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 小屋の中へ逃げ込んだのを確認すると、四郎は杉のこずえへ目を当てた。男は銃口を四郎に定めていた。

 もはや逃れようにも逃れられない。万事休すだ。

 小屋まで距離は六間以上ある。そのうえ障害物もなく、まるで無防備。走っている間に撃ち殺されてしまうだろう。錫杖で弾丸を弾く技量があれば別だが、そこまでの能力は持ち合わせていない。

 四郎は観念した。静かに目を瞑った。

 だが、いつまでたっても銃声は聞こえない。身体にも痛みが走らない。

「何かが起きている……」

 目を開けた。まるで金縛りに遭ったように男は動けずにいた。

 ――四郎殿、私がその金縛りをかけました。しかし、いかんせん距離がありすぎるので不完全です。すぐにも解けてしまうでしょう。

「では、小屋に身を伏せても無駄なのか」

 ――いいえ、ひとまず隠れれば策がないことはありません。

 間髪入れずに四郎は走った。小屋の板壁に身を寄せた。荒ぶる気を鎮めて男の気配を探った。

 すると舌打ちが聞こえた。すでに術は解けたのだろう。

「某に、イズミ殿のような金縛りは使えぬのか」

 ――無理です。術は修行の賜物なのです。しかも向き不向きを考慮すれば、あなたには攻撃的な業は使えません。

「では、逃れられぬのか」

 ――ひとつ方法が……。

 イズミの声と重なるよう、木から木へ飛び移る男の気配が入り込んできた。

 猶予がない。答を迫った。

「それは何か」

 ――輩です。あなたは巫女の輩でしたが、そのあなたにも、あなたを守護する輩がいます。面影だけでも思いだせば、きっと力になってくれるはずです。

 輩の面影?

 そういえば幼い頃、巫女に請われて人間になる前、死者の輩がいたような記憶が薄っすらある。

 ――危ない、身を伏せて!

 イズミの声が軋む。俄かに銃声が響く。四郎は膝を落として身を伏せた。

「ほう、よくぞ俺の一撃をかわしたな。なら、これではどうだ」

 男が木の枝から小屋の屋根に飛び移り、さらに跳躍をして地面に飛び降りた。単発式のスナイドル銃を投げすて、夜叉のような面相で四郎を睨みつけた。

 ――鎌鼬を使いますよ、気をつけて。

 そういわれてもイズミは近くにいないし、四郎に防ぐ手立てがあるはずもなかった。唯一あるとしたら、巫女の母である輩だけだろう。

 母……? そうだ、思いだしたぞ。四郎の輩は巫女の母だ!

 記憶の一部を蘇らせた途端、空が揺れた。大地が縦横に切り裂かれた。男が立っていられず膝を落とした。

「これは幻術、きさま覚醒したのか!」

 男が喚いた瞬間、イズミが走り込んできた。

「しばらく見ないうちに、ずいぶんと心を歪ませてしまいましたね」

「それもこれも、すべてきさまらのせいだ」

「では運命を呪いますか」

「ほざけ、きさまら二人を呪う。粉々に消滅させれば、運命など思いのままになる」

「勘違いなされぬほうがよいと思いますよ。人間はあくまで仮の姿、我らはしょせん半妖のイイズナなのですから。生きる世界が違うのですよ。その歪んだ野心を捨て去りなさい」

「野心だと! きさま、知っていたのか」

 しだいに空の揺れが弱まり、大地の裂け目が消えていく。

「俺の力を見くびるなよ。今回は見逃してやるが次は容赦しない。俺にはきさまらにない能力があるのだ」

 男は大見得を切ると、突如すがたを掻き消した。いや気配は残っているので見えなくなっただけかもしれない。

 イズミが気を集中させ防御している。四郎も攻撃に備えたが見えぬ敵に為すすべがない。それでも錫杖を構えて対すると、そのうち気配が遠ざかるのを察知した。

  

 四郎はすぐに窮地を救ってくれた輩を探した。十数年という長い間ずっとそばにいてくれたことに感謝し、気づかずに忘れていた非礼を詫びたかったのだ。もちろん命を救ってくれたありがたさを言葉にしたかった。

 その思いが通じたのかもしれない。日中は見えないという記憶の中で、輩の存在をはっきり感じとることができた。

 静かに歩み寄り、片膝を地面に突いて思いの丈を吐露した。

 すると「よく思い出してくれました」と、慎ましやかな声が返ってきた。

 正確に言うなら、輩に肉体はないので声の感覚だけなのだろうが、懐かしさに胸が締めつけられた。

「そんなに心配なさらなくとも、私はいつでもあなたの傍にいると約束しましたよ。なぜなら永遠とわの間柄ですから。そんなことよりも、まずは老人の冥福を祈ってあげたほうがいいでしょう」

 四郎は我を取り戻し、与八の元へ駆け寄った。脈に手を当て落命を確認すると、神妙に冥福を祈った。竹らもやってきた。彼らも与八が、単なる一宿一飯の間柄でないと感じていたのだろう。涙ながらに祈っていた。

 皆で庭の敷地に穴を掘り、埋葬した。その頃には高ぶった神経も静まり、涙は枯れていた。

  

 その後、丘へ兵士の様子を見に行った小一郎が馬を引いて戻ってきた。しきりに首を捻っている。

「解せません。いったい誰の仕業でしょうか。兵士の首と胴体は離れていました。しかも血が出ていないのです」

「おそらくは鎌鼬の所業かと。きっと天罰が降ったのでしょう。ですが、それ以上の詮索は無用だと思われますぞ小一郎殿」

「なぜです。お竹様は、よもや経緯を知っておいでなのですか」

「知りませぬ。私は何も知らないのです。でもずっと思っておりました。我らを神々しい何かが守ってくださってると。だからこれまで生きてこられたのであるし、これから先も死なないのだと……」

 潤んだ眼で訴える竹は、宿屋でイズミが告げた先見を思い浮かべている。それが惨たらしい死だと覚悟しつつ、その何かに守ってほしいと願っている。武士であっても商人であっても、本音は誰もが安穏な死を望むものだ。女人であるならなおさらに。

 小一郎も、会津で竹に待ち受ける激烈な戦いを想像できたのかもしれない。それ以上反論せず押し黙った。

 何にせよ与八の犠牲によってひとまず憂いは取り除かれた。だが、これからも次々と新しい憂いが生まれ四郎の前に立ち塞がってくるはずだ。それも喩えようもないほど冷酷で、残忍な憂いが。

 そしてまた姿を掻き消した敵は、間違いなくこの憂いの闇に潜んでいる。


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