2章 姿なき追跡者 1
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なだらかな山裾に梅雨のぼやけた日が昇る。空の重さをそのままに鳥が飛び立ち、一日の始まりを告げる。じっと小屋を凝視していた佐治は、横で深い眠りにつく山谷を見て、ばかな奴だと冷笑した。
「夜が明けましたぜ、山谷さん」
「おお、もうそんな頃合いになったんかい」
山谷は起き出し、寝ぼけまなこで大きなあくびをすると空を見上げた。そして崖に腹這いになった。
「山伏はまだ小屋におるんか」
昨夜、小屋の近くに侵入し存在を確認した。ついでに獲物を狩ろうと思ったが、小さな気配がそうさせなかった。奴の術は小さいだけに威力はないが、戦いの最中に、もう一人を目覚めさせたら厄介だ。佐治はあきらめ小屋を後にした。
「じきに出てきますよ。すぐに準備をしないと間に合いませんぜ」
「わかっちょるが、急かすなや」
こいつは口先だけで何もわかっていない。佐治は山谷に愛想が尽きていた。
射撃に長けた分隊長というので少なからず期待したが、まるっきり行動の伴わないぼんくらだ。酒好きで、昨日も千載一遇の好機を見誤った。
昼すぎに、二人が待ち構える山道へ入りそうだというのに、焦れたのか喉が渇いたといって狙撃を打ちやめた。酒を飲みに、小山宿へ向かって馬首を巡らせた。命令なのでやむなく同意したが……後の祭りだ。
山賊が山伏と侍に殺されたと知ったのは、山谷がかなり酒を飲んでからだった。佐治が追いかけよう進言しても「こう暗くては銃が撃てんて。ほんなら小山で待ち伏せしたほうが、よっぽどええ。それに合図の銃声が聞こえん」と、腰を上げようとしなかった。
合図がないのは篭絡させた猟師は心変わりしたのだ。一見、変骨だが芯のある男だ。金で釣れるような男ではない。しかも渡したのは、出し惜しんだ結果のはした金。それは誠意のなさとして相手に伝わる。
どのみち小山宿へ来るかは賭けだ。あのまま間道を抜ければ猟師小屋、その先は壬生になる。別に小山を通らなくても宇都宮へ行けるのだ。佐治は小山へ来ないと踏んだ。
小屋を凝視して半刻。扉を開けて出てきたのは、ほっそりとした侍と娘、続いて若い山伏。標的の山伏は猟師に挨拶をしているのだろう、なかなか出てこなかった。
「そろそろじゃき」
酒臭い息を周囲にまき散らし、崖に腹這いになって銃を構える山谷が毒づいた。「待ってろ。すぐにもわれに引導を渡しちゃる」
見通しの悪い男だ。そんな簡単な相手ではないとわかっていない。
いよいよ大柄の山伏が出てきた。その瞬間、男の外貌を見て佐治は嫉妬した。遠目に見ても凛々しく、武骨な佐治とは同じ兄弟でも雲泥の差なのだった。赦せない。たぶんこれが育てられた環境というものなのだろう。
めらめらと殺意が加速する。
「山谷さん、俺が撃ちましょうか」
佐治は、酒臭い山谷の狙撃が心配になった。今ここで確実にしとめなければ、後々大きな憂いを残すと感じたのだ。そもそも醒めているとはいっても確実に当たるかどうか心許ない。
が、山谷は「ばかぬかせ、わしの獲物じゃ」と、頑として譲らない。
吐きすて山谷が唾を飲み込んだ。外せば、奴の懐にいる半妖が飛び出すのは目に見えている。気配を消してここへやってくる。
銃を構えたまま、山谷がなかなか撃たない。標準を定めようにも娘らと重なって撃つ機会に恵まれないのだ。
佐治はまずいと思った。総督の板垣が定めた、厳しい土佐迅衝隊士の規律が身についてしまっている。しかしこのままでは、いずれ小さな存在に感づかれ逆襲されてしまう。
ならば裏へ廻り、単独で狙撃するしかない。もし同じように娘らと重なったのなら、情をかけず皆殺しにすればいいだけだ。佐治は気配を消し、音も立てずに丘を下った。
*
「楽しみにしてください。必ずスペンサー銃をお持ちしますから」
