第七章 最強受付嬢、旅先で問題を拾う⓸
スライムが落ち着いたことを確認し、マリアたちは貯水槽の奥へと進んだ。
壁を走る配管は、さらに奥へと続いている。やがて通路の先に、いくつもの足跡と、何かが激しく争った痕跡が見えてきた。
「……これは」
ティアナが足を止める。
床には、折れた矢や剣が散乱していた。壁には刃物で切りつけたような傷が残り、石畳の一部には、棍棒で叩き割られたような亀裂まで走っている。
その先には、何人ものエルフの男たちが倒れていた。
「みなさま!」
リュシエラが駆け寄る。
倒れている者たちは、全員が武装したエルフだった。鎧や衣服には傷があり、何人かは壁にもたれかかるようにして座り込んでいる。
幸い、まだ息のある者もいるようだ。
「しっかりしてください! 私です、リュシエラですわ!」
「……リュ、シエラ……様……」
ひとりのエルフが、かすかに目を開けた。
「よかった……! まだ息がありますわ!」
リュシエラは安堵したように胸を撫で下ろすと、精霊に祈りを捧げ、負傷者の治癒を始めた。
「精霊よ、彼のもの達の傷を癒やしたまえ」
柔らかい光に包まれたエルフ達の傷が塞がっていく。
その様子を見守る、一方で――。
「…………」
マリアは、別の意味で言葉を失っていた。
壁際に座り込んでいるエルフの青年。
長い金髪は乱れ、額には傷がある。だが、その端正な顔立ちと、苦痛に耐えながらも凛々しく前を見据える姿は、まるで映画のワンシーンから抜け出してきたかのようだった。
「ちょっと、ちょっとちょっと……!」
マリアの目が、きらりと輝いた。
「オーラ◯ド様!? ク◯ーズ様!? ディ◯プリオ様!?」
「マリア様、また何を意味の分からないことを仰っているのですか?」
「だって見てよ、あの顔! 傷を負って壁にもたれているだけなのに、どうしてそんなに絵になるのよぉ! 映画のポスターじゃないのよ!?」
「はいはい、わかりましたから、今は負傷者の救助が先ですよ?」
「分かってるわよ! 分かってるけど、こんな美形が倒れているのを見たら、テンションくらい上がるでしょ!?」
「上げないでください!」
ティアナの鋭い声が通路に響いた。
青年は困惑したように瞬きをする。
「……あの、あなたは……?」
「アタシ? マリアよ。よろしくね、ハンサムさん!」
「ハ、ハンサム……?」
「マリア様!」
ティアナがマリアの腕を引っ張った。
「だ!か!ら!今はそれどころではありませんから!」
「分かってるってばぁ!」
マリアは名残惜しそうに青年から視線を外した。
リュシエラは負傷者の手当てを続けながら、焦った様子で尋ねる。
「父と兄は……? 二人は?二人はここにいないのですか!?」
青年の表情が曇った。
「……リュシエラ様。申し訳ありません。私たちが到着したときには、すでに魔族と魔物の群れがこの場所を占拠していました」
「やはり魔族が……!」
「抵抗したのですが、魔物の群れと、魔将と名乗る魔族の猛攻にこの有り様です…」
「いえ、みなさまが生きているそれだけで十分です」
青年は悔しそうに拳を握った。
その手を優しく包み、リュシエラは微笑み掛けるのだった。
「しかし……隊長と……リュシエラ様のお父上とお兄上は、魔族によって最奥へ連れていかれました」
「そんな……!」
リュシエラの顔から血の気が引いた。
「お父様、お兄様……!」
「多分、殺されてはいないはずです。奴は、なにかを回収するのだと言っていました」
マリアたちの表情が引き締まる。
「魔族は何度も、古い装置の制御方法を知っている者を連れてこい、と言っていました。きっと奴らでは操作できない、何かがあった様です」
「……きっと魔道具のことですわ、遺跡の最深部にある制御装置に関しては、父は代々伝えられてきた知識を持っています。兄も、父の補佐として管理方法を学んでいました」
リュシエラは唇を噛んだ。
「なるほどね。だから二人を人質にして、装置を動かさせようとしているわけか」
マリアは腕を組んだ。
「でも、回収って何のために?」
