜は、まるで一流ホテルのような豪華なゲストルームで快適に過ごした。
食事も寝具も申し分なく、文句のつけようがないほどの待遇だった。
ただし、ひとつだけ問題がある。
それは、もてなしという名の軟禁だったことだ。
部屋の外には騎士が立ち、自由に出歩くこともできない。おまけに、何かしようとするたびに誰かが飛んでくる始末。
おかげで、せっかくの異世界初日だというのに、ほとんど王城の中で過ごす羽目になってしまった。
だからこそ、今日の外出は楽しみで仕方がない。
そんなマリアの前に、一人の女騎士が歩み寄った。
黄金色の髪を後ろで束ねた、凛とした佇まいの女性だ。
「おはようございます、マリア様。陛下のご命令により、本日はわたしが冒険者ギルドまでお送りします」
「おはよ。まあ、至れり尽くせりで嬉しいわ♡」
マリアは目を細め、嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃあ、護衛付きの優雅な馬車旅ってことね?」
「……ソウデスヨ?」
先ほどまでハキハキと会話をしていた女騎士は目を泳がせ、何かを誤魔化そうとしする様子。
「…失礼ねぇ。私はか弱いレディよ?」
「昨日、陛下をボロボロにしましたよね」
「……あれは事故よ」
「壁も一部、壊れました」
「事故ね」
「…………」
「なによ?」
「本当に反省していますか?」
マリアは顎に指を当て、真剣に考え込んだ。
そして、にっこりと笑う。
「……てへぺろ♡」
「反省してます!?」
朝から容赦のないツッコミが飛んだ。
馬車の扉が開く。
マリアはドレスの裾を軽く整えると、優雅な仕草で乗り込んだ。続いて女騎士も乗り込み、扉が静かに閉められる。
窓の外には、数人の騎士が控えていた。
どう見ても、厳重な護送である。
「ねえ」
「なんですか?」
「これ、私が逃げると思われてるの?」
「いいえ」
「あら、違うの?」
「問題を起こすと思われています」
「まあ!」
マリアは胸元に手を当て、大げさに目を見開いた。
「ひどい言い方!」
「事実です」
「レディに向かって言う言葉じゃないわよ」
「陛下を壁に――」
「もういいわ」
「はい」
女騎士は淡々と答えた。
やがて、馬車がゆっくりと動き始める。
窓の向こうに広がる王都へ向けて、マリアの異世界生活が本格的に動き出した。
◇
しばらく馬車に揺られた頃。
マリアは向かいに座る女騎士へ、改めて視線を向けた。
昨日は召喚された直後から、国王や騎士団長、魔術師たちに囲まれていた。ゆっくりと周囲を観察する余裕などなかったのだ。
こうして落ち着いて見ると、なかなか興味深い。
金糸の様なブロンドの髪は肩よりも長く、動いた際に邪魔にならないよう、後ろで一つに束ねられている緩やかなウェーブのかかったポニーテールは、馬車の揺れに合わせてふわりと揺れていた。
瞳は深いサファイアブルー。
凛とした切れ長の目には、騎士らしい意志の強さが感じられる。
細身ながら、身体には無駄がない。軽装の鎧に身を包み、腰には細剣。脚にはぴったりとしたホーズと革のブーツを着用している。
背筋は真っ直ぐに伸び、座っているだけでも隙がない。
まさに、絵に描いたような女騎士だった。
「……綺麗な子よねぇ」
「え?」
不意に褒められ、女騎士が目を瞬かせる。
「……突然、なんですか?」
「金色の髪も綺麗だし、その髪型も素敵」
マリアは自分の髪を指先で軽く撫でながら、彼女のポニーテールを眺めた。
「目も綺麗。スタイルもいいし、鎧もよく似合ってるわ」
「……ありがとうございます」
「でも、花柄のワンピースなんかも似合いそうねぇ」
「……私が、ですか?」
「ええ。絶対可愛いと思うわ♡」
「…………」
女騎士の頬が、ほんのりと赤く染まった。
「そういう服は……私には似合わないと思います」
「あら、どうして?」
「騎士ですから」
「騎士だから可愛い服を着ちゃいけないなんて法律、ないでしょう?」
「それは……そうですが」
「だったら、好きなものを着ればいいのよ♡」
マリアは柔らかく微笑んだ。
「鎧を着ているときは立派な騎士。可愛い服を着ているときは素敵な女の子。それでいいじゃない」
「…………」
「自分の好きなものくらい、自分で選んでいいのよ」
女騎士は少しだけ視線を落とした。
