第10章 最強オネエ受付嬢と、賑やかすぎる共同生活
アルヴェリア王国、王都。
温泉旅行から戻って数日。
マリアたちの暮らす家は、今日も朝から賑やかだった。
「はいはい、朝ごはんできたわよー!」
台所からマリアの声が響く。
食卓には、焼きたてのパンに野菜たっぷりのスープ、卵料理と新鮮な果物が並んでいた。
「ママ、準備できました」
食器を並べ終えたルナが、嬉しそうに尻尾を揺らす。
「ありがと、ルナちゃん。今日もいい子ねぇ」
「えへへ……」
頭を撫でられ、ルナの耳がぴこぴこと動いた。
その姿に、マリアの頬も自然と緩む。
――ああ、もう。この子は本当に可愛いわねぇ。
ルナは、マリアにとって何よりも大切な家族だった。
守ってあげたい。いつも笑っていてほしい。
できることなら、毎日お腹いっぱい食べさせて、ふかふかのお布団で眠らせてあげたい。
そんな気持ちは、日を追うごとに強くなっていた。
「おはようございます、マリア様。何か手伝うことはありますか?」
朝の鍛錬を終えたティアナが、玄関から入ってきた。
金色の髪を揺らし、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「大丈夫よ。ルナちゃんが手伝ってくれたから」
「そうでしたか。ルナさん、ありがとうございます」
「いえ、ママのお手伝いをするのは楽しいですから!」
「朝から精が出るわねぇ、ティアナちゃん」
「日々の鍛錬を欠かすわけにはいきませんから」
「偉いわねぇ。でも、汗を流したらちゃんと水分を取るのよ? ほら、これ飲みなさい」
「ありがとうございます!」
差し出された水を受け取るティアナ。
そのとき、二人の手がほんの少し触れ合った。
「はわぁぁっ!?」
「えっ、何!? どうしたの!?」
「い、いえ! 何でもありません!」
触れ合った指先に動揺し、ティアナは慌てて首を振った。
落ち着け。自分は騎士だ。こんなことで動揺してどうする。
そう自分に言い聞かせ、水を一気に飲み干した。
「んぐっ……げほっ、げほっ!」
「ちょっとぉ! 落ち着いて飲みなさいよ!」
「も、申し訳ありません……!」
「ほら、もう。さあ、食べましょう! 冷めちゃうわよ!」
「はい! わたしも、お料理のお手伝いをしたんですよ!」
ルナが、誇らしげに胸を張る。
「そうなの? それは一段と楽しみね」
「えへへっ!」
そんな平和な朝のひととき。
――の、はずだった。
「マリア様。お風呂、いただきましたわぁ」
廊下の向こうから、やけにのんびりした声が響く。
振り返ったマリアは、次の瞬間、目を見開いた。
「ちょっとぉぉぉっ! リュシエラァァァッ!」
「はい?」
現れたリュシエラは、湯上がりのまま、首にタオルを引っかけただけの無防備な格好をしていた。
「はい? じゃないわよ! アナタはいつも!せめて服を着なさい! ここは公衆浴場じゃないのよ!」
「でも、マリアさま、わたくし見られて恥ずかしと思いませんわ…むしろマリア様に視姦していただけるのでしたら…///」
「えぇい、その口を閉じなさい!」
「マリア様、落ち着いてください! リュシエラさんも、まずは着替えを!」
ティアナが慌てて上着を差し出した。
「あらあら、ティアナさんはお優しいですわねぇ」
「感心していないで、早く着替えてください!」
「はぁい」
リュシエラは悪びれもせず、ひらひらと手を振って廊下へ戻っていった。
マリアは深々とため息をつく。
「……あの子、綺麗な顔してるのに、どうしてこう色々、残念なのかしら……」
「…エルフ族の習慣なのでしょうか……?」
そのとき、階段を降りてくる足音とともに、眠たげな声が聞こえた。
「……相変わらず、朝から騒々しいのう」
スカーレットが、ゆっくりと目をこすりながら食卓へ向かってくる。
「おはよう、スカーレット。アナタ、本当に朝に弱いわねぇ」
