第五章エピローグ 最強受付嬢、恋心を拾う。
――翌日、アルヴェリア王国・王城。
「……それで、傷の具合はもうよいのか?」
「はい。歩く分には支障ありません。ただ、足も痛めておりますので、立ったままでのご無礼をお許しください」
「よい。卿の楽なようにせよ」
謁見の間に、国王の困惑した声が響いた。
玉座の前に立つのは、騎士団副団長、ティアナ・ガーランドベル。
いつもなら金色の髪を整え、騎士として隙のない姿を見せる彼女だが、今日ばかりは様子が違っていた。
頭部には包帯が巻かれ、頬にはいくつもの傷がある。右腕は首から吊るされた三角巾で固定され、騎士団服の上からでも、相当な怪我を負っていることが見て取れた。
それでもティアナは、背筋を伸ばして立っていた。
「ご配慮痛み入ります、陛下。報告を優先すべきと判断し、登城いたしました」
「いや、報告はありがたいのだが……医師には診てもらったのか? 顔の傷は残らぬのか?」
「はい。必要な処置は受けております。顔の傷も残らないとのことです。しばらく安静にするよう言われておりますが、歩行や報告に支障はありません」
「支障がない者の姿には見えんのだが……」
国王は、痛ましそうに眉を寄せた。
その隣に立つ騎士団長も、厳しい表情ながら、ティアナを気遣うように声をかける。
「よく戻ってきましたね、ティアナ。まずは事件の解決、ご苦労だった。そこまでの傷を負いながら任務を果たしたこと、騎士団長として誇りに思う」
「ありがとうございます、団長」
ティアナは頭を下げようとした。
しかし、腕を吊る三角巾が揺れたのを見て、騎士団長が慌てて制止する。
「お、おい! 無理に頭を下げるな!」
「申し訳ありません」
「謝ることではない……まったく。報告が終わったら、すぐに帰って休め。これは命令だ」
「承知しました」
ティアナは一度うなずくと、改めて顔を上げた。
「それでは、事件についてご報告いたします」
その声に、騎士団長の表情が引き締まる。
国王も居住まいを正した。
「うむ。聞かせてくれ」
「はい。今回、王都の外れにある商人の屋敷へ踏み込み、人身売買に関与していた一味を制圧いたしました。屋敷の地下から複数の監禁被害者を発見しております。さらに、別動隊の冒険者たちが別の拠点を突き止め、そちらに監禁されていた人々も救出いたしました」
「人身売買だと……?」
国王の眉間に深いしわが寄る。
「はい。手口も卑劣極まりなく、家族や親しい者を別々の場所へ監禁し、逆らえば危害を加えると脅していたとの証言も得られました。現在、騎士団が被害者の保護を進めております。押収した帳簿や書類についても、確認を進めているところです」
「なんと卑劣な……!」
騎士団長が拳を握った。
「王都でそのような悪事が行われていたとは。監視が行き届かなかったこと、痛恨の極みです」
「責任を問うのであれば、まずはわしの不徳の致すところ。今は被害者の保護を最優先とせよ。」
「はっ!」
国王の指示に、騎士団長が即座に応じた。
「それで、確保した商人含めた一派は?」
「はい。本人を含め、現場にいた関係者は拘束しております。また、屋敷では召喚術によってリッチとアンデッドドラゴンが出現しました」
「……………アンデッドドラゴン?」
国王の声が、わずかに裏返った。
「はい。リッチは拘束されていた一部の関係者を贄として、アンデッドドラゴンを召喚しました。屋敷は激しい戦闘によって損壊しております」
「待て待て待て! 人身売買の捜査から、なぜリッチにアンデッドドラゴンが出てくるのだ!?」
「商人が、召喚術を用いる魔道具を使用したためです」
「いや、そういうことを聞いているのではない!」
国王は頭を抱えた。
騎士団長も報告書に目を落としたまま、額を押さえている。
そんな二人をよそに、ティアナは淡々と続けた。
「アンデッドドラゴンは、同行していた魔王様の未知の雷魔術によって撃破されました。その後、リッチについては――」
「ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て!」
国王の口調から威厳が吹き飛んだ。
思わず素っ頓狂な声を上げ、玉座から身を乗り出す。
「……魔王?」
国王の動きが止まった。
騎士団長も、ゆっくりと顔を上げる。