「……考えておきます」
「ふふっ。素直でよろしい♡」
マリアは満足そうに頷いた。
こういう、真面目で少し融通の利かない子は嫌いではない。むしろ、ついつい構いたくなってしまう。
そんなことを考えながら、ふと思い出したように尋ねた。
「ところで」
「はい」
「今日、団長さんは?」
「……騎士団長ですか?」
「ええ。昨日の素敵なお兄さん♡」
マリアの顔が、ぱっと明るくなった。
「一緒に来ないの?」
「団長は公務です。王国騎士団を率いる立場ですから、暇ではありません」
「えぇ~?」
マリアは露骨に肩を落とした。
「せっかく、もっとお話ししたかったのにぃ……」
「…………」
「残念ねぇ」
窓の外へ視線を向け、わざとらしくため息をつく。
しかし、落ち込んでいたのはほんの一瞬だった。
「まあ、また会えるわよね♡」
「……おそらく」
「そのときは絶対誘うわ!」
「……団長が気の毒になってきました」
「失礼ねぇ!」
馬車の中に、マリアの楽しそうな笑い声が響いた。
◇
馬車が進むにつれて、王城の景色が少しずつ遠ざかっていく。
代わりに目に入ってきたのは、石造りの建物や木造の商店、軒先に商品を並べた露店。そして、通りを行き交う大勢の人々だった。
荷物を積んだ馬車が走り、商人たちが声を張り上げ、武器を背負った冒険者らしき者たちが仲間と談笑しながら歩いている。
活気のある、賑やかな街だ。
「…………」
マリアは窓に顔を寄せ、目の前に広がる光景を食い入るように眺めていた。
「すごい……」
思わず、声が漏れる。
昨日は王城の中にいただけだった。
だから、こうして街を眺めるのは初めてだったのだ。
(本当に、異世界なのねぇ……)
犬のような耳を持つ者。
頭の横から長い耳を伸ばした者。
人間とは少し違う顔立ちや体格をした者。
様々な種族が、ごく自然に同じ街を歩いている。
「ねえ」
「はい」
「あの人たちって、獣人?」
マリアが通りを歩く一団を指さす。
「よくご存じですね」
女騎士が意外そうに目を見開いた。
「この世界には、人間族のほかに獣人族、エルフ族、鳥獣族、魔族などが暮らしています」
「へぇ……!」
マリアは興味深そうに目を輝かせた。
「いろんな人がいるのね」
「ええ。種族によって文化や習慣も異なります」
「そうなの?」
「はい。もちろん、個人差もありますが」
「なるほどねぇ」
マリアは再び窓の外へ視線を戻した。
種族の違う人々が、同じ店で買い物をし、同じ道を歩き、同じように笑っている。
それは、彼女にとって不思議でありながら、どこか馴染みのある光景だった。
「……なんだか、いい街じゃない」
マリアの口元に、自然と笑みが浮かぶ。
昨日まで何も知らなかった世界。
けれど、知りたいことが少しずつ増えていく。
何を食べるのか。
どんな仕事をしているのか。
何を楽しみに生きているのか。
どんなことで悩み、何に困っているのか。
前世でも、そうだった。
店に来る客の顔を覚え、名前を知り、話を聞く。
好きなものを知り、嫌いなものを知る。
何気ない会話を重ねるうちに、少しずつ相手のことが分かってくる。
そうやって、人との距離は縮まっていくのだ。
(この世界でも、きっと同じなのよね)
マリアは小さく笑った。
「楽しみねぇ」
「……何がですか?」
「なんでもないわ♡」
今はまだ、何も分からない。
この世界の常識も、種族間の事情も、これから自分が何をすることになるのかも。
けれど、それでいい。
知らないのなら、知っていけばいいのだから。
◇
しばらくして、馬車がゆっくりと速度を落とした。
「到着しました」
「まあ!」
マリアは待ちきれない様子で馬車を降りた。
目の前には、石と木を組み合わせた立派な建物がそびえていた。
大きな木製の両開き扉。
頑丈そうな外壁。
そして、入り口の上には大きな看板が掲げられている。
そこには、堂々とした文字でこう記されていた。
――冒険者ギルド。
「へぇ……!」
マリアは建物を見上げ、目を輝かせた。
「こういうのよ、こういうの!」
「……何がですか?」
「昔観た映画に出てきたのとそっくりなのよ!」
「……エイガ?」
「あっ」
マリアの笑顔が固まった。
しまった。
ここは異世界だった。
映画という娯楽が存在するかどうかも分からないのに、うっかり口にしてしまった。
