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3章23話

 聞き覚えのある、バリトンの声が響く。

「戦地に迷いは不要や。我をなくした者に一切の情をかけるな」

 煙が晴れて、現れたのは竜玉公国の皇帝、炎龍だった。

「炎龍!? なんでここに!?」

「さあ、片付けよか。もう十分「育った」ことやしな」

 炎龍は煙管から煙を出す。その煙が巨大な龍へと変わっていく。

 まさか、オリオンを殺す気か!?

「や、やめろ! 炎龍!」

「わかっとるやろ。こうなったらもう、止められへん。自我もいずれなくなり、死を待つのみや。神食の激痛から楽にしたったほうがええ」

「でも、「育った」って……!」

「知らんでええ。せやけど、手ぇ出されたら面倒や。大人しくしとき」

 そう言った炎龍の言葉と共に、煙が立ち込めて、視界がふさがれる。

「なっ……! くそ!!」

 炎龍の言う通り、神食が進めば、半神はもう元には戻らない。

わかってはいるが、別の未来で知ったオリオンが殺されるのはアダムにとって、耐えられなかった。

 ――なぜこうなった?

 ――俺が城に戻っていれば、ヴァルトロとだけ対峙していれば、オリオンさんは自分から攻撃せず、神食が進むこともなかったんじゃないのか?

 煙のなかで後悔が募り続けるなか、炎龍の声が響いた。

 それはどこか悲しげな色を纏っていた。

「すまんな……灰色のぼうや。これもまた、必要な『業』なんや」

 オリオンはその言葉に、一瞬だけ我に返る。

 そして何かを悟ったように見えない目で炎龍を見つめた。

「ああ……そうか。あなたはあの人……あの魔女の……そのためだけに? 罪を……背負うんだね」

 魔女。

 思い当たるのは一人しかいなかった。金色の髪に紫の目をした、ヘレナ、さん……?

 炎龍はわずかに動揺した声で言葉を返す。

「ほう? 立派やなあ。灰色の坊や。『真実』が見えとるんか」

「でも、彼女はもうあなたを待ってはいないよ。世界を見つめる深淵で、すべてを諦め、罪を受け入れている……。「あの人」の鎖に戒められて、穏やかに眠っているんだ」

 炎龍はわずかに拳を握り締める。そして声を震わせ、絞り出すように叫んだ。

「それでもいい……望まれようが、望まれまいが、関係ない! 俺は、あいつのために罪を背負う!」

 炎龍の叫びに呼応するように、煙の龍の咆哮が響く。

 オリオンは少しだけ笑った。

「おかげで、楽に逝けるよ……受難の龍神……あなたの道に……ささやかなカルマを添えよう…………」

その時、何かが噛みちぎられるような音がした。

「お、オリオンさん……!?」

 煙のせいで、何が起こっているのかわからない。

 だが、その音が全てを物語っていた。

 龍が……その牙で誰かの命を絶ったと。

 ゆっくりと煙が晴れ、そしてオリオンの作り出した黒い膜が消えていく。

 そこに残ったのは、首を噛みちぎられたオリオンの姿だった。

「おい、アダム! お前、止めやがって!」

 だが、姿を表したヴァルトロは触手が生えたオリオンの遺体に気づき、顔色を変えた。

 そして炎龍を交互に見て、状況を察したように呟く。

「し、死んだのか……!?」

ヴァルトロはオリオンに恐る恐る近づく。その顔には明らかな戸惑いが浮かんでいた。

 なぜか言葉を失い、焦燥したように彼は、オリオンの前に膝をついた。

 アダムは喪失感と恐怖から体が震えるのを感じた。炎龍は煙管を咥え、吸い込んでから淡々と告げる。

「お前らやったら、死んどったわ。せいぜい、朕が「偶然」通りかかったことに感謝しいや?」

ふと、炎龍の首筋に刻まれた、ツタのような刺青が再び赤く染まっていると気づく。

 あれは、ヨグ・ソトースの夢の中で見たヘレナさんと同じ……?

