3章22話
今、目の前にいる灰色の髪の青年はオリオン……。
仮面が外れた光の灯らない目に優しげな印象の顔はどこか神聖さすら感じ、「鴉様」と呼ばれているのもわかった気がする。
白いフードとローブを纏った姿は、まるで神話にしか登場しない、存在しないはずの白い鴉そのものだった。オリオンはアダムの気配を感じてか、ふと語りかける。
「あれ? 君……どこかで会ったかい?」
アダムはびくっと身を震わせた。
彼が覚えているはずはない。なぜなら、改変前の世界でしか出会っていない体。
かつて、ヴァルトロやグレンと共に支え合って生きていた、スラム街の盲目の青年。
ガイアを亡くしたばかりのアダムを慰め、送り出してくれた心優しい盲目の彼。
どうして、ヴァルトロは彼を知らないなんて言うんだ?
スラムでずっと一緒にいた、友達のはずなのに。
今では羅刹鳥の『嘆きの残滓』を宿す半神となったオリオンは、アダムの考えを見透かしたように、そっと呟く。
「ああ。そうか、君は『別の世界』を生きてきたのか。……そこで、おれと会ったんだね」
なぜ、それがわかるんだ?
だが、アダムはその原因を思い至った。
オリオンは、目が見えないながらも、真実を見抜ける人だった。
――だからって、時の改変のことまでわかるはずがない。
その考えを見抜いたようにオリオンは言う。
「元々、俺は『見えやすい方』でね。忌神、羅刹鳥の『嘆きの残滓』をこの身に受け入れてから、もっと見えるようになったんだ……『真実』が。羅刹鳥曰く、本来持っていたものが、広がったんだって。だから、何を見ても平気だし、望まないものまでも見えてしまう」
オリオンはアダムをどこか安心させるように、そしてどこか、意味深な口調で落ち着きながら言った。驚愕して、アダムは息を呑んだ。
――『嘆きの残滓』の力が、そうさせたのか? すべての真実が見えるほどの力を得るだなんて。
やはり、忌神の『嘆きの残滓』は強大な力を持つようだ。
アダムの思考をよそに、オリオンは呟くように続ける。
「だが……君は何も『知らない』ままでいいよ。おれも君を『知らない』。それでいいだろう? お互いに、守るべきものがあるようだから」
――そうだ、改変前の世界の存在は、誰にも知られてはいけない。ヴァルトロも、もし存在しないはずの世界線を意識すれば、精神に異常をきたしてしまうかもしれないのだから。
そうしていると、イライラしたようにヴァルトロが口を開いた。
「おい、お前ら。さっきから、何わけわかんねえこと言ってやがんだ?」
オリオンは声だけでヴァルトロの位置を認識したのか、見えていないはずの目をヴァルトロに合わせて向き合う。
「ヴァルトロ。まさか、君の方からここに来てくれるとはね。この区画には、おれの『嘆きの残滓』の力で、人間の視力を媒介にした『万盲の帳』を張っている。ここにいれば、だれも魔物に視認されない」
「都市のシールドからあぶれた奴らに視力を差し出させるかわりに、守ってやってるってことか?」
「そうさ。おれの『嘆きの残滓』の能力を長時間持たせるには、人々の視力が必要だからね。言っておくけれど、ここの住人とはお互いにメリットを交換し合ってる。都市に住めるのは一部の者だけ。貧困な集落の人々は、繭に怯えながら、死を待つばかりだ。目を犠牲にするぐらい、どうってことのない人が多くいる」
「そのために帳を? でも、あなた自身はなぜそんなことを?」
アダムの問いに、オリオンは恐ろしくシンプルな答えを投げかけた。
「二年ぐらい半神を続けたが……もう、おれは戦いたくない。死と隣り合わせの現実を生きるのに疲れたんだ」
ヴァルトロは、オリオンの言葉に噛みつくように言った。