「……その、エイガというのは?」
「えーっと……」
マリアは頬に手を当て、少し考えた。
「物語を楽しむための娯楽作品、みたいなものかしらねぇ」
「……?」
「まあ、いいわ!」
マリアは誤魔化すように笑った。
「とにかく、雰囲気がそれっぽいのよ♡」
「……よく分かりません」
「でしょうねぇ」
マリアは肩をすくめた。
「こっちの話よ」
そして、改めてギルドの入り口を見つめる。
大きな扉の向こうには、いったいどんな人たちがいるのだろう。
どんな依頼があり、どんな冒険者がいて、どんな騒動が起きるのだろう。
考えるだけで、胸が弾んだ。
「それじゃ、入りましょ♡」
「その前に」
女騎士がマリアの肩に手を置いた。
「いくつか注意事項があります」
「なにかしら」
「まず、ひとりで勝手に街を出歩かないでください」
「はいはい」
「問題を起こさないでください」
「とってもお利口さんよ」
「喧嘩を売られても買わないでください」
「しないわよ」
「相手を投げ飛ばさないでください」
「あれは事故よ」
「建物を壊さないでください」
「か弱いレディには無理よ」
「そして――」
「まだあるの?」
「あります」
女騎士は真剣な表情で続けた。
「マリア様は、現在、王国の管理下にあります。その自覚を持って行動してください」
「分かったわよ」
マリアは髪を整えながら答えた。
「私は大人なんだから」
「本当に分かっていますか?」
「分かってるわよ」
「…………」
女騎士は切れ長の瞳で、じっとマリアを見つめた。
「本当に?」
「本当に」
「…………」
「……何よ、その目は」
「……いえ。では、行きましょう」
「ええ♡」
女騎士が先に歩き出す。
マリアもその後に続こうとした、そのときだった。
「あ、そうでした」
女騎士が懐から一通の封筒を取り出した。
「それは?」
「陛下からの紹介状です。ギルドマスター宛のものになります」
「あら、じゃあ私も一緒に――」
「いえ。こちらは私が渡して説明します」
女騎士は封筒を手に、ギルドの入り口へ向き直った。
「少し複雑な話になりますので、マリア様は先に中でお待ちください。すぐに戻ります」
「あら、そう?」
「飲み物などもあるはずですから、適当にくつろいでいてください」
「分かったわ♡」
マリアは素直に頷いた。
「じゃあ、先に入ってるわね!」
女騎士の背中を見送り、マリアは大きな扉へと向き直る。
さあ、いよいよだ。
マリアは期待に胸を膨らませながら、扉に手をかけた。
◇
ギイィィ……。
重厚な扉を開いた瞬間、賑やかな喧騒が一気に耳へ飛び込んできた。
「おお……!」
マリアの目が輝く。
広い。
とにかく広い。
入り口から正面には、横に長い木製の受付カウンターが並んでいる。その向こうでは、人間族や獣人族の受付嬢たちが忙しそうに働いていた。
壁には、大小様々な依頼書がびっしりと貼り出されている。
その奥には食事のできるテーブルがいくつも並び、冒険者たちが思い思いに時間を過ごしていた。
酒を飲む者。
料理を頬張る者。
仲間と地図を広げて作戦を練る者。
武器の手入れをする者。
そして、人間だけではない。様々な種族の者たちが、当たり前のように同じ場所で食事をし、笑い合っている。
「すごい……!」
マリアは思わず笑みをこぼした。
「本当に映画みたいじゃない!」
ファンタジーの世界を舞台にした冒険物語。
その中に登場する酒場兼ギルドといった光景が、目の前に広がっている。
まさか、自分がその世界に立つことになるとは思わなかった。
「…………」
しばらく店内を見回していたマリアは、ふと鼻をひくつかせた。
「……あら?」
漂ってくるのは、酒の香り。
焼いた肉の香ばしい匂い。
香辛料の刺激的な香り。
そして、大勢の人々が集まる場所特有の、どこか温かみのある空気だった。
「なんだか、懐かしい匂いがするわねぇ……」
マリアは嬉しそうに目を細めた。
この世界の酒も料理も、昨夜持て成された高級なモノだった。
とても美味しかったが、この雑多で賑やかな雰囲気は、心躍る。
前世の店を思い出す。
昼も夜も、人が集まってきた。
笑って、喋って、酒を飲んで。
仕事の愚痴をこぼす者もいれば、恋愛相談を持ちかけてくる者もいた。
