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引きこもりと家庭訪問

 更紗はすっかり懲りたのだろうか。

 活動を制限された今、大っぴらにネタ集めをしようとすれば、奏人は見逃さないだろう。

 璃沙達の前に現れることもない。廊下で見かけた時もじっと何かを言いたげにしているのは感じたくらいだ。

 狡賢い彼女だが、今回は追い詰めた実感がある。この一年楽しませてやったことに感謝してほしいくらいだ。


 その放課後、今日も一番遅く部室に着いたのは璃沙だった。そして、今日は席には座れなかった。



「あたし、今日、用事ができたから」


 それを言うために寄っただけだった。


「どこか、危ないところに行くんですか?」


 すぐさま不安そうな顔をしたのは海里だ。何かを感じ取ったのだろうか。彼は心配性だった。


「まさか。ちょっとクラスメイトの家にプリント届けに行くだけ」


 璃沙は笑ったが、海里の表情は険しくなる一方だった。


「男、ですね?」

「あー、うん。なんか不登校になったみたいで」

楠田(くすだ)、か?」

「そう、楠田。でも、あんた、心の中ではみんなみたいにクソ田って呼んでそうよね」


 星河は否定しなかった。肯定ではないが、限りなくそちらに近い沈黙だっただろう。良い印象はまず持っていないだろう。相手からしてもそうだろうと推測されるが。


「星河先輩、何も言われなかったですか? 同じクラスなのに」

「知らねぇ」

「こいつが頼みにくいから、あたしに回ってきたに決まってるでしょ。それに、余計な刺激しちゃうかもしれないって」

「でも、璃沙先輩、女の子なのに、変ですよ」


 璃沙は仕方ないと思っていたが、海里は不満げだった。こうなると彼を納得させるのは難しいだろう。


「こんな変態棒女に手出すような奴じゃねぇよ。そんな度胸もねぇ」

「でも……!」


 何をそんなに心配しているのか、璃沙には理解できない部分もある。

 《チェーンソー少女》の一件があるから余計なのかもしれない。だが、彼女とは違うと璃沙は思ってしまうのだ。


「あたしは大丈夫。天神の言う通り」

「星河先輩、途中まででもついて行きません?」

「行かねぇよ。ガキの初めてのお使いじゃねぇんだ。大体、俺は今日報告があるんだ」


 昨日の内に星河は蔵重の情報について確認をしたのだろう。


「璃沙先輩がいないのに、話す意味があるんですか。って言うか、聞いていく時間もないんですか?」

「ごめん、さっさと済ませちゃった方がいいと思って。後で教えてくれればいいから」

「じゃあ、僕が行きます」

「大丈夫って言ってるでしょ? それに、うちの近所だから」

「納得できません!」


 海里は何が何でも行かせたくないらしい。璃沙もそんな彼に困惑するしかない。こうなるとわかっていたら彼女も立ち寄らなかった。メールで済むことだったのに、わざわざ寄ったのは誠意を見せたつもりだった。それが裏目に出るとは思いもしなかった。

