たとえ、それが裏切りでも
もしかしたら、裏切りだと思われているのかもしれない。
それでも、璃沙は構わなかった。何と言われようと構わない。それが光明達でも誹りは受け止める。
けれど、初めから仲良しこよしの間柄ではない。強い絆が存在するとは言えない。誰もそんなことは言わないだろう。
自分が踏み込んでいくことで、彼らも危険に晒されるかものしれない。璃沙もその可能性を考えないわけではない。彼らがどうなろうと関係ないというわけでもない。
けれど、きっと覚悟しているはずなのだ。圭斗も戦って、倒れた。
もう何もせずとも逃れられないところにきてしまっている。いずれ全員が蜘蛛の巣に絡め取られることになるだろう。
楠田の《不幸シミュレーター》は広がり続ける。メールも拡散された。それを璃沙は見たのだ。
だから、彼らもそうなる前に、どうにかできるものならしておきたかった。
傷付く覚悟があるなどと容易く口にはしない。自分に何ができるとも思わない。誰に何と言われようと自分を特別だとは思えない。
それでも、じっとしているのは性に合わなかった。どうせ、全てを話したところで相手が秘密主義を貫き、何もするなと言い張るのなら、自ら飛び込んで、その目で真実を見た方が良い。その方がきっと後悔しないでいられる。
何のつもりか、星河が持たせてくれたのは蔵重のメモだった。星河の直筆のメモもある。《呪術師》の証言から照らし合わせてもかなり正確だ。
彼は、行ってこいとでも言うように、それを託してくれたように感じる。そう言えば、勘違いするなと彼は怒るだろうか。だが、光明も引き留めたのは海里の方だった。
病院を出て、携帯電話の電源を入れた時、メールの着信があった。星河達からのメールの一番上、差出人のない奇妙なメールはあの不幸のメールだった。特に驚くわけでもなく、消してみたが、やはり消えなかった。けれど、やはり怖いとは思えなかった。悲しいような、虚しいような、安堵しているような、感覚が麻痺していたのかもしれない。
そうして今日も寂れた駅で降りて歩く。二度目だが、地図を見なくとも道は覚えた。単純な道のりだった。
突っ付いた藪から鬼が出るか蛇が出るかもわからない。だが、恐れもなく真っ直ぐ楠田の家を目指す。もう何でも来いと自棄になっていたのかもしれない。
今日も楠田は学校に来なかったし、もう二度と来る気もないのかもしれない。
あるいは、いじめっ子が全員いなくなったところで何事もなかったように戻ってくるつもりなのかもしれない。そうなるとも璃沙には思えなかったが。
だから、彼はきっと家にいるのだろう。そして、彼は『また』を待っている。璃沙から結果を聞くこと、そして、自分が手に入れたアイテムの自慢をいくらでもしたいに違いない。
しかしながら、璃沙の目的も彼の野望も果たされないようだった。
楠田の家から人が出てくる。それは璃沙に面倒な事を押し付けたがる担任でなければ彼の母親でもない。ましてや《呪術師》でもない。
璃沙にとって全くの予想外だったわけでもない。それは相手にとっても同じことだろう。けれど、最も厄介な人間であることだけは間違いない。
「君が来ないことを祈ってたんだけど、無駄だったらしい」
神木奏人は悲しげに顔を歪めていたが、全てがわざとらしく見えた。
璃沙が予測していたように彼もまた簡単にこの可能性に行き着いたはずだ。
他のクラスのこととは言っても、同時期に二名の入院者と一名の停学者を出したとなれば、噂は驚異的な速度で広まる。そして、呪いのメールのことも同じように拡散されていくのだろう。それらは璃沙の周囲で起きていることであり、いつ自分の身に降り懸かるかもわからない。
「じゃあ、あんた、きっと、神様にも嫌われちゃったのね。おめでとう」
「君に嫌われて、神にも嫌われて、それでも、俺は逞しく生きるけどね」
「憎まれっ子世にはばかる? 厚かましいわね」
何でも言いなよ、と奏人は自嘲気味に笑う。だが、璃沙も当てこすりのお喋りを楽しみにきたわけではない。
