↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『異世界オネエ転生』 ~元新宿三丁目ママ、無敵チートで最強受付嬢になり気ままに無双します~  作者: 雛森リコ
転生オネエさん、最強受付嬢になる。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/21

間幕 最強受付嬢と、三人の休日


 アルヴェリア王国、王都。


 その日の朝、冒険者ギルドの食堂は、いつもと変わらぬ賑わいを見せていた。


「ルナちゃん、今日はお休みなんだって?」


「はい! お休みをいただきました!」


 先輩受付嬢に声をかけられたルナは、ぺこりと頭を下げた。


 普段なら、マリアと一緒にギルドの仕事を手伝っている時間だ。


 しかし、今日は違う。


 初めての、ひとりきりの休日なのである。


「せっかくのお休みだし、ゆっくり楽しんできてね」


「ありがとうございます!」


 元気よく返事をして、ルナはギルドを後にした。


 さて、何をしよう。


 街を歩くのもいい。おいしいものを食べるのもいい。


 そんなことを考えながら歩いていたルナだったが、ふと、あることを思い出した。


「……そうです! ママにプレゼントを買いましょう!」


 マリアから教わったことがある。


 お金は、ただ貯めておくだけのものではない。


 おいしいものを食べたり、必要なものを買ったり、大切な人に贈り物をしたり。


 そうやって使うことで、毎日が楽しくなるのだと。


 ルナは、以前もらったお給料の入った布袋を取り出した。


 中には、これまで自分が使う機会のなかったお金が入っている。


 魔獣だった頃のルナにとって、生きるために必要なのは食べ物と安全な寝床、そして身を守る力だった。


 お金を使って買い物をすることも、誰かに贈り物をすることも、考えたことすらなかった。


 けれど、今は違う。


 人間の街を歩き、知らない食べ物に出会い、気に入ったものを自分の意思で選ぶことができる。


 そして、働いて得たお金で、大切な人に何かを贈ることもできるのだ。


「えへへ……」


 自然と頬が緩んだ。


 ママが教えてくれた、お金の使い方。


 自分で働いて得たお金で、ママに喜んでもらえるものを買う。


 考えただけで、胸が弾んだ。


「ママが喜んでくれるものを、いっぱい探しましょう!」


 ルナは尻尾を揺らしながら、王都の商店街へと駆け出した。


◇


「おいしい……!」


 最初にルナの足を止めたのは、香ばしい匂いを漂わせる串焼きの屋台だった。


 焼きたての肉に、甘辛いタレがたっぷりと絡んでいる。


 店主が大きな声で客を呼び込む中、ルナはじっと串焼きを見つめた。


「おじさん、これを一本ください!」


「おっ、嬢ちゃん、いいところに目をつけたな! 焼きたてだぞ!」


 手渡された串焼きに、ルナはかぶりついた。


 肉汁が口いっぱいに広がる。


「おいしいです!」


「ハッハッハ! そうだろう!」


 店主も嬉しそうに笑った。


 一本食べ終えると、今度は甘い香りに誘われて焼き菓子の店へ。


 そこで小さな菓子を二つ買い、歩きながらひとつを頬張る。


 さらに別の屋台では、果物を飴で包んだ串を発見した。


「こ、これは……!」


 ルナの耳がぴんと立つ。


「ママが言っていた、買い食いというものですね!」


 以前、マリアが街を歩きながら、気になるものを買って食べるのも楽しいと教えてくれた。


 つまり、これは立派な勉強である。


 決して食欲に負けているわけではない。


 ……たぶん。


 ルナは串を片手に、次の店へと向かった。


 その後も、ふかふかのパンをひとつ。


 焼きたてのパイをひとつ。


 気づけば、買い物を始める前から、なかなかの満腹になっていた。


「ふぅ……おいしかったです!」


 お腹をさすりながら、ルナは満足そうに笑う。


 だが、今日の目的は食べることだけではない。


 ママへのプレゼントを探さなければ。


「よし、頑張りましょう!」


 気合いを入れ直し、ルナは再び商店街を歩き始めた。


◇


 しばらく歩いたところで、ルナは小さな店の前に足を止めた。


 店先に並んでいたのは、色とりどりのブローチや髪飾り。


 金属を細工したものから、小さな宝石をあしらったものまで、さまざまな装飾品が並んでいる。


「わあ……綺麗です」


 ルナは目を輝かせた。


 マリアは黒いドレスを着て、綺麗なアクセサリーを身につけている。


 耳元で揺れるイヤリングも、首元のネックレスも、どれもよく似合っていた。


 だからこそ、贈り物にするならアクセサリーがいいのではないか。


 そう考えたのだが。


「うーん……」


 いざ選ぶとなると、決められない。


 花を模したもの。


 宝石のような飾りがついたもの。


 可愛らしいリボンをあしらったもの。


 どれも綺麗で、どれもママに似合いそうだ。


「どれがいいのでしょう……」


「おや。何かお探しかな?」


 悩み続けていたルナに、店の奥から声がかかった。


 現れたのは、眼鏡をかけた初老の男性だった。


 整えられた顎髭を撫でながら、穏やかな笑みを浮かべている。


 ルナの耳が、ぴんと立った。


 ママから教わったことがある。


 人間にも優しい人はいる。


 けれど、知らない相手には気をつけること。


 ルナは男性をじっと見つめた。


「ああ、驚かせてすまないね。ずいぶん真剣に悩んでいたものだから、つい声をかけてしまったよ」


「……ママへのプレゼントを探しているのです」


「ほう! それは素敵だね」


 男性は、嬉しそうに目を細めた。


「ママというのは、お母さんかな?」


「いいえ! お母さんではなく、ママです! わたしにとって、とっても大切な人なのです!」


 ルナが胸を張ると、男性はますます楽しそうに笑った。


「なるほど。それなら、選ぶのも難しいだろうね」


「はい。どれも綺麗で、どれが一番似合うのかわからなくて……」


「ハッハッハ! それは作り手としては嬉しい悩みだね」


「作り手……?」


「そう。ここに並んでいるものは、全部わしが作ったんだよ」


「ぜ、全部ですか\!?」


 ルナは驚き、改めて棚を見渡した。


 こんなにたくさんの装飾品を、目の前の男性がひとつずつ作ったというのか。


「すごいです……!」


「ありがとう。そう言ってもらえると、長年作ってきた甲斐があるというものだ」


 男性は、少し照れくさそうに顎髭を撫でた。


「ところで、贈る相手はどんな人なんだい?」


