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壊れた関係

「俺達、恋人に見えるかな」


 ドアの前で並べば、ぽつりと彼が呟く。


「あんた、いっつも、それ言うわよね。ワンパターン男」


 接待の時はいつも自信ありげにそう言って、その度に璃沙は罵倒してきた。


「言う度に事実になればいいと思ってたのに、溝は深いみたいだ」

「深まる一方よ。あんたが一生懸命、馬鹿みたいに掘ってるの、わかる?」


 呪いにも似た愚かな行動だった。余計なことをしなければ溝も穴も存在しなかった。

 馬鹿な恋愛ごっこをしようとしなければ、無関心を装っていれば、何も与えてこなければ、何も言わなければ、面倒なことにはならなかったはずだ。あるいは、与えることは試すことだったのか。

 彼のバックグラウンドは得体が知れないが、ある程度の集団であり、その中でも彼の地位は高くないだろう。

 全ては推測にすぎないが、オカ研を前身とするサイキックオフィスにおける圭斗のポジションにも似ているのかもしれない。


「周りは脈があるって言うけど、大嘘だね。君には棘しかない。甘い蜜なんて存在しない。あったとして、俺が吸えるものじゃないね」


 海里達は璃沙が奏人に好意があると、口説かれる度に照れていると思っている。楠田も璃沙のことをツンデレだと言った。

 照れているのは対処の仕方がわからないからだ。皆の前で彼の本性を問い詰めることができないから、どうすればいいのか困っている。もしかしたら、一種の拒絶反応なのかもしれない。

 敵が多い璃沙が何と言おうと誰も信じないだろう。奏人には敵がいないわけではないが、璃沙が持ち得ない圧倒的な支持がある。


 好きだったこともある。それは認めざるを得ないが、打ち砕いたのは彼だ。

 女なら誰でも優しくするとわかっていた。何も知らず、彼と友達でいられた一時は楽しかったし、頼もしく思っていた。

 求めるのは対等でいられる関係だった。彼となら築けるなどと思っていた自分を嘲笑いたいほどに璃沙の心は冷えていた。依存するのもされるのも嫌いだ。

 特別だと扱われた時、彼も同じだと信じかけたが、彼は遠い男だった。生徒会に入り、副会長を務め、その時に既に彼の足場は固まっていた。

 彼が人気者としての地位を確立するほどに、璃沙達は嫌われ者になっていった。彼はあまりに輝いていて、ぞっとするほどの闇を隠し通していた。


「君は俺を責め立てるけど、榊圭斗はいいの? 彼だってオカ研再興を散々邪魔しながら君には好意的に接して、関係は今も尚続く。彼が仲良しになれて、俺が嫌われる違いは?」

「圭斗先輩のバックは見えてる。でも、あんたは見えない。それに、あの人は、あんたほど知らない」


 圭斗には誰とは言わずに相談したことがある。タロットのこと、ブレスレットのこと、彼は不思議なオーラを持っていると答えた。それ以上のことがわからないのは彼の力が強くないからだと納得していたし、今も疑うことはない。

 彼が何者かは簡単だ。所属もはっきりしているサイキックであり、疑惑の対象はこの男ただ一人だ。



 アナウンスが入り、緩やかに電車がホームへと入っていく。


「また明日なんて言ってあげないから」


 明日からは一切無視という無言の抗議をしてやろうと心に決めて言い放ち、ドアが開いてすぐに璃沙は電車から降りた。駅の利用者は夕方だと言うのに、それほど多くない。飲み込まれるほどの人の波もなく、ひたすら気分の悪さを振り払うように階段を目指すはずだった璃沙の手首を掴む手があった。


「……何で、あんたまで降りてるのよ?」

「黙って俺が見送るとでも思ってたの?」


 ドアが閉まり、電車は過ぎ去っていく。当然、彼の降りる駅はここではない。


「家まで送っていくよ」

「必要ない。ついてこないで」


 彼の利用する駅はもっと先だ。璃沙の家まで送り届ければ、とんでもない遠回りになる。そんなに暇なのかと言いたくもなる。どうして、そこまでするのか。それほど重要なのか。


「君は確実に狙われる。さっきのことで確信した」


 目を付けていた自分が正しかったとでも言うのだろうか。きっと、この男は海里さえも欺いている。あの妙な勘の鋭さから逃れている。

 しかしながら、璃沙の恥じらいの反応の意味を海里こそ誤解している。一部ではなぜだか《奇怪な機械》と呼ばれているらしい彼も完璧ではない。


「じゃあ、あんたが知ってること全部話しなさいよ。何もかも洗いざらい、あたしにわかるように、一切のごまかしなしで」

「それは、たとえ、君が俺を部屋にあげてくれて、美味しいお菓子とお茶を出してくれて、その上手料理までご馳走してくれて、『今日はもう泊まっていけば?』とか言ってくれちゃったとしても、できないよ」


 色仕掛けでベラベラと喋ってくれればお手軽だったのに、彼はその辺りのことを妙にきっちりしている。


「組織の守秘義務とやらがあるんでしょうね。それは、あたしなんかより、とっても大事なこと」

「君が思ってるほど大げさな秘密組織じゃないし、俺が君の監視を外れれば、もっと厄介な人達が君の周囲に出没することになる。それは俺だって避けたいんだよ。君の側にいるのは俺だけでありたい」