四郎は見送る与八に声をかけた。が与八は、ふんと笑いながら首を振る。
「そんなことより道中気をつけるんだな。奴は執念深いぞ」
四郎はそれ以上は何も言わず外へ出た。すると頭に、イズミの急を告げる声がした。
――四郎殿。速やかに皆を小屋の裏へ隠してください。その際、あなたは身を屈ませるのを忘れずに。私は用足しへ行こうかと。
伝えるなり、イズミは素早い動作で法螺貝から飛び降りた。竹らに見られぬよう丘へ向かって走った。
はてと四郎は思ったが、すぐにイズミの真意を察した。きっと奴がいる。どこからか四郎に銃口を向けている。
しかも奴の銃は七連発のスペンサー銃。皆を一気に撃ち殺しても、まだあまりある。与八が扉から出て見送ろうとしたが押しとどめ、皆に伝えた。
「丘の上から、スペンサー銃で某を狙撃しようとする者がおります。今から数を二つ数えたら、一斉に小屋の裏へ隠れてほしい」
四郎の言葉を聞き、新式銃の威力を身に沁みて知る小一郎が肯いた。与八が険しい顔つきで小屋の中へ戻った。
指を二つ折る。四郎は屈み、皆は小屋の裏へ逃げ込んだ。
刹那、ぱーんと乾いた音が響いた。空気が切り裂かれ、木片が飛び散った。
まさに間一髪だ。頭をかすめた弾丸は小屋の太い柱にめり込んだ。屈まなければ頭を撃ち抜かれていたのは瞭然だった。
すかさず小屋の中へ入り込む。しかし入れ替わるよう与八が猟銃を持って飛び出した。
「危ないですぞ!」
叫んだが徒労だった。きっと与八は、信用のおけぬ輩に篭絡させられた悔いを晴らすつもりだ。
「老いぼれの意地を見せてやる」
喚くように言うと、与八は銃を構え、丘へ狙いを定めた。
「いたぞ。小悪党め、覚悟しろ」
与八が引金を弾く。ズダーンと音が響き――相手ではなく、与八が前のめりに倒れた。わずかの差で先に撃たれ、与八の放った弾丸は近くの小石を弾いただけだった。
小屋の裏から優の悲鳴が上がる。
「くそ、よくも――」
突然、何かが胸の堰を切る。四郎は憑かれたように小屋の外へ走った。
「四郎殿、なりませぬ!」
竹の声も抛擲した。あの男の目的は四郎を殺すことである。だったら殺されよう。それで、これ以上の犠牲を出さなくて済むならと、両手を広げ大声で叫んだ。
「某を撃てば、お前の本懐は遂げられる。ならば撃て!」
するとすぐさま銃声がして、小屋の格子を突き破った。四郎との距離は二間もあった。これまでの射撃とは違い考えられない狂いだ。
もしや、イズミ殿が?
四郎は無防備状態のまま、意識を丘の上に集中させた。
絵が現われた。男の首がなかった。イズミが両手を翳して立っていた。
集中を解き、絵を振り払った。与八の傍へ駆け寄った。胸からどくどく血が流れている。喉に手を当てた。脈がなかった。膝を突き天を仰いだ。なぜだと叫び泣いた。小屋の裏から皆が集まってきた。竹が与八の瞼を閉じる。四郎の肩に手を置いた。
「四郎殿のせいではありませぬぞ」
気休めだとは知っていた。だが、その言葉を受け入れなければ心が彷徨う。
束の間、悲嘆に暮れる四郎の脳裏にイズミの緊迫した声が響く。
――憔悴している場合ではありませんよ。最大の敵が、あなたに狙いを定めて配置につきました。
「最大とは……まさかあ奴のことか。どこにいるのだ」
――裏手の杉の梢です。一刻も早く皆を小屋の中へ。
その声によって、杉の木を見ずとも絵が見えた。官軍兵士が銃を構えていた。この能力はまぎれもなく半妖の証。やはり真実だったのだ。
なら事体は見えざる敵とイズミと四郎が生んだ、複雑な確執が原因。その諍いに関わりのない人間を巻き込んではならない。それだけは絶対に避けなくてはならなかった。
「お竹殿、小一郎と優と共に、急ぎ小屋の中へ入ってくださるか。伏兵が一人、近くに潜んでいる」
刹那、一昨日のイズミの言葉を蘇らせたのだろう、竹が青白い顔をさせて頷いた。小一郎と優を率いて小屋の中へ潜り込んだ。