「えっと……とても綺麗で、優しくて、強くて……それから、いつも笑っている人です!」


「ほうほう」


「黒いお洋服がよく似合っていて、キラキラしたものも好きで……でも、可愛いものもきっと好きだと思います!」


「なるほど。ずいぶん素敵な人のようだね」


「はい!」


 ルナは迷いなく頷いた。


 男性は、棚からいくつかの品を取り出した。


「それなら、これなんかどうだろう」


 差し出されたのは、小さな白い花をあしらったブローチだった。


 派手すぎず、けれど細やかな細工が施されていて、花びらの一枚一枚まで丁寧に作られている。


「わあ……!」


 ルナは息を呑んだ。


「この花はね、感謝を伝えるときに贈るといいと言われているんだよ」


「感謝……?」


「ああ。花には、それぞれ意味があるんだ。花言葉というものでね」


「お花に、言葉があるのですか?」


「言葉というより、想いかな。直接伝えるのが恥ずかしいときでも、花に気持ちを託すことができる」


 男性は優しく微笑んだ。


「もちろん、花言葉を知らなくたって、贈り物には気持ちがこもるものだけれどね」


 ルナはブローチを見つめた。


 感謝。


 ママに伝えたい気持ち。


 いつも優しくしてくれて、守ってくれて、おいしいご飯を食べさせてくれる。


 仕事だって教えてくれた。


 お金の使い方も教えてくれた。


 何より、ルナが自分らしく笑っていられる場所をくれた。


「……これがいいです!」


 ルナは顔を上げた。


「このブローチをください!」


「おっ、決まったかい?」


「はい! ママに、ありがとうって伝えたいです!」


 男性は一瞬目を丸くしたあと、穏やかに笑った。


「そうかい。きっと喜んでくれるよ」


 代金を支払い、男性がブローチを小さな包みに入れてくれる。


 ルナは、それを両手で大切に受け取った。


「ありがとうございます!」


「こちらこそ、ありがとう。ところで……」


 男性は、棚からもうひとつ、小さなブローチを取り出した。


 先ほどのものと同じ白い花。


 ただし、ひと回り小さく、細工も控えめなものだった。


「これは、おまけだ」


「えっ?」


「大切な人とお揃いにしたら、きっと嬉しいだろう?」


 男性は、小さなブローチをルナの手に載せた。


「それに、わしの話し相手になってくれたお礼でもある。年を取ると、こういう話を聞いてくれる相手も減ってしまうからね」


「でも、こんなに素敵なものを……」


「いいんだよ。わしからの『感謝』の贈りものだよ」


 ルナは、しばらくブローチを見つめていた。


 それから、満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます! わたし、大切にします!」


 銀灰色の尻尾が、嬉しそうに左右へ揺れる。


 店を出るときには、何度も振り返って手を振った。


 男性も、笑顔で手を振り返してくれた。


 こうして、ママへのプレゼントがひとつ増えた。


 自分とお揃いの、小さな白い花のブローチ。


 ルナは胸元に手を当て、嬉しそうに歩き始めた。


◇


 その頃、王都の別の場所では。


「……じゃから、わしは冒険者として働く気はないんじゃが……」


「いやいや、そう言わずに! あんたほどの腕前なら、うちのパーティでも大歓迎だ!」


「待て待て! こっちのほうが待遇はいいぞ! 宿も食事も保証する!」


「うちなら稼ぎもいい! どうだ、一度だけでも一緒に潜ってみないか?」


「…………」


 魔王は、こめかみを押さえた。


 先日の一件以来、彼女はフードを被るのをやめていた。


 彼女は、ゆっくりとフードを下ろした。


 その下から現れたのは、腰まで流れる暗い朱色の長い髪だった。


 緩やかな波を描く髪は、光を受けるたびに深い赤みを帯び、艶やかに揺れる。


 頭の左右からは、魔族特有の角が伸びていた。滑らかな曲線を描くその角は、人間にはない異質さを感じさせる一方で、彼女の整った顔立ちにも不思議なほどよく馴染んでいる。


 そして、ひときわ目を引くのは、宝石のようなトパーズ色の瞳。


 すっと通った鼻筋に、形のよい唇。わずかに尖った耳。


 気品のある顔立ちと、人目を惹きつける美貌は、隠そうとして隠せるものではなかった。


 身にまとった深紫色のローブも、彼女の優雅な立ち姿を際立たせている。


 どこから見ても高貴な女性そのもの。


 ただし、その頭に角がなければ、の話だが。


 あの事件で顔も姿も知られてしまった以上、今さら隠しても意味がない。


 それに、下手に顔を隠して余計な疑いを招くのも面倒だった。


 結果として、王都ではすっかり顔の知られた魔族の魔導士になってしまったのである。


 もっとも、魔王本人としては、まったく望んでいない状況だった。


 宿を取ろうにも、魔族であることを理由に遠回しに断られる。


 露骨に拒絶されることこそ少なかったが、空室があるはずなのに満室だと言われたり、従業員が困った顔で責任者を呼びに行ったり。


 何軒か回った末、結局ティアナの指示に従い、監視下という名目で冒険者ギルドの宿舎を借りることになった。


 そこまでは、まだよかった。


 問題は、その後である。


 宿舎の部屋に戻れば、扉を叩く音がする。


 最初は何かの用件かと思って応対したが、話の内容はどれも似たようなものだった。


 冒険者への勧誘。


 魔法の腕前についての質問。


 身の上話を聞きたいという者までいた。


 断っても、時間を置けば別の人間がやってくる。


 仕方なく酒場へ降りれば、今度は直接声をかけられる始末だ。


 そして現在。


 魔王は、ギルドの片隅で冒険者たちに囲まれていた。


「……みなのもの。わしは、静かに過ごしたいのじゃが…!」


「もちろん! パーティに入ってくれれば、ゆっくりできる時間も作るさ!」


「そういう話ではないんじゃが!?」


「なら、何が問題なんだ?」


「……はぁ」


 魔王は、深く息を吐いた。


 冒険者という連中は気のいい輩が多いが、頭の中まで筋肉でできているものが多過ぎて参っていた。


 城にいた頃なら、こんな状況はあり得なかった。


 彼女が一言命じれば、誰もが口を閉ざし、頭を垂れたものだ。


 だが、今は違う。


 魔王であることを明かすわけにはいかない。


 かといって、目の前の人間たちを魔法で黙らせるわけにもいかなかった。


 そもそも、彼女は今、監視される立場でもある。


 余計な騒ぎを起こせば、ティアナたちにまで迷惑がかかる。


 何より――。


「なあ、あんた、恋人とかいるのか?」


「……は?」


「いや、こんなに綺麗な人なんだ。気になってな!」