「今、魔王と言ったか?」
「はい」
「……ティアナ」
「はい、団長」
「確認する。お前の言う魔王様とは……」
「以前、マリア様に討伐を命じた、あの魔王様です」
沈黙。
謁見の間に、重苦しい静けさが落ちた。
国王は口を開きかけ、閉じ、もう一度開いた。
まるで水面から顔を出した魚のように、口をぱくぱくと動かしている。
「……なぜ、魔王が商人の屋敷で、お前たちとアンデッドドラゴンと戦っているのだ?」
「人身売買を許せないとお考えになったためかと」
「それは分かる! いや、分かるが、そういう問題ではない!」
国王の声が謁見の間に響き渡った。
小首を傾げたティアナは報告を続けた。
「戦いの中で屋敷は半壊し、天井と壁の大部分が崩落しております。なお、周囲への被害はほとんどないと思われますが、現在、騎士団による調査を待っている状況です」
「あぁぁぁぁ……」
国王は玉座に深く沈み込んだ。
この副団長は、マリアに近づきすぎて感覚がマヒしてきているのだと感じた。
それを横目に見た騎士団長は、こめかみを押さえながら深く息を吐いた。
これだけのことがあって、悪徳商人の屋敷の半壊だけで済んでいるのは、幸いと言うべきなのだろうか。
「陛下。まずは事件の解決を評価すべきかと。被害者たちは救出され、犯人も拘束されております」
「それはそうなのだが……!」
国王は何かを言いかけ、再びティアナを見た。
包帯。頬の傷。三角巾で吊られた腕。
これ以上、怪我人に無理をさせるわけにもいかない。
国王は、最後まで避けていた質問を口にした。
「ちなみに、その魔王に関しても……またマリア殿絡みか?」
「……はい」
国王の目から、すっと光が消えた。
今にも意識が飛びそうな様子を見て、騎士団長は慌てて話題を変えることにした。
「……ところで、ティアナ。珍しいですね。髪飾りをつけているのは」
「えっ?」
突然話題を変えられ、ティアナは目を瞬かせた。
彼女の金色の前髪には、瞳と同じサファイア色の髪留めが飾られていた。
普段、装飾品をほとんど身につけない彼女にしては珍しい。
可愛らしく、それでいて上品なデザイン。金色の髪によく映えている。
そして、よく見れば唇にも、ほんのりと透明な艶があった。
「……お前、化粧もしているのか?」
騎士団長が思わず尋ねた。
「こ、これは……!」
ティアナの頬が、みるみる赤くなる。
傷跡の残る顔に、透明で艶やかなグロス。
派手な色ではない。唇本来の色を引き立てる、控えめな仕上がりだった。
「……その、少しだけです」
「少しだけ、とは?」
「……唇に、グロスを……」
「グロス……?」
国王と騎士団長が、そろって首を傾げた。
この国で堅物として知られ、色恋沙汰とも縁遠いティアナが、髪飾りに化粧までしている。
二人にとっては、アンデッドドラゴンの出現に匹敵するほど意外な出来事だった。
「その……先日、マリア様と出かけた際に、いただいたものです」
「マリア?」
国王の顔から、すっと表情が消えた。
騎士団長も、何かを察したように目を細める。
「はい。髪留めは、私に似合うからと選んでくださいました。グロスも、騎士だからといって、可愛いものを諦める必要はないと……」
言葉を重ねるほど、ティアナの声は小さくなっていく。
けれど、その指先は大切な贈り物に触れるように、そっと髪留めへ伸びていた。
「……せっかくいただいたものですから。身につけないのは失礼ですし……」
ティアナは、少しだけうつむいた。
「それに……マリア様が、似合うと言ってくださったので」
ほんのりと赤く染まった頬。艶やかな唇。
傷だらけになっても、わざわざ髪留めをつけ、グロスまで塗って登城してきたのだ。
国王と騎士団長は、しばらく何も言わなかった。
やがて騎士団長が、困惑した顔で口を開く。
「……ティアナ。お前、まさか……」
「ち、違います!」
「まだ何も言っていないぞ!?」
「で、ですが……!」
ティアナは慌てて顔を上げた。
「私は騎士として、マリア様に助けていただいたことを感謝しているだけです! あの方は命の危険がある状況でも、私の怪我を心配してくださって……。私が無茶をしたことまで叱ってくださったのです!」
「う、うむ……」