「お前ら、さっきから何言ってんだ? さっさと帰るぞ!!」
「おれは何か悪いことをしている? ここにいる人たちは目を失うことを代償に、おれと共にフォルディアルスに下り、『百年の安寧』を選んだんだ。これもまた一つの安全確保の手段だと思わないか?」
「フォルディアルス……アザトースに逆らわないかわりに、百年間安全を与えられた国のこと?」
「そうさ。この盟約を破ることは不可能だ」
「ナマ言ってんじゃねえ! この裏切りもんが! なにがなんでも連れ帰るぞ!」
ヴァルトロがソードブレイカーで切り掛かるが、謎の黒い帳に攻撃が弾かれる。
「なにっ……」
驚愕したヴァルトロに向かい、オリオンは淡々と告げる。
「見えない代わりに最大限の防御を張ってるから無駄だよ。この集落の出口を塞いだし、おれを見逃すと決めるまで、君たちはここから出られない」
「そんな……」
「ああ、もし嘘をついて寝首をかこうとするなら、こちらにも考えがあるからね。下手な抵抗は、しないほうがいい」
「オリオンさん、でも……どうして、フォルディアルスに下ったりなんかしたんだ?」
「半年ほど前、討伐帰りのある日、彼らに襲撃されてね。おれが従うことを誓えば、アザトースの力を分け与えてくれた。その力でおれは、『嘆きの残滓』の能力をここまでに拡張できたんだ。おれが半神として非戦を選びつづければ、国は救えなくても、数十人の人間なら、視力を代償にしてもらえば救える。この人たちはスラムで暮らしていた頃、俺を助けてくれた人たちだ。最後は……二人ほど、助けたい」
オリオンは見えない目でありながら振り返り、ヴァルトロに優しく、震える声で言った。
「ねえ……「おれを知らない」赤毛の戦士さん。ここで暮らさない? 君が討伐に来た時を狙って呼び寄せる気だったけど、好都合だ。ここなら、君は戦いによる神食を恐れず、安全に過ごせる。無鉄砲なことなんて、もう二度としなくなる」
アダムはその語り口から、オリオンがまだヴァルトロを『友人』だと思っているのだと気づいた。
――でも、ならばなぜ、自分でヴァルトロの記憶を消してもらおうとしたんだ?
「断る!! てか、お前なんなんだよ。何も知らねえくせにズカズカ踏み込んで押し付けやがって! 腕すぐでもつれてくぞ!」
アダムは咄嗟にソードブレイカーでオリオンに振りかぶったヴァルトロを抑えた。
「だ、だめだよ!!」
「はあ!? お前、王に依頼されたくせに何言ってやがる!!」
「半神同士でまともにやり合ったら神食が進む! あと、仲間なんだから!! それに、なんでオリオンさんがこんなこと言うのか気にならないの?」
「んなもん知るか! コイツのことなんか知らねえし、どうでもいいんだよ!」
アダムの手を振り解き、ヴァルトロは再びオリオンに向かっていく。
だが、ヴァルトロが剣を振りかぶっても、オリオンは抵抗しなかった。
ヴァルトロはその様子に面食らって、剣を下ろした。
「って……なんなんだよ、お前! ぶっ殺されてえのか!?」
「君はどうせ、本気で斬りかかる気なんてない。たとえ裏切り者でも、同じ境遇の半神を殺すようなことはしないはずだ」
オリオンの焦点の会わない目は虚空を見つめながらそう呟く。
「クソッ! 調子狂うぜ」
「ちっ……ふざけんな!」
ヴァルトロは勢いのまま、オリオンの横を突っ切って、外に出ようとする。
「え? どこ行くの?」
「ほっとけ! 出口探すんだよ」
ヴァルトロがいなくなったら、オリオンは呟く。
「まあ、ここからは出られないけどね。風にでも当たってくるといい」
あくまで冷静なオリオンは、アダムはいぶかしげに見つめる。
――この人には、一体何が見えているんだ?
そして、なぜ幼馴染のはずのヴァルトロは彼を忘れているんだ?