「おい、抜け駆けするな!」


「順番なんか関係あるか!」


 魔王の眉間に、深い皺が刻まれた。


 ……なんなのだ、この者たちは。


 なぜ自分が、見ず知らずの人間たちに囲まれ、私生活について質問されなければならないのか。


 そもそも、誰が恋人の有無を尋ねてよいと言った。


 彼女は、静かに目を閉じた。


「……わしは、ひとりで過ごしたいと申し上げておるはずじゃが?」


 声の温度が、わずかに下がる。


 周囲の冒険者たちが、一瞬だけ口を閉ざした。


 だが、それも束の間だった。


「おお、凛々しいな!」


「そういうところも魅力的だぜ!」


「……っ!」


 魔王は、天を仰いだ。


 駄目だ。


 この者たちには、何を言っても通じない。


 野生の獣以下の警戒心。


 マリアと一緒にいれば、確かに騒がしいことばかり起こる。


 だが、少なくとも、こんなふうに取り囲まれることはなかった。


 ……いや。


 マリアなら、そもそも冒険者たちを相手に、何かしら騒ぎを起こしていた可能性もある。


 しかし、今はそんなことさえ懐かしく感じる。


「……マリア」


 ぽつりと、彼女は呟いた。


 約束をしているわけではない。


 今日、会う予定もない。


 それでも、あの人の顔が浮かんでしまう。


 魔王は小さくため息をつき、背筋を伸ばした。


「主ら、わしは少々用事を思い出した、これで失礼する」


「あっ、待ってくれ!」


「また今度、ぜひ!」


「…………」


 返事はしなかった。


 ただ静かに歩き出し、冒険者たちの輪から抜け出す。


 背後から、まだ声が聞こえていた。


 魔王は振り返らなかった。


 ――誰か、わしに静寂をください…


 心の底から、そう願うのだった。


◇


 同じ頃、騎士団の宿舎。


 ティアナは、自室のベッドで天井を見つめていた。


「…………」


 身体が重い。


 先日の戦いで負った傷は、すでに治癒魔術によって塞がっている。


 しかし、傷が治ったからといって、すぐに元どおり動けるわけではなかった。


 強力な治癒魔術を受けた反動で、全身が鉛のように重いのである。


 起き上がろうとすれば、身体のあちこちが軋む。


 少し腕を動かすだけでも、ひどく疲れる。


「……情けないわね」


 ティアナは小さく呟いた。


 騎士として鍛えてきた自分が、ベッドの上で寝込んでいる。


 任務に復帰できないことも、誰かの助けを借りなければならないことも、彼女にとっては歯がゆかった。


 せめて、早く回復しなければ。


 そう思っていた、そのとき。


 コンコン。


「ティアナちゃーん? いるかしら?」


「――っ\!?」


 聞き覚えのある声に、ティアナの心臓が跳ねた。


 身体も起こそうとしたが、思うように動かない。


「ま、マリア様\!?」


「そうよぉ。お見舞いに来たわよー」


「ど、どうぞ! お入りください!」


 慌てて返事をする。


 ほどなくして扉が開き、マリアが顔を覗かせた。


「お邪魔しまーす……って、あら?」


 室内を見渡したマリアが、ぴたりと足を止めた。


 窓際には小さな花瓶。


 棚には可愛らしい小物が並び、ベッドの脇には、ふわふわした動物のぬいぐるみが座っている。


 壁際には、丁寧に畳まれた衣服。


 そして、マリアの目を引いたのは、ベッドからよく見える位置に掛けられた一着のワンピースだった。


「あらあらあらあら……まあ!」


 マリアの顔がぱっと明るくなる。


「ティアナちゃん! お部屋、すっごく可愛いじゃない!」


「えっ\!? そ、そんなことは……!」


 ティアナの頬が、一瞬で赤く染まった。


 騎士団の宿舎といえば、質実剛健な部屋を想像する者も多いだろう。


 だが、ティアナの部屋は違った。


 可愛いものが大好き。


 けれど、騎士としての自分には似合わない。


 そう思っていたからこそ、誰にも見られない自室に、自分の好きなものを少しずつ集めていたのである。


「このぬいぐるみ、見て! お耳がぴょこんってなってるわ!」


 マリアはベッド脇のぬいぐるみを手に取り、目を輝かせた。


「…か、可愛いものは……好きでして、小さいの頃から……その、ずっと……!」


「あら、いいじゃない。好きなものは好き。それって、とっても素敵なことよ?」


「……っ」


 ティアナは言葉に詰まった。


 以前、マリアと一緒に買い物へ行ったときもそうだった。


 可愛い服を見ているだけで、気持ちが弾んだ。


 それなのに、自分には似合わないのではないかと、つい尻込みしてしまう。


 そんな自分の背中を、マリアは何のためらいもなく押してくれた。


 あのとき買ってもらったワンピース。


 ティアナは、そっと視線を向けた。


 ベッドから、いつでも目に入る場所。


 皺にならないよう、丁寧に掛けてある。


 何度も眺めては、胸の奥が温かくなる。


「……そのワンピースも、気に入ってくれたのかしら?」


「――っ\!?」


 マリアの視線に気づき、ティアナは慌てて顔を戻した。


「は、はい! とても……大切にしています!」


 思わず、声に力が入ってしまった。


 マリアは一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうに笑った。


「まあ! そんなに気に入ってくれたの? よかったわぁ!」


「……はい」


 ティアナは、そっと布団を握りしめた。


 大切にしている。


 その言葉に嘘はない。


 服そのものも、もちろん大切だ。


 けれど、それ以上に。


 あの日、マリアと一緒に過ごした時間が、何よりも大切だった。


 そんなことを口にする勇気は、まだなかったけれど。


「それより、身体はどう? 傷は治ったって聞いたけど、まだ辛いんでしょう?」


 マリアがベッドの傍らに腰を下ろす。


「傷そのものは問題ありません。ただ、治癒魔術の反動が残っていて……身体が思うように動かないのです」


「そう……」


 マリアの表情が、少しだけ真剣になった。


「無理しちゃ駄目よ。身体が動かないときは、ちゃんと休むこと。頑張り屋さんなのは素敵だけど、自分のことも大事にしなくちゃね」


「……はい。マリア様」


「よろしい!」


 マリアは満足そうに頷いた。


 それから、持ってきた包みを取り出す。


「はい、これ。お見舞いのお菓子よ」


「お菓子……ですか?」


「ええ。元いた世界でよく食べていたものを参考に、こっちの材料で作ってみたの。マドレーヌって言うんだけど、うまく再現できているとは思うからお口に合えばいいのだけれど」