「……分かりません。ただ、奪われては街がいまの様に暮らして行くのは難しくなります」
スカーレットの表情が険しくなった。
「魔道具の力を利用しようとしておるのか……」
彼女は一瞬、視線を伏せた。
魔族の王である自分の同族が、人々の暮らしを脅かしている。
その事実が、彼女の胸に重くのしかかっていた。
「……すまぬ。わしの同族が、このような真似を」
「スカーレット」
マリアが、そっと声をかけた。
「あなたが謝ることじゃないわ。悪いことをしている奴が悪い。それだけよ」
「……マリア」
「だから、今は助けに行きましょう。ね?」
スカーレットは目を見開き、それから小さく頷いた。
「……うむ」
マリアは負傷者たちへ向き直った。
「みんな、もう少しだけ頑張ってね。アタシたちが、なんとかして、お父さんもお兄さんも連れて戻ってくるから!」
「……ありがとうございます。どうか、リュシエラ様を……よろしくお願いいたします」
「ええ、任せてちょうだい!」
マリアは力強く胸を叩いた。
そして、一行は再び通路の奥へと進み始めた。
◇
最深部へ近づくにつれて、水音はさらに大きくなっていった。
やがて通路が途切れ、目の前に巨大な円形の部屋が現れる。
「……わあ」
ルナが思わず声を漏らした。
そこは、これまでの薄暗い通路とはまるで違っていた。
天井は高く、部屋全体が淡い青白い光に包まれている。
円形の壁一面から、幾筋もの水が流れ落ちていた。長い年月をかけて温泉成分が付着したのか、石壁の表面は白く染まり、ところどころに乳白色の結晶が浮かび上がっている。
壁を伝う水は床の溝へ流れ込み、中央に設置された巨大な装置へと集められていた。
それは、炉のような形をした奇妙な遺産と呼ばれる魔道具だった。
金属とも石ともつかない素材で組み上げられた本体には、無数の管が接続されている。中央部では青い光が脈打ち、装置全体が生き物の心臓のように明滅していた。
その炉の前に――。
「お父様……! お兄様……!」
リュシエラが叫んだ。
ひとりのエルフの男が、床に横たわっていた。
リュシエラの兄だ。
衣服は乱れ、腕には縄が巻かれている。意識はあるようだが、身体を起こすこともできず、苦しげに呼吸を繰り返していた。
そして、そのすぐそばには、年配のエルフの男が立っていた。
リュシエラの父であり、この集落の長でもある男だ。
彼は装置の前に立ち、震える手で古い操作盤へ触れていた。
その背後には、ひとりの魔族の男が立っていた。
魔族特有の角。黒を基調とした、身体にぴたりと合うスタイリッシュなスーツ。襟元には銀色の装飾があしらわれ、胸元には宝石を留めたネクタイピン。磨き上げられた革靴に、指にはいくつもの装飾品。
甲冑を身につけた武人というよりは、金持ちを相手にうまい話を持ちかける詐欺師といった出で立ちだった。
整った顔立ちに、薄い笑み。
人懐っこく見える笑顔とは裏腹に、その目は少しも笑っていない。
男は一行を見渡すと、まるで旧知の友人にでも出会ったかのように、両手を広げて迎え入れた。
「おやおや。これはまた、ずいぶんと華やかなご一行様だねぇ」
その視線が、ティアナへ向く。
「金髪の美人さんに……おや、こちらはずいぶん可愛らしい獣人のお嬢ちゃんだ。そっちのお姉さんは、彼女たちと同じエルフかな? それに、これはこれは魔王様!いやぁ、お久しぶりです、元魔王様とお呼びした方がよろしいですかね?」
「――私は? え……? 私は?」
マリアが自分を指差して首を傾げる。
しかし、男はまるでマリアなど存在しないかのように視線を逸らした。
「いやぁ、今日は素敵な日だね。こんな美人ばっかりに囲まれるなんて、俺ってば運がいいなぁ」
「……何者ですか、あなたは」
マリアが呼ばれなかったことに動揺している横で、ティアナは剣の柄を握り、警戒を強めた。
「おっと、これは失礼。レディを前に名乗りもしないなんて、紳士失格だね」
男は大げさに胸へ手を当てた。
「俺の名前はウォルター。水鏡の魔将なんて呼ばれてるけど、ウォルターでいいよ。君たちみたいな美人に、堅苦しい呼び方をされるのは寂しいからさ」