先に沈黙を破ったのはオリオンだった。
彼はズレた視線をアダムの方向へと彷徨わせて言う。
「君が何を思っているのか、何を知りたいのか、わかるよ。アダム。どうしてヴァルトロがおれを忘れているのか、気になるんだね?」
アダムは面食らいつつも答える。
「ああ……そうだ。なぜあなたが半神になったのかも知りたい」
「おれは半神に志願する際、王様に頼んで、ヴァルトロとグレンの記憶を消してもらった。たとえ盲目でも、半神生成術の被検体が少なかったおかげで、おれは志願を許されてね」
アダムは思わず驚いて問い直す。
「クリフに頼んで、わざと二人から君の記憶を消してもらったってこと? どうして? 友達に自分を忘れさせる必要なんてないだろ」
「ヴァルトロもグレンも、おれを心配する。半神になんてなるなって言うに決まってる。でも、おれだってふたりを守りたかった……この見えない目でも一緒に戦いたかった。だから半神生成術に賭けたんだ」
「でも、あえて忘れさせるなんてひどいじゃないか!」
「そうかな? 全てを知ってることがいいとは限らないよ。おれを忘れてるからこそ、ヴァルトロとグレンは何も心配することなく戦える。だから、これでいい。いや……これがいいんだ」
どこか、言い聞かせるようにオリオンは言う。その灰色の光の消えた目からは何も
「じゃあどうして、ヴァルトロを閉じ込めようとするの?」
「あいつを守りたいからさ。たとえ忘れられてしまっても、おれは覚えているから。一方的でもいい。ヴァルトロに決して壊れない盾を作ってやりたかった」
オリオンは静かに背を向け、部屋を出る。
だが、わずかに振り返ってアダムに告げた。
「アダム、おれは帰らない。でも、君だけなら出ていかせてあげてもいいよ? 王様は君が無事なら、何事も大きく咎めることはないからね。彼は……君のことが最優先だから。でも、ヴァルトロを出すのは許さない。いいね?」
その後――結局、集落のどこにも出口がなかったようで、ヴァルトロは苛立ちながら帰ってきた。
「くそ、お前の護衛なんかに来たばっかりに!」
「でも、ここはオリオンさんの言う通り、万盲の帳のおかげで平和なんだよな……魔物が襲ってこないし」
「本当に、そう思うか?」
ヴァルトロは疲れたのか、靴を脱ぐ。ずいぶん背の高い靴だった。
「あいつ、さっき見たけど限界まで神食されてる。暴走してねえのが奇跡だ」
「えっ…」
「こんな帳を張り続けてるからだろ。アイツが神食されて死にでもしたら、この集落全員ぶち殺されて終わるぞ」
「でも、彼が荒人神になれば、神食も止まるんじゃないか?」
「んな話、信じられるかよ。あんのインチキ皇帝が言うことだ。まあ、神食されりゃあ死ぬのが、半神。自分でリスクを冒すようなことをしたアイツの自己責任だろ」
「そんな……戦闘は義務だから仕方ないじゃないか」
「フン、叛逆者を庇うのか? ほんと、お人よしで虫唾が走るぜ」
もし、ヴァルトロはオリオンが友人だったと知ったらどう思うのだろう。
アダムはそう考えながらも、口を噤む。ヴァルトロはボソリと呟く。
「けど、アイツは不思議な奴だ。半神になってからろくに話したことがない。なのに……変に懐かしくなることがある」
「ヴァルトロ……だから、オリオンさんを探しに来たの?」
ヴァルトロは間髪入れずに突っ込む。
「違うっつってんだろ! でもとりあえず、ここから出ねえと。やっぱアイツをぶっ倒すしかねえか……」
アダムはしばらく考えて、ふと言った。
「話し合う、しかないんじゃないかな? ここから出た方がいい理由とか」
「はあ? 話し合いで解決するわけねえだろ」
「するかもしれないじゃん! たまにはね。俺、オリオンさんにここを出てもいいって言われたんだ。クリフも巻き込んで相談しよう! ちょっと待ってて!」
もう一つの世界でクリフに最後、訴えかけた言葉がある。
それで変わったことがあった。
戦いなんかでは、人は変えられない。
許せない・許されないことがあったとしても、未来や状況を変えられるのはきっと言葉でしかないんだ。アダムは家屋を出ようとした。
だが、そのとき――。
キィン……と妙な耳鳴りがする。
『H・O・Lによる、ドレナージュを開始します』
誰かが、耳元で囁きかけるような気がした。
『おや。本当にそう思うのかい、アダム? ならばなぜ、君たちの世界の人間は何千年にもわたって七国大戦に身を投じたんだろうね? ……私のいた世界はもっとひどかったが』
なめらかな、そしてじっとりと耳にまとわりつくようなテノールの声が響いた。
――とうさま?
紺の外套に白い軍服、白い手袋を身に着けた若き英雄、アーサー・ルルイエが王座に腰掛けながら足を組むビジョンが浮かぶ。
整った顔立ちと立派な体躯には圧倒感がある。
その彼は、アダムを見て片眉を吊り上げた――何かしら歪さ(そう表現するほかないほど、違和感があった)を感じさせる、冷たい表情をして言う。
『私の傀儡に魔脳プログラムを組み込んで最低限の教育はさせていたはずだけれど、ろくなものじゃないな。その薄気味悪い善性は誰に似たんだ? ルルドか……? いや、『この体』の持ち主……『失われし英雄』の遺伝子と考えれば、おかしくはないか』
『この体』、『失われし英雄』? どういうことだ……? どうさまは英雄、アーサー・ルルイエのはずじゃないのか?
