悪魔の危機
思いの外、長居をしてしまった。暗くなる前に行きたいところがあったのだが、無理かもしれないと璃沙は思う。
何と言われようと彼を訪ねるつもりだった。
病院にいる間、切っておいた携帯電話の電源を入れると何件も着信が入っていた。メールも届いていた。合わせて二十を越える着信を確認する前にまたブルブルと震える。相手は星河だった。
「もしもし?」
彼から着信があるのは珍しいことだった。一応、互いに嫌々連絡先を交換した程度だった。
二日連続で部活を休み、今日に至っては無断だったことを怒っているのかと軽く考えていた。結局、彼の報告を聞いていない。
だからと言って、この不在着信の数は尋常ではない。
『お前、どこにいるんだよ!?』
出た瞬間の罵声に璃沙は携帯電話を遠ざけた。持つ手がビリビリとするような大声だった。彼の気迫が小さな機械越しに伝わってくるようだ。本当に怒っている。報告を聞かなかったからではないようだ。
『どこにいるのか、って聞いてんだよ!!』
「病院」
『はぁ!? ふざけるなよ!』
「病院って言ったの。美容院じゃない」
『んなこと言ってねぇよ!』
完全にぶちギレている、そう判断した。喧嘩ではどちらが強いか今のところ明らかにはなっていないが、とにかく彼はガラが悪い。
「神前総合病院。田辺と木村のお見舞いから帰るとこ」
彼とは一応クラスメイトだ。事情がわからないわけではない。それだけ言えば納得すると思っていた。
『帰んじゃねぇ! いいか、そこで待ってろよ? 絶対、帰るなよ!?』
「病院で待ち合わせって趣味悪いわね。そんなに、あたしに会いたいの?」
彼の意図がわからなくて、うっかりそんなことを言ってしまった。星河が沈黙する。
『……圭斗先輩が、そこに運び込まれた。俺達も今向かってるところだ。だから、待ってろ』
急に静かに、重々しく吐き出された言葉に体が凍り付く。信じられずに声が出ない。
『誰かにやられたらしい』
「圭斗先輩が……?」
嘘だと言ってほしかったが、そんな男でないことを知っている。あれで真っ直ぐな男だ。だから、圭斗はここにいる。
『待ってろ。すぐに行くから』
わかった、と言って通話を切る。そのまま、また電源まで落として、また出てきたばかりの病院の中へと戻った。
それを見たのは初めてではなかった。
本来、病院の中にいるはずのないもの、先程はいなかったはずの、狼が待っていたかのように璃沙を見ている。圭斗の眷属、頼斗だ。
近付けば、くるりと背を向けるようにしてゆっくりと導くように進む。璃沙を主人のところへ案内しようというのだろう。
だから、璃沙は躊躇わずについていくことにした。
手術室前の廊下には落ち着かないようにうろうろするゴージャスな美女の姿がある。
「璃沙ちゃん!」
クルリと振り返り、拠り所を求めるように勢いよく抱き付いてくる。その力は恐ろしいほど強い。
「あたし、クラスメイトの見舞いで来てて、今、天神から聞いて……圭斗先輩は?」
何とかその人の体を引き離す。ここが病院でなければ、彼女が動揺しているのでなければ、蹴り飛ばしていたところだ。どうにも女性に抱き付かれるというのは璃沙にとってトラウマだった。
「圭斗は通り魔に刺されたの。すぐにその場で捕まったんだけど、様子がおかしいらしくて」
あの《呪術師》に近付いたのか。だから、こんなことになってしまったのだろうか。
「あいつも、ここ数日変だった」
そう語る青年と面識はなかったが、心当たりはあった。しかし、それを問う間はなかった。
「冥加、待ってろっつっただろ……!」
珍しく星河は狼狽した様子だった。彼はどこで待っていろとは言わなかったし、どうせ、ここへ来るのだ。元々、病院にいるのに待っているのもおかしな話である。
光明は押し黙っているし、海里には睨まれている。そして、健心は別のことで驚いていた。
「清兄、何で……」
「何でって、俺は圭斗の友達だぞっ! あいつ、俺の目の前で刺されて……!」
やはり、青年は健心の兄清心だったようだ。一目見て似ていると思った。