「ほぉ……。あの泣き虫坊やが、水鏡の魔将などとは。随分と立派な名前がついたじゃないか……!」
スカーレットが、皮肉たっぷりに笑う。
「そうですとも、魔王様! これも努力の賜物ですよ! 貴女が国にいられないように、涙ながら、それはもうたくさんの努力をしたんですから!」
ウォルターは胸に手を当て、芝居がかった仕草で頭を下げた。
「そうだ、お礼のキャンディでも差し上げましょうか?」
「戯言を!」
薄ら笑いを浮かべるウォルターを睨みつけ、スカーレットは言葉とともに雷撃を放った。
閃光と轟音。
直撃を受けたウォルターの身体は、水の入ったガラス細工のように砕け散り、その場に大量の水が飛び散った。
「やだなぁ。キャンディよりビスケットの方がお好きでした? 魔族も歳を取ると短気になるんですかねぇ?」
ふざけた声が響いた。
飛び散った水が再度集まり、ウォルターが姿を現す。何事もなかったかのように、ニヤニヤと笑いながら歩いてきた。
魔物を操り、真正面から戦うことなくエルフたちを追い詰めた張本人。
「お父様とお兄様を解放してください!」
リュシエラが叫ぶ。
「おっと、怖い怖い。そんなに怒らないでよ。エルフ臭いとはいえ、せっかくの美人が台無しですよ?」
ウォルターは肩をすくめると、足元に横たわるエルフの青年へ視線を落とした。
「ほら、見てごらん。君のお兄さん、まだ息はあるだろ? お父さんもちゃんと働いてくれてる。俺って、意外と人道的なんだよねぇ」
「人質に取っておいて、よくもそんなことが言えますね!」
「人質? いやいや、これは交渉材料ってやつだよ。言い方ひとつで印象が変わるだろ?」
悪びれもせず、ウォルターは笑った。
「それに、俺だって好きでこんな面倒なことをしてるわけじゃないんだ。欲しいものを手に入れるには、それなりの工夫が必要ってこと。世の中、効率的に動いた方が得をするようになってるからねぇ」
「……最低ですわ」
「クハハハッ! 褒め言葉として受け取っておくよ、エルフのお嬢さん」
ウォルターはリュシエラへ片目をつぶってみせた。
その人を馬鹿にしたような軽薄な態度に、ティアナが剣の柄を握り直す。
「ふざけるのもいい加減にしてください! 人質を解放し、ただちに装置から手を離しなさい!」
「おや、人間のお嬢さんはお堅いねぇ。そういう真面目なところも魅力的だけど、もうちょっと肩の力を抜いたらどう? 俺と人生、楽しんでみない?」
「あなたと楽しむつもりはありません!」
「つれないなぁ。じゃあ、そっちの可愛いお嬢ちゃんは?」
ウォルターがルナへ視線を向ける。
「……?」
ルナは警戒したまま、小首を傾げた。
「ふわふわの耳に尻尾、綺麗な瞳。いやぁ、いいねぇ。可愛いねぇ。ねえ、俺と一緒に来ない? 美味しいものを好きなだけ食べさせてあげるよ」
「……ママと、一緒がいいです」
ルナはマリアの背後へ回り、ぴたりと身を寄せた。
その瞳は、ウォルターを獣のように鋭く睨みつけている。
「おっと、怖い怖い。これは残念。じゃあ、魔王様はどうかな?」
スカーレットの眉がぴくりと動いた。
「いやぁ、これは驚いた。元とはいえ魔王様ともなると、さすがの貫禄だねぇ。美しくて、気品があって、おまけに溢れ出る魔力! ……おや? 制御できていないみたいに溢れてるけど、どうしたんですか?」
ウォルターはわざとらしく首を傾げ、ぽん、と手を打った。
「あ! いいことを思いつきました! 俺と手を組んでみません? 世界中の亜人を、みーんな玩具にしちゃいましょうよ!」
「断る」
「おー、即答。へこむなぁ。もうちょっと考えてくれてもいいじゃないですかぁ」
「組む相手くらい自分で見つけるわ」
「ははっ、手厳しいなぁ!」
ウォルターは楽しそうに笑った。
まるで、相手の怒りも拒絶も、すべて自分を楽しませるための余興だとでも思っているかのようだった。
そして最後に、彼の視線がマリアへ向く。
「……で、そこの大男さんは?」
「大男じゃないわよ。レディよ」