『話し合い……も悪くないが、君は甘すぎる。少しばかり、考えを改めるべきだ。今は『あれ』が仮初の王座を守っているが、のちは王になる身なのだからね』
『あれ』……? クリフのことか?
その疑問を抱えながらも、アダムは目の前のアーサー・ルルイエに問いかける。
「甘い? 俺が……? 王なんかになりません。」
『いくら話そうが、双方の目的と利益が絡み合う以上、結果は変わらないことが山ほどある。ヘレナは常に中庸を目指しては、苦しんでいた。人間が何千年かかってもできやしないことを精一杯、何年もかけて、時間の無駄にもほどがある。……まあ、そういうところも可愛いんだけれど』
「え……」
とうさまは、俺のかあさま、ルルドを愛して、魔女ヘレナを遠ざけて嫌っていたんじゃないのか? だが、それを考え出すとまた頭の中が真っ暗になる。
『おっと、私としたことがつい。まあ、これぐらいならただのノイズ。問題はないだろう。ともかく、話し合って、間をとって……分かり合えるならだれも苦労しないさ』
「でも、話し合ったほうが……」
「ようは大切なときに『決断』できるかだよ、アダム。たとえ失うものができたとしても、王たる者は情を捨て、最善を選ぶべきだ」
「それなら、よくわかってるよ。だから俺は、『時の改変』をしてクリフを助けに行ったんだ」
『……それは果たして、正しかったのかい?』
「え……?」
アーサーは冷たく赤い目を光らせながら続ける。
『『あれ』……クリフとの約束を守ることを目的にした結果、君の大切な銀髪の女の子はどうなった? 君が寝ている間に彼女は大切な母親を失っただろう? あれはクリフの統治に不足があって起こった事態だ。もし君が過去に戻ってクリフを殺し、自分がクトゥルーと取引をし、王になっていれば、彼女の母は救えたかもしれない』
「で、でも……俺はクリフを……」
『間違っているとは言っていない。私なら、その選択をしなかったというだけよ。……どんな手段をとったとしても、愛する人は守り抜く』
「とうさま……あなたはなぜ、俺にこんなことを言うんですか?」
とうさまはもっと優しくて、温かい人だったはずだ。
英雄だからと言って、一度も偉そうにしているのを見たことがない。
少し抜けているけど、いつも俺を笑わせてくれた。
でも、目の前にいるこの人……このアーサー・ルルイエはひどく冷たくて、見下している。
俺だけじゃない、この世界に生きる、全ての人間を――。
そう感じるからなのか、話しているだけでも、背筋が凍っていくような感覚を覚える。
俺のとうさまは少なくとも、こんな人じゃなかった。
口角を歪めながら上げて、アーサーは言う。
『なに、ちょっとした親心だよ。よく考えて、決断すべきだと思っただけさ。さて、調教……完了』
「おい、アダム! なーに、人の話の途中に寝てんだ!」
ふとアダムは我に返る。ヴァルトロの不機嫌な顔が目に入る。
だが、不思議とヴァルトロの声を聞いたら安心する。
『地上』に戻ってきたような気がした。
彼は我儘でぶっきらぼうで、性格が悪いけど……少なくとも俺と同じ土俵には立ってくれている気がする。
当たり前だけど……まるで、自分がはるか上位の存在であるかのように見下したりすることもない。
――いや、どうして俺はこんなことを考えるんだ? 人からそんな風に扱われたことなんて、あったか?
