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男の気配が消えて三日、四郎ら一行は白坂を越えて白河に入った。
宿場へ近づくにつれ、気のせいかもしれないがどことなく空気が殺伐と感じられる。おそらく白河城を守る三千人の幕府軍が、わずか八百人の官軍に敗れていたからだ。上野同様、彼方からアームストロング砲を撃ち込まれ、兵士はことごとくスペンサー銃で撃ち殺されたと聞く。
そんな状況の中、続々と援軍の兵士が船で上陸してきた。それでもなお幕府軍は、官軍の企てを阻止するため何度も白河城奪還を試みた。もちろん会津も精鋭部隊を送り込み気を吐いた。
旅人から得た話だけに真偽は定かではない。しかし同心らもそうだったが、骨のある武士は合言葉のように白河を目指していた。かれらは死を恐れぬ勇敢な侍だ。ただ四郎から言わせれば、面目をすてきれない頑固な武士でしかない。心の内で安穏を望んでいても、武士であるしがらみから抜けきれないでいる。しかも百姓、町人を踏み台にして。
それはそれとして四郎ら一行も負けず劣らず殺伐としていた。一つには馬の背に揺られる竹姉妹も、その馬を引く小一郎も、官軍から目の敵にされた依怙地な会津の人間だからだ。そのせいもあってか、せっかく取り戻したはずの輩は姿を現さない。
たぶん窮地に立たされたかれらの故郷である会津、同心や与八の死、そして半妖との確執と衝撃が続き、そのうえ新たな死者である輩の出現となれば心の整理がつかないと踏んだに違いない。
何にせよここらで柔らかな風を取り入れないと、会津を前にして重圧に押しつぶされかねない。ならば息抜きは必要だ。
――鹿でも仕留めますか。すぐ近くに二頭いますよ。
イズミの声がした。この場に鹿狩りの名人、与八がいないのは残念だが名案だと思った。
「お竹殿。腹も空きましたし、ここらで鹿狩りでもされてはいかがですかな。そこの坂道に二頭おりますぞ」
竹はしばらく考えていたが、自らも居心地の悪さを感じていたのだろう。
「そうしますか」と、あっさり同意した。
「小一郎も異存はないな」
「ございません」
揃って同意するものの、言葉は案外素っ気ない。竹は浮かぬ顔をさせ、小一郎も優も、同様に表情を沈ませている。なら二人に仕留めさせるしかなかった。
「では某が沢のほうから追い立てますゆえ、お竹殿は馬を降り、ここで待ち構えてくださるか。小一郎とお優は木に馬を繋ぎ静かに待たれよ」
言い置くと四郎は音も立てずに横へ廻った。臭いに鋭敏な鹿を風上から追い立て、風下の竹に仕留めさせる戦法だ。小一郎も若いとはいえ武士、加勢に加われば憂さが晴れる。
「肩箱から弓矢を出してもらえますか」
策でも思いついたのか、イズミが四郎の戦法を押しとどめるかに言った。
「鹿相手には小さすぎて効かぬと思うが、必要なのか」
「逆方向へ逃げては元も子もありません。弦を片方だけ外してもらえれば、その弦に私がつかまります。弾みつけて振ってもらい反対側に着地するつもり。そこから鎌鼬を放てばおのずとこちらに来ましょう」
そういう手もあったかと納得した。だが弦の長さはせいぜい三寸程度。上手い具合に投げても、さほど飛びそうもない。四郎は護摩剣の鞘に巻かれた紐をほどくと、先端に輪っかをつくった。
「イズミ殿、この輪っかを握ってくださるか」
鞘の長さは一尺、紐の長さに至っては二尺ある。三寸しかないイズミの弓よりは遥かに遠くへ飛ぶ。
納得したのかどうかはわからないが、イズミが紐の先端の輪っかに手を添えた。
「必ずや、鹿の三間先に着地するよう飛ばして見せる」
「勢い余って沢まで飛ばさぬように。泳ぎは得意ですが服が濡れます」
イズミの嫌味に四郎は、ふんと反動をつけて振り抜いた。イズミは坂で草を食む鹿の頭上を越えて、数間先に落ちた。
鹿が耳を震わせ怯えた。一頭が地を蹴り俊敏に逃げ出した。一目散に斜面を駆け上がっていく。もう一頭は、なぜか足を竦ませ慄いている。先だっての猟師小屋で、男が金縛りに遭ったときのように膝を突いていた。