即座にマリアが言い返す。
男は吹き出し、手を叩いて笑った。
「いやぁ、失礼、レディ! なるほどなるほど。陛下が言ってた大男って、レディのことなんだ? いやぁ、マリアとか呼ばれてたけど、ずいぶん立派な体格だ。護衛かな? それとも、みんなの荷物持ち?」
ウォルターはマリアの全身を一瞥した。
黒いドレス。整えられた髪。きらびやかなアクセサリー。そして、百八十センチを超える筋骨隆々とした堂々たる体格。
彼は少しだけ首を傾げると、わざとらしく笑った。
「いやぁ、悪いけど、君は俺の好みじゃないかなぁ。ほら、俺ってば繊細なタイプだからさ。もっとこう、華奢で可憐な子が好みなんだよね」
「…………は?」
マリアの笑顔が、ぴたりと止まった。
「ちょっと待ちなさい。今、何て言ったの?」
「え? ああ、君は口説いてないよって話。そんなに気にしなくてもいいじゃないか」
「誰が気にしてるって?」
「いやいや、そんな怖い顔しないでよ。君には君の魅力があるって。ほら、頼りがいがあるとか、力持ちそうとか?」
「…………」
マリアはゆっくりと自分の胸元へ手を当てた。
「なんでアタシだけ口説かないのよぉぉぉ!」
「そこですか!?」
ティアナの鋭いツッコミが飛んだ。
「マリア様、今はそんなことを言っている場合ではありません!」
「だって! この男、みんなには調子よく声をかけておいて、アタシだけ荷物持ちとか、完全に対象外扱いなのよ!? 失礼にもほどがあるでしょうが!」
「いやぁ、だってねぇ……」
ウォルターは口元を押さえて笑った。
「好みってものがあるからさ?」
「アンタ、覚えてなさいよ……!」
「おお、怖い怖い。美人さんたち、この荷物番の躾はちゃんとしておいてくださいね?」
そう言いながらも、ウォルターの目は笑っていなかった。
彼は一行を順番に見渡す。
マリアの前に立ち、怒りを隠そうともしないティアナ。
マリアの背後から離れようとしないものの、今にも噛み殺しに来そうなルナ。
冷静そうに見えて、その実、体内の魔力を抑えきれずにいるスカーレット。
そして、家族を人質に取られ、身動きが取れないリュシエラ。
ウォルターは、ふと小さく息を吐いた。
「……なるほどねぇ」
軽薄な笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「君たち、随分とこの大男を信頼してるんだね?」
「……何が言いたいのですか?」
ティアナが問い返す。
「いや、別に? ただ、よく分かったよ。君たちは、あのマリアちゃんがいれば何とかなるって思ってるんだろ?」
ウォルターはマリアへ視線を向けた。
「だから、こんなに余裕でいられるわけだ。なるほどなるほど。こりゃあ、ちょっと考えを変えないといけないなぁ」
彼は、にこりと笑った。
「じゃあさ。まずは、その頼れるマリアちゃんから壊してみましょうか」
空気が変わった。
それまでの軽口とは違う、ぞっとするほど冷たい声だった。
「貴様……!」
スカーレットが一歩踏み出す。
しかし、ウォルターは気にした様子もなく、指を軽く鳴らした。
床を流れていた水が、音もなく盛り上がる。
人の形をした影が、ひとつ、ふたつ、みっつと立ち上がった。
それらは瞬く間にウォルターと同じ姿を形作る。
「紹介しておこうか。これが俺の水鏡の力。水に映した姿を写し取り、自在に操る。斬ろうが、砕こうが、焼こうが、凍らせようが――水がある限り、俺の分身は何度でも蘇る」
五人のウォルターが、同時に笑った。
「ははっ、勝てる方法があるなら、何を使ったっていいですよ? 卑怯とは言いません。俺は騎士様でも、武人でもないんでね」
水の分身たちが剣を構える。
「さあ、始めようか。君たちがどこまで、そのマリアちゃんを信じていられるのか……見せてもらおうじゃないか」
次の瞬間、五方向から一斉に斬撃が放たれた。
「来ます!」
ティアナが叫ぶ。
ルナが地面を蹴り、迫る刃をすり抜けた。
「たあっ!」
彼女の拳が、分身の腹部へ叩き込まれる。
しかし――。
ぼしゃんっ!
