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3章28話 ヘレナ・エヴァルミラ・ルルイエの手記8

 アーサーはその後も、あちこちで私に引っ付いてきた。人目のつかないところで、こっそりと指を絡ませてきたり(咎めたらしょげた子どものように諦めるが、またすぐに同じことをする)、若い男性の政治家と話していると、大きな声を出して自分に注目させようとして、無視を続けていたら話に割って入ってくる。

  それどころか先日は、国同士の会談を兼ねた宴席のあとに酔っ払って私に介抱を求めた挙句(形式上の妻の立場上、断れなかった)、何時間も抱きついてきて離れてくれない。

  背骨をなぞられながら、「また痩せた? もっと食べなきゃ」と囁かれた時にぞっとして、必死で振り払った。

  毎日そんなことが続き、ついにアーサーの執務室で私は声を荒らげてしまった。

「いい加減にしてください! 私はあなたの本当の妃などではないと何度言えばわかるの?」

「なんで怒ってるの? ヘレナ。私が何かしたかな」

 アーサーは本当にキョトンとした顔で答える。

「あなたの態度と接触の仕方全般についてですわ。かなり距離が近すぎますし、度が過ぎていると思います」

  だがアーサーは特に罪悪感を覚える様子もなく、いけしゃあしゃあと答えた。

「白い婚姻……だっけ? あれは私たちだけの口約束だろう? 肉体関係を結ばないという契約なわけだし、距離感に関して何か具体的な約束があるわけではない。記録が残ってるわけでもないし、夫婦関係を示す婚姻届には君のサインもあるし、世間では口頭よりも書面の方が優先されるんだよ。賢いくせに常識がないなぁ」

自分の正当性を示すためなら、やたらと饒舌になるのか。大して賢くない男だと思っていたが、そうでもないらしい。

  そう思うとさらに苛立ちが募ってきて、問い詰める。

「そんな問題じゃありません! 人には誠意や良心というものがありますわ。嘘をついたら罰を受けますのよ」

「誰に? この世界って神様はもう死んでるんだろ。俺たちが何をしてようが、興味ないはずだ」

「俺」。たまにアーサーは「私」ではなく、そう話す。

一人称が変わることぐらいあるが、アーサーからはその響きを聞くたび、なんとなく違和感を覚える。

  より、その方が素手で耳をなぞられながら話されているような気がするからかもしれない。

「世界の理は誰もが知るもの。なのに、まるで他人事のように言いますのね。ともかく、私に触れたりしないで頂けますと幸いです!」

一連を聞き終えたアーサーは下を向き、いつもより低めの声で呟く。

「どうして? 君の方じゃないか。私にハシゴをかけてくれたのは」

  その様子は少し、傷ついた子どものように見えた。

「なんのこと?」

「覚えてないふり? 魔女はごまかしが得意だね。まあ、『私なり』に善処しよう。君に嫌われたくはないことだしね」

  何を言っても無駄か。

私は苛立ちながらも、執務室を出るしか無かった。


「困ったわ……」

 自室でチェスの駒を握るも、次の手がたいして思いつかない。目の前の男、炎龍は煙管で芳しい煙を燻らせながら、ただ無言で待っている。

 そういえば、私が考えている時に炎龍に邪魔をされたことや急かされたことが一度もないなと思う。

 待ってる間はとてつもなく退屈だろうに、物好きな男だ。

「いつもの倍、疲れた。アーサー様が会議で一緒にいたところで、何か役立つことを言ってくれるわけでもないし、何かと触ってくるし。だいたい前から思っていたけど、王妃の寝室に鍵がついてないなんて、女を馬鹿にしてると思わない? 大国ルルイエの人間はそろいもそろって有神時代の古臭い価値観で生きているのかしら。白い婚姻のルールも守らず、勝手に入ってくるあの人が悪いけど、これからは防壁魔術のアルゴリズムを利用した魔脳障壁を張ってから眠ることにする。うん。今、そう決めたわ、絶対そうする」