 包みを開くと、小さく貝の形に焼き上げられた菓子が並んでいた。


 バターの甘い香りが、ふわりと室内に広がる。


「わあ……」


 ティアナの顔がほころんだ。


「ありがとうございます、マリア様」


「どういたしまして。甘いものを食べると、元気が出るでしょ?」


「はい……」


 マリアは菓子をひとつ手に取り、ティアナへ差し出した。


「はい、あーん」


「――えっ\!?」


 ティアナの思考が停止した。


 目の前には、マリアの手。


 その指先につままれた、小さなお菓子。


 そして、自分を見つめる優しい瞳。


「あ、あの……マリア様……?」


「ん? 食べられない?」


「い、いえ! いただきます!」


 断る理由などなかった。


 いや、断りたくなかった。


 ティアナは赤くなった顔を隠すこともできないまま、そっと口を開いた。


 ぱくり。


「……おいしい」


 口の中に広がる甘さに、思わず頬が緩む。


「でしょ? よかったわぁ」


 マリアは嬉しそうに笑った。


 その笑顔を間近で見てしまったティアナは、ますます顔が熱くなる。


 ――どうして、この方は。


 どうして、こんなにも自然に人の心へ踏み込んでくるのだろう。


 気遣いも、優しさも、距離の近さも。


 どれもこれも、特別なことをしているつもりなどないのだろう。


 だからこそ、困る。


 こちらばかりが、意識してしまうのだから。


「……ティアナちゃん?」


「は、はいっ\!?」


「顔が真っ赤よ? まだ熱でもあるのかしら!?」


「だ、大丈夫です! 問題ありません!」


「本当に? まだ身体が辛いなら、お医者様を呼んでもらうわよ?」


「ち、違います! そういうことではなくて……!」


 ティアナは慌てて首を振った。


 マリアは不思議そうに首を傾げる。


 どうやら、本当にわかっていないらしい。


 ……この方は、そういう人なのだ。


 誰にでも優しくて、誰にでも自然に笑いかける。


 それを特別なことだと思っているのは、きっと自分だけ。


 そう考えると、少しだけ胸が痛んだ。


「……マリア様」


「んー?」


「その……」


 言いたいことがある。


 けれど、何をどう言えばいいのか、わからない。


 ティアナは、ゆっくりと目を閉じた。


 身体の疲労は、まだ抜けていない。


 マリアの声を聞いていると、不思議と安心してしまう。


 眠気が、じわじわと押し寄せてきた。


「……ティアナちゃん、眠い?」


「……少しだけ、です」


「そう。じゃあ、ゆっくり休みなさい」


 マリアの声が、優しく響いた。


「何かしてほしいことがあったら、遠慮なく言ってちょうだいね」


 何か、してほしいこと。


 ティアナは、ぼんやりと考えた。


 今、ここで。


 マリアに、お願いできること。


 頭に浮かんだのは、あの日のことだった。


 一緒に街を歩いて、服を選んで、笑い合った時間。


 もう一度、あんな時間を過ごせたら。


 また、一緒に買い物へ行けたら。


「……あの、マリア様」


「なぁに?」


 ティアナは、布団をぎゅっと握りしめた。


 眠気に霞む意識の中、勇気を振り絞る。


「……元気になったら、また……ご一緒に、買い物に……」


「…………」


「……ついて来て、いただけませんか……?」


 最後の言葉は、ほとんど吐息のようだった。


 言ってしまった。


 ティアナは、そのまま意識を手放した。


◇


「……ティアナちゃん?」


 返事はない。


 規則正しい寝息が、静かな部屋に響いていた。


 マリアは、眠ってしまったティアナを見つめた。


「あらあら。疲れちゃったのね」


 布団がずれているのに気づき、そっと肩まで掛け直す。


 それから、ベッド脇のぬいぐるみを元の位置に戻した。


「ゆっくり休むのよ。ティアナちゃん」


 小さく声をかけ、マリアは立ち上がった。


 扉を閉める直前、もう一度だけ振り返る。


 ティアナは、穏やかな寝顔を浮かべていた。


 その胸の内に、どんな願いがあったのか。


 マリアは、まだ知らない。


 そして、眠りについたティアナ自身もまた、自分が何を口にしたのかを、やがて夢の中の出来事として受け止めることになるのだった。


◇


 その日の午後。


 マリアは、アルヴェリア王国の王城を訪れていた。


「陛下、お久しぶりねぇ!」


「うむ。……いや、そこまで久しぶりというわけでもないがな」


 国王は苦笑しながら、マリアを迎えた。


 先日の一件以来、彼女が王城を訪れるたび、周囲の者たちは妙に緊張するようになっていた。


 もっとも、当の本人にその自覚はない。


「今日はどうしたのだ?」


「ちょっと、お菓子を作ったから持ってきたのよ。お世話になっている皆さんにも食べてもらおうと思って」


「おお、それはありがたい」


 マリアが差し出した包みを、侍従が丁寧に受け取った。


 その場の空気が、少しだけ和らぐ。


 国王だけは、疑念と警戒心を隠すこともなく、菓子を受け取った。


「それにしても、マリアよ」


「なぁに?」


「先日の魔獣の件、そして奴隷商の件について、改めて礼を言いたい」


