3章19話
59%。ゼファーの神食度は明らかにはねあがっていた。
「まさか……こんな短期間で59%だと!?」
クリフは思わず驚愕したが、唇を軽く噛んだ後、冷静に言った。
「やはり君は、しばらく討伐に出なくていい。この調子だと、次の討伐で100%になってしまう可能性がある」
「ええっ、別に平気じゃない?」
「またこんなことが起こったら困る。荒人神の候補とはいえ……危険に晒すわけにはいかない」
クリフは危機感を改めたらしい。
だがゼファーはくんくん、と鼻をひくつかせて話の流れを切って言う。
「ねえ、王様ってやっぱり甘くていい匂いがする! お腹すいてきちゃったなぁ」
「のんきな……それにしても、君はいつもお腹を空かせているな」
ゼファーはクリフに近づき、にこにことしながら言う。
「ねえねえ。ちょっとだけ……かじってもいい?」
クリフは思わず、後ずさって言う。
「な、何を言っているんだ! 冗談はほどほどにしろ!」
「そうですよ! あなたの「ちょっとかじる」は全治一か月レベルなんですから!」
「えっ、レオさん、そんなにかかるの?」
あんなにも平然としていたのに……。アダムは思わず気になってそう聞いてしまった。レオは肩口の傷を見せてイライラしながら叫んだ。
「見て下さい、どこからどう見ても重傷でしょ! 痛覚が鈍いから、堪えてないように見えるだけ!」
クリフは距離を取りつつも、ゼファーをたしなめる。
「大体、人をかじろうとするな。さっきは暴走ゆえだったとはいえ、今は自我を保った状態だというのに」
「う~ん、でもなんかねー。王様見てたらすごくお腹すくんだ~。いい匂いがするからかなぁ?」
アダムは起こった一連の出来事すべてに驚愕を感じながらも、危険な『忌神』の『嘆きの残滓』について考える。
これは、あまりにも危険だ。半神をここまで暴走させるし、炎龍はこれによって一体何を企んでいる……? シールド崩壊の危機が近づく中、戦力になったとしても、暴走してしまえば、元も子もない。
「とりあえず、城に戻ろう。今日の討伐は終わったことだ。ゼファーは魔脳科学士たちの検査を受けてくれ」
「はーい。じゃあまたかじらせてね。ちょっとだけ!」
ゼファーは特に懲りた様子も、自分の神食にも興味がなさそうに言う。
クリフは呆れたようにたしなめる。
「ダメに決まっているだろう! まさか君、そのために友だちに……?」
「違うよ! 王様の体が目当てじゃないもん!」
「ゼファー、その言い方は誤解を招くのでいけませんよ!」
「まったく……困った狼だ……」
その後、歩くのが早いゼファーとレオを先に行かせ、アダムとクリフはその後を追った。
「クリフ……このままじゃまずい。他に『忌神』の『嘆きの残滓』を移植した人たちは大丈夫なの?」
「もちろん、対処をする。僕が手を打たないわけがないだろう」
クリフのその言葉には棘があった。
「ごめん、急に色々口を出して悪いとは思ってる」
「別に? きょうだいだから本当のことを言ってほしい。君は僕の望み通りのことをしてくれているだけだろう」
クリフはうつむき気味でそう語る。
空中につり下がった多くの繭は兄弟二人の会話に影を落とす。
常にこの脅威が世界にある限り、戦いと、半神たちの神食からは逃れられない。
「もし神食がなければいいのに……。命を賭けて戦うなんてあんまりだ」
「責めてるの? 僕を……」
「違う。これしか、魔物から国民を守る方法はない。でも、何かできないかと思うんだ。神食を止めるために」
「……言うのは簡単だね」
その一言だけで、実際に国を治めるクリフに対して、過ぎたことを言ったのだとアダムは気づいた。思わず黙ってしまう。
クリフが一人きりで担ってきた国防。その責任の重さやむずかしさがどんなものかを知っているはずなのに。クリフは感情を押し殺すかのように、あえて冷静な声でアダムに伝える。
「陛下が言っていただろう。一騎当千の力を持つ荒人神になってくれる半神が現れれば、その者の神食は止まる。彼らの力は強大だから、ほかの半神を稼働させずとも済むようになるはずだ」
また炎龍か。とうさまを殺した男を信じてるなんて。アダムはまた激しく否定したくなる。
「それが本当なら……だろう? どうしてあの人の言うことを全面的に信頼するの?」
クリフは苛立ちながら反論した。
「それ以外の何を信じればいいんだ? 魔脳マリアだって、何も教えてくれない! 創生神クトゥルーは賭けの盟約を守り、人間の犠牲をはらんだ半神の叡智を僕に授けはしたが、それ以上は教えてくれなかった……あの人が見せてくれた、今ある可能性に賭けるしかないだろう!」
アダムは返す言葉がない。アダム自身も対処法やクリフを納得させる言葉を持っていない。
炎龍の『真実』を告げられたら、確実に違っていただろうが。
クリフにもう一つの未来を知られないためには、口を噤むしかない。
途方に暮れて、アダムは空を見上げた。すると、木の枝に見慣れた緑色の布、リボンがかかっていた。
それは、何度も夢見た、あの少女の……。
「ガイアのリボン……!」
アダムは飛び上がって、それを手に取った。
クリフは目を大きく見開き、少し顔をしかめてぼそりと呟く。
「相変わらず不注意だな……」
「そうみたい……届けてくるよ」
「その持ち主が誰か、知っているのか?」
アダムはクリフの訝し気な表情を見て、状況を理解した。
この世界ではガイアとアダムは幼いころに会ったきり。
クリフはアダムが半神となったガイアがここにいることを知らないと思っているのだ。
アダムは急いでごまかした。
「すごく昔に、このリボンを見た気がするんだ!」
「に、兄さん!?」
アダムは立ち止まることなどできなかった。
会いたい……ガイアに会いたい! アダムは幾度も自分が焦がれた少女に対するその想いは膨れ上がっていく。
アダムの背を追いかけることも敵わず、取り残されたクリフは呟く。
「なぜだ? 今、半神特殊部隊に『彼女』がいることは知らないはずじゃ……」
そのときふと、クリフの体内の触手が蠢き、頭のなかに牢獄の中のヴィジョンがよぎるように蘇る。
約束の誕生日の日。血まみれのアダムではなく、父アーサー王が国のために賭けをしろと懇願してきた映像……。
違う! あのとき牢獄に来てくれたのは兄さんだ……!