「……弱点が多い方が、可愛げもあろう?」
「馬鹿なこと言ってないで、顔を洗ってきなさい」
「ふふっ、相変わらず口うるさい主じゃな」
マリアとのやり取りに、スカーレットは楽しそうに笑った。
こうした掛け合いも、すっかり日常の一部になっていた。
ルナはマリアの隣で嬉しそうに食事を運び、ティアナは姿勢よく席につく。スカーレットは当然のように一番食べやすい位置を確保し、着替えを終えたリュシエラが何食わぬ顔で戻ってきた。
「お待たせしましたわ」
「はい、全員揃ったわね。それじゃ、いただきます!」
「「いただきます!」」
賑やかな食卓に、笑い声が広がる。
マリアは四人の顔を順番に見つめ、満足げに微笑んだ。
大切な家族。世話を焼きたくなる子。背中を預けられる協力者。そして、何を考えているのか、いまひとつ掴みきれない美人のエルフ。
賑やかで、騒がしくて、少しばかり手のかかる共同生活。
けれど、こうしてみんなが笑っている。
マリアにとっては、それだけで十分に幸せな朝だった。
◇
その日、冒険者ギルドの食堂では、ひとりのエルフを巡ってちょっとした騒ぎが起きていた。
「おい、あのエルフの嬢ちゃん、見たことない顔だな」
「最近登録したらしいぜ。森の集落から来たとか」
「すげぇ美人じゃねえか……」
冒険者たちの視線の先には、受付で手続きを済ませたリュシエラがいた。
亜麻色の髪を揺らし、物珍しそうにギルド内を見回している。
「へえ。王都のギルドって、こんなに人が多いんですのね」
その美貌と落ち着いた物腰は、冒険者たちの目を引くには十分だった。
「お嬢さん、ひとりかい?」
「よかったら俺たちと組まないか?」
男たちが次々に声をかける。
「まあ、お誘いですか?」
「ああ。俺たちなら、いろいろ教えてやれるぜ。それはもう手取り足取りなぁ」
男のひとりが、馴れ馴れしくリュシエラの手を取った。
その瞬間。
――ゴッ!
「ぐあっ!?」
男の身体が、浮き上がり勢いよく床に転がった。
リュシエラは何事もなかったかのように、手袋についた埃を払う。
「申し訳ありません。魅力的なお誘いではあるのですが、わたくし、無断で触れられるのは好きではありませんの」
「て、てめぇ……!」
別の男が腕を掴もうとする。
リュシエラはその手を軽くいなし、足を払った。
――ドサッ!
「ぐえっ!」
「粗暴な方々ですわね」
さらにもうひとりが飛びかかる。
今度は襟元を掴まれ、そのまま床に押さえつけられた。
「な、なんだこいつ!?」
周囲がどよめく。
弓や精霊術を使うエルフというだけではない。どうやら、近接戦闘でも相当な腕前らしい。
リュシエラは倒れた男たちを見下ろし、にっこりと微笑んだ。
「わたくしに触れて良いのは、夫だけですわ」
「夫…?」
「人妻…?」
その言葉に、ギルドの空気が一瞬だけ止まった。
だが、本人は周囲の反応など気にする様子もなく、受付へ向き直る。
「ところで、依頼を受けたいのですが」
「えっ、あ、はい! ええと……その前に、今の騒ぎについては……」
「騒ぎ? 羽虫を払っただけで、何のことでしょう?」
受付嬢が困り果てていると、奥からマリアがやってきた。
「ちょっと、リュシエラ! 何やってんのよ!」
「あら、マリア!ちょうどよかったですわ」
リュシエラは、ぱっと表情を明るくする。
「わたくし、怖い思いをしましたの……!」
「は?」
「突然、男の方々に手を掴まれて……無理やり連れていかれそうになって……!」
リュシエラは胸元に手を当て、悲しげに目を伏せた。
「わたくし、どうしたらよいのか分からなくて……」
「いや、床に転がってるの、全員そっちの男たちなんだけど?」
「まあ、マリア様!わたくしが怖かったことと、彼らが倒れていることは別のお話ですわ」
「同じ話よね!? アナタがやったのよね!?」
リュシエラは、マリアの腕にそっと寄り添う。
