放課後の不穏
月曜、健心は朝から妙なものを感じ取っていた。
クラスメイト達は皆メールで盛り上がっている。《呪いのメール》や《不幸メール》などと言って瞬く間に噂になった。璃沙のメールを見たからか、健心の元にも届いていた。学校中にそれが蔓延している気配がある。
転んで擦りむいた、突き指した、捻挫したなどと申し立てる生徒が多く保健室はパンク状態だという話だった。
特に受験の不安からか、三年生は酷いという話を聞いた。璃沙のクラスが顕著であり、メールをしてみたが大丈夫だという話だった。
兄一心の交渉が成功したのかは健心にもよくわからなかった。
放課後、璃沙はオカ研に顔を出すと言っていた。きちんと話すとメンバーに言って黙らせたらしい。
彼女は強いのだと健心は思う。否定してはいたが、奏人とは今も想い合っているような気がした。裏切られた気持ちで、それでも立ち向かおうとする。
だから、健心も真っ直ぐに部室に向かうつもりだった。けれども、その放課後は皆の様子がおかしく、部室に行ってしまえばどうにかなると思っていた。
結果を言えば健心は部室に辿り着けなかった。
気付けば、薄暗い空間にいた。仰向けに寝ている。そして、腕が縛られている。そして、嗅ぎ覚えのあるきつい臭いが鼻を刺激している。身動きが取れないのは腕の拘束だけが原因ではないようだ。
何か柔らかく、重みのあるものがのしかかっている。
「ふふっ……うふふふふ……」
笑い声が頭上から聞こえてくる。
「あら、お目覚めですの? 健心様」
「み、美空先輩……?」
更紗だった。すぐそこに、健心の上に彼女がいる。
「な、何で……」
なぜ、こんなことになってしまっているのか、全く事態を飲み込めない。
倉庫だろうか、暗くて埃っぽくてよくわからない。
「わたくし、あんな屈辱初めてでしたわ……」
「いや、あの、だからってこれは」
そもそもの問題は彼女にあると今でも思っているが、この状況から抜け出せるならば、いくらでも謝罪するつもりでいた。こんなことは望んでいない。一刻も早く解放されたいと思っていた。
「わたくしの想いが偽物だと言うなら、お確かめになって」
そっと更紗の手が胸の上に置かれ、顔が近付いてくる。体は動いてくれない。
「既成事実、お作りしましょう」
耳元で囁かれた瞬間、全身が嫌悪に支配された。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」
足をばたつかせ、それでも更紗は恐ろしいほどの力で押さえ付けてくる。
「勘弁してください! ほんとやめてくださいってば!!」
更紗の顔は尚も近付いてくる。けれど、このまま……とは思えない。
ぴたりと更紗が動きを止め、その手が腕に伸びる。
「あら、健心様。あなたも璃沙様にブレスレットをいただきましたの? こんなもの、外してしまった方が良いですわ」
「や、やめろっ!!」
「きゃっ!」
叫んだ瞬間、更紗が弾かれたように離れる。だが、彼女はすぐにまた体重をかけてくる。
助けてくれ、頭の中はそれだけだった。そして、強く願った時、暗かった空間に光が射す。それは救いの光に見えた。
*
朝から校内にあった不穏な気配は、放課後には爆発的な膨らみを見せた。
どうしたものかと考えて璃沙に思い付くのはまず部室に行くことだった。オカ研メンバーと合流するべきだろう。
異様な空気の中、これまでなら圭斗に連絡していただろう。しかしながら、今、彼は病院のベッドの上だ。
日高兄弟と繋がってしまった今、黒羽オフィスに連絡する気にもなれない。とりあえず、璃沙は健心を確保することを優先したかった。
「璃沙」
足早に教室を出て部室に向かう途中、呼び止める声があった。誰のものかわかった上で璃沙は立ち止まらず、振り返りもしなかった。
「待って、本当に待ってってば!」
慌てて追いかけてきて、彼は隣に並ぶ。
「あんたの相手とかしてらんない」
彼に構う暇など璃沙にはない。
だが、彼も退かなかった。
「ケータイを出して」
そう言って彼は手を伸ばしてくる。璃沙はさっとポケットを押さえて決して取られまいとした。
「メールを消すから」
「メールを消す?」
呪いのメールのことだろう。何度やっても、誰がやっても消せなかったものだ。
「あれは呼び水。あるべきものじゃない」
振り切ろうにも彼はどこまでもついてきそうだった。本当に消せるものか。そう思いながら璃沙は携帯電話を彼に差し出す。