「寝てたなんて。変な夢でも見たのかな……」
一体、何の話だっけ? そう、オリオンのことをどうするかって話してて……。
「……そうだね、ヴァルトロ。話し合いだけじゃ、ダメな時もあるのかも。ちゃんと……『決断』しないと」
「ん? なんだお前。さっきと言ってることが違うじゃねーか。話し合うために、クリフんとこに戻るんじゃなかったのかよ」
オリオンをこのまま放っておくと、また叛逆行為に手を染めるかもしれない。ヴァルトロを残していくのも、よく考えれば心配だ。
「クリフに報告するには時間がかかりすぎる。いったん、ここにいるふりをして、様子を見よう。もし彼が……何かするようだったら、止めないと」
「フン、たまにはもっともらしいこと言うじゃねーか。いつも甘ちゃんのくせによ」
「そ、そうかな」
でも……なぜ自分がそう思ったのか、違和感があった。だが、不思議とその違和感は霧に吸い込まれるように消えていった。
その夜、集落で食事や入浴用の水場を案内してくれた。魔脳の力を使わずとも、この集落では自給自足でそれなりの生活が行われていた。
小屋で眠ることになったヴァルトロとアダムは雑魚寝をする。
ヴァルトロは、ぼそりとぼやく。
「なぁ、すげー不味かったな。飯」
「さすがに失礼すぎるって。……悪くない、えっと……まあまあだったじゃん」
アダムの歯切れの悪い答えを聞いてふんと鼻を鳴らす。
「お前もうっすらそう思ってんじゃねえか、この温室育ちのボンボンが。こちとら閉じ込められてんだぞ。なんで飯をほめる必要があるんだ」
そのとき、外から足音がした。
「ん……今、何か……」
ヴァルトロもそれに気づいたのか、静かに外に出る。アダムも続いて追いかけた。
集落の広場のまんなかにオリオンが立つ。そこには10人ほどの子供を含んだ老若男女がいた。全員目隠しをされている。
「こ、ここはどこ……?」
「助けてくれ、誰か!!」
「か、鴉様! あなたは俺たちを助けてくれる救世主じゃないのか!?」
オリオンは目隠しをされた人々の前で静かに伝える。
「あなたがたは、安全を確保するためならばなんでもすると言ったはずだ」
「そ、そうだが……!」
「では、あなた方の目をください。この絶対的に安全な帳の維持には人の目が必要なんです」
その瞬間、オリオンの背中から、真っ黒い翼が生えた。
それは伝承に残る『忌神』――羅刹鳥の姿そのものだった。
「おい、なんのつもりだ!」
「と、止めなきゃ……!」
ヴァルトロとアダムがそう叫んで駆け寄ろうとしたとき、黒い膜がアダムとヴァルトロの前に現れ、進めなくなる。
「くそ! また帳を張られた!」
「邪魔はさせないよ。すべては百年の安寧のためだ」
そして瞬時にオリオンの羽が抜け、人々を切り裂いた。
「うがあ!!」
「目、目が……!」
白い光が灯り、円形のものが人々の頭上に集まる。それが眼球だと理解した。
「おい、お前! やめろ!!」
オリオンは造作もなく、あつめた眼球を手に掴み、喰らい尽くした。
その途端、空を覆う膜は黒く濃くなる。
ヴァルトロは黒い帳をソードブレイカーで切り裂こうとするが、それは虚しく空を切る。
「みなさん、尊い犠牲を払っていただき、ありがとう。これであなたがたはもう、魔物からも見えることがない。一生ここで暮らせば安全です。おれの『嘆きの残滓』の力を分け与えれば、感覚で物事を見ることができる。もう見えないものは何もないんです。……それが幸か不幸かはわかりませんが」
だが、人々の悲鳴は止まらない。
ヴァルトロは帳にわずかな綻びを見つけたのか、それを切り裂いた。
「ヴァルトロ!! 危険だ!」
「そんなもん知るか! 国民に危険が及べば俺たちまでめんどくせえことになる!」
白い装束を血に汚したオリオンは自分に向かってきたヴァルトロに微笑む。
「そう? そこまでしておれと闘いたいならいいよ」
黒い羽根をヴァルトロに向かって放つが、ヴァルトロはそれをソードブレイカーで弾いていく。
そしてオリオンに向かってソードブレイカーで振りかぶるが、また障壁に阻まれる。
「くそっ! 隙間がどっかにあるはずだ」
二人を止めないと……アダムは不完全な槍を取り出す。
もし、ノーデンスと意思が合い、能力が覚醒していたら攻撃無効化が使えた。
だが、ないものねだりはできない。
アダムはヴァルトロとオリオンの元へ加勢しようと走っていく。
そしてノーデンスに頭の中で語りかけた。
――ノーデンス。俺は、かつての友達同士が争うなんて避けたい! 半神を見殺しにしたくない!