 改札を通り、早足で家へと向かいながらもう勝手についてくればいいと半ば自棄になっていた。側にいるなら彼にとって不都合なことを聞き続けるだけだ。答えないとわかっていても、どこまでも深い穴を掘らせて突き落とす。そのまま生き埋めにでもなってしまえばいいのだ。


「もしかして、榊さんがオカ研潰したのとあんた、関係ある?」


 奏人や《呪術師》をサイキックの一種だと思っても間違いないのだろう。

 圭斗達が好んで使うその呼び方はとても便利だった。霊能者も超能力者も霊媒も広く含まれる。彼らがもっと異質な存在なのかはわからないのだが。


「認めたら、光明に言い付ける?」

「あんたが言えない卑怯な男だってわかってて口を噤むわ。あんたが自滅するまで。今までと同じよ」


 今までだって何も言えずにきたのだ。今更、彼のようにペラペラと喋ることはできない。


「そうやって、俺に非難の眼差しを向けるんだね」


 逃げ放題の彼と違って璃沙にできるのは無言の抵抗だ。口止めされたわけでもなく、秘密を守ってきたことに感謝してほしいくらいだった。


「でも、彼らが決めたことだ。俺がどうこうしたことじゃない」

「学園内にお仲間はいるの?」

「俺が任されたことだ」


 彼が神前高校にいるのは組織的な理由があるのかもしれない。


「圭斗先輩を出し抜いてるのは、あんた? それとも、あんた達?」

「出し抜いてるなんて、とんでもない。俺達はやるべきことをやるだけ」

「そこに、圭斗先輩達はお邪魔ってわけ?」


 答えずに彼は笑った。どこまでも自嘲気味に、寂しく笑う。


「君が知りたがることが、ありのままの俺のことだったら良かったのに」

「あたしが知りたいのは、あんた達が何者かってことだけ、そして、あんた達にとってあたしが何なのかってこと」

「それを知って、俺から離れない覚悟が君にはないだろう?」

「馬鹿にしないで!」


 なぜ、全てがそこに結び付くのかがわからない。


「君が知ろうとしているのは、そういうことなんだよ。君が俺を好きになってくれたなら、それが本物の愛ならば、全てを明かして、共にこの道を歩いてほしかった。でも、それは叶うはずのない望みだったらしい。君と歩む道はどこにもない。そうなんだろう?」


 きっと、彼と同じものを背負う覚悟が自分にはないと璃沙は思う。何も言ってくれない男を無条件に信じられるだけの強さを持ち合わせていない。

 彼が軽々しく口にする愛がそれほど深いものだと思いもしなかった。結局のところ、彼の光の裏側にある闇の深さを微塵も理解していなかったのだ。

 彼が求める彼を受け入れられるだけの強く大らかな器は璃沙こそが持ち合わせていないものだ。


「何もかも、あんたの思い通りになんてならないのよ」

「君の心を操る術があれば良かったのに」


 それは本心だろう。そんなことができれば彼はこんなことをせずに済んだ。楽に璃沙を傘下に加えられただろう。


「今度こそ、ほんとにサヨナラね。あんたと仲良くお喋りするのはこれで最後」


 もう家は目の前だった。璃沙は門を開けて、それから奏人に向き合う。


「君が俺の敵になりたいなら、俺ももうそういう対象としてでしか君を見ないよ。君のお望み通り恋愛ごっこはやめてあげる」


 まだ二人を隔てる門は開いていた。けれど、その取っ手を引き、閉じたのは奏人だった。彼は最早淡々と自分の役目を果たすだけだとでも言わんばかりに冷たい顔をしている。


「今日はもう外に出るな。絶対にここから先に出るんじゃない」


 ただの監視対象になった途端に今までにないほどきつく言い含められる。それが余計に璃沙を反発させる。


「どうせ、あんたがここからいなくなっても誰かがあたしを監視するんでしょ? あたしがあいつと会っちゃったから」


 《呪術師》が一人でないことは彼らの会話の中で知った。また別の《呪術師》が現れるのかは知らない。それに対する存在もまた奏人一人ではないことを彼はもう隠さない。


「もう俺だけでは、どうにもできなくなった。そういうことだ。君が望まなくとも、俺達は君を守らなければならない。それは君のためじゃない。俺達のためであり、君の手が及ぶところじゃない。諦めろ」


 それは厄介な義務であると言わんばかりの彼にむかついて、璃沙は何も言わずに背を向けた。鍵を開け、扉を開け、決して振り返らず、逃げ込むように家の中に入る。ガチャガチャと二つのロックをかけて、階段を駆け上がる。自分の部屋に飛び込むようにしてバタンとドアを閉める。その瞬間に床にへたり込んでいた。

 もう限界だった。よくもここまで気力だけで持ちこたえたと自分を誉めてやりたいくらいだった。

 だから、視界が滲むのは、滴が頬を濡らすのは、嗚咽を抑えきれないのは決して悲しいからではない。そう思いたかった。認めたくはなかった。

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