「ああ、あれね。たまたまよ、たまたま。困っている人がいたから、ちょっと手を貸しただけよ」


「……お前にとっては、ちょっとで済むのかもしれぬがな」


 国王は深いため息をついた。


 魔獣の脅威。


 人々を巻き込んだ事件。


 そして、その背後に見え隠れする不穏な影。


 いずれも、軽く扱えるものではない。


「そこでだ。褒美を与えたいと思っている」


「褒美?」


「そうだ。望むものがあれば申してみよ。金でも、地位でも、屋敷でも構わん。何か困っていることがあれば、それでもよい」


「ええっ\!? そんなに何でもいいの\!?」


 マリアの目が丸くなった。


 国王は、内心でほっと胸を撫で下ろす。


 ――よし。機嫌を損ねる前に、こちらから譲歩しておこう。


 先日の一件で、彼はひとつ学んでいた。


 マリアは、善意で動く。


 しかし、その善意を無下にしたり、無理を押しつけたりすれば、何が起こるかわからない。


 ならば、できるだけ気持ちよく過ごしてもらうに限る。


「そうねぇ……」


 マリアは腕を組み、考え込んだ。


「お金は、今のところ困ってないのよねぇ。ギルドのお仕事も楽しいし」


「ふむ」


「でも、ひとつだけ困っていることがあって」


「ほう。何だ?」


 マリアは、ぱっと顔を上げた。


「今の宿舎、ちょっと狭いのよ!」


「……狭い?」


「そうなのよぉ!」


 そこから先は、止まらなかった。


 ギルドの宿舎は仕事場に近く、便利ではある。


 しかし、部屋は決して広くない。


 荷物を置けば場所を取るし、身支度をするにも、ゆっくりくつろぐにも少々手狭だった。


 そして、何より。


「最近、ルナちゃんが夜になると一緒に寝たがるのよねぇ」


「……ほう?」


「もちろん、可愛いから大歓迎なんだけど。二人で寝るには、ちょっと狭くてねぇ」


 マリアは頬に手を当て、うっとりとした。


「あの子、尻尾もあるでしょう? 寝返りを打つと、ふわふわが顔に当たるのよ。もう、幸せなんだけど!」


「……そ、そうか」


「でもねぇ、せっかくなら、もう少し広いところでゆっくり眠りたいじゃない?」


 国王は、侍従と顔を見合わせた。


 金でも地位でもない。


 求められたのは、住居の改善。


 しかも、本人の話を聞く限り、贅沢な暮らしを望んでいるわけでもないらしい。


「……なるほど。ならば、ちょうどよい物件がある」


「えっ?」


「王都の一角に、しばらく使われていない一軒家があってな。ギルドにも近い。住む者もおらず、管理だけが続いているのだが……そこをお前に贈ろう」


「い、一軒家\!?」


「うむ。褒美としては、ささやかかもしれぬが」


「いえいえいえ! 十分よ! 十分すぎるわよ!」


 マリアは勢いよく身を乗り出した。


「本当にいいの\!? お庭とかある\!?」


「あるぞ」


「お台所は\!?」


「もちろんある」


「お風呂は\!?」


「……風呂もある」


「最高じゃないのぉぉぉ!」


 マリアは両手を合わせ、感激の声を上げた。


 国王は、満足そうに頷く。


 ――よし。これでしばらくは、平穏に過ごしてくれるだろう。


 そう願わずにはいられなかった。


◇


 その日の夕方。


 王都の一角にある、一軒家の前。


「……ふふっ」


 マリアは、目の前の建物を見上げていた。


 二階建ての、落ち着いた造りの家。


 大きすぎず、小さすぎず。


 窓も多く、庭もついている。


 何より、ギルドまで歩いて行ける距離だ。


「ここが……アタシのお家!」


 思わず、胸が熱くなった。


 まさか異世界に来て、こんな立派な家を持つことになるとは。


元の世界では閉店作業後、帰って寝るだけの安アパート住まいだった。


なので夢のマイホームには興奮が隠せない。


「ママぁ!」


 声のした方を振り返ると、ルナがこちらへ駆け寄ってきた。


「ルナちゃん! 来てくれたのね!」


「はい! 新しいお家を見に来ました!」


 ルナは、きらきらと目を輝かせて建物を見上げた。


「わあ……素敵なお家です!」


「でしょう? 私とルナちゃんのお家よ!2人で寝ても広いベッドもある!お庭もあるのよ! ここでお花を育てるのもいいし、テーブルを置いてお茶を飲むのもいいわねぇ」


「お花! 素敵です!」


 二人が楽しそうに話していると、少し遅れて魔王もやってきた。


「……ずいぶんと、居心地のよさそうな家じゃのお」


「あら、魔王ちゃんも来てくれたの?」


「うむ。ルナに誘われたのでな。せっかくじゃから、一度拝見しておこうと思ってな」


 魔王は家の外観を眺め、感心したように頷いた。


 先日の事件以来、彼女は王都で顔を知られるようになっていた。


 そして、その知名度は、必ずしも彼女にとって歓迎できるものではない。


 宿泊先にも困り、冒険者たちには囲まれ、落ち着ける場所を探すだけでも一苦労。


 そんな彼女にとって、静かに過ごせそうなこの家は、なかなか魅力的に映った。


「……ところで、マリア」


「なぁに?」


「この家には、空いている部屋はあるかの?」


「え? ええ、何部屋かあるけど……」


