4
4
距離が五間になった。しかし人馬から放たれるものは殺気ではなく警戒心だった。
「怪しい者ではござらぬ。火を見て、いい匂いがするので、一口所望させて頂こうと参ったしだいです」
半首笠を被り上下とも洋式の軍服、どこから見ても官軍将校だ。他の兵士はスペンサー銃を担いでいるが、中央の男にはそれがない。おそらく胸に短銃を隠し持っているのだろう。
袖に目をやると外套の両肩に合印が縫い付けられていた。稽古場へ乱入してきた男と同じ仕様だ。ならば土佐迅衝隊士と考えて間違いない。竹と小一郎が敵愾を顔に滲ませている。
四郎は制して言った。
「どうぞ。ちょうど肉が余っていたところです」
「かたじけない」
中央の男が馬から降りた。声も顔も穏やかだが目は強い意志が秘められている。他の兵士も続いて降りる。男以外はみな厳つく、あきらかに歴戦の猛者に違いない。
手際よく肉の塊を木串に刺して火に当てる。竹と小一郎は不機嫌そうに火から離れ、猛者らに場所を譲った。
「旅の一行にしては妙な組み合わせですな」
岩に座り、火に手をかざしながら男が揶揄する。火の先には追跡者から拝借した馬がつながれている。猛者たちも、瞬時に迅衝隊の馬と悟ったのかもしれない。強直を保ったまま竹と小一郎に警戒の目を当てている。
「いささかも妙ではありませぬ。山伏の姿をしていますが、我らはそなたらと対峙する幕府側の武士ですから」
四郎の思わぬ返答に猛者らが腰を浮かす。竹と小一郎は身構えた。優も懐に手を入れた。
「静まれ! 腰を下ろしなさい。かれらの目を見るのです。さすれば山伏であっても一廉の武士であることがわかるはず」
「けんど、この馬は我らの馬じゃき」
「いいのです。我らも敵から馬を奪いとることがあるのですから」
男が穏やかな顔で「見苦しい姿をお見せして、申し訳ござらん」と、柔和に詫びた。
もしやこの男、土佐軍の総督でもあり官軍の参謀でもある板垣退助か。見た目は柔だが奮闘の勇士。規律を重んじ戦いが済めば敵を労わる人間。まさかと否定しつつも、四郎にはそうとしか思えなかった。
「滅相もない。お互い様です。それよりも、そろそろ肉が食べ頃ですぞ」
「ほう、美味そうだ。きみらも御馳走になりなさい」
警戒しつつ猛者らも食べはじめる。
「いつ、こちらへ参られましたか」
「先ほどでござる。戦地の見分は慣わしでありますゆえ」
「なるほど。それでどのように判断なされたか」
四郎の執拗な問いかけに、猛者らの目が光る。声を荒げて窘めてきた。
「知らんほうがよか。それ以上無駄口を叩かば、撃ち殺すぜよ」
「よいではありませんか。この者らは会津へ向かうところでしょう。到着する頃には違いを感得するはずですよ」
「違いとは、何のことですか」
むっとしたのだろう。小一郎が横から聞き返す。男は一瞥して答えた。
「賊軍は百姓、婦女子、ごろつきどもを見境なく招集して城の奪還だけに固執しています。よってかれらの最大の弱点は訓練のなさかもしれませんな。いくら高価な武器を買い揃えても、兵が使えなければ意味を成しませんよ。にもまして違いは兵士の士気でしょう。我らの中には脱走する輩はおりませんが、賊軍は如何ともし難い情勢ですからな」
竹が唇を噛む。小一郎も目を落とした。
四郎は違った。
「武器に対する無知と士気については仰る通りですが、幕僚の傲慢さについてはどう思われる。見倣った志のない兵士は、掠奪、奸淫のし放題でごろつきと変わりませんぞ」
途端、猛者らの目が殺気走る。男がやんわり宥める。
「確かにごろつきと変わりませんな。一本取られました。しかし貴殿のいう幕僚は会津とは因縁の強い長州人です。我ら土佐人とは違いますよ。迅衝隊士が掠奪、奸淫をしたら即刻打ち首ですから」
この男は、たとえ味方であっても奸賊の非を認めている。会津と孝明天皇、長州との経緯にも偏った見方をしていない。節度のある軍律で兵を戒めている。
四郎は一本取られたのは自分のほうだと思わされた。やはり奥羽諸藩の勝ち目は薄い。であるなら敵に望むのは慈悲の行いだけだ。
「板垣殿に一言、申し上げる。ごろつきはともかく、領民は武士の体面を守るために駆り出され、死を覚悟して戦いに臨んでいます。なれば弱い婦女子、百姓を甚振らないでほしい」
「何じゃと! これまでの難癖、こん御方が誰であるか知っての戯言であったか。赦さんき」
鬢から顎にかけて、髭を生やした猛者が熱り立つ。顔を真っ赤にさせて刀を抜いた。他の猛者も銃を構える。俄かに即発の機運が高まった。
四郎は錫杖を置いて手を広げ、敵意のない仕草を見せる。悠然と念珠を握る。イズミ殿と叫び、気を統一した。するとどこからともなく緩やかな風が舞いはじめる。風はしだいに強まり旋風となった。
次の瞬間、兵士らが「あっ!」と声を上げて、次々に銃と刀を落とした。手首が斬り落とされていた。拾おうとしても拾えず狼狽えている。
「ほう。それはよもや、血も出ず痛みも感じぬという鎌鼬。何とも不思議な業を使う御仁だ」
板垣は平然と肉を食べる。
「約束してくださるか」
四郎は迫る。板垣は食べ終えると言った。
「皇軍には長州も薩摩もいるので何とも言えませんが、迅衝隊としては約束しましょう」
「ならば夢を覚まします」
四郎は再び念珠を握り、虚空に向かって叫んだ。
「輩よ、かれらに癒しを!」
すると空気が穏やかなそよぎに戻り、斬り落とされた兵士の手首がふわふわ宙を舞う。火が消え、闇が増す。板垣の動きも猛者の動きもとまる。竹や小一郎、優の動きも静止した。
時が完全にとまり、闇の中から無数の妖しい手が伸びてきた。輩が呼びよせた死者の手だ。かれらは薄気味悪い笑みを浮かばせ、漂う手を寸分の狂いもなく元に戻していく。
直後、時が動きだした。猛者らが一同に声を上げる。
「はて?」
「手首が元に戻っておる」
愕然とする猛者らの横で、板垣が何かを思い出したように呟いた。
「馬ですぐにぴんときましたが、その山伏姿、奇怪な業、貴殿は根岸の水鴎流師範代ですな」
「如何にも」
「やはり。戦場では会いたくない御仁だ」
一行が去る。竹と小一郎と優が忙然としている。イズミの息遣いだけが心地よく耳に入り込んできた。