「マリア様が来てくださって、本当に安心しましたわぁ……」
「いや、あたしが来る前に全部片付いてたわよね!?」
「マリア様……わたくしぃ怖かったですぅ……」
「その涙、どこから出してんのよ!」
ギルド内に、笑い声と呆れた声が広がった。
もっとも、リュシエラの胸中は、表向きの態度とは少し違っていた。
――もう少し、強い殿方でしたらよかったのですけれど。
自分より弱い相手に乱暴を働く気はない。
けれど、もし自分を上回る力を持つ相手が、真正面から押さえ込み、逃げられないほど強引に迫ってきたなら……。
そんな想像に、リュシエラはひとりで頬を緩める。
――ああ、いけませんわ。わたくしったら。じゅるり…///
「リュシエラ?」
「はい、何でもありませんわ!」
マリアの不審げな視線を受け、リュシエラはいつもの笑顔に戻った。
そして、そっとマリアの腕を掴む。
少しだけ力を込めてみたが、マリアは微動だにしなかった。
――やはり、びくともしませんわね。
あのときもそうだった。
この人は、いったいどれほどの力を持っているのだろう。
考えれば考えるほど、興味は尽きなかった。性的な意味で。
◇
その日の午後。
ティアナは、ひとりで王都の商店街を歩いていた。
今日は報告書の作成も終わり、軍務も休み。
せっかくの休日なのだから、たまにはゆっくり過ごそうと思ったのだ。
身につけているのは、マリアから贈られた袖のない淡い色のワンピース。そして、金色の髪を飾る小さな青い髪飾り。
普段の鎧姿とは違う自分に、最初は少し落ち着かなかった。
けれど、鏡に映った姿を見たとき、思わず笑みがこぼれた。
――マリア様が、選んでくださった服……。
そう思うだけで、胸が温かくなる。
「いらっしゃいませ。新作のお菓子はいかがですか?」
甘い香りに誘われ、ティアナは菓子店へ立ち寄った。
焼き菓子をいくつか買い、店先のベンチでひとつ頬張る。
「……おいしい」
思わず顔がほころんだ。
可愛いものも、甘いものも、ティアナは昔から好きだった。
実家では騎士と育てられ、騎士としての自分にふさわしくないのではないか。そんな思いから、好きだと口にすることをためらっていた。
マリアと出会ってから、その気持ちは少しずつ変わってきた。
強くあらねばならない。
立派な騎士であらねばならない。
そう自分に言い聞かせてきたティアナに、マリアは別の生き方もあるのだと教えてくれた。
好きなものを好きと言ってもいい。
疲れたときには休んでもいい。
誰かに頼ってもいい。
その優しさが、ティアナには何よりも眩しかった。
「……マリア様」
小さく名前を呼び、ティアナは頬を赤らめた。
そのとき、通りの向こうに小さな装飾品の店が見えた。
髪飾りや首飾り、指輪に腕輪。
何気なく眺めていたティアナの足が、ふと止まる。
そこにあったのは、同じ意匠の腕輪が二つ。
片方は落ち着いた銀色。もう片方には、小さな青い石があしらわれている。
「……綺麗」
手に取ると、店員が笑顔で話しかけてきた。
「そちらは対になった腕輪なんですよ。大切な方とお揃いで身につけるお客様も多いんです」
「お、お揃い……!」
ティアナの脳裏に、マリアの姿が浮かんだ。
もし、この腕輪をマリアとお揃いで身につけられたら。
マリアの手首に、自分が選んだものがある。
それを見たとき、マリアはどんな顔をするだろう。
『あら、ティアナちゃん。これ、お揃いじゃない?』
そんなふうに笑ってくれるだろうか。
あるいは、少し驚いて、それから優しく微笑んでくれるだろうか。
想像しただけで、心臓が大きく跳ねた。
「……こ、これをください!」
気がつけば、ティアナは代金を支払っていた。
店を出たあと、手の中の小さな包みを見つめる。
――どうしよう。
買ってしまった。
しかも、マリア様とお揃いにするつもりで。
ティアナは、しばらくその場に立ち尽くした。
そして。
