終章 故郷へ 1
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砲弾、銃弾の嵐の中、西郷頼母邸の前を通りかかったときだった。屋敷内から幼児のすすり泣く声が聞こえ、四郎は足をとめた。
「永倉殿。悲鳴が、押し殺した悲鳴が聞こえませぬか」
「そういえば聞こえたような気が」
救出せねば、しかし助けてどこへ連れて行けばいいのか迷う。城内には怪我人を手当てする場所が設けられているはずだが、城外にはそれが見当たらない。だからといって捨て置けない。
――日新館へ連れて行きましょう。そこで怪我人の手当てをしています。
イズミが口を開いた。四郎と永倉は得心した。すぐさま西郷邸へ入り込んだ。
婦人らと少女九人が、胸から血を流し畳に伏していた。その中には二、三歳の幼女もいる。我が子を殺して自ら命を絶ったのだろう。見るに堪えない惨たらしい光景だった。
「山伏様、介錯を……」
部屋の隅から、声を振り絞る少女の声が聞こえた。
駆け寄った。胸に懐剣が刺さっていた。どくどく血が溢れだし、死装束の白い布地が赤く染まっていた。
この少女に息があるのは、刺した場所が心の臓をずれているからだ。痛さと苦しさで辛いのに、死ぬに死ねず四郎に縋るしかない。だがこの状態では、日新館へ連れていくまでに息絶える。なら望み通り介錯をすればいいのか。四郎は護摩剣を取りだした。
――お待ちなさい。共に癒しをしましょう。
不意に輩の声がした。永倉には聞こえなかったのか、かれもまた護摩剣を抜き訴える少女の望みに応えようとしている。
「待つのだ、永倉殿。助けられるかもしれない」
「如何なる方法で」
永倉が信じ難い目を向けてきた。
――こうやってですよ、永倉殿。
輩が声を発すると、どこからともなく無数の手が伸びてきた。手は少女の血をとめるべく胸の中へ入り込む。
が、そのとき「させるか!」と叫び、目をぎらぎらさせた末弟が入り込んできた。四郎の元へ擦り寄り、刀を抜いた。
しかし、輩と心を一つにして少女の手当をする四郎は動けない。
永倉が振り向きざま錫杖で男を払う。男は宙を飛び、何なく錫杖を躱す。イズミが襟から飛び降りた。
「なぜ邪魔をする……」と呟き、立ちはだかった。
「それを俺に言わせるつもりか」
男がイズミに向けて、容赦なく腕を横に振った。鋭い風が巻き起こりイズミを襲う。
「危ない!」
四郎が癒しに集中できず気を逸らすと、無数の手の動きがとまった。とまりかけていた少女の胸から血が流れだす。
――四郎殿、癒しを続けてください!
両手を顔の前に掲げ、風を押し戻しながらイズミが叫ぶ。
「わかった」
と返事をしたが、男の放った旋風の威力は凄まじかった。こともなげにイズミの防御を弾き飛ばした。
集中したくともできずにいると、イズミの指が切り落とされた。
万事休す。
「永倉殿、娘の介錯を頼む!」
我らの都合で癒しを長引かせ、これ以上少女を苦しませることはできない。四郎は立ち上がった。
「赦さん」
「笑わせるな。癒しと咆哮しかないお前が、何をほざく」
男が手をだらりと下げて四郎に向き直った。すると男の姿が、ゆらゆら宙に浮かんで異様に変化する。軍服が逆立つ体毛に変わり、尾も渦巻くように長く伸びだした。手足に鋭利な爪が生え、赤い目をした巨大な妖に変容した。
これが我らの真の姿なのか。四郎はぞっとした。
――違いますよ。半妖といってもあなたがたは精霊の化身。心を冥府に堕とさなければ、あのような姿にはなりません。
輩の声がした。死者である輩の言葉なら間違いはない。
振り向くと、迷いつつ永倉が少女の心の臓に護摩剣を突き刺した。脈がこと切れるのを確かめ、壁へ後ずさった。奇怪な妖を見つめ忙然としている。
――人の姿に戻るのです。妖が、人の目に姿を曝すのは死ぬときですよ。
輩が諭すように言う。
「なら、皆殺しにするまでだ。そうすれば曝したことにならぬ」
「殺させぬ!」
四郎は声を荒げた。イズミも吐きすてた。
――どこまでも性根が腐っていますね。
「ほざけ! 俺がこうなったのも、みなお前らのせいだ」
妖が目の色を、さらに毒々しい赤色に変えた。「俺が巫女の輩になるはずだったのに、できの悪いお前が巫女と輩を得、なぜ俺が下卑た猟師の手先にならなければならなかったのだ。そもそも猟師が最初に選んだのは小人、お前のはずだ」
閉ざされていた記憶がまた一つ鮮明になった。
ならばイズミは、なぜ小人に?
――猟師の心が歪んでいたので遠慮しました。それに猟犬らを守るために、猟師を殺すという悲惨な結末が見えたから避けたのです」
「それで俺に、廻りまわって巫女殺しという嫌な役目をさせたわけか」
怒り狂った妖が、研ぎ澄ませた爪でイズミを切り裂く。
イズミは間一髪、手で受け躱す。が、血が飛び散り掌は切断された。それでも怯むことなく返答する。
――違いますよ。すべてあなたが望んだ結果です。あなたは世良と出会って野心を抱きました。世良を操って天下を牛耳るという」
イズミは生まれつき先見が優れていた。この場面も、それ以前の場面も見えていた。それで歪んだ末弟を見限り、四郎と共に生きる決心をして目立たぬ小人になった。イズミは四郎を守り続けてくれた姉であり、輩でもあったのだ。
「ふん、お見通しだったということか。しかし奴は呆気なく死んだ。こいつの巫女の戯言でな」
妖が四郎に刺々しい目を当てる。その目の中に、恨みの根源が凝縮されていた。すべては下種な野望だ。巫女の掌に乗った四郎のせいでも、猟師を避けたイズミのせいでもなかった。
――なぜ、そこで大人しく森へ帰ろうとしなかったのですか。夢が潰えた時点で悟れたはずです。
「潰えてなどない。俺の生き方を狂わせたお前らを殺す、それが俺の目的だ」
イズミは滴る血が煩わしいのか、自ら血の出ぬ鎌鼬を操り、両手首をすぱっと切った。
――くだらないですね。それが逆恨みの理由ですか。
「黙れ! 黙らぬと、首も飛ばしてやる」
「そうはさせぬ」
すべてを悟った四郎が全身の力を溜めたとき、ばたばた廊下を走る足音が聞こえた。伝八ら十三人の新選組が姿を現した。すぐさま奇怪な妖を見て抜刀した。銃を持つ二人が素早く弾薬をつめ、銃口を向けた。
「邪魔者が入ったか。だが覚えておけ。一味の女と小僧を、手始めに殺してやる」
妖が捨て台詞を残して消えた。その言葉は重く、しばらく耳底に居すわり消えなかった。




