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「最後にこれを。」
手間のかかる服を丁寧に、順番を教えられながら着て差し出された帽子を被る。
その上からもう一枚布をかけられるその布はツバの広い帽子の先から全身を覆い隠す。
立ったままでいるときっちり膝の位置までこちらからは外の景色は何の問題もなく見えるが鏡を見てみれば顔など一切わからない。
「時間ギリギリでしたが間に合ってよかったです。このまま会場までご案内を任せられていますが、このまま向かっても大丈夫ですか?」
丈をなおしているほんのわずかな時間に軽食も勧められ、服を脱ぎ着するのは手間だからと先にトイレにも行った。
話を聞く限り本当にその場にいるだけでいいとのことなのでこれ以上何を準備すればいいのだろうかと疑問に思った。
「大丈夫です。」
そう返すとツユカは他の2人に片付けと退室の指示を手短に出した。
「それでは参りましょう。」
そう言われて部屋を出る。
ツユカの先導で廊下を歩きエレベーターに乗り降りた先は2階。
広い空間をまっすぐ突っ切り、1番奥の部屋を目指す。
「こちらが会場になります。」
そう言って1つの扉の前で止まった。
「ありがとうございました。」
「いいえ、またすぐにお会いすることになると思います。その時までどうぞお元気で。」
そう言い残してツユカは元来た道を戻っていく。
扉を押し開ける。
広い部屋はパーティー会場のような賑わいだった。
その場にいるおおよその人たちが複数人のグループになって話をしている。
迷わず部屋の1番奥へ向かう。
たくさんの花に囲まれた遺影と棺が一段高い場所に飾られていた。
周りを確認し正面に立った。
一度しっかり遺影を見てから、ゆっくりと頭を下げる。
ほんの数秒間をおいて頭を上げその場を離れる。
奥の方は賑やかで人も多かったので入り口近くまで戻ってきて、周りに人のいない壁際に綺麗に並べられた椅子に座る。
「お嬢さん、少しの間話し相手になっていただいてもいいかな?」
特にすることもなくぼんやりとした時間を過ごしていると声をかけられた。
顔は見えないがその聞き覚えのある声はアダンだった。
「私の方も亡くなった方がどのような方だったか教えていただきたいです。」
そう返答すると1つ席を空けて隣に座る。
「彼は、今はもう少なくなった古い時代を知る人物だった。」
嫌味じゃないよと付け足しながら話を続ける。
「歳は5つ上で、それはそれは厳しい人だったよ。自分にも他人にもね。だからこそ彼の周りにはいろんな人が集まった。」
こちらまで懐かしさを感じるような話が続く。
「そんな彼のティーがまた面白くてね。」
ニャー。
学生時代のあれこれや大人になってからのあれやこれや聞いて、話題がティーになったところで椅子の下から鳴き声が聞こえた。
話が止まり見てみると、空いている椅子の下からクロネコのティーが出てきた。
ツヤツヤとした毛並みで赤い首輪、鈴が付いているが鳴らさず優雅に歩いている。
「そう、この子ですね。人の感情を偏らせ混乱させるクロネコです。」
その説明に首を傾げた。
「まぁ、実際体験してみないことにはわかり辛いかと。簡単に言えば、隠し事をしている人を激昂させて口を滑りやすくしたり精神的パニックに陥っている人を落ち着かせたりできる。」
「つまり感情のバランスを他の感情とすり替えると。」
「彼いわく、感情とは常に総量が決まっていて天秤がどこに傾いているかがわかる。それをティーが違う天秤の皿と取り替えているのだと言っていました。」
わかるようでわからない。
言葉での説明の限界を感じた。
アダン自身はティーを使っているところも使われたこともなかったためそれ以上の事はわからないと言った。
話を聞いている間にクロネコはいつの間にか他のところへ行ってしまったようで姿が見えなかったが、鈴の鳴る音で話し声に溢れていた会場はシンっと静まり返った。
その鈴の音はクロネコが棺に登った時に出した音のようで白い棺の上に黒い毛並みがウロウロと動いている。
棺の顔の部分は開くようになっており近くに居た人がすかさず開ける。
その様子を会場中が注目する。
クロネコは棺の端から端までウロウロとした後、やがて開かれた部分までたどり着くと降りることはせずジッと下を見つめる。
どれくらい時間が経っただろうか。
やがて天を見つめると、かすれたような声で短く鳴きその姿が消えた。
首輪と付いていた鈴だけが残されて音を立てて落ちる。
「少し移動しましょうか。」
アダンが小さな声で声をかける。
今いる場所は出入り口に近すぎて出ていく人の目に多く付いてしまう事を懸念したのかもしれない。
「ティーはもしかしたらもうしっかりと自覚していたのかもしれませんね。」
出入り口からそれなりに離れた場所まで来た時、アダンが呟くように言った。
「それでも最後に主人の話を聞きたかったんだろうよ。」
反対方向からやってきた人物がアダンの呟きに応えるようにそう言う。
その声に聞き覚えはなかったが、太くしゃがれた声で学生ではないと感じた。
「そちらの子供は?」
「今年の新しいトランプですよ。」
「あぁ、新しい白紙の所持者か。」
そう言うと一歩こちらに歩み寄って来た。
顔はわからないがじっくりとこちらをみていることだけはわかる。
「今挨拶するのはやめておこう。どうせ2ヶ月後にはまた顔を合わせるんだ。」
「それがいい。今は彼を偲んで酒でもどうです?」
「その言い方だと葬儀には参加する気はないんだな?」
「えぇ、学生たちと一緒に明日帰ります。」
それならと言いながら2人は出入り口の方に向かって歩き出した。
「ちょうど、お迎えも来たみたいですよ。」