「それで? 欲しいものはこれかい? お嬢さん」
奏人はディスクをちらつかせる。何も書いていない、あのディスクに見えた。
「そうよ。それが欲しいの、って言ったら、くれるわけ?」
「可愛いおねだりには少々心が揺らぐが、これを回収するのは俺の役目だから、あげられないな」
渡す気は更々ないということだろうが、見せるべきではなかったということに彼は気付いているのだろうか。それとも、絶対に取られないとでも思ったのか。
彼は自分の性格が災いするということをわかっていないのだろうか。
「あら、いつから回収業者に転職したの? 生徒会長様って、副業するほどそんなにお暇だったの? 忙しい忙しいって言ってた気がするけど、フリだったのかしら?」
「部下が優秀だからね。まあ、荒金と冷水は今の内から鍛えておかないと」
今頃、あの守銭奴と雑用係は泣いているかもしれない。副会長の火爪と書記の黒土はかなりの曲者だ。それとも、オカ研の問題が片付いて仕事が激減したとでも言うのか。
それよりも、問題は静かすぎることだ。
「……あんた、楠田に何したの」
「何か人聞きが悪いね。それって、俺が何かしたことが前提だよね?」
彼が大人しくディスクを渡すなどとは思えなかった。
家に明かりはなく、留守中の犯行ともとれるし、彼に何かした可能性もある。
「彼はちゃんと中にいるよ? お昼寝中ってところかな? ご心配なく」
意味深な答えだった。眠らせたということだろうか。何にしても穏やかではない。
「圭斗先輩がやられた」
「……そうらしいね」
「随分情報が早いのね。それは鬼海から? それとも、別の誰かから?」
海里が彼に連絡するというのは不思議ではない。もしかしたら、璃沙の不審な行動を彼の正体も知らずに流しているかもしれない。あるいは、圭斗が襲われたことに《呪術師》が関係しているのなら、それは彼らの管轄ということになるのだろう。知っていても不思議ではない。
「彼は大丈夫なの?」
「商売敵のご心配? それとも、明日は我が身?」
「別に商売敵ってわけじゃないし、俺は元々……」
言いかけて、奏人は慌てたように口を噤む。どうやら、口を滑らせかけたようだ。
「元々、何?」
じっと見れば明らかに動揺しているが、絶対吐かないとばかりに口を塞ぐが、片手にはディスクが握られたままで狙ってくれと言わんばかりだ。既に璃沙はロックオンしている。
「一命は取り留めた。それに、あの人には立派な眷属がついてる。そうでしょ?」
「とんでもない女神もついてるよ」
あのボスのことだろうか、とは思うが、興味はなかった。
璃沙は思い出したように携帯電話を取り出す。そして、奏人にあの呪いのメールを見せ付ける。
「ああ、そうそう。そっちとこれ、どっちが本体? 何か受信した二人の見たら、あたしにも、うつっちゃったみたいで、本当に消しても消しても消えないのよね、これ。田辺は事故ったし、木村は階段から落ちたし、あたしはどうなるのかしらね」
「そ、そんな……」
完全に狼狽えた様子で奏人が携帯電話に手を伸ばしてくる。渡す素振りを見せて、璃沙はさっとディスクを奪い取った。隙あり、だ。
「わかりやすい反応、どうもありがとう」
「ちょ、ちょっと!」
「バイバイ」
気付いた時には既に遅し、璃沙はディスクを鞄にしまい込み、走り出した。
決して振り返らず、駅まで全力疾走して、丁度来た電車に乗り込む。奏人は追ってこなかった。
偽物を掴まされただろうか。彼が演技をしていたとも思えない。どちらにしても、《不幸シミュレーター》は楠田の手を離れたはずだ。
彼があれほど動揺した理由はわからない。けれど、立ち向かう気にさせたのは皮肉なことに彼だった。愛が勇気を、理由をくれたとは言わない。
彼は戦い続けてきて、これからも変わらないだろう。共に戦えるとは思わない。だからと言って戦わないとは言えない。璃沙は璃沙なりに戦う。邪魔をするわけでもない。