「そうかそうか!」


 魔王は、少しだけ表情を和らげた。


「ならば、しばらくこちらでお世話になってもよいか?」


「……はい?」


 マリアが目を瞬かせる。


「もちろん、主らが良ければなのじゃが、今の宿舎では落ち着いて過ごすことも難しくて……」


 魔王は、そこで言葉を切った。


 冒険者たちに囲まれていたことを思い出したのか、わずかに眉を寄せる。


「……静かな場所で、過ごしたくてな…」


 遠い目をしていた。その言葉には、いつもの威厳とは違う疲労が滲んでいた。


 マリアは、そんな魔王の様子は普段から見ていたので知っていた。


しかしドラゴンにも臆さなかった彼女が、冒険者に別の意味で倒され掛けている姿にふっと笑った。


「もちろん、いいわよ。部屋ならあるんだもの。困ったときはお互い様でしょ?」


「魔王のお姉さんも家族になるんですか?」


「ルナちゃんも良ければ一緒に住むのよ」


「もちろんです!」


ルナがぴょんぴょんリビングを跳ね回る。


「…よいのか?」


「もちろん!」


 魔王は、ほっとしたように息をついた。


「……感謝する。マリア、ルナ、改めてよろしく頼む」


 普段なら、もう少し取り澄ました返事をしていたかもしれない。


 だが、今日は違った。


 ただ、素直にありがたかった。


 その様子を見たルナが、嬉しそうに尻尾を揺らす。


「これから、みんなで一緒に暮らせるのですね!」


「ふふっ。そうじゃな」


 魔王は微笑んだ。


 マリアの家には、少しずつ賑やかな住人が増えていく。


 そんな未来を思い描きながら、三人はしばらく新居を眺めていた。


◇


 そして、数日後。


 マリアの引っ越し当日。


 家の中には荷物が運び込まれ、あちこちで人が行き交っていた。


「こっちは台所に置きましょうか!」


「はい、ママ!」


 ルナが小さな荷物を抱えて、ぱたぱたと動き回っている。


 魔王も、自分にできる範囲で荷物の整理を手伝っていた。


「この箱は、どこへ運べばよい?」


「ああ、それは二階の奥の部屋にお願い!」


「承った」


 マリアが新しい家で暮らし始める。


 その話は、数日前にティアナにも伝えられていた。


 騎士団の任務へ復帰したばかりの彼女は、マリアが引っ越すと聞いたとき、表面上は平静を装っていた。


 住居が変わるだけ。


 それだけの話だ。


 護衛の任務がなくなるわけではないし、ギルドへ行けば会うこともできる。


 そう、自分に言い聞かせた。


 けれど。


 新居の話を聞いてからというもの、ティアナは仕事に集中できなくなっていた。


 あの家には、部屋が余っているらしい。


 マリアは、ルナと魔王と一緒に暮らすことになる。


 自分だけが、これまでどおり騎士団の宿舎で過ごす。


 それでいいのだろうか。


 いや、騎士として考えれば、当然だ。


 マリア様の安全を守るのが自分の役目なのだから、彼女の住まいが変わるなら、護衛の方法も考え直さなければならない。


 だから、同じ家に住むという選択肢も、任務上は決しておかしくない。


 ……おかしくない、はずだ。


 それなのに。


「…………」


 ティアナは書類を見つめたまま、手を止めていた。


 頭の中では、何度も同じ言葉を繰り返している。


 ――私も、一緒に住みたい。


 けれど、それを口にするのは、あまりにも勇気が必要だった。


 もし、断られたら。


 護衛として必要ないと言われたら。


 それどころか、自分が一緒に暮らしたいと思っていることまで知られてしまったら。


「……ティアナ」


「は、はいっ!」


 突然声をかけられ、ティアナは背筋を伸ばした。


 目の前に立っていたのは、騎士団長だった。


「……どうした。先日から、まるで心ここにあらずといった様子だが」


「い、いえ! 何でもありません!」


「何でもない者が、同じ書類を上下逆さにいつまでも見つめているものか」


「…………」


 ティアナは口を閉ざした。


 騎士団長は、しばらく彼女を見つめたあと、静かに口を開いた。


「マリア殿の新居の件か?」


「……っ!」


 図星だった。


 ティアナは、思わず視線を逸らす。


「……いや、あの、私は、騎士です。護衛の任務として、適切な判断をしなければなりません」


「そうだな」


「ですが……その……」


 言葉が続かない。


 騎士団長は、深く追及しなかった。


 ただ、穏やかな声で告げた。


「ティアナ。後悔しない選択をしなさい」


「……え?」


「任務を理由にするのもよい。自分の気持ちを認めるのもよい。どちらにせよ、最後に決めるのはお前自身だ」


 ティアナは、息を呑んだ。


「ただし、何もせずに諦めてしまえば、あとになって悔やむことになるかもしれん」


「…………」


「お前は、もう十分に自分の気持ちと向き合ったのだろう?」


 騎士団長は、ぽん、とティアナの肩を叩いた。


「団のことは気にするな」


「団長…」


振り返ると団長の表情は苦虫を噛み潰したような顔になっていた。


「貴女が引き続きマリア様を見ていて下さる事の方が、なんと言うか、わたしも国王としても、本当に助かるのだ。本当に」