分身の身体は先ほどと同じ様に、水しぶきとなって弾け、拳は何の手応えもなく空を切った。
「えっ!?」
飛び散った水は床へ落ちることもなく、渦を巻きながら再び人型へと集まっていく。
「お嬢ちゃん、無駄だって言っただろ?」
背後から、ウォルターの声がした。
ルナが振り返るより早く、水の剣が振り下ろされる。
「ルナちゃん!」
マリアが叫ぶ。
ルナは地面を蹴って飛び退き、かろうじて攻撃をかわした。
「大丈夫です、ママ!」
「無理しちゃダメよ!」
「はいっ!」
ティアナが踏み込み、剣を振るう。
水の分身の胴体が斬り裂かれ、上半身と下半身が分かれた。
だが、切断面から水が流れ出したかと思うと、あっという間に形がつながってしまう。
「くっ……! 斬撃が通じない!?」
「ならば、まとめて凍らせてくれるわ!」
スカーレットが手を掲げた。
「凍てつけ!」
冷気が部屋を駆け抜け、水の分身たちを一瞬で氷の彫像へと変える。
しかし――。
ぱきんっ。
氷に閉じ込められた分身たちは、内側から砕け散った。
飛び散った水が床へ広がり、再び集まっていく。
「何じゃと!?」
「いやー、ここが温泉でよかったですよ? 水なら無限にありますから。俺の水鏡は、そう簡単には攻略できないんですって」
ウォルターは、まるで自分の手品を披露する芸人のように、楽しげに両手を広げた。
「さあて、そろそろ本番といこうか」
彼が指を鳴らす。
その瞬間、部屋の壁を流れていた水が一斉に跳ね上がった。
水は空中で絡み合い、巨大な蛇の姿を形作っていく。
長い胴体。鋭い牙。頭部には角のような突起があり、青白い鱗が水面の光を反射していた。
「水底より来たれ、俺の可愛いペットちゃん!」
ウォルターが、芝居がかった仕草で腕を振り上げる。
「シーサーペント!」
咆哮とともに、水の大蛇が天井近くまで身体を伸ばした。
「うわぁ……大きい蛇です!」
ルナが目を丸くする。
「なんて厄介な!」
ティアナが剣を構え直した。
シーサーペントが、こちらへ向かって襲いかかってくる。
「散れ!」
マリアの声に、一行が左右へ飛び退いた。
大蛇の頭部が床へ叩きつけられ、石畳が砕け散る。
続いて、長い胴体が鞭のように振るわれた。
「きゃっ!」
ルナが腕を交差して受け止めようとしたが、水の塊とは思えないほどの衝撃に弾き飛ばされた。
「ルナちゃん!」
マリアが駆け寄ろうとする。
その進路を、水の分身が塞いだ。
「どきなさいよ!」
マリアが平手を振るう。
ぱぁんっ!
分身が弾け、水しぶきとなって散った。
マリアは顔についた水滴を拭いながら、すぐにルナのもとへ駆け寄った。
「大丈夫!?」
「はいっ……! ちょっと、びっくりしました……!」
ルナは立ち上がり、服についた水を払った。
その間にも、ティアナはシーサーペントの攻撃を受け止めていた。
「くっ……重い!」
剣で牙を受け流した瞬間、蛇の胴体が彼女の脚へ巻きつこうとする。
ティアナは素早く身をひねり、刃を振るって拘束を逃れた。
「このままでは、押し切られます……!」
リュシエラも矢を放つ。
「精霊よ、我が矢に力を!」
矢は青白い光をまとい、シーサーペントの頭部へと突き刺さった。
だが、蛇の身体は一瞬波打っただけだった。
矢が刺さった場所から水が流れ込み、傷口はすぐに塞がってしまう。
「そんな……!」
「無駄だよ。こいつも水でできてるんだからさ」
ウォルターが笑った。
「君たちの攻撃は、俺の力を削るどころか、ただ水を散らしているだけにすぎない。いやぁ、見ていて飽きないねぇ。頑張ってる女の子って、どうしてこうも可愛いんだろうね?」
「黙りなさい!」
ティアナが叫ぶ。
「おっと、怖い怖い!」
ウォルターは肩をすくめた。
「でも、そうやって必死になってくれると、こっちももっとサービスしたくなっちゃうんだよねぇ」
その言葉とともに、彼の視線がスカーレットへ向いた。
「さて、お次は魔王様かな? どうしようか?」
「……何を企んでおる」