「……いつか、渡そう」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟き、包みを大切に鞄へしまった。
いつか渡せる日が来るだろうか。
そのとき、自分の気持ちも伝えられるだろうか。
答えは出ない。
けれど今はまだ、この小さな宝物を胸にしまっておきたかった。
◇
夜。
食事を終えたマリアが居間でくつろいでいると、スカーレットが酒瓶を片手にやってきた。
「主よ。今宵、少し付き合わぬか」
「あら、いいわよ。ちょうど一杯やろうと思ってたところ」
マリアは笑って、グラスを二つ用意した。
スカーレットがこうして酒を持ってくるのは、珍しいことではない。
何か話したいことがあるとき。
ひとりで考え込むのに疲れたとき。
あるいは、ただ誰かと同じ時間を過ごしたいとき。
彼女は、決まってマリアのところへやってくる。
マリアもまた、理由を無理に聞こうとはしなかった。
話したくなれば話せばいい。
話したくないなら、酒を飲んでいるだけでもいい。
かつて店のカウンターで、悩みを抱えた客たちの話を聞いてきたマリアにとって、それはごく自然なことだった。
「……ふむ。やはり、主と飲む酒は悪くないのう」
「そりゃどうも。で、今日は何かあったの?」
「いや。特別なことはない」
「そう。なら、今日はただの飲み会ね」
「うむ」
スカーレットはグラスを傾けた。
しばらくは、取り留めのない話が続く。
お互い気兼ねなく話をする2人だけの時間。
やがて、話題は魔法へと移った。
「あ、そうだわ、スカーレット。ちょっと聞きたいんだけど」
「何じゃ?」
「あのときも聞いたけど、馬車酔いを防ぐ魔法って、作れないの?」
スカーレットは、グラスを置いた。
「……作れぬな」
「えっ、無理なの?」
「余とて、何でもできるわけではない。扱える魔法には限りがあるのじゃ」
「そうなのねぇ……」
マリアは心底残念そうに肩を落とした。
「できるなら、またみんなでどこかに行くとき、アナタが辛くならないようにと思ったのだけれど。魔法って難しいものなのねぇ」
「心遣いには感謝するが、できるのなら、とっくにやっておるわ」
「それもそうね」
スカーレットは再びグラスを傾ける。
マリアも、それに倣った。
魔法の仕組みを詳しく理解しているわけではない。だからこそ、今の質問も、スカーレットを気遣う何気ない疑問にすぎなかった。
「……主よ」
「ん?」
「……いや、何でもない」
「そう? あら、グラスが空じゃない。まだ飲む?」
「いただこう」
マリアが新たに酒を注ぐ。
二人のグラスが、静かに触れ合った。
◇
虫の音が響く深夜の草原を、マリアはひとり歩いていた。
空には月が浮かび、風が草をそよがせている。
家の者たちには内緒で、こっそり抜け出してきたのだ。
「さて……」
マリアは、軽く肩を回した。
遺跡での戦いを経験してから、改めて自分の力について考えるようになっていた。
国王にも言われたが、自分は相当な力を持っているらしい。
実際、あの戦いでは、どんな攻撃を受けても倒れることがなかった。
あれほどの力を前にして、自分自身が恐ろしくなったほどだ。
もちろん、戦闘技術を身につけているわけではない。
それでも、仲間たちが戦ってくれる中で、自分にどれほどのことができるのか。それを知らないままなのも、少し落ち着かなかった。
草原を進むと、大きな岩が並ぶ岩場にたどり着いた。
周囲は岩壁に囲まれ、人里からも十分に離れている。
ギルドで冒険者たちに聞いた話では、初心者が鍛錬に使う場所らしい。
「よし。ここなら大丈夫そうね」
マリアは周囲を見回し、誰もいないことを確認した。
「最初は軽めに……」
拳を握る。
ボクササイズで覚えた構えを取り、全身を使って大きく拳を振り抜いた。
そして――。
ストレートが、目の前の巨大な岩に叩き込まれた。
――ドゴォォォンッ!!!!
