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白河宿を通りすぎ、阿武隈川を渡ると女石追分に差しかかった。北は津軽へ続く奥州街道、西は目的地の会津街道。西へ足を踏みだした。
鮮やかな朱に身を包む仙台の軍勢が、橋の北側に陣を張っていた。手前の水田では百姓らが、唄を歌いながら除草していた。すでに蜻蛉が羽化している。戦火であろうとなかろうと、この時季に中干しをしないと収穫ができなくなる。とはいっても、双方の睨み合いが続く中での野作業は不釣り合いな光景としか言いようがない。
だが、どんなに危険でも田の手入れをしなければ飢える。手入れをしても兵に駆り出され、先頭で兵士の弾避けになって死ぬ。どちらにしても強者の都合でいいように転がされる。百姓とは、じつに哀れな立場だ。
四郎ら一行は振り返ることなくいくつもの峠を越えて、ようやく会津城下に着いた。すでに酉の刻を疾うにすぎていた。
城下の要所要所に、丸太で柵が築かれ土嚢が積まれていた。馬も荷車も通れるが、いったん止まらなければ先へ抜けられないよう、じぐざくに柵が設けられている。敵の侵入を少しでも防ぐために違いない。高地には物見櫓も建っていた。裏に梯子が立てかけられ袴姿の会津兵が周囲に目を凝らしていた。
郭門をすぎ碁盤の目のような道を、十歳まで住んでいたという小一郎の案内で進むと、不意に優が声をかけてきた。
「今夜は、私の所でお泊りください」
「ありがたいが、小一郎の家へ行くつもりです」
四郎はやんわり断り小一郎を見る。と、なぜか沈んだ顔をさせていた。
「まさか、水間様は御存知ないのですか」
「何のことかな」
「小一郎殿の御家族が、江戸で自刃して誰もいないからです」
「まことか」
小一郎の顔を見た。小一郎は目を落とし俯きながら答えた。
「父と兄が上野で戦死し、それを苦にして母が私の目の前で自刃しました」
「なぜだ、なぜ黙っていた」
四郎は行き場のない怒りに震えた。
「私が頼りないからでしょう。いえ。なぜ武士を全うせぬのかと詰られましたので、きっと歯痒かったのかもしれません」
「死ぬことが武家ではない、武士とは守ることだ」
四郎が言葉を切ると、三人が一心に見つめてきた。
「何をです」
と声を揃えた。その声に見廻り中なのだろう。小一郎とさほど年の変わらぬ三人の若い隊士が近づいてきた。小一郎を見ながら懐かしそうに肩を叩き、関心深げに聞き入った。
「武士が守るものとは、何ぞ」
四郎は言葉を強め、隊士にも問いかけた。
「守るべきものは殿様です」
若い隊士の中で、一際がっしりとした体形の少年が間を置かずに答えた。おそらく領主の松平容保を守るべく立ち上がった少年兵なのだろう。純粋な瞳を向けてきた。
だが違う。領主がかれらを守るのだ。
四郎が首を振って否定すると、別の少年が少し考えてから「領土です」と答えた。
「それも違うな」
四郎は切りすてる。すると、それまで黙っていた竹が口を開いた。
「家族でしょう」
「その通り。守るものは家族と友、領民だ」
「おお」と、皆が声を上げた。
四郎は一貫して思いは変わらなかった。会津へ来たのは小一郎を守るためだったが、この先、竹や優や、この少年らを守るようになるのだろうと感じていた。
地位の高い者はうまく立ち回れても、力のない百姓や少年は権力の都合のままに動かされ死ぬ。本意であれ不本意であれ名を遺すことなく死んでいく。
特に会津は百姓四千五百人、町人二千人をすでに徴集済みだとも聞く。上野でも白河でも、数で勝る幕府軍は少数の官軍に敗れている。それを考えれば愚策だと思う。
「元来武士とは領民の代表だった。権柄から仲間を守るために生まれた。それを履き違え、権柄になって仲間だった領民を虐げてきた。危機の今こそ、弱き友や家族を守るのだ」
結局、竹と優の誘いを断り、江戸詰め五年、誰もいない小一郎の屋敷へ泊った。灯りのまったくない部屋に夜具を敷き、雨戸を開け放たして寝た。薄くなった月と星の光だけがわずかに射し込んでいる。
上野以来、気忙しい日々が続き寝つかれないのだろう。小一郎が夜具を剥ぎ、起き上がると、めずらしくイズミに話しかけた。
「イズミ様、故郷に戻ったのはいいのですが、この先、私はどうすればいいのでしょうか」
「どうと仰られても、時代の波に呑まれるだけだと思いますよ」
「それは、私が西賊と戦うわけですね」
「そうですが惨たらしい道ですよ。答えるには、あなたに聞く覚悟ができているかが問題になります」
「この地で、弱き者を守る覚悟はできています」
怯むかと思いきや、小一郎は意外にも同意した。旅の道中、小一郎なりに悟ったものがあるのかもしれない。逆にイズミは腕を組んで考え込んだ。伝えようにも伝えられないほどの前途が見えているのだろう。
「師範に諭され、私にも守りたいものが生まれました。ぜひ、お聞かせください」
「守れるものができたのは喜ばしいことです。しかしあなたに、その守りたいものが本当に守れるとお思いですか。明日、先ほどの友人が来ますよ。白虎隊に入らぬかと」
「私が白虎隊に?」
白虎隊には、上士、中士、下士と、大きく三つに分けた編成隊がある。小一郎の家柄は、優と同じ江戸詰めの上士なので士中一番隊から四番隊に組み込まれる。形の上では城内警護が主のため、望む弱きものを守れる。
だが情勢は刻一刻と変わる。一旦組織に組み込まれてしまえば個の思いは呑み込まなくてはならない。先陣に送られて、女、子供を守る余裕などなくなる。
「断れますか」
イズミが冷淡に言う。
無理だと四郎は思った。断れば臆病者の烙印を押されて四面楚歌になる。それを知っているせいで小一郎は押し黙る。
「一つだけ方法があります。あなたは西郷寧太郎なる者を知っていますね。明日、友人がくる前に城へ出向き、その者を訪ねなさい。二人で幼年隊を結成するのです。幼年隊は城外へ出ません。城内の守りに徹します。そうなれば望まれることは可能でしょう。ただし、自分は守れないと思いますが……」
「自分を守れない? それは私が死ぬと言われるのですか」
「人は誰でも死にます。それが早いか遅いかの違いだけですよ」
「では、武士を全うして死ぬのでしょうか」
小一郎は、母から言われた言葉が今もって頭から離れずにいる。
「案ずるな。そなたは某が守る!」
四郎の口から、胸に秘めていた言葉が飛び出した。
「四郎殿。本気で言っていますか」
「むろん本気です」
「薙刀の女人たちはどうなされます。身体は一つだけですよ」
「イズミ殿がおられる」
「そうはいっても官軍の攻撃は熾烈です。あなたと私だけでは手が足りません。最低でも、もう一人腕の立つ者が必要です」
もう一人と言われても、四郎に心当たりがあるはずもなかった。しかし弱き者を守るのは巫女との約束。自身の命が潰えても背を向けるわけにはいかない。
「師範、この私にできることはありますか」
小一郎が一途な眼差しを向けてくる。思いのほか真剣だ。覚悟ができたのに違いないが力不足は否めない。
「武士を全うしたいのなら、お優を守れ」としか言えなかった。
「ですが四郎殿。全うとは死ぬことですよ」
イズミの囁きに、返す言葉が見つからない。いつまでも頭の中に響いては、反響した。




