不幸シミュレーター
「さあ、開いてみてよ」
促されるが、正直、従いたくなかった。
「不幸シミュレーター?」
黒い四角の中には赤い字でそう書かれていた。起動と終了のボタンがあり、前者をクリックしなければ帰れないとわかっていながら全力で逃げ出したい気分だった。
覚悟を決めたわけではない。璃沙の脳は警鐘を鳴らし続けていたが、同時に確認しろと指令を送り続ける。妙な使命感は好奇心の化身なのかもしれない。
クリックすれば小さな画面が開かれる。やはり黒く、字は赤く、シンプルながら目に優しいものではなかった。
上から見ていくと『不幸にしたい人の名前を入力してください』と書かれた下に名前を打ち込むところがあり、その横には実行ボタンがある。
「寂しい暇潰しゲームね」
彼が作ったか、誰かから貰ったのかは知らないが、実に悪趣味だった。こんなものを見せられて喜ぶと思われているなら心外だ。
「そう思うかい? 君は試してみたいと思わないの?」
「全然」
問題はシミュレーターと言うからには何か結果を出すものであって、彼もそれを見てほしいと思っているに違いないことだった。見たくはない、見てはいけない、でも、見なければいけないのだろう。黒い物が重く璃沙の中に溜まっていくようだった。陰鬱な気分になっている。
「一覧の一番上の、ダブルクリックして」
入力欄の下には実行履歴一覧とあり、ずらりと名前が表示されている。白い文字とその下に連なる灰色の文字、また白と連なる灰色。二件実行中と最下部に表示されている。白い名前の横には『実行中』の赤い文字が点滅している。
二件の白い名前の内、一つは楠田から始まり、おそらく彼の母なのだろう。一番上には『田辺伸輔』と表示されている。仕方なくカチカチッとダブルクリックする。
また新たな画面が開く。真っ赤な模様といくつものドクロが並ぶ画面は不気味と言うしかなかった。赤い模様はよく見れば蜘蛛の巣のようで、しかも、ドクロの一つ一つに名前がついている。
「真ん中のドクロをクリックするんだ。それで、俺に結果を教えてくれるかい?」
中央のドクロは他よりも大きく、やはり『田辺伸輔』と名前がついている。マウスを動かせば白い蜘蛛が動く。カーソルのようだ。
蜘蛛をドクロの上に乗せて、カチリと押せばまた新しい画面だ。『結果詳細』と表示され、一番上にはドクロと名前、その下には何かが書かれている。白い文字と灰色の文字の箇条書き、その色分けの意味は大して考えずともわかった。このシミュレーションの結果など彼は知っているのだろう。だからこそ、知りたいのだ。現実がこの通りになったのかを。
「ねぇ、これは本物なのかな? 冥加さん」
クスクスと笑う楠田に初めて璃沙はぞっとした。彼は楽しんでいる。問いかけながらも答えが肯定であることを確信している。
「学校、来ればわかるわよ」
気味の悪さに璃沙は×印をクリックして詳細画面を閉じた。そのまま帰るつもりだった。
「冥加さん」
このまま帰れると思っているのか、と言わんばかりだ。笑んでいる。絵に描いたようなわざとらしい笑顔を張り付けて、あくまで優しく名前を呼んでいるつもりなのだろうか。
「俺はね、君に触るっていうリスクは避けたいんだよ」
「あたしを病原菌だとでも思ってるなら、家にあげるべきじゃなかったわね。帰ったら、殺菌消毒でもするわけ?」
彼に触られたいなどと思わないが、その言い種は気になるものだった。それでも、彼は問いに答えず、笑んで見つめてくるばかりだ。
「昨日、帰りに事故って入院した。尻軽の彼女は早速浮気しようとしてた。これで、満足?」
璃沙は『田辺伸輔』を知っていた。彼もまたクラスメイトで楠田を嫌っていた筆頭だ。思えば、クソ田という蔑称は彼が初めに言い出したものかもしれない。
詳細の始まりは、『自転車で下校途中、車と衝突事故。骨折』だった。実際、田辺は今日学校を休んでいた。帰りに脇見運転の車にはねられたらしい。次は『怪我により、二度とサッカーができなくなる』だった。これに関してははっきりとしたことは言えないが、おそらくそうなのだろう。田辺はサッカー部に入っていて、有望な選手とされている。大学に入っても続けるのだと豪語していたのは彼の耳にも入っている。
