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 距離が五間になった。しかし人馬から放たれるものは殺気ではなく警戒心だった。

「怪しい者ではござらぬ。火を見て、いい匂いがするので、一口所望させて頂こうと参ったしだいです」

 半首笠を被り上下とも洋式の軍服、どこから見ても官軍将校だ。他の兵士はスペンサー銃を担いでいるが、中央の男にはそれがない。おそらく胸に短銃を隠し持っているのだろう。

 袖に目をやると外套の両肩に合印が縫い付けられていた。稽古場へ乱入してきた男と同じ仕様だ。ならば土佐迅衝隊士と考えて間違いない。竹と小一郎が敵愾てきがいを顔に滲ませている。

 四郎は制して言った。

「どうぞ。ちょうど肉が余っていたところです」

「かたじけない」

 中央の男が馬から降りた。声も顔も穏やかだが目は強い意志が秘められている。他の兵士も続いて降りる。男以外はみないかつく、あきらかに歴戦の猛者に違いない。

 手際よく肉の塊を木串に刺して火に当てる。竹と小一郎は不機嫌そうに火から離れ、猛者らに場所を譲った。

  

「旅の一行にしては妙な組み合わせですな」

 岩に座り、火に手をかざしながら男が揶揄やゆする。火の先には追跡者から拝借した馬がつながれている。猛者たちも、瞬時に迅衝隊の馬と悟ったのかもしれない。強直を保ったまま竹と小一郎に警戒の目を当てている。

「いささかも妙ではありませぬ。山伏の姿をしていますが、我らはそなたらと対峙する幕府側の武士ですから」

 四郎の思わぬ返答に猛者らが腰を浮かす。竹と小一郎は身構えた。優も懐に手を入れた。

「静まれ! 腰を下ろしなさい。かれらの目を見るのです。さすれば山伏であっても一廉ひとかどの武士であることがわかるはず」

「けんど、この馬は我らの馬じゃき」

「いいのです。我らも敵から馬を奪いとることがあるのですから」

 男が穏やかな顔で「見苦しい姿をお見せして、申し訳ござらん」と、柔和に詫びた。

 もしやこの男、土佐軍の総督でもあり官軍の参謀でもある板垣退助か。見た目は柔だが奮闘の勇士。規律を重んじ戦いが済めば敵を労わる人間。まさかと否定しつつも、四郎にはそうとしか思えなかった。

「滅相もない。お互い様です。それよりも、そろそろ肉が食べ頃ですぞ」

「ほう、美味そうだ。きみらも御馳走になりなさい」

 警戒しつつ猛者らも食べはじめる。

「いつ、こちらへ参られましたか」

「先ほどでござる。戦地の見分は慣わしでありますゆえ」

「なるほど。それでどのように判断なされたか」

 四郎の執拗な問いかけに、猛者らの目が光る。声を荒げて窘めてきた。

「知らんほうがよか。それ以上無駄口を叩かば、撃ち殺すぜよ」

「よいではありませんか。この者らは会津へ向かうところでしょう。到着する頃には違いを感得するはずですよ」

「違いとは、何のことですか」

 むっとしたのだろう。小一郎が横から聞き返す。男は一瞥して答えた。

「賊軍は百姓、婦女子、ごろつきどもを見境なく招集して城の奪還だけに固執しています。よってかれらの最大の弱点は訓練のなさかもしれませんな。いくら高価な武器を買い揃えても、兵が使えなければ意味を成しませんよ。にもまして違いは兵士の士気でしょう。我らの中には脱走する輩はおりませんが、賊軍は如何ともし難い情勢ですからな」

 竹が唇を噛む。小一郎も目を落とした。

 四郎は違った。

「武器に対する無知と士気については仰る通りですが、幕僚の傲慢さについてはどう思われる。見倣った志のない兵士は、掠奪、奸淫のし放題でごろつきと変わりませんぞ」

 途端、猛者らの目が殺気走る。男がやんわり宥める。

「確かにごろつきと変わりませんな。一本取られました。しかし貴殿のいう幕僚は会津とは因縁の強い長州人です。我ら土佐人とは違いますよ。迅衝隊士が掠奪、奸淫をしたら即刻打ち首ですから」

 この男は、たとえ味方であっても奸賊の非を認めている。会津と孝明天皇、長州との経緯にも偏った見方をしていない。節度のある軍律で兵を戒めている。

 四郎は一本取られたのは自分のほうだと思わされた。やはり奥羽諸藩の勝ち目は薄い。であるなら敵に望むのは慈悲の行いだけだ。


「板垣殿に一言、申し上げる。ごろつきはともかく、領民は武士の体面を守るために駆り出され、死を覚悟して戦いに臨んでいます。なれば弱い婦女子、百姓を甚振らないでほしい」

「何じゃと! これまでの難癖、こん御方が誰であるか知っての戯言であったか。赦さんき」

 鬢から顎にかけて、髭を生やした猛者が熱り立つ。顔を真っ赤にさせて刀を抜いた。他の猛者も銃を構える。俄かに即発の機運が高まった。

 四郎は錫杖を置いて手を広げ、敵意のない仕草を見せる。悠然と念珠を握る。イズミ殿と叫び、気を統一した。するとどこからともなく緩やかな風が舞いはじめる。風はしだいに強まり旋風となった。

 次の瞬間、兵士らが「あっ!」と声を上げて、次々に銃と刀を落とした。手首が斬り落とされていた。拾おうとしても拾えず狼狽えている。

「ほう。それはよもや、血も出ず痛みも感じぬという鎌鼬。何とも不思議な業を使う御仁だ」

 板垣は平然と肉を食べる。

「約束してくださるか」

 四郎は迫る。板垣は食べ終えると言った。

「皇軍には長州も薩摩もいるので何とも言えませんが、迅衝隊としては約束しましょう」

「ならば夢を覚まします」

 四郎は再び念珠を握り、虚空に向かって叫んだ。

「輩よ、かれらに癒しを!」

 すると空気が穏やかなそよぎに戻り、斬り落とされた兵士の手首がふわふわ宙を舞う。火が消え、闇が増す。板垣の動きも猛者の動きもとまる。竹や小一郎、優の動きも静止した。

 時が完全にとまり、闇の中から無数の妖しい手が伸びてきた。輩が呼びよせた死者の手だ。かれらは薄気味悪い笑みを浮かばせ、漂う手を寸分の狂いもなく元に戻していく。

  

 直後、時が動きだした。猛者らが一同に声を上げる。

「はて?」

「手首が元に戻っておる」

 愕然とする猛者らの横で、板垣が何かを思い出したように呟いた。

「馬ですぐにぴんときましたが、その山伏姿、奇怪な業、貴殿は根岸の水鴎流師範代ですな」

「如何にも」

「やはり。戦場では会いたくない御仁だ」

 一行が去る。竹と小一郎と優が忙然としている。イズミの息遣いだけが心地よく耳に入り込んできた。


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