「それに、誰に対しても分け隔てなく接し、弱い立場の方々を守ろうとなさる。その姿勢は、騎士としても学ぶべきところが多く……!」
「分かった、分かった。分かったから、少し落ち着け」
ティアナの顔は、完熟したトマトのように真っ赤だった。
普段は冷静沈着な副団長が、これほど顔を赤らめ、早口でまくし立てる。
騎士団長は、彼女の新たな一面を目の当たりにして、思わず小さく吹き出した。
「……いや、すまない。お前がそんなふうに誰かのことを語るのは、初めて見たものでな」
「だ、団長!」
「悪かった。もう笑わないから、続けてくれ」
騎士団長は口元を押さえた。
しかし、ティアナは止まらなかった。
「それから、マリア様は本当にお優しい方で、強くて、頼もしくて……。それに、塩を持ってきてリッチを祓おうとなさるなんて、普通は考えつきませんし……!」
「……塩?」
国王の眉が、ぴくりと動いた。
「待て。リッチを、塩で祓ったと言ったのか?」
「はい。マリア様が塩をまいたところ、リッチは苦しみ始め、そのまま消滅しました」
「…………」
国王は、ゆっくりと騎士団長を見た。
騎士団長も、ゆっくりと国王を見返す。
数秒の沈黙。
「……もう一度聞くぞ」
騎士団長が、慎重に言葉を選んだ。
「マリア殿が、厨房にあるような塩でリッチを祓ったのだと……そういうことか?」
「はい。そのとおりです」
「……そうか」
騎士団長は目を閉じた。
恋は盲目というべきか。
普段の冷静なティアナなら、ため息の一つでもつきながら、もう少し淡々と報告してくれただろう。
それが今では、マリアの話となるとこの有様だ。
「陛下。私も長年騎士団におりますが、これほど報告書のまとめ方に困る事件は初めてです」
「奇遇だな。余も同じ気持ちだ……」
国王の顔色が、徐々に悪くなっていく。
しかし、ティアナは報告を終えるべく、最後の一言を付け加えた。
「なお、マリア様からは、陛下にもよろしくお伝えくださいとのことでした」
「……マリア殿が?」
「はい。『今度、おいしいお菓子でも差し入れする』と」
国王の口元が、ぴくりと引きつった。
「……お菓子」
「はい」
「……差し入れ」
「はい」
国王は、玉座の肘掛けをぎゅっと握りしめた。
「……ティアナ」
「はい、陛下」
「そのマリア殿は、次は何をするつもりなのだ?」
「さあ……。私にも分かりません」
ティアナは、困ったように微笑んだ。
「ですが、悪いことを企んでいないのは確かです」
その顔は、まるで一人の少女のように明るかった。
しかし、国王の目には映っていなかった。
彼はすでに、遠くを見つめるような虚ろな目になっていた。
魔王が王都にいる。
人身売買の摘発。
商人が所有していた魔道具の出どころ。
アンデッドドラゴンの出現。
塩で祓われたリッチ。
どれもこれも、報告書にまとめるだけで頭が痛くなる案件ばかりだ。
そして、今後待ち受けているマリアの差し入れ。
「……もうよい」
「陛下?」
「いや、よくやった。ティアナ。実によくやってくれた……」
国王は震える声で告げた。
「事件の処理は騎士団長に任せる。ティアナ副団長、お前はすぐに帰って休め。絶対に、絶対に無理をするでないぞ」
「承知しました。お心遣い、感謝いたします」
ティアナは丁寧に一礼した。
今度は頭を下げすぎないよう、ゆっくりと。
全身傷だらけの身体ではあるが、それでも、彼女の足取りはどこか軽かった。
金色の髪には、サファイア色の髪留め。
唇には、透明で艶やかなグロス。
――次にマリア様に会ったとき、ちゃんとお礼を言おう。
そして、できることなら。
もう一度、一緒に出かけたい。
そんな思いを胸に秘め、ティアナは王城を後にしたのだった。
◇
ティアナが退出した王座では、国王が深く、恐ろしく深くため息を吐いた。
「……もう、何も聞きたくない……」
ぽつりとつぶやいた直後、国王は玉座からずるりと滑り落ちた。
「へ、陛下ぁぁぁぁっ!?」
騎士団長に続き、官僚や魔導士たちが慌てて駆け寄る。
国王は白目をむき、口の端から泡を吹いて倒れていた。
「医師を呼べ! 早く! 陛下が、陛下が泡を吹いておられるぞ!」
「陛下! しっかりなさってください!」
謁見の間が一気に騒然となる。
「陛下ぁぁぁぁ! お気を確かにぃぃぃ!!」
騎士団長の悲痛な叫びが、謁見の間に響き渡った。




