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呪術師と邪魔者

 足早に璃沙は駅へと向かっていた。辺りは暗さを増し、市内でもあまり開発されていないこの地区は外灯も少なく、『チカン注意』の看板が生々しく思える。

 家は立ち並んでいるものの、妙な静けさがあり、細道を通らなければならなかったことを思うと恐怖を感じていることを認めざるを得なかった。


 装飾された鞄に触れれば、いくつものキーホルダーが揺れている。その一つに防犯ブザーがある。璃沙自身は必要だと思わなかったが、押し付けられたのだ。校内でストーカー被害に遭うくらいだから、絶対に必要だと言われた。光明や星河もオカ研が活動できなくなると手放すなときつく言ってきた。

 だが、こんなところで鳴らして意味があるのか。助けなど期待できない。璃沙に言わせればこの辺りはゴーストタウンだった。家はあるのに、動きがまるでない。車通りもない。



 背後の気配にピタリと足を止めたのは問題の細道でのことだった。


「璃沙」


 呼びかけられる声にクルリと振り返ると同時に胸元からペンを抜いて突き付けていた。


「いきなりひどいじゃないか。俺を殺す気?」


 ペンは手に突き刺さっている。見知った彼が笑っている。

 璃沙は答えの代わりに躊躇なく踏み込んで、鳩尾に蹴りを叩き込む。彼は後退するが、すぐに間合いを詰めて顔面を狙う。拳は頬を掠め、指輪の飾りが引っかかり、抉るように傷を刻んでいく。端正な顔に走る赤、それでも璃沙は止まらなかった。足を振り上げ、その頭を薙ぎ払うようにする。確かに当たった。その体が傾いで地面に倒れる。


「あーいたいいたい! この顔なら簡単に近付けると思ったのになぁ。君に手を出すつもりなんてなかったのに」


 男か女か判断の難しい中性的な声でそれは言う。最早彼の声ではなかった。傷付いた頬と揺らされた頭を撫でる姿形は確かに神木奏人だった。けれども、中身は別物だ。彼とは似ても似つかない悪意に満ちたものだった。痴漢よりも悪質なものが出た。


「その顔だから殺したくなった」


 何の前触れもなく背後に立たれた時、名前を呼ぶ声で違うとわかった。他の人間なら騙せたかもしれないが、璃沙には全く通用するものではなかった。

 二人の関係性は他人が想像するようなものではない。表面上は軽薄な彼に口説かれ、璃沙は何も言えずにいる。でも、実際は内面的な部分でもっと殺伐としている。


「やっぱり、君は特別だった」


 まるで楠田のような口振りだ。そして、それがごしごしと顔を擦ると傷のない違う顔になっていた。まるで、中国の伝統芸能変面のようだが、それが得体の知れないものであることを裏付ける。


「あんた、巷では《呪術師》とかって呼ばれてない?」

「いかにも、《呪術師》です。よろしく?」


 今の顔も本当の顔なのかはわからない。彼は肯定こそしたものの、ニヤニヤと笑みを浮かべ、信用できる証言とは思えない。


「あー、信じてないねぇ。でも、僕はねぇ、本物なんだよ」


 ケラケラと笑ってまた《呪術師》は顔を変える。今度は女の顔だった。


「《チェーンソー少女》、みんなはそう呼んでるんだっけ? 彼女の無念を晴らす手伝いをしてあげたのはこの僕さ、犯人の男達に恐怖を与えてやった。一人しか死ななかったのは残念だ。まあ、あんなのは何人でも作れるんだけどね」


 海里のクラスメイトの少女に起きた悲劇の真相を璃沙は知ってしまった。犯され、死して、バラバラにされて埋められて、自分を見つけて欲しいと願う少女に《呪術師》は呪いをかけ、《チェーンソー少女》を作り出し、男達を襲わせた。だが、肉体を傷付けることはなく、怪談だけが駈け巡った。

 見ていないものを見たと言い、聞いていないものを聞いたと言う。自らが蒔いた虚構の種が花を咲かせ、枯れていく様を楽しんだのだろうか。

 だが、偽者はこの街をさまよい続けるだろう。花は種を落とし、また芽吹く。たとえ、オリジナルが除霊されても事実を知るものは少ない。面白おかしく脚色された少女達は完全に消えることはないだろう。