「いやぁ、せっかく魔王様が来てくれたんだ。ここはひとつ、派手な魔術を見せてもらいたいと思ってね」
スカーレットが両手を広げた。
「望みどおりにしてやろう。水ごと消し飛ばしてくれるわ!」
膨大な魔力が、彼女の周囲に渦巻く。
空気が震え、青白い光が部屋を照らした。
ウォルターの笑みが深まる。
「そうそう、それそれ!」
彼が手を振ると、壁を流れる水が一斉に噴き上がった。
スカーレットと分身たちの間に、巨大な水の壁が形成される。
「何っ!?」
スカーレットの魔術が放たれた。
しかし、膨大な魔力を帯びた一撃は水の壁に吸い込まれ、青い光となって内部を駆け巡った。
直後、その光が水の壁を通じて分身たちへと流れ込む。
水の分身の持つ魔力量が跳ね上がった。
「な……っ!?」
スカーレットの目が見開かれる。
「俺の水鏡は、魔力を受け止めて蓄える。強力な魔術で攻めれば攻めるほど、俺の兵は強くなるのさ」
「魔力を吸収する水の壁……!」
ティアナが愕然とする。
「そういうこと。いやぁ、魔王様の力はさすがだねぇ。おかげで、うちの子たちがずいぶん立派になっちゃった」
ウォルターは、わざとらしく拍手し、笑顔でスカーレットを見た。
「クハハハッ! 大技は禁止。人質は傷つけない。装置も壊さない。いやぁ、守るものが多い人は制約が多くて大変だねぇ?」
「貴様……!」
「おっと、怒らないでよ。俺はただ、賢く立ち回ってるだけさ。正面から殴り合うなんて、効率が悪いだろ?」
スカーレットは歯を食いしばり、魔力を収めた。
強引に攻撃すれば、敵に力を与えるだけ。
装置や人質を守りながら戦う以上、迂闊に大規模な魔術は使えない。
それこそが、ウォルターの狙いだった。
相手の強さを理解し、その力を封じる。
真正面から勝てないなら、相手が本来の力を発揮できない状況を作ればいい。
そのためなら、人質も、魔物も、卑怯な手段も、彼にとってはすべて等しく使い捨ての道具だった。
「さて……どうしようかねぇ」
ウォルターは、わざとらしく顎に手を当てた。
「魔王様は動けない。人間のお嬢さんの剣も、獣人のお嬢ちゃんの拳も、攻撃は通じない。エルフのお嬢さんは家族が心配で手いっぱい。となると……」
彼の視線が、マリアへ向く。
「やっぱり、君からかな」
「……何ですって?」
マリアの声が低くなる。
「いやぁ、だって君が一番弱そうなんだもの。でも、みんなの心の支えってやつ? そういうのは邪魔だから、最初に折っておくのが一番いい」
ウォルターは、手を軽く振った。
シーサーペントが大きく口を開け、マリアへと襲いかかる。
水の分身たちも、四方から一斉に刃を振り下ろした。
「マリア様!」
「ママ!」
「マリア!」
彼女たちの叫びが重なる。
鈍い音とともに、シーサーペントの牙がマリアの肩に直撃した。
その瞬間、硬質な音が響いた。
牙の先端が砕け散る。
マリアの身体には、傷ひとつついていなかった。
「…………は?」
ウォルターの笑顔が止まった。
続いて、水の分身たちがマリアへ斬りかかる。
刃が肩に当たる。胴体に当たる。頭に当たる。
しかし、マリアは一歩も動かなかった。
剣は砕け、水の刃は弾け、シーサーペントの胴体はマリアにぶつかった衝撃で大きく波打った。
「…………え?」
ウォルターの口が、ぽかんと開く。
マリアは乱れた髪を手で整えた。
「なにか、したかしら?」
「……くそっ! だったら、方針変更だっ!てめぇがダメでも、他の連中を壊せばいいだけだ!」
彼はマリアから逃げるように腕を振り上げた。
その瞬間、部屋を満たす水が、唸る蛇のように這い回り、青白く輝いた。
「水鏡よ――捕えろ!」
「!!ぬしら、目を逸らせっ!!!!」
スカーレットの言葉が届くよりも早く、唸る水は鏡のような形となった。
ティアナ。スカーレット。ルナの姿を映し出す。
「しまっーーー」
彼女たちの足元から、淡い光が立ち上った。
「なっ……!?」
ティアナが剣を構え直す。
◇