――金縛りを使いましたよ。
イズミが短く伝えてきた。重宝な術だ。しかし問題はどうやってかれらにとどめを刺させるかだ。術の解けた敏捷な鹿がむざむざ斬られるはずもない。
――足の腱を切ったら金縛りを解きます。痛みも感じないので、鹿は走れぬのも気づかず坂を上っていくでしょう。
なるほど。俊敏に駆けられぬ鹿に坂を上らせる。そこで竹が斬り伏せるという算段か。
納得した途端、イズミが腕を一文字に振った。鹿の足がわずかに裂けた。すぐさま先の鹿とはあきらかに違う緩慢な足どりで逃げた。
四郎はイズミを法螺貝の中へ隠して鹿の跡を追う。斜面を上りきると、そこに満面笑みの竹が立っていた。
「一頭は取り逃がしましたが、二頭目は、見事に狩りましたぞ」
と鹿を指さし、にこやかな表情を見せた。小一郎も錫杖で腹を突いたのだろう、これ見よがしに鼻をふくらませていた。
日が西へ大きく傾斜した。急いで河原へ移り鹿の皮を剥いだ。串状にした木の枝を肉に突き刺し、枯れ木を燃やした火に当てた。同じ手順で人数分の肉を焼いた。
その他にもいくつかの塊に分け、イズミ用の肉も木串に刺した。その頃にはみな憂いを忘れ、それぞれ串を手に持ち焼き加減を見計らっていた。最初に食べはじめたのは小一郎だ。涎を垂らして食べはじめると、つられて優が食べだした。竹も続く。四郎は串刺しにした小さな肉をイズミに手渡した。
「ところでイズミ殿、一つお聞かせ願いたい」
四郎は声をひそめていった。
「何でしょう」
「皆に、某の輩のことを知ってほしいのですが、時期尚早であろうか」
「いえ丁度いい機会です。ぜひ話してください。いずれこの三人には、輩の庇護が必要になるはずですから」
「庇護?」
「ええ。数日前、あなたの死は薙刀の女たちを守るためといったのを覚えておいででしょうか。お優殿も薙刀の遣い手ですよ」
「何と――」
薄々そうでないかと思っていたが、だとしたら運命は精密に時を進めている。逃れようにも他の選択を消し、定めた道へ戻らざるを得なくしている。
いずれにせよ優が薙刀の女人であれば見捨てるわけにはいかない。四郎が守らなければ、気丈な竹と違い兵士の玩具にされてしまう。
させてはならぬ。
ふっと我に返ると、話し声が聞こえていたのか皆がいっせいに真剣な眼差しを向けてきた。どうやら四郎の思いを聞きたいようだ。
意を決して四郎は話した。巣穴の経緯から始まった兄弟の確執、愛情深く育ててくれた巫女のこと、優しく見守ってくれた輩のこと、そして幼い子らを守るために人間になった事情を詳らかに話した。
「四郎殿は人の子を救うために、人に……」
話し終えるとすぐに竹が、聞き取れないぐらいの小さな声を漏らした。その言葉からは、同情とも違う慈愛の感情が流れ込んできた。小一郎と優からも、同じような思いやりが感じられた。
だからといって半妖、いつまでも人間の姿をしているわけにはいかない。ただ四郎は、巫女との約束の集大成が会津にあると信じている。その責務を果たすまでは何があっても人として生きようと決めた。
「いずれ某はイイズナに戻るだろう。だがそれは別れの時でもある」
「戻らないで……」
気丈な竹の口からしおらしい言葉が飛び出る。その思いを推し量ることもせず四郎は言った。
「あなたを、いや小一郎もお優も、絶対に死なせない。皆が死ぬときは私が死ぬときです」
おそらく会津で待ち受けるのは四郎の死。それが人間との別れ、皆との別れだと四郎は漠然と感じていた。
これでいいのだ。自身に言い聞かせるよう大きく息を吐きだすと、坂の上で数頭の馬の嘶きがした。
仄かな月に照らされた夜空に人馬が一騎、黒ずんだ影を覗かせた。二騎、三騎と続き、やがて七つの影が並んだ。
中央の一騎が坂を降りてくる。他の六騎も中央の人馬を囲むよう降りてきた。四郎は湿った気持ちを引きずったまま、徒ならぬ事体に身構えた。