爆弾でも炸裂したかのような轟音が響き渡った。
大地が震え、周囲の岩が砕け散る。
衝撃は岩壁を突き抜け、その向こうの山肌まで大きくえぐり取っていた。
「……」
マリアは、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、見事なまでに崩れた岩場。
さらに、衝撃で山の斜面の一部まで崩落している。
「…………」
沈黙。
数秒後。
「ふーーーーーーーーーーーーーーーーん……?」
マリアは腕を組み、首を傾げた。
人間、理解できないものに直面すると、最初は疑問しか出てこないらしい。
そして、ようやく状況を理解した瞬間――。
「ちょっとぉぉぉぉぉっ!? 何よこれぇぇぇっ!」
悲鳴が、夜の山中に響き渡った。
「まだウォーミングアップで軽く振っただけじゃない! どこが全力なのよ!? いや、全力って言ったけど! こんなことになるなんて聞いてないわよぉぉぉっ!」
もちろん、山は答えてくれない。
マリアは額を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。
「ダメ……ダメだわ。こんなの、街でやったら大惨事じゃない……!」
拳を見つめる。
これほどの惨状を引き起こしたというのに、本人には傷ひとつなかった。
自分が規格外のステータスを持っていることは聞いていた。
だが、実際にどれほどの力なのか、マリア自身にも分かっていなかったのだ。
そして、今。
その力の一端を、嫌というほど思い知らされた。
「……この力、絶対に気軽に使っちゃダメだわ」
マリアは深く息を吐いた。
そして、崩れた山肌を見ないようにしながら、そそくさと帰り支度を始める。
「よし。何もなかった!」
何もなかったことには、ならない。
だが、今のマリアには、それ以外に言えることがなかった。
――バレたら、絶対に怒られるわよね……。
誰に怒られるのかは、あえて考えないことにした。
マリアは現実から目を背け、帰路についた。
翌朝。
夜中に響いた地響きは、王都でも話題になっていた。
山の一部が崩れた可能性があるとして、調査団が派遣される騒ぎになったのだが――。
その原因を作った本人は、何食わぬ顔で朝食を作っていた。
◇
アルヴェリア王国、王城。
国王レオンハルトは、執務室で報告書を読みながら、こめかみを押さえていた。
「……また増えたのか」
「はい。マリア殿が昨夜街を出て行くことに関する目撃情報は、門兵や街の住人から集まっております」
騎士団長が淡々と答える。
「なので、先日の地響きについては、マリア殿が山の一部を変形させた可能性があるとの報告がございます。ただし、正確な規模はまだ分かっておりません」
「山を……変形………」
国王は報告書を机に置いた。
「もう驚く気力もないな……」
最初にマリアを見たとき、国王は彼女を勇者として扱おうとした。
だが、結果は散々だった。
ステータス測定は規格外により失敗。
本人は魔王討伐を拒否。
挙げ句の果てに、国王自身が壁に叩きつけられた。
その後も報告は増える一方だ。
マリアの力は規格外。
しかも、本人には積極的に戦う意思がない。
その事実が、かえって国王の頭を悩ませていた。
「それと、魔王に関する報告もございます」
「……魔王か」
騎士団長は、別の書類を差し出した。
「先日の遺跡での戦闘において、魔王が水鏡の魔将ウォルターと交戦。その際、以前報告にあった不死王リッチの魔術を模倣したとのことです」
「模倣した、だと?」
「はい。ティアナ殿の報告によれば、魔王は氷・風・炎の三属性の魔術を行使し、さらに魔術を無効化する力まで見せたそうです」
国王は眉をひそめた。
魔法は、基本的に生まれ持った適性に左右される。
訓練によって制御や威力を高めることはできても、適性のない魔法を新たに習得するのは、通常なら極めて困難だ。
三属性の魔術を扱うだけでも異常である。