しかし、次の瞬間。
「――ティアナ!」
聞き慣れた声が、彼女の耳を打った。
光が消え、目の前に立っていたのは顔を覗き込むマリアだった。
いつもの黒いドレス。いつもの化粧。いつもの笑顔。
けれど、その瞳は冷たく、ティアナを見下ろしていた。
「マリア様……?」
「アンタ、もう用済みなのよ」
「……え?」
マリアは、ためらいなく一歩踏み出した。
「騎士ごっこはもう終わり。護衛だかなんだか知らないけれど、所詮は監視役、アタシの邪魔をするなら、アンタから消してあげるわ」
「マ、マリア様? 何を仰って……?」
ティアナの手が震えた。
「嘘です……! そんなこと、言うはずが……!」
「信じられないなら、確かめてみなさいよ」
目の前のマリアが、拳を握る。
次の瞬間、彼女はティアナへ襲いかかった。
「――っ!」
ティアナは反射的に剣を振るった。
ガキンッ!
刃が、マリアの身体を斬り裂く。
黒いドレスが裂け、血が飛び散った。
「いやああああっ!」
ティアナは悲鳴を上げた。
「マリア様! 違うんです! 私は、こんなこと……!」
しかし、マリアは倒れない。
傷ついた身体のまま、再びティアナへ手を伸ばす。
「裏切り者」
「やめてください……!」
「アンタが斬ったんでしょう?」
「違う! 違うんです! 私は……!」
ティアナは泣きながら剣を振るった。
斬っても、受け止めても、目の前のマリアは襲いかかってくる。
彼女が敬愛し、守りたいと願ってきた相手。
この状況がおかしいことは分かっている。
目の前にいるのは、きっと本物のマリア様ではない。
それでも、剣を振るうたびに、刃が大切な人の身体を傷つける。
どれほど否定しても、どれほど目を背けても、その感触と光景が消えてくれない。
「もう……やめて……」
ティアナの腕から、力が抜けていく。
目の前のマリアは、傷だらけの身体で笑っていた。
「どうしたの? もっと斬りなさいよ」
「……っ!」
涙が頬を伝う。
剣を握る手が震える。
もう、これ以上は耐えられない。
「――なら、いっそ……」
ティアナは、剣を手放した。
金属音を立てて、剣が地面へ落ちる。
もう、振るえない。
大切な人を傷つけるくらいなら、何も持たずに立ち尽くす方がいい。
そう思った、その瞬間だった。
目の前のマリアが、血塗られた笑顔のまま拳を振り上げた。
そして――。
ティアナの身体へ、容赦なく拳が突き刺さった。
「――っ、あ……!」
息が詰まり、身体が大きく揺れる。
それでもティアナは、剣を拾おうとしなかった。
もう、戦えない。
大切な人を傷つけることよりも、自分が傷つくことを受け入れ、ティアナは悪夢の中で瞳から光が失った。
◇
スカーレットの目の前には、燃え盛る王都が広がっていた。
「……何じゃ、これは」
赤い炎が街を包み、建物が崩れ落ちていく。
逃げ惑う人々。
地面に横たわる無数の屍。
その中には、見覚えのある顔もあった。
「魔王様……!」
「助けて……!」
「どうして、わしらを見捨てるのですか……!」
四方から、声が聞こえる。
スカーレットは一歩踏み出そうとした。
だが、その足元には倒れた人々の身体が折り重なっていた。
踏み出すたびに、誰かの手が足首を掴む。
「待って……! 行かないで……!」
「助けてくれ……!」
「魔王様……!」
「……やめよ」
スカーレットは、呆然と呟いた。
「わしは……」
助けなければ。
魔王である自分には、その力がある。
目の前の人々を救うことも、燃え盛る街を消し止めることも、きっとできるはずだ。
なのに、身体が動かない。
どこへ手を伸ばしても、助けを求める声が増えていく。
目の前で倒れた者を救おうとすれば、背後から別の悲鳴が聞こえる。
一人を助けても、別の誰かが倒れていく。
いくら魔力を振り絞っても、炎は消えない。
どれだけ手を伸ばしても、誰も救えない。
「……わしは……わしは…っ!」
スカーレットは立ち尽くした。