 イライラしながら捲し立て続けるが、煙の龍……炎龍は眼鏡の奥の目を曇らせることも、動揺させることもなく言った。

「そうか。ま、次から嫌なことは嫌って言うんやで」

「彼は王よ。表立って角が立てば、中立議会設立への道が遠のく。何事もそこまで強くは言えないわ」

「そういうとこや……」

 炎龍はどこか呆れた様子でそう言い、黒いナイトで私のビジョップをとってしまった。

「そういうとこ? 意味がわからないわ」

 フン、と鼻を鳴らしてもう一度、芳しい煙の息を吐きながら炎龍は言う。

「まあ、「間男」が通ってきてるのは事実やしな」

「煙は間違っても間男にはならないでしょう。変なことは何もないし、貴方が勝手に来ているだけで、一緒に戦ったり、チェスをしてるだけじゃない」

「だから、そういうとこや……」

  炎龍は少し頭を抱えた。

「さっきから何? そういうとこって。意味がわからないけど、たぶん私を批判しているわよね?」

「ほうら。自覚ないんがタチ悪いねん」

「自覚?」

「まあええわ。それで、ヘレナの気持ちはどうなんや? アーサーが嫌なんか、嫌じゃないんか」

  答えに迷ったが、私の脳裏にこびりついた英雄の残像、幼い頃、毒に苦しむ私を救ってくれた彼が蘇る。

「アーサー様はずっと、憧れていた英雄なのよ。思っていた人と違う時もあるし、強引なのはすごく困るけど、夢の中の恩人を拒絶まではできないし……したくない」

  炎龍の金の瞳はしばらく私をまっすぐ見つめていたが、軽くつぶやくように言った。

「ふぅん? ほな、それでええんちゃうか」

 炎龍の表情は特に変わらない。

  アーサーのそれなりに整ってはいるが、時に少年のような幼い表情が覗く顔と比べ、炎龍は顔立ちが完璧に整っているせいか、余計に読みづらい。

 彼が竜玉公国の皇帝、そして龍神の『嘆きの残滓』を継ぐものとして身につけたポーカーフェイスなのかもしれないが……。

  だが、それよりも胸の奥をちくりとした棘が擦るような感覚があった。

「何も、思わないの?」

「何に対して?」

「今の会話全般についてよ。私とアーサー様の関係、アーサー様の態度と私への言葉、行動」

「思って欲しいんか?」

「まさか……」

 彼はチェスの駒を掴み、淡々と呟く。

将死チェックメイト

  ――また、やられた。

 頭脳で誰にも負けることのない私を、唯一チェスで負かすことのできる煙の龍は煙管を吹かせながら微笑む。

「お前が望まんことや嫌がることなら、何を捨てても守りに行く。でも、そうでないなら朕が手や口を出すべきやないやろ。人が人の自由を奪う権利はどこにもない」

  あの日と同じだ。炎龍は無理に人から奪おうとはしない。私から選べば手をとってくれるが、そうでなければ決して無理強いをすることはない。

「あらそう。アーサー様はとても嫉妬していたわよ。貴方に。貴方は見た目がよくて、女にも慣れてるからでしょうね」

「それは光栄の限り。あと、一つ言わなあかんことがあってな」

「なに?」

「しばらく、忙しくなる。竜玉公国ウチがどうにもキナ臭くてな。魔香の密輸ルートのうちの一つで商人が殺された」

「暗殺……? そんな……」

「竜玉公国は絶対の中立国。魔脳信仰にも亡神信仰にも寄らん態度を取り続けてはいるが、亡神派の国では魔香を神に反駁する誘惑物資やと言う考えが強い。まあ、医療と謳いながら快楽目的に使う客どものお陰で儲かっとるから無理もないが……安全のためにも、同じルートは暫く使えんし、亡神信仰派の声が強い相手国からも一旦、取引の途絶要請があってな」

  いつも、ニヒルな炎龍の顔が少し曇る。

  アーサーについてのくだらない愚痴や、子どものような苛立ちをぶつけてしまったことを少しだけ後悔した。

「なにか、私にできることはないの?」

「ん? なんでお前が? 何の貸し借りもないのに、してもらう義理がないわ」

  炎龍の言葉に反論しようと思ったが、何も言えなくなる。

  彼はあくまでも、私のスタンスに乗り続けている。偶然助けに来て、偶然チェスで遊んでいるだけ。

  たとえ何を私に与えたとしても、その姿勢を変えることはなかった。

「朕は龍神皇帝との契約に縛られた身や。常に国を一定に富ませな、嘆きの残滓(ラメント)を受け入れたこの身が失格と見なされ、お役御免……つまり、死が待っとる。国のために今は金策を練らなあかんのや」

  その眼差しには強さと誇りがあった、

  彼にとっての国は言葉の通り、命そのものだ。

  そのためか、どんなに竜玉公国の経済活動に暗い影があろうとも、命懸けで維持された国家には常に活気があった。

  貿易で関わることとなった東方の人々はみな、活き活きとしていた。

「そう。常に追い立てられるなんて、忙しくて難しい人生ね」

「お前もやろ? まあ、そういうわけやから、しばらくあまり来られへんかもしれん」

「平気よ。チェスぐらい、一人でできるもの」

  つい、強がりが出た。

  炎龍には、子どものような感情をぶつけたくなる一方で、寂しさを知られたくなかった。

「ふ……そうか。せやけど、困った時は呼ぶんやで」

  炎龍は煙管をもう一度吸う。

  そして、香りの余韻を残して去っていった。

 いつもならチェスの勝負がついた後も、私が寂しくなくなるまでそばにいて、色んな話をしてくれるのに。だが、一人で首を横に振る。

「別に平気……。私だって、やることが山ほどある。炎龍がいなくたって」

  気づくと、まるで言い聞かせるような口調になっていた。

  どんどん! と部屋のドアを叩く音がした。

  急いで開けると、数少ない信頼できる従者が立っていた。

「どうしたの?」

「王妃様! 申し上げます、魔脳のアクセスポイントが再び破壊され、周囲に見たこともない化け物が!!」

「な、なんですって!! すぐに場所を教えてちょうだい!」

  私は急ぎ、そこへ向かうことにした。


久しぶりの更新になり、すみません。

閲覧頂きまして、本当にありがとうございます。

いつも読んでくださる方、偶然お立ち寄りくださった方、皆様のお心が大変励みになります。

よろしければ、これからもお付き合いくださいますと幸いです。

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