時には泣き、時には怒り、それでも最後には少しだけ元気になって帰っていく。
そんな人々を見送ることが、マリアは好きだった。
「……いいじゃない」
小さく呟き、微笑む。
ここなら、退屈することはなさそうだ。
――と。
「おい!」
突然、怒鳴り声が響き渡った。
「テメェが悪いんだろうが!」
「ふざけんな! そっちが先に手を出したんだろ!」
受付カウンターの前で、二人の男が胸ぐらを掴み合っていた。
周囲の冒険者たちは、またかといった様子で遠巻きに眺めている。
「お客様、ここでは他のお客様のご迷惑になりますので――」
受付嬢が慌てて仲裁に入る。
「うるせぇ!」
一人の男が、その手を乱暴に振り払った。
受付嬢がよろめく。
その光景を見たマリアの眉が、ぴくりと動いた。
「……あらあら、どこにでもいるものね」
ゆっくりと二人へ近づいていく。
「どこの世界でも、こういうお店には変わらずいるものねぇ」
揉め事の原因は分からない。
だが、受付嬢にまで当たり散らすのはいただけない。
マリアは二人の間に割って入った。
「ちょっと、あなたたち。喧嘩はやめなさい!」
「「関係ねぇ奴は引っ込ん……で、ろぉ?」」
二人の男が振り返る。
そして、揃って言葉を失った。
目の前に立っていたのは、二メートル近い筋骨隆々の巨体の人物だった。
美しく整えられた髪に、華やかな装い。顔立ちこそ整っているものの、どう見ても普通の女性とは言い難い体格である。
マリアは、そんな二人へにっこりと微笑みかけた。
「喧嘩は駄目よ。周りのお客様にも迷惑でしょう?」
……が。
「誰だか知らねぇが、変態男は帰れ!」
「しゃしゃり出てくるなよ、デカ男!」
「…………」
マリアの笑顔が止まった。
周囲の喧騒が、遠くなったような気がした。
ゆっくりと、頬に添えていた手を下ろす。
「……今」
声の調子が変わった。
「なんて言ったのかしら?」
「だから、デカ――」
「レディよ」
「…………は?」
マリアは笑っていた。
それはもう、見事なまでの笑顔だった。
ただし、目だけは一切笑っていない。
「私は、レディよ?」
「いや、どう見ても――」
「レ・デ・ィ」
「…………」
「分かった?」
「……はい」
男たちは、思わず一歩後ずさった。
理由は分からない。
ただ、逆らってはいけない。
本能が、そう告げていた。
「よろしい♡」
マリアは満足そうに微笑んだ。
そして、何事もなかったかのように二人を見比べる。
「それで? どうして喧嘩しているの?」
「こいつが俺の依頼を分け前ちょろまかしただ!」
「違ぇ!勘違いだっていってるだろ!会計誤魔化したのはお前だろうが!」
「ふぅん……」
マリアは交互に二人の顔を見た。
「つまり、どっちも自分が正しいと思っているわけね?」
「当たり前だ!」
「そう……」
マリアは、ゆっくりと頷いた。
そして、両手を広げる。
「なら――喧嘩両成敗ね♡」
「「は?」」
次の瞬間。
ガシッ!
「ぐえっ!?」
「ぐおっ!?」
マリアの両手が、左右の男の頭をそれぞれ掴んだ。
見事なアイアンクローである。
「ちょっ、何を――!」
「ま、待て! 離せ!」
「はいはい、暴れないの」
ひょいっ。
「「ぎゃあああああああああ!?」」
二人の身体が、あっさりと宙に浮いた。
足が床から離れ、男たちは両手両足をばたつかせる。
先ほどまでの威勢は、どこへやら。
ギルド内の喧騒が、嘘のように静まり返った。
マリアは二人を片手ずつでぶら下げたまま、小首を傾げる。
「で?」
「「す、すみませんでしたぁぁぁ!!」」
「うんうん。素直でよろしい♡」
「マリア様ぁぁぁぁぁ!?」
背後から、聞き覚えのある絶叫が響いた。
振り返ると、女騎士が顔を真っ青にして立っていた。
「もう問題を起こしたんですか!?」
「あら、失礼ねぇ」
マリアはきょとんとした顔で答える。
「ちょっと揉めていたから、仲裁しただけよ?」
「二人とも持ち上げていますよね!?」
「喧嘩両成敗よ♡」
「そういう問題ではありません!」
「まあまあ」
「まあまあではありません!」
女騎士は額に手を当て、深々とため息をついた。
その間にも、男たちはマリアの手の中で小さく震えている。
「……とりあえず、下ろしてください」
「あら、そう?」
マリアは二人を床へ下ろした。
足が地面に着いた瞬間、男たちはそそくさと距離を取る。