「あと、新しい心霊スポットをいくつも作ってやったし、顔の潰れた猫でしょ? まだまだじわじわくるよ。僕の呪いは既にそこら中に張り巡らされてるんだ!」


 璃沙は蔵重のメモを見ていない。都市伝説専門の星河に真偽の確認を任せたが、きっと蔵重はそれらを知っている。そんな風に思うのだ。


「楠田に変なブツ渡したのもあんた?」

「そうさ、彼は物語の始まりさ。君はその始終を目撃することになる」

「見たくもない」

「まだ信じてないね。でも、真実を、その全貌を君は知る」

「知りたくもない。あたしに教えたことを後悔するんじゃない?」


 こうして、《呪術師》自ら目の前に現れたのも口封じのためではないようだ。楠田の除外を覆すつもりもないのだろう。

 尤も、楠田の都市伝説が完成するまでのことなのかもしれないが、今は大事なストーリーテラーにされているということだ。


「僕を止められるとでも思っているのかい? あははっ、無駄さ! 無駄無駄! 加速する悪意が止められるもんか!」


 璃沙は確認を選んだが、本当は無理にでも止めてみるべきだったのではないかと思っている。戻ろうと思えばすぐに戻れる。楠田も止められないと言ったが、たとえば、あのディスクを奪い取ってくることもできたはずだ。なのに、璃沙はそうしなかった。


「君を泳がせるのは、ちょっとくらいイレギュラーがいた方が面白いからね! ううん、君ごとき脅威でもなんでもないのさ」

「目的とか聞いた方がいいの?」


 《呪術師》はあまりに饒舌だ。問わずとも語るだろう。付けた傷は消え、どうやら璃沙では手出しできるものではないようだった。


「僕はね、手助けをしてるんだ。彼はいじめに苦しんで復讐を望んでる。そのための牙と爪を与えてやっただけ」


 いじめというほど凄惨なものでもなく、ただの幼稚な遊びのターゲットにされているだけだが、十分な苦痛であることまで否定するつもりもない。璃沙は力によって克服してきたが、気弱な彼にはできない。


「神にでもなったつもり?」

「まさか、僕はただのちんけな《呪術師》さ、そんなおこがましいことは言わないよ」


 彼が語ることを分析しても大事を成し遂げているとは思えない。事実のある怪談で自殺による死者こそ出ているが、直接手を下すこともなければ、死を招くほどのものを作っていない。作らないのか、作れないのか、まだ始まりにすぎないのかはわからないが。


「あんたは」


 璃沙は問いを投げかけようとしたのに、「おっと!」と大きな声を出した《呪術師》によって遮られる。


「邪魔者がきちゃったねー。困った困った」


 少しも困っていなさそうにケラケラと笑う《呪術師》は璃沙の背後を見ている。振り返れば、今度こそ本物の彼が立っていた。


「神木……」


 神木奏人、普通ではありえないような権力を持つ生徒会長は人前では笑みを絶やさないような人間だが、今は校内で滅多に見せないような険しい表情をしている。

 よくわからない時の彼の顔だと璃沙は思う。その珍しい顔を見るのは初めてではない。大抵、それは璃沙に関連して出てくる表情なのだから。


「しつこい男は嫌われるって知ってるかい? 君、もうストーカーの域だよねぇ。あははっ!」

「黙れ、外道。それをお前に言われるのは心外だ」


 《呪術師》を睨みながら奏人は璃沙の前に出る。その背で守ろうと言うかのように。

 彼はそれを知っていて、それもまた彼を知っている。関連を見せ付けられて、璃沙の中に驚愕はなかった。ようやく腑に落ちたと感じるくらいだ。


「外道、外道ってさ、うるさいんだよ。白と黒があって、君らが白で僕らが黒、たったそれだけのことさ。僕らにすれば君らの方が道から外れている」

「屁理屈だ。白こそ正義であり、全だ」

「この偽善者が! ほんとに君は気障でむかつくよ。話してると変なビョーキがうつりそうでヤなんだよ」

「病気か……。お前の存在はガンだ。悪性の腫瘍だ」


 因縁の相手のようだが、言い合いはどこか稚拙だ。


「あーもうっ、めんどくさいな! バイバイ!」


 《呪術師》は幼いのだろうか、逃げるように走り出す。


「待て!」


 奏人は叫ぶが、反射的に一歩踏み出しただけで、追うことはしなかった。


「君は彼女を置き去りにできない。それとも、手を握って一緒に追いかけてくるかい?」


 見透かしたような言葉を残して呪術師は夕暮れの景色の中に消えていった。


「くそっ……」


 珍しく悪態を吐く奏人の背に璃沙は冷たい眼差しを送る。


「追えばいいじゃない。って言うか、追いなさいよ」


 彼は本当に邪魔者だった。聞こうとしたことが聞けなかった。その疑問は彼らの会話の中で何となく明らかになったことではあるのだが。


「できない」

「あんたのお仕事はあたしを監視することだから?」

「君が心配だから」


 振り返った彼はいつもの軽薄な調子とは違い、極めて真剣な表情をしていたが、璃沙にはあまりに白々しいことだった。


「とりあえず、歩きながら話そう」


 立ち止まっている気がないのは璃沙とて同じことだった。

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