それから『恋人に裏切られる』だった。田辺の彼女は自分の容姿を鼻にかけた我が儘女で、率先して楠田をなじっていた。璃沙はゲス同士お似合いのカップルだと冷めた目で見ていた。その彼女は田辺が暫く学校に来られないと知ると、心配するわけでもなく舌なめずりするように次の獲物に向かっていった。ここまでが白字で表示されていたことであり、その先の灰色の部分はまだ起きていないことだと思っていいだろう。
改めて画面を見ると、何やら蜘蛛の巣にかかるドクロが増えている気がした。改めてその名前を見ていくと多くは田辺の関係者で、彼女の名前もあれば、腰巾着とも言える男子の名前もある。楠田に嫌がらせをしていた人間のほとんどが蜘蛛の巣にかけられている。璃沙をここへこさせた担任の名前もある。
ドクロにも白と灰色があり、灰色の中に璃沙は自分や星河、蔵重の名前を見つけた。いずれクラスメイト全員がこの巣にかけられていくのか。
それから、一つだけ真っ赤なドクロを見つける。端に蜘蛛の巣の色と同化するように存在したドクロの名前を見て、璃沙は何かを言えばいいのかわからなくなった。自分の名前を見つけたよりもショックがあった。
「ごめん、マウス貸してくれるかな?」
璃沙がさっと手を離すと楠田はマウスを動かし、蜘蛛を璃沙の名前の上へと持っていく。それからカチリと音がして小さなメニューが出てくる。一番上には開始の文字がある。
赤いドクロの意味はわからないが、白は既に何らかの不幸が起きていると思って間違いないだろう。そして、灰色はまだ何も実行されていないことになる。
「でも、君は助けてあげる。俺の巣に美しい蝶は不似合いだ」
楠田は除外を選ぶと『本当に除外してよろしいですか?』のメッセージに『YES』を押した。すると璃沙の灰色ドクロはパタパタと羽ばたく小さな青い蝶へと変化した。これで、璃沙は不幸シミュレーターの対象から外されたということになるのだろうか。
「あんたと秘密を共有するなんてごめんだわ」
「秘密にしろなんて言ってない。君はこの話をオカ研ですればいい。何ならクラスででも」
口止めなどする気はないようだが、意図は読めない。
「それで、あんたに何の得があるの?」
現状では、どこまで本物かはわからない。田辺の身に実際に起きているとも言える。彼は予知と言うだろうか。けれども、予測しうる範囲のことだとも言える。
「だって、もう止められないから」
都市伝説を作らせようとしているのか。その対価が除外なのか。青い蝶はパタパタと羽ばたいているが、いずれまた巣に捕まってドクロとなり果てるかもしれない。
「ほら、見てよ。田辺君が拡散して、次は木村君だ。それと、浅野さん」
カチリと楠田が木村と浅野のドクロをクリックする。田辺の腰巾着と身持ちが悪い彼女だ。田辺の関係者である二人は楠田が名前を打ち込まずとも巣にかかったのだろうか。そうだとしても灰色ドクロの状態から彼が迷わず開始を許可したのかもしれない。
「明日、真偽を確かめるといい。これは、これから起こることだ」
並べられた二つの画面は灰色が多く、後半はタイプライターのように文字が伸びていく。生成中と表示され、今正にシミュレートが続いているらしい。一番上は白く点滅している。
気分が悪くなるようなものだった。これが本当なら明日の朝、璃沙は木村の入院と浅野の停学を聞かされるだろう。不幸と言っても一気にどん底に落ちるようなものではない。だからこその不幸なのか、じわじわと続き、追い詰められていく先は何があるのだろうか。
「もし、君にその気があるのなら、いつでも訪ねてくるといい。君も不幸にしたい相手がいるだろう? 胸の大きなロリ顔の女の子。俺の好みじゃないけどね」
「彼女はもう報いを受けた」
「彼女を中心に周りをも不幸にできるよ? 君は文芸部と新聞部に因縁があるだろう?」
更紗のことも彼は知っているらしい。彼女達に何をされたかまで把握しているのだろうか。
「おっと、誤解しないでくれ。俺は君に好意的だ。しかしながら、それは馬鹿げた恋愛などという大いなる勘違いの産物じゃない。君が世界に選ばれた特別な人間だから、ただそれだけだよ」
彼が言いたいことは理解できなかった。一体、何が特別だと言うのか。すっかり気分が悪くなって、璃沙は立ち上がる。今度は楠田も止めようとはしなかった。
「プリント、ここに置いていくから」
膝の上に置いていた封筒をちゃぶ台の上に乗せ、璃沙はできる限り平静を装って楠田家を後にした。バイバイ、と言った楠田を一瞬だけ振り返ってみたが、椅子に座り、パソコンの画面に見入っているようだった。