「じゃあ、二人とも。今度はちゃんと話し合いなさい」
「は、はい!」
「お互いに言い分があるんでしょう? 受付で依頼の記録を確認してもらって、順番に話を聞いてもらいなさい」
「わ、分かりました!」
「喧嘩で解決するより、その方がずっと早いわよ♡」
二人は何度も頷き、受付嬢のもとへ戻っていった。
マリアは満足そうに微笑んだ。
「ほら、話し合いで済むなら、その方がいいでしょう?」
周囲の冒険者たちは、呆然とした表情で彼女を見つめていた。
「……今の、見たか?」
「銀等級の連中だぞ……」
「二人まとめて持ち上げやがった……」
「しかも、片手ずつだぞ……?」
ひそひそと囁く声が聞こえてくる。
だが、マリアは気にも留めず、乱れた髪を整えた。
「ふぅ。受付って大変ねぇ」
「……大変にしたのはマリア様です」
女騎士の声には、疲労がにじんでいた。
「あら、そうだったかしら?」
「そうです!」
「まあまあ、落ち着いて♡」
「誰のせいだと思っているんですか……!」
女騎士は再び頭を抱えた。
その様子を見て、マリアは楽しそうに笑う。
――そのとき。
「ガハハハハハ!」
豪快な笑い声が、二人の背後から響き渡った。
「いやぁ、朝から面白いもんを見せてもらった!」
現れたのは、ひときわ大柄な男だった。
鍛え上げられた肉体に、太い腕。広い肩幅。顔には、冒険者時代についたらしい傷跡がいくつも刻まれている。
そして、豪快に笑った口元には、白い歯が覗いていた。
男はマリアを見下ろし、愉快そうに笑った。
「俺がギルドマスターだ!」
「あら……」
マリアの目が輝いた。
大きい。
とにかく大きい。
筋肉の付き方も見事で、いかにも歴戦の戦士といった風格がある。
マリアは胸元に手を当て、うっとりと微笑んだ。
「まあ♡ 素敵なお兄さんじゃない!」
「ガハハハハハ! そりゃ初めて言われたな!」
「みんな、見る目がないのねぇ」
「大体は怖がられるからな!」
「もったいないわねぇ。筋肉は男のアクセサリーよ?」
「ガハハハハハ! 気に入った!」
男はますます上機嫌になった。
「俺はガルドだ! あんた、名前は?」
「私はマリアよ。気軽にママと呼んでちょうだい♡」
「ママ?」
「ええ。親しみを込めてね♡」
「ガハハ! 面白い女だ!」
女騎士が、すかさず口を挟む。
「ギルドマスター、あまり気を許さないでください。この方は――」
「分かってる分かってる!」
ガルドは豪快に手を振った。
「陛下からの紹介状は受け取ってる。異世界から召喚されたって話も聞いてるぞ」
「あら、話が早いわね」
「細かい話は俺の部屋でしよう。ついてきな!」
ガルドが先に歩き出す。
マリアはその大きな背中を眺め、満足そうに頷いた。
「ふふっ。いい男が多い世界ねぇ♡」
「……マリア様」
「なぁに?」
「口に出ています」
「まあ!」
◇
ギルドマスターの執務室は、建物の奥にあった。
壁際には書類の束や分厚い本が並び、部屋の隅には大きな武器が立てかけられている。
仕事部屋というより、歴戦の冒険者の私室といった雰囲気だ。
「そこに座ってくれ」
ガルドに促され、マリアと女騎士はソファに腰掛けた。
ガルドは向かいの椅子にどっかりと座り、まずはマリアを見た。
「一応、確認しておくか。さっきの二人とは何をしていた?」
「ただの喧嘩の仲裁よ?」
「ガハハハ! まあ、あれだけ腕っ節が強けりゃ助かるな!」
「笑い事ではありません!」
女騎士が即座に突っ込んだ。
「ギルドマスターまで甘やかさないでください!」
「そう怒るな。怪我人が出たわけでもねぇだろ?」
「そういう問題ではありません!」
「まあまあ♡」
「マリア様もです!」
「はいはい」
マリアは楽しそうに笑いながら、背もたれに身を預けた。
ガルドはひとしきり笑ったあと、改めて話を切り出す。
「それで、陛下からの話はこっちの騎士殿から聞いている。あんた、異世界から来た勇者様なんだろ?」
「勇者なんて柄でもないわよ」
マリアは肩をすくめた。
「私はただのママよ♡」
「ママってなんだよ」
「じゃあ、受付嬢よ」
「まだ働いてねぇだろ!」
「これから働くの♡」
「ガハハハ! そうか、そりゃいい!」
ガルドは腹を抱えて笑った。
「まあ、細かいことはいい!」
「細かくありません!」
