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 翌日。森の中で一夜を過ごした四郎らは、二本松城の関門、若宮口にいた。守りの拠点でもあるせいか緊張感に包まれている。高々と土嚢が積まれ、屈強な兵士が周囲に目を凝らしていた。けれどわずか五十名ほど、関門とは名ばかりで脆さが否めるはずもなかった。

 それにしても気になるのが、昨日、伝八と共に須賀川を出た二本松勢だ。白河口に布陣する精鋭部隊も戻った形跡はない。

「立ち往生しているのでしょう。大軍に行く手を塞がれてはどうしようもないと思いますよ」

 四郎の胸中を察したイズミが言う。

「では、この人数で官軍と戦う?」

「耳にした限りでは五千人が押し寄せてきます。ばかりか佐賀兵も合流したようです」

「だったらアームストロング砲を打ち込まれて……」

 四郎の語尾が口の中に押し戻される。佐賀兵が参陣するなら昨夜の一件は徒労になる。上野の炎、残骸となった棚倉の絵が、脳裏に浮かんでは消えた。

  

「ちょっと待ってくれ。守備兵がどのくらいいるのか聞いてくる」

 心配なのか永倉が動いた。関門を警護する兵士の元へ向かった。

 守備兵は米沢兵士だ。知己ではないにせよ、永倉もしばらく米沢にいたので話しやすいのだろう。ましてや永倉の名は天下に轟いている。

 が、にこやかに歓談した後、沈んだ表情で戻ってきた。

「いやはや大変だ。米沢兵と会津兵を合わせても四百人しかいないらしい。しかも二本松兵で残っているのは年寄と子供だけだ。これでは勝負になりませんな」

「総勢四百でござるか」

 もはや少ないという尺度は通り越していた。打つ手を探すほうが難題だ。

「見晴らしの良い所へ行きますか。そこで策を練らねば、二本松はあっという間に焼け野原になる」

 四郎は坂を上って城下を一望できる岩棚を捜した。

 高い空に浮かぶ白い雲。見上げると松の枝が、緑の雲を思わせ空に浮かんでいた。城門まで坂に沿って石垣が続き、切れ目に十段ほどの石段があった。上ると城下が見渡せた。陽光を浴び、草花の香りをまき散らしながら家々が横たわっている。少なくとも今は戦いの影もなく平穏そのものだ。

「長閑ですな。この景色が地獄に変わるとは信じ難い」

 永倉が四郎に問いかけた。

「とはいえ防ぐのは無理かもしれません。数で勝る上野も白河も、一発のアームストロング砲で火の海になりましたゆえ」

「四郎殿。あきらめてはいけませんよ。我らの戦いは勝敗ではないのですから」

「わかっています。ですが五千の大軍相手に、どうしたらいいのか考えがまとまりませぬ」

 四郎は力なく頷き、首を振る。永倉も城下を見下ろし目を潤ませた。

 一両日中に官軍は攻め込んできて、人も町も燃える。本宮で大砲を壊したが焼け石に水だった。むしろ憤怒を煽ったぶん士気を高めた可能性だってある。

「早とちりはなりませんよ。私たちの為すべきことは一つです」

 イズミが左方の坂上を指さした。武家の婦人と七歳ぐらいの少女が前方に向かって手を振っていた。

 はて、と四郎が見つめると、曲がり角から少年兵の隊列が現われた。白鉢巻きに稽古着という彰義隊士と変わらぬ出で立ちだ。人数は三十人ほどで銃を持っているのは数人しかいなかった。先頭の者は青年なので隊長だと思うが、隊士は皆十歳を過ぎたばかりの幼子だ。

「残酷すぎる。ここまでして戦わねばならぬのか……」

 まともに見ていられず目を背けた。けれど瞼の裏に絵が焼き付き払えない。気づくとかれらを駆り立てた老人を憎悪していた。

 永倉がぽつりと呟いた。

「手を振る少女の兄も、あの中にいるんでしょうな」

 隊士の中に一人、気恥ずかし気に俯いている少年がいた。目をくりっとさせる純朴そうな子供だった。

「そういえば永倉殿の娘さんも、あの少女と同じぐらいの年頃でしたね」

「なぜ、それを……」

 永倉が目に愁いを滲ませる。「そうか。イズミ殿は何でもお見通しでしたな」

 初耳だった。なぜ一緒に暮らさぬのかとも考えたが、永倉の立場を推し量ればおおよその想像もつく。それは永倉ばかりではなくイズミも然り。かれらの半生がどこでどうしていたのかも知らないのだ。まして自身の記憶もまだ完全ではない。

 あまつさえ小一郎と根岸を出るまで、このように運命が翻弄されるとは露ほども思っていなかった。なおかつ竹と情を交わし、伝八や優、永倉と共に戦うなど想像できるはずもない。

 夢なのか。それとも、こうすることが定まった運命だったのか。

 四郎は考えることをやめた。望むと望まれずに関わらず時は動き、いずれ魔の手に覆いつくされる。それが好ましいことであってもなくても、必ずやってくるのだ。

  

 ふっと我を取り戻すと、少年たちは坂の下に消えていた。永倉の姿もなかった。

 どこへ? と前方に目を移せば、少女と婦人の前に立ちはだかっていた。

 数間先に、永倉の数倍の重さがあろう巨大な猪がいた。毛を逆立て、前足を擦り、今にも飛びかからんと機会を窺っていた。永倉が錫杖を構える。すると猪は鼻息を荒くした。怯んでいない証だ。

