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ストーカーと駆け込み寺

 翌日、土曜日、璃沙は出かける用意をしていた。昨日の夜決めたことだ。相手方にも連絡を入れてある。後は向かうだけだった。

 家を出て、駅に向かおうというところで見たくもないものを見てしまった。

 今のところ、怪我などをすることもない。けれども、璃沙の基準で言うなら、彼は間違いなく不幸だった。


「あら、偶然ね」


 絶対に偶然ではないとわかった上で璃沙は嫌みったらしく言ってやった。


「君は偶然の方が良かっただろうね。けれど、必然だとわかっている。心当たりがあるだろう? この俺を本気で出し抜けると思ったかい?」


 今でも爽やかだと思っているのか、彼はニッコリと微笑んで見せる。

 皆と同じ制服を着ていても何か違う雰囲気を漂わせる神木奏人は私服も文句なくお洒落だ。まるで雑誌から飛び出したモデルのようである。

 いつだって人目を引いてきた彼が今はたまらなく鬱陶しい。家の近くで待ち構えて、最早ストーカーと言われても反論できないだろう。


「週末のデートはなしになったと思ったけど、まだ未練が? 恋愛ごっこはやめてくれるんでしょ?」


 予定を調整しておくと光明は言っていたが、奏人の方から中止を持ちかけたのだろう。光明からは何の連絡もなかった。圭斗のことがあって、それどころでなくなったとも思える。彼としては不安で仕方がないだろう。

 休日、デートの名目であからさまに監視されては璃沙も気がおかしくなる。


「どうやら、君を目的地に行かせるわけにはいかないようだから」


 行動はお見通しらしい。オカ研や黒羽オフィスとは現時点で連絡を絶っているが、璃沙の行動などわかりやすいものだろう。


「随分と不都合があるみたいね。でも、あたしは行く」

「行かせない」

「あんたに、あたしの休日の過ごし方を決める権限はない。あたしは自由よ」


 彼が立ちはだかろうと越えていく自信が璃沙にはあった。


「君は俺の監視対象だ」

「偉ぶってんじゃないわよ。あんた達が勝手に決めたこと、あたしには関係ない」


 彼には何の期待もない。目的地は彼と共に行けるところではない。だから、こうして必死に止めようとするのだろう。


「それとも、あんたのアジトにでも連れてってくれる?」


 彼の本拠地に殴り込みに行くのなら、それも面白い。


「絶対、君が想像するようなものじゃないし……来たら、君は物凄く後悔すると思うけど、覚悟は?」


 急にイタズラっぽく奏人が問いかけてくる。


「行ったら最後、あたしが余計なことしないように軟禁する?」

「実質的にそうなるかもしれないし、まあ、俺に言えるのは確実に外堀が埋まるってこと」

「何それわけわかんない」

「俺は構わないんだけどね。君にはそれぐらいした方がいいのかもしれないし、そうしたら、こんなこともしなくて済むから」


 彼は楽しげに笑っているが、妙にぞっとするのはなぜだろうか。嫌な予感しかない。非常に遠慮したい気持ちでいっぱいになる。


「君がこのまま大人しく過ごしてくれるなら、俺は何もしないよ」


 冗談じゃない、と心の中で吐き捨てる。戻るつもりはない。


「あーそうそう、ディスクなら返してあげる。こんな空ディスク、何の意味もないわ」


 鞄から取り出したディスクを奏人に押し付ける。


「空って……そんなはずはない」


 受け取った奏人は明らかに動揺していた。彼は本物を掴んだと思っている。確認してから手に入れたなら、何か不思議なことが起きたのかもしれない。楠田のパソコンでなければ見られないのか、もう消えてしまったのか。それは璃沙にはわからないことだ。