 そこで、ずっと黙っていた光明がコホンと咳払いをした。そして、ようやく口を開く。


「冥加君、君はそのクソ田とも呼ばれているらしい引きこもりになった楠田少年とも友人なのか?」

「全然。ほとんど話したこともない」

「他にご近所で帰宅部の低刺激な男子はいなかったのか?」

「さあね。でも、担任が、あなたならわかり合えるんじゃないか、って言ってた。適当なこと言ってくれるわよね」


 低刺激とは何だと聞きたかったが、話をややこしくして出られなくなるのは璃沙としても困る。


「楠田って、オタクだったよな?」

「担任からしたら、楠田もあたしもあんたも一括り」


 チッと舌打ちをした星河は忌々しげだった。互いに担任教師によく思われておらず、またよく思ってもいない。


「君は担任にも頭の病を患っていると思われているようだな」

「宮地、ずっと黙ってたけど……あたし、あんたの担任から探り入れられたことある」

「なっ……」


 光明は皮肉を言ったつもりだったのだろうが、ダメージは彼に降りかかるものだ。

 一々その日あったことを話す中でもない。この時のために取っておいたとも言えるのかもしれない。


「あんたの頭のご病気まであたしのせいにされちゃあ困るから、ナンパされたのが先って言っておいた」

「きっ、君はまた誤解を招くようなことを! あれは断じてナンパではない。聖なる勧誘であってナンパではない! それに、君を望んだのは星河だ」

「いや、ナンパしたのはお前だろ。俺は冥加って奴がオカルトマニアらしいって言っただけだぜ?」


 思い返しても、あまりいい始まり方ではなかった。今となってはもう彼らを恨むわけでもないが。



「どうしても行く気ですか」


 海里は険しい表情をしていたが、璃沙も怯むわけにはいかない。


「あんたを気絶させてでも、って言ったらどうするの?」


 邪魔をするなら本気でやるしかない。彼が相手なら璃沙も勝てる自信があるのだ。

 ここで長話するつもりもなかった。海里に反対されるなどと思いもしなかった。

 すくっと立った海里は何やら棚をガサゴソと漁る。そして、見つけ出した物を差し出してくる。

 受け取って確認した璃沙はすぐさま星河を睨む。璃沙は星河の発言を忘れていない。


「俺を見るんじゃねぇよ! てめぇは全くの対象外だ!」

「こんなこともあろうかと変装道具として用意しておきました」


 手渡されたのは黒いタイツであった。他にも何か用意しているのかと気になってが、聞いてはいけない気がした。


「ボタンもちゃんと締めて行ってくださいね」

「はいはい、わかったわかった。行ってきます」


 少しうんざりしながら璃沙は手を振って部室を出る。

 海里はまだ不満のようだったが、引き留めはしなかった。



 真新しいタイツの締め付け感ときっちりとボタンを閉めた首元の息苦しさ、それだけではない緊張が璃沙を支配しようとしていた。

 同性はどうにも苦手だが、異性とはきっかけさえあれば気軽に話せた。

 オカ研の紅一点、男だらけの生徒会とも繋がりがあり、女子からは男好きと揶揄されているが、気にしたことはなかった。胸の大きさや流行のファッションをやたらと気にして、周りを伺うような人間にはなりたくなかった。

 だから、男子とは気楽に話せた。気があると勘違いされるのは面倒だったが、そうなれば切り捨ててきた。尤も奏人と仲良くなってからはほとんどなくなったことだが、どちらにしても恋愛をするつもりはなかった。


 しかし、クラスメイトとは言っても、今まで話す機会のなかった男子となると話は別だ。話が合うとわからなければ璃沙が自分から声をかけることもない。

 楠田はいつも一人で、稀に友達らしき男子と一緒にいるのを見かけるが、彼もまた陰気でいじめられているようなタイプだった。

 クソ田と蔑視される彼のいじめの輪に加わるなど反吐の出ることだったが、助けようと思ったこともない。璃沙が知る限り、それほど陰湿ないじめがあったわけでもないのだが。

 彼の元に自分を行かせるというのは些か無神経だとは思うが、あの担任に言ってもどうしようもないと諦めていた。

 喧嘩が強いと言えば語弊があるが、璃沙は自分の身を守れる人間として認識されていた。璃沙もまたクラスの腫れ物であるのは間違いない。



 渡された地図を頼りにアパートの前に着いた時にはすっかり気分が闇に塗り潰されていた。何となく知っていたが、近付いたこともなかったその場所はあまりに閑散としていた。

 断れないわけではなかった。自分には関係ないという態度を取るべきだったのかもしれない。

 けれど、行かなければならないような気がしていた。

 なぜ、そう思ったかなどまるでわからない。話したことのない楠田が自分を呼んでいるなどということがあるはずもない。それでも確かに何かが呼んでいるようだった。


 ぎゅっと厄除けのブレスレットをした左手首を握ってから璃沙は意を決し、チャイムに手を伸ばす。本当はポストに預かった封筒ごと押し込んで帰りたかったが、様子を見てきてくれと言われてしまったのだから仕方がない。

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