ピタリと足を止めた奏人は両手で携帯電話を持ち、何かを念じるようにしている様子だった。それから携帯電話を返してくる。確かにメールが消えていた。
「ありがとうって言うべき?」
「いや、俺の仕事をしただけだ。それよりも一緒に行こう」
「どこへ?」
「オカ研の部室」
「言われなくても行くけど」
今正に目指していたところだ。足止めしておいてよく言うものだ。
「説明は省くけど、あそこは校内で一番安全な場所だ」
「でも、あんたと一緒に行く理由はないわね」
どんな理由があろうと彼と共にいく理由はない。送り届けるのが目的なら必要ないし、避難したいのなら勝手にしろという話だ。
「君を守る」
「必要ない」
真っ直ぐに見てくる視線に耐えかねて目を逸らした璃沙はあるものを目撃してしまった。幸か不幸か。
どちらにしても、これで彼を振り払って、目的地を変更することができる。
「君は危険なんだ。狙われているんだ。議論している暇はない」
「それはこっちも同じことよ!」
腕を掴もうと伸ばしてくる手を思いっきり捻り上げる。躊躇はなかった。
「い、いたいいたい! 暴力反対!」
「堪え性のない男だこと」
そうして奏人を突き飛ばし、璃沙は走り出す。まず助けなければいけない人間がいる。
「璃沙!」
振り返らずにただただ走る。大事な部員を助けるために。
外に出て、璃沙は迷わずある場所を目指す。あの時、窓の外に健心の姿を見つけた。彼は男子生徒に運ばれ、更紗の姿もあった。
そうなれば、行き先はもう検討が着く。近付けば、見張りか、障害物か。璃沙を止めようとする男子生徒の数が多くなる。今回は随分と数が多い。それでも、璃沙は怯まず立ち向かう。彼を救えるのは自分だけのような気がしていた。
男子生徒達の様子はおかしい。目つきがおかしく、次々に向かってくる様はドラッグ中毒かゾンビかと思うほどだ。けれども、異様な強さを手にしたというわけでもないらしい。
次々男子生徒達を沈め、ようやく体育倉庫が見えてくる。手遅れでなければいい。願いながら近付いて、聞こえてきたのは男子の悲鳴、健心のようだった。
まだ彼の貞操は守られているか。迷っている暇はなかった。璃沙は扉を開け放つ。
薄暗い倉庫の中で、マットの上の健心に更紗がのし掛かっていた。まだどちらも服を着ている。間に合っただろう。
「あら、ここには誰も近付けないようにしましたのに」
更紗は振り返り、健心が身を捩る。
「あんなので、あたしの足を止められるとでも思ったの? ワンパターンの女王さん?」
やはり彼女の息がかかっていたかと思えば、途端に笑えてきた。クスクスと笑いが堪えきれずにこぼれる。
「せんぱ……」
健心が何かを言おうとしたようだが、わかっている。背後から襲いかかってきた男を璃沙は気絶させた。
「あたし達が何度襲われかけたと思ってるの? やり口はもう尽きたみたいね。通用しないわ」
更紗のせいで何度も修羅場をくぐり抜けたのだ。もう彼女の罠に引っかかるつもりはない。
「日高健心!」
「はい!」
璃沙が呼びかければ、おそらく反射敵にだろう勢いよく返事が返ってきた。
「あたしに助けてほしい?」
「へ?」
問えば、今度は何とも間抜けな声だ。
「助けてほしいか、このまま見なかったことにしてほしいか」
「な、何言ってるんですか! 助けてほしいに決まってるじゃないですかっ!!」
「ラッキーに身を任せようと思ってるんじゃないの?」
「思ってません! 本当に思ってません! 美空先輩なんか全然好きじゃありません!!」
はっきりと彼は言う。それが本心だろう。
「よろしい」
璃沙は更紗に近付き、首根っこを掴んで乱暴に投げ飛ばす。そうして、健心の腕の拘束を解いてやる。しかし、背後で更紗が動いたのに気付く。
「相変わらずしぶとくて困るわ。乙女は大人しく気絶してたら?」
突き飛ばしたのはまだ手加減をしていたのだが、全く可愛げのないことだ。
「わたくしが何度あなたに突き飛ばされたと思っているんです?」
「飛ばし足りないわね!」
今度は容赦なく、更紗の鳩尾にパンチを叩き込む。彼女もあの男子生徒達と同じ雰囲気がある。確実に気絶させる必要があった。
「さあ、行くわよ」
ぐいっと璃沙は健心の腕を引いて外に出る。そして、健心が深呼吸を始めたのを見やり、すぐに倉庫に鍵をかける。彼女は暫く封印しておいた方がいい。