 だが、炎龍はそれを見て、顔をしかめて呟く。

「なんや……刻印がわずかにしか……? 重大なカルマのはずが……」

「おい、何を言ってるんだ? この刻印はなんだ!」

「『真実』を告げるとでも? ……ほなな」

「おい待て! 本当に偶然ここへ来たのか? 暴走したけど……殺すなんて……」

 アダムの問いに、炎龍は一切の迷いもなく答える。

「あのままやったらどの道死ぬ。神食に巻き込まれてさらなる犠牲を出す気か? クリフちゃんにはこちらからここであったことを話しとくわ。……ほな再見、密友。」

 そう言って彼は煙管を吹かし、再び煙によって消えた。

 ヴァルトロは立ち尽くしたままだった。

 彼の印象的な赤い三白眼は大きく見開かれ、なぜか激しく揺れていた。

 膝をつき、オリオンの死体の前でヴァルトロは呟く。

「オレ……コイツのこと、ろくに知らなかった。半神になって、何度か話しただけなのに」

 声がわずかに震えている。

「なあ、なんでだ? ろくに知らない奴が、名前さえ知らなかった奴がいきなり死んだだけだ。なのに……なんでこんな……」

 おそらく、ヴァルトロは消えた記憶の残滓で戸惑っているのだろう。

 ヴァルトロに、真実を伝えるべきか迷った。

 だが、オリオンはきっとそれを望まない。

 そして、本人の希望とはいえ、記憶を操る能力を使ったクリフに疑問を持った。

 もし、ヴァルトロたちがオリオンを覚えていれば……なにか変わったことがあるんじゃないか?

 だが死んでしまえば、すべてが終わりだ。悲しんでも、悔やんでも、その事実だけでは変えられない。

 『時の改変』をする前に嫌というほど、それを思い知った。

 だからこそ今……残された人間として、できることをするしかない。

 アダムは項垂れたままのヴァルトロに、せめてオリオンならばどんな言葉をかけただろうと考える。

 ヒュウウウウウ……。

 そのとき、柔らかな風が吹く。

 アダムの口から不思議と、浮かんだ言葉が湧いてこぼれた。

「そうだね……。でも、見えなくても、わからなくても、感じることがすべてなんじゃないかな? きっと」

「ああ……わかんねえ、わかんねえよ! でも……オレはコイツに、死んでほしくなんかなかった!!」

 そう叫んだヴァルトロの片目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


************************

 過ぎ去りし、とある日――。


 重いブーツの足音が響く。

「おーい、オリオン。ちゃんともてなせよ? このオレがわざわざ来てやったんだからな」

 ――ああ、今日は、悪くない声の色をしているな。

 オリオンはぶっきらぼうな友人の無遠慮な訪問を喜びながらそう思った。

 閉ざされた瞼の中、どこかに温かい光を感じる。

 誰かの存在は、暗闇の中で生きる自分にとっては、弱々しく揺れるろうそくの炎のようだ。

 それはひどくたわいもなく、あまりにも尊い。

 どうか、いつまでも絶えないようにと願ってしまうほどに。

「ヴァル。すごく足音が重いけど、新しいブーツ、かなり厚みがあるんじゃないか? もしかしてお前、身長を盛るために……」

「うるせえ。黙っとけ!!」

 ヴァルトロは荒々しい語気で、オリオンが最後まで言うのを遮った。

 オリオンはくすりと笑って肩をすくめる。

「カマをかけただけさ。昔よりは伸びてるだろ」

「フン、当たり前だっての! お前が知らない間に20センチは伸びたからな」

「ふふ……」

「ああ!? 何笑ってやがる!」

 相変わらず、嘘が下手だ。オリオンは、記憶の中に残る、彼の赤い三白眼を思い出す。

 あの目は一体、今は何を睨んでいるのだろう。

 ああ、どうか一目……ありのままを見てみたい。

 足音が幾度か響き、ヴァルトロが少しだけ自分に近づいてきたとわかる。

 ぽつりと彼は呟く。

「なぁ、本当は見えてる……なんて言わないよな?」

 不遜な彼には不似合いな、わずかに恐れの滲んだ声だ。

 ――『見える』のも、いいことばかりじゃない。

 真実に気づいたら、どこまでも嘘が増えてしまう。

 親しい相手にすら。

 だから、見えていない方がいいんだ。

 本当のことはどこかにしまって、たわいもない日々をただ共に過ごすだけでいい。

「まさか。心配しなくてもお前は185センチまで育ったと思ってるよ」

「ちっ……ばーか」

 あの日、オリオンは静かに微笑み、小さな灯火を抱きしめるように、たわいもない『今』が続くことを願った。

 ――ヴァルトロ、お前は俺を忘れてもいい。

 ――俺が全部、ささいでくだらない日々を覚えているから。

 ――それで、それだけで……いいんだよ。


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