第7話 合同討伐
ホール中の視線が、セラに集まった。
僕の袖を、小さな手がきゅっとつかむ。一瞬だけ。それからその手は離れ、セラは一歩前に出た。
「……参加します!」
声は少し上ずっていた。でも、笑ってごまかしはしなかった。
「待ってください」
カウンターから、ノーラさんが立ち上がった。
「ギルド長。セラさんは登録上Fランクです。東の森の奥はDランク以上の区域。規則では――」
「学院の責任で連れていく」
ユリウスが、にべもなく遮った。
ギルド長は、少し考えるそぶりを見せただけだった。三倍の報酬と、伯爵家の御曹司。秤にかけるまでもない。
「……学院側の判断を尊重しよう」
ノーラさんが唇を引き結ぶ。それから、悲しそうな目でこちらを見た。
「僕も行きます」
僕は言った。
「セラとは、パーティですから」
ユリウスは、もうこちらを見てもいなかった。
「荷物持ちは好きにしろ」
出発は、二日後の夜明けだった。
学生が二十人。教官が一人。冒険者は三つのパーティと、僕たち二人。その中には、「暁の翼」もいた。
「ルーク!」
門の前で、アルベルトさんが手を振ってきた。
「君たちが参加するって聞いて、心配になってね。僕たちも受けたんだ。何かあったら、僕の後ろに隠れるんだよ」
「……ありがとうございます」
彼の後ろで、グレンさんが気まずそうに会釈した。その背中の大盾に、新しい傷がいくつも増えている。僕がいなくなってから、盾の入れ替えを誰も勧めていないのだろう。
東の森に入ると、ユリウスはすぐに隊列を組んだ。
学生たちを中央に。冒険者は左右と後方の守りに。そして、隊列のはるか前――三十歩ほど先を、セラが一人で歩かされた。
「斥候兼、囮だ」
ユリウスは当然のように言った。
「その距離なら、暴発しても隊列には届かない。それと、勝手に魔法を使うな。お前が撃てば味方まで吹き飛ぶ」
教官が何か言いたそうに口を開き、すぐに閉じた。この訓練隊で本当に力を持っているのが誰なのか、それでわかった。
僕は黙って、セラの隣に並んだ。
「……ルーク、後ろにいていいんだよ?」
「パーティだから」
セラは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「……うん」
森を進むこと一刻。最初の戦いは、森狼の群れだった。
十頭ほどの狼が、茂みから一斉に飛び出してくる。僕はセラの腕を引いて大木の陰へ下がった。狼たちが、そのまま隊列へと殺到する。
「第一列、詠唱始め!」
ユリウスの声が響いた。
学生たちが一斉に杖を掲げる。十本を超える炎の槍が、寸分の狂いもなく並んで飛び、狼たちを正確に穿っていく。
――きれいだ、と思った。
協調した詠唱。揃った威力。何年も訓練した人たちの技だ。彼らが笑っていた「辺境の冒険者」には、こんな真似はできない。
それを見つめるセラの横顔は、不思議と穏やかだった。
少し前の彼女なら、ここで光が乱れていただろう。でも今は、白金の光が静かに彼女を包んでいる。自分の力を、自分で抱えている。
「……先生たちの教え、ちゃんとすごいんだよね」
セラが呟いた。
「あたし、あの詠唱の仕方、全部覚えてる。一度も使えなかったけど」
その声に、もう悲しさはなかった。
狼の群れは、あっけなく片付いた。学生たちから歓声が上がる。
だが、僕は、ずっと別のものが気になっていた。
鳥の声が、しない。
森に入ってから、一度も。
さっきの狼たちもそうだ。好きでこの人数に飛びかかってきたというより、森の奥から外へと、何かに追い立てられていたように見えた。
足元の土を見る。鎧猪の蹄の跡が、いくつも重なっている。全部、同じ向きだ。森の奥から、外へ。
(一昨日の鎧猪も、もしかして――)
逃げてきたのだとしたら?
奥へ進むにつれて、「それ」は増えていった。
そして、ある大木の前で、僕は足を止めた。
幹に、爪痕があった。
四本。一本一本が、僕の腕ほどの太さ。その高さは――僕の背丈の、倍以上。
樹液がまだ乾いていない。
「……セラ、ここで待ってて」
僕は隊列へと駆け戻った。最初に話しかけたのは、一番近くにいたアルベルトさんだった。
「アルベルトさん。この先に、何かいます。鎧猪よりずっと大きいものが。森の魔物が、ぜんぶそいつから逃げてる」
アルベルトさんは一瞬だけ爪痕の方を見て、すぐに笑った。
「考えすぎだよ、ルーク。鎧猪が牙を研いだ跡だろう。それに、仮に何かあっても、これだけの人数だ。僕たちもいる」
「でも、牙の跡なら、あんな高い位置には――」
「ルーク」
穏やかな声だった。いつもの、あの声。
「君はもう、うちのパーティじゃないんだよ。口を出すのは、やめてくれないかな」
空気が、ひやりとした。
僕はそれ以上、何も言えなかった。代わりに教官のもとへ走った。教官は僕の話を青い顔で聞いたが、結局、そのままユリウスに判断を仰いだ。
「臆病風に吹かれた荷物持ちのたわごとだ」
ユリウスは、一瞥もせずに言い捨てた。
「進むぞ。この先の開けた場所で、最終訓練を行う」
セラのもとへ戻ると、彼女は僕の顔を見て、何も聞かずにうなずいた。
「ルークがそう言うなら、あたしは信じる」
「……ありがとう」
「だから、何かあったら、ちゃんと言ってね。あたし、すぐ撃てるようにしとくから」
そう言って、セラは素手の両手を、そっと握ったり開いたりした。
森の奥の開けた場所は、丸く切り取られたような草地だった。
そこでユリウスは、訓練の締めくくりとして、自ら大きな魔法を披露した。
銀の杖を掲げ、長い詠唱。頭上に、人の背丈ほどもある炎の大槍が形を成し、向こうの岩を粉々に砕いた。
学生たちが拍手喝采を送る。
ユリウスは杖を下ろし、ちらりとセラを見た。
「――これが、本物の魔法だ」
だが、僕はそのとき、彼の光を見ていた。
炎の大槍を放った瞬間、水色の光が、苦しそうにきしんだ。自分の形とは違う器に、無理やり注ぎ込まれた水のように。
そのときだった。
拍手が、止んだ。
誰かが止めたわけじゃない。地面が、揺れたのだ。
一度。二度。ずしん、ずしんと、足の裏から伝わってくる。
草地の向こう側で、大木が一本、ゆっくりと傾いでいく。それから、もう一本。
木々を、まるで草をかき分けるように押し倒して、それは現れた。
熊だった。
いや、熊と呼ぶには、あまりにも大きすぎた。立ち上がったその背丈は、人の三倍。灰色の毛皮に岩のような筋肉が盛り上がり、額からは、曲がった灰色の角が一本、空へ突き出している。
その前足から伸びる、四本の爪。
さっき幹に刻まれていたものと、同じ太さだった。
「……灰角の大熊」
誰かの声が、かすれて漏れた。
この森の、主。少なくともBランクのパーティが、一つ二つでは足りないと言われる化け物だ。
大熊は、草地の中央に密集する二十人の学生を見下ろし、ゆっくりと口を開いた。
森中の空気を震わせる咆哮が、轟いた。