女騎士が即座に反論する。
「陛下からの紹介状には、マリア様を王国の管理下に置き、冒険者ギルドで働かせるようにと――」
「分かってる分かってる」
ガルドは手を振った。
「つまり、仕事をさせながら様子を見ろってことだろ?」
「……え、ええ、そうなんですが…はい」
「だったら問題ねぇ。ギルドには仕事が山ほどあるからな!」
ガルドは指を折りながら説明した。
「受付業務に、依頼の管理。食事の手配に酒場の手伝い。冒険者同士の揉め事の仲裁に、依頼人からの相談事。忙しいときには、いくら人手があっても足りねぇ」
話を聞くうちに、マリアの顔がどんどん明るくなっていく。
「それ……」
「ん?」
「私にぴったりじゃない♡」
マリアは身を乗り出した。
「人とお話しできて、相談にも乗れて、お酒も料理もあるんでしょう? 最高じゃない!」
「ガハハハ! そりゃよかった!」
ガルドは嬉しそうに頷いた。
「決まりだな! 今日からよろしく頼むぜ、マリア!」
「こちらこそ♡」
マリアは優雅に一礼した。
「よろしくね、ガルドちゃん♡」
「俺もちゃん付けか!?」
「親しくなったら、みんなちゃん付けよ♡」
「そういうもんか!」
ガルドは何の疑いもなく笑った。
女騎士だけが、深々とため息をつく。
「……本当に大丈夫なのでしょうか」
「何がだ?」
「いえ……もういいです」
こうして。
異世界からやってきた規格外のママは、冒険者ギルドで働くことになったのだった。
◇
それから、数日が経った。
「ママ! この依頼、どの受付に回しますか?」
「それは三番よ。内容を確認してから渡してちょうだい♡」
「分かりました!」
「ママ、この人が依頼内容について相談したいって!」
「はいはい、今行くわね」
「ママ! 厨房から料理の追加です!」
「分かったわ! すぐ行くわよ!」
冒険者ギルドの受付に、マリアの声が響く。
受付カウンターで依頼を受け付け、困っている冒険者の相談に乗り、食事時には酒場の手伝いまでこなす。
その働きぶりは、想像以上だった。
もちろん、最初からすべてが順調だったわけではない。
書類の形式に戸惑ったり、依頼の仕組みを覚えるのに苦労したりすることもあった。
それでも、一度教えられたことはすぐに覚え、分からないことがあれば素直に尋ねる。
何より、人と接することをまったく苦にしていなかった。
むしろ、誰かと話すたびに楽しそうに笑っている。
気づけば、ギルドの人々も彼女の存在を当たり前のように受け入れていた。
「ママ!」
「はーい♡」
「ママさん!」
「なぁに?」
「ママ、酒もう一杯!」
「はいはい♡ 飲みすぎないようにねぇ」
いつの間にか、誰も彼もがマリアを「ママ」と呼ぶようになっていた。
最初こそ戸惑っていた受付嬢たちも、今ではすっかり頼りにしている。
受付、料理、酒場の手伝い、相談事、喧嘩の仲裁。
さらには恋愛相談まで。
「ママぁ……」
「あら、どうしたの?」
ある日、若い冒険者がカウンターに突っ伏した。
「女に振られました……」
「あらぁ……」
マリアは優しく彼の肩を叩いた。
「それで、何をしたの?」
「……何も」
「それじゃあ、振られて当然ね」
「ママ!?」
「だって、何もしてないんでしょう?」
マリアは呆れたように肩をすくめた。
「相手が自分のことを好きになってくれるのを、ただ待っているだけじゃ駄目なのよ。まずは相手のことを知って、自分から話しかけて、少しずつ距離を縮めていくの」
「……勉強になります」
「もちろん、相手が嫌がっているのに無理に迫るのは駄目よ? 恋愛は二人でするものなんだから♡」
「はい!」
「よろしい。じゃあ、次はもっと素敵な恋を見つけなさいな」
「ママぁ……!」
若い冒険者は感激したように顔を上げた。
周囲からは、温かな笑い声が上がる。
マリアはそんな光景を見ながら、満足そうに微笑んだ。
こういう何気ない時間が、彼女は好きだった。
◇
また別の日。
受付嬢の一人に、酒に酔った冒険者が絡んでいた。
「なあ、今日の夜、付き合えよ」
「お断りします」
「いいじゃねぇか。そんな大きな胸して、俺のこと誘ってるんだろ?」
「困ります。仕事中ですので」
「ちょっとくらい、いいじゃねぇかよ」
男はしつこく食い下がる。