まして、他者の魔法――それも魔物が使う魔術を再現するなど、常識では考えられなかった。
「魔族には、人間とは異なる特殊な性質があるのかもしれんな」
「可能性はございます。しかし、現時点では断定できません」
「ふむ……」
国王は椅子の背にもたれた。
魔族について、分かっていることがあまりにも少ない。
それが、何よりも不安だった。
「いっそのこと、勇者をもう一度召喚するか?」
自暴自棄になった国王が、冗談交じりに呟く。
騎士団長は、即座に首を横に振った。
「お勧めいたしません」
「じゃよなー。やっぱりまずいよなー」
「ええ。ご存じのとおり、すでに我が国は勇者召喚を行ったことで周辺国から警戒されております。再び大規模な召喚を行えば、軍備増強のための行為と受け取られかねません」
「じゃよなー。外交問題になるよなぁ……」
「はい。現状では、慎重に動くべきかと」
国王は天井を仰いだ。
「のう、騎士団長。ぬし、国王やらん?」
「お断りします」
爽やかな笑顔で、即答。
国王はがっくりと肩を落とした。
「……誰か代わってくれんかのう」
「陛下」
「冗談じゃ、冗談!」
騎士団長の冷静な視線に、国王は慌てて手を振った。
だが、すぐに表情を引き締める。
マリアという規格外の存在。
魔王が見せた、常識外れの魔法。
そして、正体の分からない敵の動き。
問題は、ひとつも片付いていなかった。
「……まずは情報を集めろ。マリア殿の動向と、魔王についてもだ。こちらから余計な刺激を与えるな」
「承知いたしました」
騎士団長が一礼する。
国王は窓の外へ目を向けた。
王都は今日も平和だ。
だが、その平和がいつまで続くのか。
彼には、まったく見当がつかなかった。
あぁ本当に、国王辞めたい…
◇
王都から遠く離れた、魔族領強行派の拠点。
薄暗い会議室に、複数の魔族が集まっていた。
円卓の中央には、一枚の報告書が置かれている。
「……ウォルターが戻ったそうだな」
ひとりの魔族が、低い声で言った。
「戻った、という表現が正しいかは疑問だがな」
別の魔族が、皮肉げに笑う。
水鏡の魔将、ウォルター。
かつて魔王軍の一角を担った男は、現在、拠点の一室に収容されていた。
身体は生きている。
呼吸もあり、心臓も動いている。
だが、髪は白く変わり、意識はほとんど戻らない。呼びかけにも反応せず、まともな意思疎通すらできない状態だった。
そして、調査の結果、彼の身体からは魔力がまったく検出されなかった。
「魔力を失い、廃人同然……か」
「原因は分からぬのだな?」
「何も分かっていない。医師たちも、手の施しようがないと言っている」
会議室に、重苦しい沈黙が落ちた。
やがて、年長の魔族が口を開く。
「……以前にも、似たようなことがあった」
その言葉に、数人が顔を上げた。
「スカーレットが魔王になることに反対していた者たちだ。あの頃、彼女に異を唱えた魔族が、事あるごとに行方をくらまし、その後、魔力を失い廃人同然にとなって見つかった」
「あのときも原因は不明だったはずだ」
「そうだ。誰が、何をしたのか。何ひとつ確かな証拠は見つからなかった」
年長の魔族は、指先で机を叩いた。
「だが、今回も同じような事態が起きた。しかも、ウォルターは魔王と交戦した直後にこうなった」
「つまり……魔王が関わっていると?」
「断定はできぬ。だが、疑う理由はある」
別の魔族が、忌々しげに吐き捨てた。
「平和を唱える魔王など、信用に値せん。あれは牙を隠しているだけだ」
「我らが力を蓄えることを妨げ、我らを弱体化させるつもりなのかもしれんな」
「ならば、もはや議論の余地はない」
円卓を囲む者たちの表情が、次第に険しくなっていく。
彼らは、スカーレットを排除したいと考えていた。
単に王位から引きずり下ろすだけではない。
その存在そのものを消し去る。
そうして、魔王軍を自分たちの望む形へと作り替えるつもりだった。
「……そして、問題は、魔王だけではない」
ひとりが、別の報告書を取り出した。