目の前で人々が助けを求めている手が、脚に、腕に、首に伸び、スカーレットの身体を締め付ける。
自分には、何ひとつできない。
その絶望が、彼女の心を縛りつけていた。
◇
そして、ルナの目の前には、見覚えのある家があった。
かつて暮らしていた家。
もう二度と帰れないと思っていた場所。
そこから漂ってくるのは、忘れたことなど一度もない、懐かしい匂いだった。
家の前には、父親と母親、そして弟が立っていた。
失われたはずの家族。
もう会えないはずの、大切な人たち。
その横には、マリアの姿もあった。
「……お父さん? お母さん? ママ?」
ルナが、恐る恐る一歩近づく。
家族が、こちらを振り返った。
「ルナ……!」
母親が、笑顔で手を伸ばす。
「お母さん……!」
ルナの瞳に、涙が浮かんだ。
もう一度、会いたかった。
もう一度、その声を聞きたかった。
もう一度、あの温もりに包まれたかった。
ルナは、家族のもとへ駆け寄ろうとした。
その瞬間だった。
黒い影が、目の前を横切った。
マリアが、優しい笑みを浮かべたまま剣を振り下ろした。
ザシュッ!
刃が、父親の身体を切り裂く。
父親は声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
「――え?」
ルナの足が止まった。
「お父さん……?」
父親は動かない。
何が起きたのか理解できず、ルナはただ、目の前の光景を見つめていた。
「いやあああっ!」
母親が悲鳴を上げる。
弟が泣き叫ぶ。
マリアは、そんな二人を前にして、楽しそうに笑っていた。
「やめて……!」
ルナが声を絞り出す。
「ママ……? どうして……?」
マリアは答えない。
ただ、笑いながら剣を振り上げる。
あの時の人間と同じように剣を振り下ろす。
「やめてぇっ!」
母親が倒れた。
弟が倒れた。
目の前で、大切な家族が再び奪われていく。
ルナは、動けなかった。
助けなければ。
今度こそ、助けなければ。
そう思うのに、足がすくんで一歩も踏み出せない。
やがて、目の前の光景が揺らいだ。
倒れていた家族が、何事もなかったかのように元の場所へ戻っている。
父親も、母親も、弟も。
まるで何も起きていなかったかのように、ルナへ笑顔を向けていた。
「ルナ、どうしたの?」
母親が手を伸ばす。
「こっちへおいで」
父親が優しく微笑む。
「お姉ちゃん!」
弟が、無邪気に駆け寄ってくる。
「……あ……」
ルナの頬を、涙が伝った。
よかった。
みんな、生きている。
もう一度、家族に会えた。
今度こそ、今度こそ――。
その願いを踏みにじるように、再びマリアが動いた。
剣が振り下ろされる。
父親が倒れる。
母親が悲鳴を上げる。
弟が泣き叫ぶ。
「いやああああっ!」
ルナは叫んだ。
だが、悪夢は終わらない。
家族が元の姿に戻る。
笑顔でルナを迎える。
そして、目の前で再び殺される。
何度も。
何度も。
何度も。
ようやく取り戻したと思った家族が、目の前で奪われていく。
助けようとしても、間に合わない。
駆け寄ろうとしても、身体が動かない。
どれほど叫んでも、誰も助けてくれない。
「いや……いやぁ……!」
ルナは両手で耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。
「やめて……もう、やめてぇぇぇ……!」
小さな身体が、恐怖に震えていた。
◇
「クハハハッ……!」
ウォルターが笑った。
「いいねぇ。やっぱり心ってのは、壊れる瞬間が一番面白い。美人が壊れていく様はやっぱり最高だね」
彼の周囲で、水鏡が揺らめく。
水鏡の前で、ティアナは涙を流しながら剣を手放し横たわり、スカーレットはその場に立ち尽くし、ルナは失ったはずの家族が目の前で殺される悪夢に、蹲っていた。
「酷い……酷すぎるっ!!」
リュシエラは悲鳴にも似た声を上げた。
臓腑に響く下衆な笑い声が地下に響き渡った。
ティアナは積極的に酷い目に合わせたい願望が強いです。