受付嬢は困った顔をしていたが、仕事中ということもあり、強く拒絶するのをためらっているようだった。
そこへ、マリアがすっと割って入った。
「ねえ、ちょっとあんた」
「あぁ? なんだよ」
男が振り返る。
マリアはにっこりと微笑み、自分の胸元へ視線を落とした。
「私の胸じゃダメ?」
「…………」
鍛え上げられた分厚い胸板。
その上に、マリアは両腕を回して、むにっと寄せるような仕草をしてみせた。
「ほら♡ こっちもなかなか立派でしょう?」
「…………」
男の思考が停止した。
周囲の冒険者たちも、何が起きているのか分からず固まっている者や口に含んだ酒を噴出しす者。
マリアは、そんな男へさらに笑顔を向けた。
「その子が嫌だって言ってるんだから、やめなさいな」
「い、いや……」
「でも、私は全然構わないわよ? お誘いならウェルカム♡」
「い、いえ、結構です!!」
男は顔を真っ赤にして、逃げるようにその場を立ち去った。
その背中を見送りながら、マリアは髪をかき上げる。
「あら、残念。振られちゃったわ」
次の瞬間。
ギルド内に、どっと笑い声が広がった。
「ママ、最高かよ!」
「さすがママだ!」
「いや、今のは反則だろ!」
受付嬢も、こらえきれずに笑っていた。
「ママ……ありがとうございます」
「あら、いいのよ♡」
マリアは彼女の肩を軽く叩いた。
「嫌なことは、嫌って言っていいの。仕事だからって、我慢する必要はないんだからね」
「……はい!」
受付嬢は、ほっとしたように笑った。
マリアも楽しそうに笑う。
「アハハハハハ!」
少し離れた場所から、その様子を眺めていた女騎士は、呆れたようにため息をついた。
「……本当に、馴染んでしまいましたね」
最初は監視するつもりだった。
危険人物。
規格外。
何をするか分からない異世界人。
そう思っていた。
実際、建物を壊しかけるほどの力を持ち、銀等級の冒険者二人を片手ずつで持ち上げるような人物だ。
警戒するなという方が無理だろう。
けれど、ここ数日の彼女を見ているうちに、女騎士の認識は少しずつ変わっていた。
マリアは、ただ力任せに問題を解決しているわけではない。
困っている者がいれば声をかけ、揉め事があれば間に入る。
腹を空かせた者には料理を勧め、酒を飲みすぎた者には水を渡す。
落ち込んでいる者がいれば、相手の話を聞き、必要なら厳しいことも言う。
そして、最後には必ず笑わせてしまう。
それは、強さだけではできないことだった。
(……この人は)
女騎士は、少しだけ目を細めた。
(本当に、人が好きなんだ)
そのことに気づいたとき、彼女の中でマリアを見る目が、ほんの少し変わった。
◇
ある日の午後。
受付業務の合間に、マリアはふと疑問を口にした。
「ねえ、冒険者って、強さはどうやって決まるの?」
隣で書類を整理していた受付嬢が顔を上げる。
「ああ、等級のことですか?」
「ええ。鉄とか銀とか、よく聞くでしょう?」
「冒険者のランクは、基本的に鉄等級、銅等級、銀等級、金等級、白金等級の五段階に分かれています」
「へぇ」
受付嬢は、説明するように指を折った。
「鉄等級は新人が多く、簡単な採集や討伐依頼から始めます」
「なるほど」
「銅等級になると、ある程度の実力を身につけた冒険者が増えます。能力値も二桁程度の人が多いですね」
「ふむふむ」
「銀等級は高位冒険者です。能力値が二桁後半から三桁に届く人もいて、難しい依頼を任されることもあります」
「……あら?」
マリアは首を傾げた。
「それって、もしかして……」
「はい。先日、ママが持ち上げたお二人も銀等級でした」
「まあ!」
マリアは驚いたように口元へ手を当てた。
「じゃあ、あの二人って結構強かったの?」
「……かなり強い方です」
「知らなかったわぁ……」
マリアはしみじみと呟いた。
あのときは、ただ喧嘩を止めようと思っただけだ。
相手がどれほどの実力者なのかなど、考えもしなかった。
「ママは、冒険者の強さとか気にならないんですか?」
「全然?」
マリアはあっけらかんと答えた。
「実力に見合った依頼の案内はするけど、依頼の内容や注文の方が大事よ♡」
「……なるほど」
受付嬢は、妙に納得したように頷き、説明を続けた。
「それで、金等級になると、三桁クラスの能力値を持つ人が多くなります。国の中でも上位の実力者ですね」
