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夜明けと同時に屋敷を出た。雨はやんだが、いつまた降りだしてもおかしくない怪しい空模様だ。それでも城下は平素と変わらぬ朝の風景につつまれている。
官軍が攻め込んでくるというのに喇叭を吹きながら天秤棒を担いだ豆腐屋。その豆腐屋を器を持って呼びとめる婦人たち。宿屋の前では女将が客を見送っている。どれもが毎朝くり返される平穏な光景だ。明日の朝も次の日の朝もこうであればと願い、城下を通りすぎた。
湿り気を帯びた空から、またぽつりと雨が降ってきた。昨夜とは違う静かな雨。足をとめることなく滝沢、戸ノ口を越して十六橋に辿り着いた。
日橋川は霧でかすみ水嵩が増していた。この橋を破壊すれば、敵は猪苗代湖をぐるりと迂回しなくては城へ攻め込めない。大砲を運べず、いっとき砲撃を防げる。
だが敵味方の区別なく使用する貴重な橋でもある。猪苗代と母成峠に詰める味方が劣勢を強いられ撤退しようとした際、やはり城へ戻るのに時を要する。
会津の主力は母成峠を死守する大鳥隊と新選組の土方の意を汲み、越後と日光の国境を守備している。したがって城は少数で、二本松が落城したときと酷似しているといっても過言ではない。
「橋を破壊すべきか、どう思われる」
四郎は永倉に尋ねた。
「壊すべきだ。本宮に集結する兵と大砲がすんなり通過してしまえば、城下は即刻火の海になる」
「私もそう思いますよ。昨夕の軍議で、佐川官兵衛なる者が破壊を任せられたはずですが、会津兵の行動は逐一間が抜けています。未だに兵糧を城内へ移していませんから」
イズミが嘆く。永倉も吐きすてた。
「まこと間抜けですな。備えもせずに籠城など聞いたこともない」
四郎は頷きながら橋を渡った。おそらく本気で籠城する気などないのだろう。狙いは和議だ。年寄りはどんな形であれ名跡が残ればそれでいいと思っている。そのためにどれだけの命が犠牲になり、どれだけの人間が蹂躙されようとも関係ない。
だから籠城中に雪が降りだし官軍が後方に退いたとしたら、領民も退くかもしれない。この目で確かめたかったのはそれ、猪苗代の東と母成峠の南に位置する村人の気持ちだ。かれらに、会津武士に対する思い入れがなければ早々に負ける。
「寝返りについて、永倉殿はどう思われる」
「三春や棚倉も今では敵ですし、仕方がないかもしれませんな。そもそもの根本が寝返っている始末だ。会津も朝廷側であったのに、裏切られて敵ですからな」
正論だが、やはり永倉は武士だ。武士の目線でしか世間を見てない。だからといって責められないが、問題は風土だ。百姓らに、この地に受け継がれた頑なさがあれば官軍は手こずる。なければ早々に壊滅だ。
猪苗代城下から歩いて二里、石筵の村へ入った。北方向から間断なく銃声がこだまする。母成峠を望むが、霧が深くて何も見えなかった。だが前哨戦ともいえる先兵同士の戦いは、すでに始まっている。
とはいえ険しい地形、官軍の別動隊が到着しても村人の道案内なくして母成峠の裏へ廻り込めないだろう。
粗末な小屋の前に、傘もささずに老人が立っていた。わざわざ戦火の只中にやってきて、何だと思っているのかもしれない。山伏姿の四郎と永倉を、胡散臭げに見つめていた。四郎は近づき単刀直入に尋ねた。
「つかぬことを訊くが、西賊、会賊、どちらに味方される」
問いの意図を推し量っているのか、老人はしばらくの間を置いた。
「西賊と答えたら満足ですかのう。それとも官軍様と……」
と、探るように言葉を返したとき、小屋の中から四十過ぎの男が出てきた。鹿の毛皮を着込んでいるので猟師に違いない。だが老人が胡散臭げなら男は敵視。西の言葉を話さないだけで眉間に皺を寄せた。
「親父、よげいなこどを言うんでねえぞ。これ以上、苦しみたぐねえ」
小屋の周囲を見た。霧の中、薄っすらとしかでないが焼け跡のようなものがあった。ということは家が誰かに焼かれ、雨露を凌ぐために急遽小屋を建てたのだろう。煤けた板が何枚も打ちつけられていた。
――私の調べた限りでは、この村は会津の手によって焼かれ、馬と男を連れ去られました。二本松から会津周辺だけでも村人四千人と、千七百頭の馬が幕府側の各隊に駆り出されています。恨みはそうとう根深いでしょう。
輩の声がした。
なぜだ。会津は、この村が官軍の拠点になるのがそれほど怖いのか。馬鹿げている。浅慮だ。思慮が足りなすぎる。
四郎は頼み込んだ。
「考え直してはもらえぬか」
「いっでえ何の話だ」
男がそっぽを向く。老人の袖を引っ張り不愛想に小屋の中へ消えた。
永倉が呆気にとられている。
「会津は、これほどまで信頼を失っていたのか」
「官軍の先兵と密約が交わされているのかもしれませんな」
母成峠を制圧するには、すでに布陣する幕府側に狙い撃ちをされる恐れがある。そのため二本松から一隊と石筵から一隊、さらに背後を突く別動隊が必要になる。ただし道は地元民しかわからぬ間道。沢沿いを進んで大滝山へ入り、峠を越えて達沢から攻めるという起伏のある道のりだ。
それには会津に恨みを抱く者の道案内が不可欠だ。そこで石筵の村人と官軍の利害が一致した。かれらは徴兵されたのではなくむしろ志願したのだろう。先兵が会津兵の憎む長州兵であっても関係なかった。
村人の会津兵に対する憎しみは切実だ。武士の体面と、生きることに喘ぐ人では比べものにならない。この武士と百姓の乖離こそ会津の現実だ。受け継がれる頑なさは武士だけで、風土ではない証だった。
「母成峠は、どうなるのでありますかな」
永倉が番傘を斜にして、四郎の襟に目を当ててきた。イズミは苦笑いをする。
「答えにくい問いかけをしてきますね」
「聞きづらいのは承知のうえで尋ねたしだい。母成峠には一殿もおられるし、どうにも気になって仕方がない」
「では、お答えします。まず兵の数と火器の物量で官軍。将の編成、兵の布陣で官軍。士気、策略すべての点で官軍が上回っています。母成峠は一日も持たないでしょう」
永倉は返す言葉もないのか、錫杖を地に突き唸った。
「ですがイズミ殿」
遅れがちになった永倉の歩調に合わせ、四郎は気にかかっていたことを訊いた。「兵力、火器はわかるのですが、将の編成とはどういうことでござるか」
「戦歴だけなら大鳥隊は卓越しています。しぶとくもなりましたし、戦上手にもなってきていると思います。ですが両翼が友軍では布陣として失敗です。会津一の知略家であり、近代の戦い方を知る山川隊を布陣させるべきでした」
――仰る通り、山入で先ほど左右の友軍が逃げ出し伝習隊と新選組が取り残されました。
輩が、淡々と戦況の報告をしてきた。
いよいよ永倉が足をとめた。
「まさか、一殿が死んでしまう」
「望んで新選組に戻ったのです。悔いはないと思いますよ。それに、私らも命の保証はありませんから」
「そうだが……」
永倉が、銃声の聞こえる母成峠を沈痛に見つめた。霞んで何も見えない。ときおり轟く大きな砲撃音が、灰色の空にこだまするだけだった。