『……っし。ちょうどよい』
『なにが?』
『気持ち的なバカンスじゃった。儂ってほら〜、善神だからストレス溜まるの無理なんじゃ。そなたのこともライクな意味で好きじゃが、起きるか起きひんかで心配しとる時は髪の毛抜けるぐらいしんどくてのう。しばらくぼーっとしとったら回復した!』
「は……?」
『てなわけで行くぞ! そなたと儂はもう一つじゃろ!』
つくづく……。粋な神様だ。必要な時になったら、俺を絶対に助けてくれる。
一瞬にして、槍の先端が三叉槍に復活した。
『ほれ、あとは儂に恥をかかせんようにやれ』
「わかった! アダム•ノーデンス•エルダーゴッド、いざ参る!」
『そいつはやりすぎじゃ〜!! そんなにイキられると儂もちょっと恥ずかしい~!!』
アダムは三叉槍を前にヴァルトロとオリオンの間に割って入る。
不思議と、恐れは一切なかった。懐かしい……。
ノーデンスの迷いなき善が、神の愛が、自分の魂にしっかりと絡み付いたような……盲信的に信じられる、温かい感覚だった。
「おい、邪魔すんな!」
「ヴァルトロ! この人を殺しちゃいけない!」
アダムはノーデンスの『嘆きの残滓』を解き放つ。
槍を振りかぶり、ヴァルトロの攻撃を無効化する。
「なんだ!? 武器がなまくらに……! お前、何しやがった!」
「しばらくしたら戻る! 帳のなかで大人しくしてて!」
アダムは強引だとわかりながら、ヴァルトロをむりやり帳の中へと押し込んだ。
そしてオリオンのほうへ向き直った。
オリオンの黒い翼に向かって槍を数回振り切ると、翼が白い光に包まれて消え去った。
だが、オリオンは表情を特に変えず、戸惑うこともなく呟いた。
「そう、善神の依り代となった王子様……。君らしい『嘆きの残滓』だ」
間髪入れず、黒い羽根を刃のように放ってくる。
「なっ……!」
攻撃無効化が効かない!?
羽根がアダムの肩や腕を切り裂く。
アダムは思わず手で出血を抑える。
忌神の『嘆きの残滓』はそれほどに強靭なのか。
オリオンはさらにアダムに肉薄する。
だが、次の瞬間――。
ふと、オリオンの目の色が変わった。
グチャッ……。
何かが肉を切り裂くような音がする。アダムは過去を思い出す。それは、もう一つの世界線であまりにも見慣れた光景だった。
――そうか、もしかして半神の俺を攻撃したから? 神食が進んだっていうのか?
グチャグチャッ!
オリオンの腹部がメリメリと裂けていき、グロテスクな触手が生え出てきた。
それを皮切りにヘドロ上の触手が次から次へと彼の体を突き破って溢れ出てきて、止まらない。
「お、オリオンさん!? 神食が……進んで!!!」
だが、オリオンは落ち着いた様子だった
「ああ……きたみたいだね」
「ど、どうしよう……俺を攻撃したせいで……」
その言葉が恐ろしく空虚に闇夜へと響く。
やっぱり、話し合いをするべきだった。クリフのところに一度戻るべきだった。
俺は『正しい決断』をするんじゃなかったのか?
一度こうなってしまうと決して神食が止まることはないと、アダムは知り過ぎていた。
「こんなにも早いなんて……なんでも見えるのに、自分のことは見えなかった。結局、おれは誰も守れなかったな。みだりに人を犠牲にしただけで」
「オリオンさん、どうしてあなたはそうまでして帳を守ろうとした!? 友達を守る手段ならほかにあったはずだ!」
「それはね、建前なんだ。本当は、おれはあるものを「見る」ために……『百年の安寧』、フォルディアルスに下って、命令を聞くことにしたんだ」
「なにを……?」
「『百年の安寧』の思想の下で、使命をなしとげた者はなんでも……ひとつ欲しいものを与えてもらえる。おれは、みんなと同じ、見える瞳が欲しかった。明るい光とか……ヴァルのブーツがどれだけ身長盛ってるかとか、グレンの声と見た目にどれだけ差があるか……ヴァルが皮肉ぶって笑ってる顔を、一度でいいから見てみたかっただけなんだ。死んでしまったら、もらえないまま終わりだけどね」
心の目で相手の嘘も真実も見抜き、全てが見えていたはずの灰色の髪の青年が悲し気な顔で放った言葉は、あまりに重かった。
「いつでも、本当のことが見えてたじゃないか! あなたには……」
オリオンは何も映すことのない目から血の涙を流しながら続ける。
「俺が見たかったものは、真実なんかじゃない。もっとくだらなくて、ありのままのものだ。バカだって思う? 無い物ねだりか? でもおれは、それだけがほしかったんだ……」
グチャリ!!
そのとき、オリオンの瞳から触手が突き出た。アダムは戸惑いのあまり、後ずさる。
間髪入れず、オリオンの毛穴という毛穴から血と共に触手がうねりながら出現した。
もう、本当に止められないのか?
そのとき――ふと、強い風が吹いて紫色の煙の渦が現れた。