 そう言い残し、歩き去っていく。


 ティアナは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


きっと数日前までの私はあんな顔をしていたんだろうなと、思い出すと少し笑えてしまった。


 そして、ゆっくりと拳を握る。


「……後悔、しない選択……」


 心臓が、どきどきとうるさい。


 断られるかもしれない。


 恥ずかしい思いをするかもしれない。


 それでもーーー


 ティアナは顔を上げた。


「……行こう」


 騎士として。


 そして、一人の女性として


◇


「マリア様!」


「ん? あら、ティアナちゃん!」


 新居の玄関で声をかけられ、マリアはぱっと顔を上げた。


「来てくれたのねぇ! ちょうどよかったわ。今、荷物を運んでいるところなのよ」


「はい。その……少し、お話がありまして」


「お話?」


 ティアナは、背筋を伸ばした。


 いつものように、騎士らしく。


 けれど、胸の内では緊張が渦巻いていた。


「……マリア様」


「なぁに?」


「私も、こちらで暮らさせていただけないでしょうか」


「……えっ?」


 マリアが目を丸くした。


 ティアナは、慌てて言葉を続ける。


「も、もちろん、護衛の任務を兼ねてです! ギルドの宿舎にいらっしゃる間は、ギルド側の管理もありましたが、こちらへ移られるとなれば、警備体制も改めて考える必要があります。私が近くに住んでいれば、何かあったときにも迅速に対応できますから!」


 言い切った。


 明らかに職務を理由に私利私欲を満たす為のこじつけた理由を言い切ってしまった。


結局、伝えたい本心は上手く言えなかった。


 あとは、マリアの返事を待つだけだ。


 ティアナは、ぎゅっと拳を握りしめた。


 断られたら、やはり、騎士団の宿舎で暮らすべきだと言われたら。


 護衛としての理屈は通っていても、マリアが望まなければ、それまでなのだから。


 マリアは、しばらくティアナを見つめていた。


 ほんの数十秒、その沈黙が、ひどく長く感じられる。


 やがて。


「……もう、ティアナちゃんったら!」


 マリアが、ぱっと笑顔になった。


「そんなことなら、最初から言ってくれればいいのに!」


「……え?」


「いいに決まってるじゃない! 部屋なら余っているんだもの。みんなで暮らしたほうが楽しいわよ!」


「…………っ!」


 ティアナの目が、大きく見開かれた。


「よ、よろしいのですか……?」


「もちろんよ! アタシとしても、知っている人が近くにいてくれるのは心強いもの」


 マリアは、ティアナの肩をぽんぽんと叩いた。


「これからよろしくね、ティアナちゃん!」


「……っ、はい!」


 胸の奥が、じんわりと熱くなった。


 よかった。


 本当によかった。


 これからもっとマリア様の傍にいられる。


 その事実だけで、胸がいっぱいになった。


「……ありがとうございます、マリア様」


「ふふっ。どういたしまして!…て、なんで泣きそうになってるのよ!」


 マリアは、いつものように笑っていた。


 その笑顔を見て、ティアナは安心して涙が溢れ、小さく微笑む。


 ――やっぱり、この人の前では、わたしは騎士でいることは難しいです


 その姿は、恋する少女そのものだった。


◇


「……なるほど。護衛という名目で、ここに住むことになったのか」


「そ、そうです。あくまで護衛です」


「なるほど、なるほどなぁー」


 その日の夕方。


 荷物の整理がひと段落した居間で、魔王はティアナの話を聞き、ニヤニヤと含みを持った笑みを浮かべ頷いた。


「は、はい。そういうことです」


「ふふっ。よいではないか」


「……魔王さん?」


「なに、お主の『護衛』の邪魔はせんよ?」


 魔王は、イタズラをする子供の様に微笑んだ。


「……なんですか!?なんなんですかぁ!」


 ティアナは、茹で上がった様に顔を赤くした。


 魔王は、その様子を見て何かを察したようだったが、あえて口にはしなかった。


  ◇


 マリアはお茶を入れ、一息ついたところにルナがぱたぱたと駆け寄ってきた。


「ママ! これ、見てください!」


「あら、ルナちゃん。どうしたの?」


 ルナは、小さな包みを大切そうに差し出した。


「ママに、プレゼントがあるのです!」


「えっ? アタシに?」


「はい! この間のお休みの日に、お買い物へ行ってきたのです!」


 包みを開くと、中から白い花のブローチが現れた。


 細やかな細工が施された、小さくて可愛らしいブローチ。


 マリアは、思わず息を呑んだ。


「……まあ!」


「お店のおじさんが作ってくれたのです。お花には、感謝という意味があるって教えてくれました!」


 ルナは、少し照れくさそうに笑った。


「いつもありがとうございます、ママ。わたし、ママにいっぱい感謝しているのです!」


「…………」


 マリアは、しばらく言葉を失っていた。


 そして、そっとブローチを手に取る。


「……ルナちゃん」


「はい?」


「あなたって子は……もう……!」


 ぎゅうっ!