 なぜ急に現れたのだろうか。と考えても山城である限り、山に生息する生き物がいるのは道理だ。

 四郎は駆け寄る。猪は永倉にまかせ、まずは少女と婦人の救出を急いだ。猪から目を逸らさず、二人を石垣へ連れ去った。石段を上らせ松の木の陰に隠した。

 返す足で戻ろうとしたとき、猪がやにわに突進した。巨体を揺らし信じ難い速さで永倉へ襲いかかった。

 永倉が錫杖を突く。肩に命中した。が、猪は微塵も動ぜず突き進む。

「永倉殿!」

 思わず叫んだ。永倉は間一髪、身を躱した。しかし猪はそのまま坂を下りて森へ走り去ると思いきや、反転し、再度突進してきた。

 習性とは反する思ってもみない攻撃に、永倉の反応が遅れた。体勢を立て直せずに隙を生じさせた。

 このままでは永倉が猪の牙に突き上げられる。そう思った瞬間、四郎は錫杖を投げていた。杖の先端がこめかみに命中した。

 猪の動きがとまった。だが倒れない。逆に唸りながら矛先を四郎へ変えて突進してきた。

 咄嗟に四郎は護摩剣を抜いた。猪へ向かって走り、激突する寸前に体を躱して喉笛に突き刺した。

 猪はそれでも突進をとめない。四郎も護摩剣を放さない。

 ずりずり引きずられた。

 手負いの猪は血を流しながら疾駆する。道から外れ、速度を緩めることなく森へ向かう。

 四郎は反動をつけて足を蹴り上げ、飛び乗った。背に覆いかぶさり護摩剣を何度も抜いては突き刺した。

 猪の速度が弱まる。崩れ落ちるよう横倒しになった。

  

「どうにか倒しましたね」

 おっとり、イズミが言う。

「うむ、ようやく仕留めました」

 飛び降り、噴き出る汗を手で拭うと永倉がやってきた。

「引きずられたときには、どうなることかと心配したがやりましたな」

 猪を仰向けにさせて護摩剣を抜いた。

「おや、首の両側に傷がありますが、護摩剣を突いたのは片側だけですよな」

 確かに喉の両側から血が溢れている。夢中で突いたので正直どこをどう突いたのか覚えていない。しかし右側は護摩剣の傷跡ではなく、鋭い爪で引っ掻いたようなものだった。

 不可思議な思いに捉われていると坂の上から声がした。騒ぎを聞きつけた隊士らが戻っていた。

「お怪我はありませんか」

 と大きな声で呼びかけ、隊長であろう青年が下りてきた。息絶える巨大な猪を見て仰天させた。

「これを仕留めたのでありますか」

「美味そうであろう。御馳走するから天秤棒と麻縄を持ってきてくれないか。猪鍋にしよう」

 永倉は担ぐ仕草をして、舌なめずりをする。

「家老の丹羽様に報告しだい御用意します。しばらくお待ちを」

  

 隊長が戻ってくると天秤棒に猪の足を縛り城内へ運んだ。留守を預かる家老が待っていた。

「ありがたい。銃太郎から聞きましたぞ。遠慮なく頂きましょう」

 家老は満面笑みを浮かべた後、真顔になった。「それはそうと、お二人はどちらから参られたのですかな」

「昨日まで会津におりました。早馬により三春が攻め落とされたと知り、居ても立ってもおられず参ったしだい」

「ほほう、会津から。では、その出で立ちは仮の姿であられるか」

 三春が落ちたと聞いても驚かないのは、多少とも報せが入っているからだろう。加えて素性のわからぬ輩に警戒を強めている。

 四郎は永倉に目配せをした。すぐに永倉は得心し、頷いた。

「この者は米沢から参った、新選組二番隊長永倉新八殿です」

「おお、存じておる。新選組一の剣の達人であられるな。ならば、お味方に相違ない」

 家老は相好を崩した。「で、会津の早馬の報せはどうであったか」

「西賊の数は五千。佐賀兵のアームストロング砲も薩摩の四斤山砲も揃っております」

「まことか!」

「まだ軍装を解いたままであったし、援軍との軍議もあるので、攻め寄せてくるのは早くとも明日の早朝でしょう。それと白河と須賀川にいる味方は足止めを喰らって戻れませんぞ」

 家老が目を険しくさせ、何かを決断したようだった。

「銃太郎、皆に肉を振る舞え。食したら、すぐにでも対策を練ろうぞ。会津と米沢の兵にも伝えよ」

  

 四郎らは猪肉の塊を少し包んで城を出た。坂を下って武家屋敷方面へ向かった。途中で、先ほどの少女と婦人にまた出食わした。

 ただそれは偶然ではなく、ずっと待っていたのだと思う。なぜなら少女と婦人が立っている場所は、唯一城門が見える武家屋敷の入口。忙しかったために礼を言えず、どうしても感謝の気持ちを伝えたかったに違いない。

 距離が狭まると少女は婦人の背に隠れ、はにかみながら頭を下げた。永倉が駆け寄る。

「食べきれないほどの肉がある。皆を呼んで猪鍋にしましょう」

 夫人が頷き、少女が笑んだ。


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