それから……炎龍陛下が現れて……。
『さあ、『真実』から目を反らすな……クリフよ』
またクトゥルーの声が深淵から響く。
『真実』? 一体何が……?
兄さんが目覚めて、そばにいる今のこの現実が真実じゃないのか?
クリフはクトゥルーの声に抵抗するように唇を噛んだ。
そしてアダムの行方を魔脳マリアのマップで確認しつつ、絶え間ない疑念に襲われながら、重い足取りで城へと向かった。
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アダムは駆け出していったものの、ガイアの居場所がわからないとしばらくして気づいた。
「ガイアが城に戻ってきてから渡す方が賢かった……かな?」
だが、それと同時に、胸がどきどきと脈打つ。
会いたい……会いたい。
ガイアに関わる事であんなに自分が動揺すると思わなかった。全て吹っ飛んで、まともな判断ができなくなるぐらいに。
みんなの記憶から消えても、ずっと俺を覚えていてくれていた、あの少女。
「今度は、ちゃんとプロポーズ……」
そう思うと、顔と耳がかあっと赤くなってしまった。
何を言ってるんだ! その前に色々……。
いや、何を話せばいいんだろう?
思わず手が汗ばみそうになり、ガイアのリボンを大事に折りたたんで、ポケットにしまった。
『うおおお! 青春じゃのう! 若いっていいな~! あ~、儂も見た目だけなら永遠の二十歳じゃぞ?』
「全く語り掛けないでいいタイミングで来るよね、ノーデンス」
『だってよー、これはお前にとって大事な縁じゃろ? アダム』
アダムはため息をつきながら、ノーデンスに心もとなさを思わず吐露する。
「どうしよう、ガイアにすごく会いたかったのに……最初に何を言えばいいかわからないんだ。子どもの時、初めて会ったときのことを覚えてる……とか?」
『馬鹿じゃのう。そんないきなり言うてどうする。最初はのんきに景色の話でもすりゃいいんじゃ。今日の空は……あー、曇ってるし、アザトースの繭まみれでなんか、混沌とした感じじゃな。ロケーション最悪。やっぱやめ~!!』
「ふざけないでくれよ! こっちは真剣なんだ!! だって、ずっと……」
アダムは言葉を飲みこむ。
ずっと会いたかった。
今度は死なせない。ずっと彼女と一緒にいたい。
もう一つの世界で出会った思い出も、非力な自分の過ちも話せなかったとしても、彼女には向き合いたかった。
そのとき、少し離れた茂みががさりと音を立てる。
そこに銀色の髪のまばゆいまでの美しい少女が現れた。
『おー、随分タイミングがいいではないか。アダム、こういうのが必然の縁ってもんじゃ。つまり気張らんでもなるようになるわ。あのかわいこちゃんのリボンがふわーっとこっちに来たのも、そなたが眠っている間も彼女が元気に生きていたのも、含めて全部な』
でも、ガイアの母親は……ヨグ・ソトースが見せた今の世界の中ではもう生きていないはずだ。
自分があのとき、炎龍に刺されなければ……。もっと早く、目覚めていれば。
そう思うと、怒りと同時にふがいなさが襲ってくる。
『悔やむな。そなたの行いのおかげで彼女は二重神性にもならずに生きとる。これから、『今あるもの』と向き合っていくのに、そんな思いでどうする?』
ノーデンスの優しく、そして叱咤するような声が響く。さっきまでのふざけた調子はなかった。
ああ……そうか。
冷やかしではなく、本当に今の俺に『必要』だったから、声をかけてくれたんだ。
「ありがとう。やっぱり、ノーデンスは神様みたいだ」
『ふん、何を当たり前のことを。それじゃ、『縁』の赴くままにゆくがよい』
ノーデンスに肉体はなにはずなのに、とん、と背中を押された気がした。
ふわりと風が吹き、長い髪を振り払いながら、ガイアがわずかに視線をそらした。そのとき、アダムと目が合った。
「あ……」
ガイアも沈黙し、ぼうっとこちらを見たままだ。
お互い、全く動かず、何も言わずにわずかな時間が流れた。
「リボンを拾ったんだけど、君のだったりする?」
ガイアはこくりとうなずいた。
アダムはぎこちなく、彼女に近づいて、ポケットに入れたリボンを取り出して渡す。
するとガイアは大きな目を震わせて、にこりと笑って言った。
「ありがとう、アダム。私の王子様」
「あの……ガイア!」
「ん……?」
アダムは戸惑いながらも、「子供の頃の記憶」は時の改変から動いていないことを思い出した。これなら、伝えられる。
俺達が、共有した過去と記憶として……。
「あのときの約束、俺はちゃんと覚えてるよ。ねえガイア、俺は君にずっと会いたかった……! 生きていてくれて、ありがとう」
すると、ガイアは微笑んでアダムの手をそっと握った。
そして少しはにかんで言う。
「ん……。私も」
世界の終わりを思わせる繭と暗い空の下、この瞬間だけは永遠に美しく感じた。




