見せたがりの引きこもり
指先が触れるよりも先、ガチャリと音がして、璃沙はさっと避けて身構えた。
ロックを外した音だったようだが、勢いよく扉が開くこともなかった。
そっと窺うようにして、レンズ越しに暗い目が璃沙を見た確かに楠田だった。元々ガリガリだった彼が更にやつれたようにも思える。
三年になってから数日、無断欠席続きで連絡しても電話は通じないとのことだった。春休みの間に何かが変わったのかもしれない。
登校拒否をしても何ら不思議はないと璃沙でなくとも思うだろう。三年になることで進路への不安が増すというのもあるかもしれない。
「えーっと、君は……」
「クラスメイトの冥加」
「知ってるよ、冥王星、冥府、冥界の冥に加えるの冥加さん」
「覚える気もないんだと思ってた」
取り繕うのは性に合わない。璃沙ははっきり言うことを選ぶ。
時折、彼はクラスメイトの全てを嫌っている素振りを見せた。
いじめというには軽いような幼稚な嫌がらせを繰り返す者と止めようともせず見ている者、その全て、あるいは世界さえ憎んでいるようだった。
憎しみの対象として認識されていたとしてもおかしくなかったのかもしれない。不本意ながら自分がクラスでも別格として扱われていることぐらい璃沙もわかっていた。
ただの都市伝説好きでありながら喧嘩が強いと噂されるほど柄の悪い星河と同じ部に所属し、イケメンから変貌した蔵重のパパラッチの餌食になり、他の男子に周りを囲まれて話す様を《女王》や《女帝》などと言われたことさえある。敬遠されながらも報復を恐れてか、はたまた勝手にバックについた男のせいか、嫌がらせも今やほとんどないくらいだ。
ある意味アンタッチャブルな存在となった璃沙と楠田は対照的なものだったが、それでも彼にとってはどうでもいいことのように考えていた。
「君だけはちゃんと覚えてるよ。僕みたいになると、ある特定の言葉に激しく惹かれたりするものだ」
彼の口振りはやはり目立つからという理由ではないことを示唆している。単に冥の字を名前に持つことが羨ましいだけに違いない。
「それ、喜んだ方がいい?」
「いや、構わないよ。だって、君はツンデレなんだから」
言われて嬉しい言葉ではなかったが、文句を言うのは面倒なことを引き起こすような気がした。楠田自体気持ちの良い男ではない。多少不健康さに磨きがかかったような気はするが、無事を確認したのだからさっさと用を済ませて帰ってしまいたかった。だから、璃沙は脇に挟んでいた封筒に手を伸ばした。
「あがっていきなよ、君に見せたいものがあるんだ」
「これ、担任から頼まれただけだから」
璃沙は封筒を突き付ける。面倒を避けるために星河の報告を聞かない選択をしてまで明るい時間の訪問を選んだのだ。
それなのに、楠田は受け取ろうとしなかった。いっそ、強引に室内に投げ込んだり、ポストにねじ込んでいくのも手だったのかもしれない。
「君に見せたいものがあるのは本当。何かしようなんて思っちゃいないよ。俺が君に何かできるように見える?」
「どうせ、何しでかすかわからないって、みんなから言われてるの知ってるんでしょ? あんた、頭が悪い奴じゃない」
彼がどういう男なのか、必ずしもわかっているわけではない。少なくとも馬鹿なことを繰り返す男子達よりは馬鹿ではなかったというだけだ。
「君に何かしたら、俺もただじゃ済まないからね」
「それはどういう意味?」
彼が言いたいことはわからない。確かに何かされれば璃沙は返り討ちにするだろう。
しかしながら、そのことを言っているわけではない気がした。何か妙な含みがある。そういう言い回しをしてくる人間は今までに何人もいた。
「いや? 今のは忘れて。君はお幸せな人間みたいだから」
「お幸せで悪かったわね」
璃沙だって何もわからないわけではないが、そのことについて触れたくはなかった。巻き込まれているのは自分だとわかっているのに、どうすることもできなかった。いつだって言いたいことがあるのに、黙っているしかなかった。何も許さない彼はずるい。