 マリアは、ルナを抱きしめた。


「ありがとう! 大切にするわね!」


「わわっ! ママぁ!」


 ルナの尻尾が、嬉しそうに揺れる。


 抱きしめたルナの胸元に、なにか硬い物が当たる感覚があった。


「あら? ルナちゃん、胸になにか持ってるのかしら?」


「えへへ、わたしの分です! お店のおじさんが、お揃いにしてくれたのです!」


 ルナが胸元から取り出したのは、同じ白い花の小さなブローチだった。


「まあ! お揃いなのね!」


「はい! ママと一緒に付けようと思って持ってました!」


「……もう、最高じゃないのぉ!」


 マリアは、再びルナを抱きしめた。


 その光景を眺めていた魔王が、ふっと微笑む。


「……素敵な贈り物じゃな」


「でしょう\!? もう、うちの子ったら、なんていい子なのかしら!」


「ママぁ、く、苦しいです……!」


「あら、ごめんなさい!」


 慌てて腕を緩めるマリア。


 ルナは、幸せそうに笑った。


 そして、もうひとつ。


 大切なものを思い出したように、胸元から一枚の招待状を取り出した。


「それから、ママ。もうひとつ、プレゼントがあるのです!」


「まだあるの\!?」


「はい! これです!」


 差し出された封書を、マリアは受け取った。


 そこには、立派な装飾文字で、温泉宿への招待と記されていた。


「…………」


 マリアの手が止まる。


 視線が、招待状の文字を行き来した。


 温泉。


 温泉宿。


 招待状。


 間違いない。


「……ルナちゃん」


「はい!」


「これ……どこで?」


「街でお買い物をしていたら、福引というものがあって……金色の玉が出たのです!」


「フクビキ……?」


「はい! そのお手紙の文字は私は読めないんですけど、大きなお風呂があって、おいしいご飯が食べられるところだそうです!」


 ルナは、胸を張った。


「ママ、いつも頑張っているから、だから、一緒に行けたらいいなって思って……!」


「…………」


 マリアは、招待状を両手で持ったまま、天井を仰いだ。


 そして。


「……あるのね」


「はい?」


「温泉が……この世界にも、あるのねぇぇぇぇぇっ\!\!」


 歓喜の声が、家中に響き渡った。


「マ、ママ\!?」


「温泉よ\!? 温泉! 大きなお風呂に、おいしいご飯! 最高じゃないのぉぉぉ!」


 マリアは、招待状を胸に抱きしめた。


 その目には、うっすらと涙まで浮かんでいる。


「ルナちゃん! よくぞ当ててくれたわ! 偉い! 偉すぎるわよぉぉぉ!」


「えっ\!? えっ\!? そ、そんなにすごいことなのですか\!?」


「すごいなんてもんじゃないわ! これはもう、運命よ! 温泉の女神がアタシたちを呼んでいるのよ!」


「温泉の女神……?」


「ええ、きっとそうよ!」


 マリアは力強く頷いた。


 温泉。


 その響きだけで、日々の疲れが吹き飛んでいくようだった。


 そして何より。


 この招待状を当ててくれたのは、ルナだ。


「……本当に、ありがとうね。ルナちゃん」


 マリアは、今度は優しくルナを抱きしめた。


「ママ……!」


 ルナも、嬉しそうにマリアへ抱きつく。


 魔王は、そんな二人を眺めながら、微笑ましそうに目を細めた。


「……それほどまでに素晴らしい場所なのか、温泉というものは?」


「ええ! 絶対素晴らしいわよ!」


 マリアは、勢いよく顔を上げた。


「そうだわ! 先日の事件もあったことだし、みんなで慰安旅行に行きましょう!この招待状4人まで大丈夫見たいだから!」


「慰安旅行……?」


「そうよ! みんな、いろいろ大変だったでしょう? だから、温泉に入って、おいしいものを食べて、思いっきり羽を伸ばすの!」


 魔王は、少しだけ考え込んだ。


 先日の事件で負った疲労。


 その後の騒動。


 落ち着かない宿舎生活。


 確かに、ゆっくりと休める時間が欲しかった。


「……悪くはないな」


 魔王は、ふっと微笑んだ。


「わしも、少し休みたいと思っていた」


「でしょう\!?」


 マリアは、満面の笑みを浮かべた。


「ティアナちゃんも、もちろん一緒よ!」


「私も、よろしいんですか?」


「当たり前じゃない! まだ無理は禁物だけど、身体を休めることも大事なんだから!」


「……はい。ありがとうございます、マリア様」


 ティアナは、嬉しそうに微笑んだ。


 ルナも、尻尾をぱたぱたと揺らしている。


「みんなで温泉……楽しみです!」


「ええ! 楽しみねぇ!」


 こうして、思いがけない福引の当たりによって、マリアたちの慰安旅行が決まった。


 それは、事件の後始末に追われていた彼女たちにとって、久しぶりの休息となるはずだった。


 ――ただ。


 この世界の温泉が、彼女たちの想像どおりに穏やかな休息をもたらしてくれるかどうかは、また別のお話である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。