「人間側の勇者と思われる存在……あのマリアという女だ」
「女、だと? 報告では、巨躯の人間だと聞いたが」
「性別の話をしているのではない。あの存在そのものが問題なのだ」
報告書には、マリアの規格外の力について、断片的な情報が記されていた。
魔法が通用しない。
状態異常も効果がない。
攻撃を受けても倒れず、むしろ攻撃した側が武器を失うことすらある。
情報のすべてが正確とは限らない。
だが、これまでの報告と彼女が現れた時期を考えれば、マリアが召喚された勇者である可能性は極めて高い。
魔族たちは、そう判断していた。
「魔王と勇者。その両方を相手にする可能性があるということか」
「だからこそ、必要なのだ」
年長の魔族が、机上に置かれた小さな箱を開いた。
中には、古びた装飾品が収められている。
それは、かつて異世界から来た者たちが残した魔道具のひとつだった。
「異世界から来た者たちが残した遺物。これらを集め、利用する」
「だが、遺物の多くは制御が難しい。使い方すら分からぬものもある」
「それでも、手に入れる価値はある。ひとつひとつが、我らの常識を超えた力を秘めているのだからな」
別の魔族が、報告書の一節を指でなぞった。
「遺跡にあった装置……あれも、そのひとつか」
「ああ。あの装置は、膨大な魔力を蓄え、供給するためのものだった可能性がある」
「ほとんど尽きることのない魔力の供給源……。それが兵器に転用できるなら?」
誰も、すぐには答えなかった。
想像するだけで、その価値が分かる。
魔王を倒すためにも。
勇者に対抗するためにも。
そして、あの理解不能な人間を相手にするためにも。
必要な力だった。
「だが、あの遺跡については、エルフどもの警戒が高まっている。しばらく手を出すのは避けるべきだろう」
年長の魔族が、箱の蓋を閉じた。
「まずは他の遺物の回収を急げ。使い方が分からぬものは、分かる者を探せ。どれほど危険な代物であろうと、手に入れるのだ」
「承知した」
会議室の空気が、さらに冷たくなる。
「ひとつ、よろしいかしら?」
円卓の一角から、女の声が響いた。
他の者たちとは違い、彼女はどこか余裕のある笑みを浮かべている。
彼女もまた、魔王軍直属《四魔将》のひとり。
暗殺部隊を率いる、誘惑の魔将だった。
「……何か?」
「ウォルターが失敗したのなら、私がやればいい。それだけの話ではなくて?」
女魔将の声に、円卓の視線が集まる。
「何をするつもりだ?」
「魔王の暗殺よ」
あまりにも平然とした口調だった。
「王都に潜り込み、魔王を始末する。あの女が生きている限り、必ず障害になるわ」
「しかし、魔王の力は未知数だ。正面から仕掛けるのは危険ではないか?」
「もちろん、正面から戦う必要などないわ」
女魔将は、薄く笑った。
「相手がどれほど強くとも、眠っている間に喉を裂けばいい。食事に毒を盛ってもいい。信頼する者の手で、刃を突き立てさせてもいい」
彼女の言葉には、迷いがなかった。
「私は、相手の力を正面から測るつもりはない。相手が最も無防備になる瞬間を探し出す。それが、私たち暗殺者の仕事よ」
女魔将は立ち上がった。
その視線が、会議室の暗がりへと向けられる。
「部下を選びなさい。王都へ向かうわ。まずは魔王の居場所と行動を調べ、機会を見て始末する」
「「御意」」
気配を消していた配下の魔族たちが、一斉に頭を下げた。
女魔将は扉へ向かいながら、最後に一度だけ振り返る。
「魔王の首、必ず持ち帰りますわ」
扉が閉まった。
◇
王都の一角。
夜風に揺れる街灯の下で、数人の魔族が静かに歩き出す。
彼らの目的は、魔王の暗殺。
その背後では、異世界の遺物を巡る計画が、ゆっくりと動き始めていた。
平穏な日常を送るマリアたちは、まだ何も知らない。
そんな彼女たちの日常に、影が差し始めていることも知らずに。
――魔王暗殺
最強オネエ受付嬢の平穏な日々は、また少しずつ騒がしさを増していくのだった。