「へぇ」
「そして白金等級は、さらにその上です。国の英雄と呼ばれるような冒険者もいます」
「白金……」
マリアは感心したように頷いた。
「強い人って、たくさんいるのねぇ」
「ええ。ちなみに……」
受付嬢は、ちらりと女騎士へ視線を向けた。
「あちらの騎士様は、おそらく金等級クラスの実力者だと思います」
「まあ!」
マリアは、少し離れた場所で書類を確認している女騎士を見た。
「あの子、可愛いだけじゃなくて強いのね!」
「……一応、副騎士団長ですから」
声が聞こえたのか、女騎士が少しだけ顔を赤くして答えた。
「あら、照れちゃって♡」
「照れていません!」
「ふふっ。可愛いわねぇ」
「……仕事に戻ります」
女騎士は逃げるように視線を戻した。
マリアは楽しそうに笑い、ふと思い出したように尋ねた。
「じゃあ、団長さんは?」
その瞬間、受付嬢の表情がぱっと明るくなった。
「騎士団長様ですか!?」
「ええ♡」
「団長は白金等級クラスの実力者ですよ!」
「あら、そうなのね」
「王都でも有名なんです! 騎士としての実力はもちろん、お人柄も素晴らしくて……街の女性たちからも大人気なんですよ!」
「分かるわぁ……」
マリアは、うっとりとした表情で頷いた。
「顔もいいし、身体も鍛えてるし、礼儀正しいし。あれで優しく微笑まれたら、そりゃ人気も出るわよねぇ♡」
「ママ、団長のことが好きなんですか?」
「もちろん♡」
「…………」
受付嬢は苦笑した。
「団長、大変そうですね……」
「何を言ってるのよ」
マリアは堂々と胸を張った。
「恋は自由よ♡ 誰を好きになろうと、誰を誘おうと、私の勝手でしょう?」
「……それは、そうですが」
「でしょう?」
マリアは満足そうに微笑んだ。
「次に会ったら、もっと仲良くなっちゃうんだから♡」
遠くで書類を整理していた女騎士が、ぼそりと呟く。
「……団長に同情します」
「聞こえてるわよ!」
「聞こえるように言いました!」
ギルド内に、再び笑い声が広がった。
◇
そんな日々を過ごすうちに。
マリアは、少しずつこのギルドでの生活を気に入り始めていた。
受付カウンター。
冒険者たち。
料理の匂い。
酒の香り。
絶え間なく響く笑い声。
時々起きる喧嘩。
誰かの相談。
誰かの失敗。
そして、誰かの喜び。
毎日、何かが起きる。
騒がしくて、落ち着かなくて、思いどおりにいかないことも多い。
けれど、それがいい。
誰かが訪れ、誰かと話し、誰かが笑って帰っていく。
そんな光景を見ていると、マリアはふと、前世で営んでいた店を思い出すことがあった。
あの店にも、いろいろな人が来た。
仕事に疲れた人。
恋に悩む人。
人生につまずいた人。
自分の居場所を探している人。
そんな人たちの話を聞き、時には叱り、時には一緒に笑い、最後には少しだけ元気になって帰ってもらう。
それが、マリアの好きな仕事だった。
「…………」
マリアはカウンターの向こうを眺めながら、静かに微笑んだ。
「……悪くないわねぇ」
「ママ?」
声をかけられ、マリアは顔を上げる。
「ん? どうしたの?」
「いえ。何か言っていたような気がして」
「ううん。こっちの話♡」
マリアは髪を耳にかけ、目の前の冒険者へ笑いかけた。
「はい、お次の方、どうぞー♡」
「お願いします!」
今日も、冒険者ギルドには人が集まる。
依頼を求める者。
報酬を受け取りに来た者。
仲間を探す者。
ただ酒を飲みに来た者。
それぞれの事情を抱えた人々が、同じ場所で笑い、語り合っていた。
異世界に来て、まだ何も分からない。
魔王のことも。
王国の事情も。
この世界の歴史も。
そして、自分がどれほど規格外の存在なのかも。
マリアは、まだ知らない。
ただ、目の前にいる人たちを見て、その人たちの話を聞き、自分にできることをしているだけだった。
「ママ、これお願いします!」
「はいはい♡」
「ママ、料理追加!」
「今行くわ!」
「ママ、ちょっと相談が……」
「順番ねぇ! 一人ずつ聞くから、焦らず待ってなさい♡」
忙しそうに動き回りながらも、マリアの顔には笑みが浮かんでいた。
「アハハハハハ!」
その豪快な笑い声につられるように、周囲の人々も笑い出す。
こうして。
異世界最強の受付嬢――マリアのギルド生活が、始まった。