どうやら、目撃者であって、彼らと協力関係になったようでもない。
「あんた達、《呪術師》から手を引きなさいよ」
サイキック集団――黒羽オフィスを束ねる美貌の所長黒羽永遠子は警告する。
「もう知ってるんでしょ?」
お見通しだとばかりに、それぞれに鋭い視線を送る。
「俺達は引くほど突っ込んでなんか……」
光明は言う。彼らはそうだろう。ただ調べているだけのつもりのはずだ。
「お、俺は一兄の指図しか受けないぜっ!」
清心も言うが、実は自分には聞かれていないということには気付きもしないだろう。
「璃沙ちゃん」
尋問でもするつもりだろうか、手首を捕まれる。決して逃がさないとばかりに力を弱める様子がない。
「手、痛いです。離していただけませんか」
ふりほどこうとすれば、睨まれる。目力の強いメイクはわざとだろうか。
「あんた、言うことあるんじゃないの?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
璃沙には白状する気がなかった。怖くもない。
自分ばかりが情報を開示するつもりはない。相手も否定はしないだろう。時に詐欺だと言われる彼は自分達に必要な情報を聞き出すだけ聞き出して、また釘を刺してくるのだろう。
「璃沙先輩、昨日も今日も何やってるんですか?」
問い詰める眼差しは海里も同じだった。彼は怒っている。
「クラスの用事」
「僕達から逃げてません?」
ある意味では図星だった。正確に言えば海里を避けていた。彼に会えば、きっと見抜かれてしまう。
「色々あるだけ。逃げてどうすんのよ」
「俺達が揉めても仕方ないだろう。今は……」
今は圭斗が手術をしているのだから、光明の言う通りだ。喧嘩している場合ではない。一番不安なのは彼だろう。
「これがどういうことか、作ったあんたにはわかるでしょ?」
そっと手に乗せられたのは、かろうじてブレスレットだったとわかるものだった。細いゴム糸ながら四重にしていたために強度はあったはずだが、ささくれだつように切れかかっている。肝心の石もほとんど残っていない。おそらく割れてしまったのだろう。
見せることで危険を知らせ、止められるとでも思ったのだろうか。
璃沙はその人を思い、石を選んでブレスレットを作ってきた。効果があると言われても璃沙自身は実感できていない。光明こそ金運アップのブレスレットだが、圭斗や他のオカ研メンバーには厄除け効果のあるブレスレットをプレゼントしている。
石が割れるということは、おそらく身代わりになってくれたということだろう。新しい石と取り替えてまたプレゼントしようとハンカチに包む。
彼女達はまだ璃沙を尋問したいようだったが、まもなく手術室から主治医が出てくる。何とか一命を取り留めたらしい。そのことに皆一様に安堵する。きっと、もう大丈夫だと璃沙はどこかで確信していた。
彼には、あの頼もしい狼がいる。あれは本来圭斗を守るために存在するものだ。だから、璃沙は自分が行くべきところへ向かうつもりだった。
「あんた、さっき言ったこと聞いてなかったの?」
「それでも、行かないといけないんです」
自分しか知らないことがある。自分だから踏み込めたところがある。だから、璃沙は躊躇わない。怖くはない。怒りも悲しみも麻痺してしまっていた。全て奏人に打ち砕かれたのかもしれない。
まずは、あれを止めなければならない。自分に止められるかはわからないが、もう一度確かめなければならない。そこに彼や《呪術師》、あるいは他の誰かが現れるのだとしても、立ち向かわなければならない。
「何も話す気のない人に従うつもりはありませんから」
伸ばされかけた手から逃れるが、別の手に掴まれる。星河だった。
「病院で手荒な真似させないでくれる?」
掴まれていない方の手は既に胸元のペンに伸びている。彼は一瞬顔を歪めたが、掴んでいない方の手で何かを璃沙の手のひらに押し付け、それから手を離した。
「星河先輩!」
海里の非難めいた声があがる。けれど、彼の肩を光明が引き留め、璃沙は手の中の物をそっと握って振り返らずに歩き出した。