「棒や石であたしの骨を砕けても、言葉じゃ傷付けられないわよ」

「俺は君を守りたいのであって、傷付けるつもりはないんだけど……」


 口では何とでも言える。


「でも、君は俺を平気で傷付けられる。精神的にも肉体的にも」


 彼だって傷付けていないわけではないのに、当て付けがましく言う。


「いくら俺だって君の美脚キックは食らいたくない。ドMに目覚めてしまうかもしれない」


 これ以上彼と話していたくはなかった。当て擦りの会話は何も生まない。彼を蹴りたくないなどということはないが、もっと手軽な方法を思い付いていた。

 璃沙はじっと彼の顔を見た。そして、自分の中で最上の笑みを作って見せる。


「奏人」


 名前を呼ぶ、たったそれだけのことだった。彼は今までに何度もそれを要求してきたが、璃沙は頑なに拒んできた。だからこその破壊力があった。

 奏人はピタリと動きを止めていた。目は見開かれ、口はぽっかりと開いている。そして、耳まで真っ赤になっている。否、全身が赤くなってしまっている。


「あんたが、今まであたしにやってきたことよ。ざまあみろ」


 本当に彼は未熟者だった。実にちょろい、というものである。まさか自分が今までしてきた方法で返されるとは思っていなかっただろう。

 呆然と立ち尽くす奏人を一瞥して璃沙は全力で走った。こんなこともあろうかと動きやすい格好をしていたことに彼は気付いただろうか。




 目的地に行くのは初めてだったが、難しいことではない。昨夜の内に電話をして目印も聞いている。

 だが、目的の建物が近付いただろうというところで、見たくないものを見てしまった。


「……しつこい男って、ほんとサイテー」


 本心だった。あのまま立ち尽くして不審者にでもなっていれば良かったのだ。正気を取り戻したか、仲間に戻されたか、いずれにしても組織の力を使っただろう。

 今日の目的地も璃沙の自宅のある市内にあり、車で行けばそう遠くないが、電車を使うとなると遠回りになる。無論、璃沙と手あれば奏人を撒けたなどとは思っていなかった。待ち伏せの可能性は大いに考えていた。


「同じ手が二度も通用すると思わないでくれ」

「あたしだって、二度もあんなおぞましいこと言いたくないわよ」


 璃沙も馬鹿ではない。次は彼を喜ばせるとわかっていて、名前を呼んだりはしない。あれは一度きりと決めたのだ。


「照れちゃって可愛いね。でも、もう一度言ってくれると助かる。今度は録音するから」

「変態」

「ああ、それもいいね」

「今、あたしに付き纏うのをやめないと、また自分がしてきたことを後悔するわよ」


 本気の脅しだった。切り札はもう一つあるのだ。彼が自分の首を絞めたと思うようなものだ。


「お願いだから、俺と一緒にきてくれ。行かないで」


 懇願だった。だが、そんなもので心が変わると思っているなら、璃沙も躊躇わない。


「……このド変態ストーカー野郎! もう付き纏わないで」

「お、俺はストーカーじゃ……」


 叫ぶだけでも十分に注目された。彼もそうだが、自分の容姿も人目を引くことはわかっている。近くにいた人々がざわつく。奏人は明らかに焦っている。この程度では目的地の前で追い付かれてしまう。だから、璃沙は鞄に手を伸ばし、防犯ブザーを鳴らした。

 一目ではわからない代物だが、それをくれたのは彼だ。学校の鞄から付け変えておいた物がこんな皮肉な使い方になるとは、璃沙としても考えたくなかったことだが、互いには引けなかった。


「くっ……」


 そして、また璃沙は全力疾走した。決して、このためではなかったが、普段から鍛えているのだ。そう簡単にへたれない。


「何やってんだ、このクソ未熟者!!」


 背後から何やら罵声が聞こえたが、振り返るわけにはいかなかった。



 すぐに目的の場所に着き、璃沙はそのまま階段を駆け上がる。その先に見覚えのある人影があった。


「お、お嬢さん! あなたと今日再会したのは運命に違いない。結婚を前提としたお付き合いを」


 あまりに残念な挨拶だった。しかし、これが健心の兄――日高清心という男らしい。


「あら、こんにちは。残念な二番目のお兄さん。一番目のお兄さんは?」


 聞いてはみたが、清心はぼーっとしてしまっているし、目的の人物は自分から現れた。これが初対面となるが、すぐにわかった。



「いつからここは駆け込み寺になったのでしょうね」

「一兄!」


 息を切らす璃沙を見る目は穏やかながら、呆れているようである。


「寺になった時からでしょう」


 璃沙だって好きで駆け込んできたわけではない。できることならば、落ち着きをもって来たかったくらいだ。


「テラ……健心君の一番上のお兄さん、一心さんですね?」

「ええ、日高一心です」

「冥加璃沙です」

「お待ちしてました。道中険しかったようですが、もう安全です。どうぞ、こちらへ」


 物腰柔らかく、丁寧な一心に璃沙も自然と背筋が伸びていた。


「心配せずとも入ってきません。縄張り意識のようなものと言いますか、踏み込めば無関係ではいられなくなりますからね。彼らにとっては非常に都合が悪いことですよ」


 サイキックとして何かを感じているのだろうか。それとも、互いによく知っているのか。

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