「でも、君は他の脳味噌にウジがわいても気付かないようなお幸せなやつとは違うよ。まあ、知らない方が幸せなことってあるよね」
「お褒めにあずかり光栄の極み。でも、見ない方が幸せなものってあるわよね」
言葉に何の気持ちも籠もらなくなっていた。彼はあまりに面倒臭い。今は妙な自信さえ持っているように感じる。
「君が絶対に興味を持つって、俺には自信があるんだ」
「呪いのアイテムとかって言うなら誤解。あたしの専門分野は神話って言っても、実際は雇われの部員ってとこ。人数合わせ兼用心棒兼接待要員、またの名をただの生け贄」
「ゴスが好きなのに?」
「アートとは別」
「占いも開運アクセサリー作りもお得意だろう?」
どうやら、楠田は璃沙が彼を知っている以上に璃沙のことを知っているようだ。クラスメイトの一人でしかないと璃沙は思っていた。
ゴシック好きも占い好きも元々だ。それが原因で星河に捕まってオカ研に入るはめになったのだ。今はそれも運命だったと思ってはいる。
アクセサリー作りに関しては興味こそあったが、今のようにパワーアイテムとして扱われるようになったのはオカ研に入ってからだ。評判になって少し困っているくらいだ。
「そういうの、嫌でも耳に入るって言いたいの?」
「君は話を歪めるのが好きだね。誤解しないでほしい。俺は君を疎ましく思ってるわけじゃない。本当だよ」
どうだか、心の中で吐き捨てても何もすっきりしない。足下に何かが絡み付いてくるような錯覚さえある。楠田は不躾に視線を這わせてくるわけでもない。それなのに、どこかから見られている気がするのだ。
「後悔はさせないよ」
「見せたいものって何?」
「見る気になってくれた?」
「つまらないブツ見せたら帰る」
「先に教えたらサプライズにならないよ」
よほど良い物を持っているらしい。見ると言うまで帰らせるつもりもないのかもしれない。もし、何かが呼んでいたというのなら、こういうことなのだ。
「まあ、呪いのアイテムかもね。ただし、本当に本物だってこと、証明してあげる」
どうぞ、と促されて渋々璃沙は楠田家に足を踏み入れた。
他に人の気配はない。母子家庭だと聞かされている。働きに出ているのだろう。
室内は生活感に溢れ、お世辞にも清潔とは言えない。まだ明るい時間であるせいか電気も点けておらず薄暗いが、楠田がクラスの男子達に言われているような不潔さはない。異臭がするわけでもない。
学校に行くのが嫌だとか怖いからという理由で無断欠席を続けたわけではないようだ。くだらない場所に行く価値もないと思っているのかもしれない。
「喉、渇いてない? 水道水くらいしか出せないけど」
「結構。さっさと見せてくれる?」
「やっぱり、君はせっかちだね」
早く帰りたい気持ちを隠すつもりはなかった。座るのはいざと言う時に逃げ出しにくい。何かを口にするべきでもない。
「ここ、座って」
彼は学習机の椅子を示す。そこには電源の入ったパソコンが陰りゆく部屋の中で光を放っている。
「あんたが座ればいいでしょ? あたしは立ってるから」
気遣いは無用だと告げる。床の上だろうと椅子だろうと座るつもりはなかった。
彼は笑った。何がおかしいのかわからない。楽しんでいるわけでもない。ただ下手な演技のように、渇いた笑い声だった。
「君に背後に立たれたくないんだ。生きた心地がしないからね」
「はいはい、わかりました」
半ば自棄になりながら璃沙は座る。すぐ側で説明されるよりは自分で距離を取りながら覗き込んだ方が良いというのは当然の考えだろうが、彼は少しずつ逃げ場を狭めてくる。
「君に見せたいのはこれなんだ」
楠田がパソコンの本体に触れ、トレイに乗ったディスクが吐き出される。ラベルのない、書き込みもない真っ白なディスクだった。そして、ディスクがまた飲み込まれていく。やがて、黒い四角が画面に表示された。




