第5話 笑顔の下
銀髪の少年の目が、セラを捉えた。
ほんの一瞬、眉が動く。それから、道端の石ころでも見るように、視線をそらした。
「……まだ生きていたのか。欠陥品」
それだけだった。白馬は歩みを止めず、列はギルドの方へと過ぎていく。
蛇のように長い列の最後の一人が通り過ぎてから、ようやくセラが息を吐いた。
「……あはは! びっくりした!」
ぱん、と自分の頰を叩いて、彼女は笑った。
「学院の同級生なの。ユリウス・グランツさま。伯爵家のご子息で、学年首席。すごい人なんだよ、あんな年でもう中級魔法を三つも使えるんだから!」
「……セラ」
「さ、ギルド行こ! 今日もばりばり稼がなきゃ!」
セラは先に立って歩き出した。いつもより、少しだけ速い足どりで。
ギルドは、今まで見たことがないほど混んでいた。
学院の訓練隊が、実地訓練のための臨時登録をしているのだ。揃いのローブの学生たちが列を作り、一人ずつあの水晶に手をかざしていく。
どの数字も、この町の冒険者たちよりずっと高い。そのたびに、壁際で見守る冒険者たちからため息が漏れた。
そして最後に、あの銀髪の少年が前に出た。
手をかざす。水晶が澄んだ青に輝き、数字が浮かぶ。
――魔力:A。総合評価:B。
ギルド中がどよめいた。十八でB。この町に、そんな数字を出せる冒険者は一人もいない。アルベルトさんでさえCだ。
「当然の結果だ」
少年――ユリウスは、眉ひとつ動かさずに言った。
「才能は血に宿る。グランツ家は三百年、王国に魔術師を送り出してきた。――平民とは、生まれたときから器が違う」
その視線が、ギルドの隅に立つセラを、まっすぐに射抜いた。
「たとえば、そこの女だ」
周りの目が、一斉にセラへ向く。
「入学試験で測定器を壊した。未知の才能かもしれないと、学院は特待で平民を取った。結果はどうだ? 一年間、一度もまともに魔法を撃てず、実技試験で教室の壁を吹き飛ばして退学だ」
くすくすと、学生たちの間から笑いが漏れる。彼らにとっては、お馴染みの笑い話なのだろう。
「測定器が壊れたのは、才能があるからじゃない。そもそも血を持たない者の魔力が、歪んでいるからだ。――辺境の諸君も、せいぜい巻き込まれないようにすることだ」
しん、と静まり返る。
その中で、明るい声が響いた。
「えへへ、そうなんですよー!」
セラだった。頭をかきながら、いつもの笑顔で。
「あたし、欠陥品で! みなさん、ご迷惑おかけしましたー!」
どっと笑いが起きた。学生たちも、冒険者たちも。「自分で言ってりゃ世話ないよ」「気楽なもんだ」
笑いの中で、僕だけがそれを見ていた。
カウンターの影。誰にも見えない低い位置で、セラの手が、スカートの裾をぎゅっと握りしめている。
その指が、小刻みに震えていた。
白金の光が、今にも消えそうな蠟燭のように、揺らいでいた。
「……セラは、鎧猪を倒しました」
気づいたら、口が動いていた。
笑い声が、潮が引くように止んだ。ユリウスの冷たい瞳が、初めて僕を捉えた。
「……誰だ、君は」
「ルークです。セラの――パーティの仲間です」
「測定値は」
「……Fです」
ユリウスは、ふっと鼻で笑った。
「Fランクが、測定不能の欠陥品をかばう。辺境らしい美談だな」
彼はそれ以上、僕たちに興味を失ったようだった。教官らしい大人に一礼して、学生たちを引き連れてギルドを出ていく。
その背中を見送りながら、僕はふと引っかかりを覚えていた。
彼の体から立ち上る、水色の光。
攻撃の才を持つ者は、たいてい赤や橙に光る。でも彼の光は、静かな湖のような色をしていた。それはどこか、盾を構え続けるグレンさんの姿を思い出させた。
自分に合わないものを、無理やり身にまとっているような――。
「ルーク! 依頼、これにしよ!」
セラの声で、考えが途切れた。
彼女が掲示板から剥がしてきたのは、市場の倉庫の鼠退治だった。
その日のセラは、よくしゃべった。
倉庫へ向かう道でも、鼠を追いかけているときも、帰り道も。市場の果物屋のこと、学院の寮の食事がまずかったこと、故郷の村の羊のこと。一瞬でも黙ったら、何かに追いつかれてしまうとでもいうように。
倉庫の裏で、小さな炎の練習もした。
昨日は蠟燭のように安定していた白い火が、今日は大きくなったり小さくなったり、せわしなく揺れた。一度は、突然拳ほどに膨らんで、セラが慰てて握り潰した。
「あはは、今日は調子悪い日! そういう日もあるよね!」
セラは笑った。でも僕には、その炎の揺れ方が、ギルドで震えていた彼女の指先と同じに見えた。
魔法は、心とつながっている。
そういえば、昨日森で彼女が初めて完璧な魔法を撃てたときも、「ルークは、まぶしいって言った」と叫んでいた。
その夜。麦穂亭の食堂で、セラはスープを半分残した。
「えへへ、お昼に食べ過ぎちゃった!」
お昼に食べたのは、黒パン一切れだけだ。僕は知っていたけれど、何も言えなかった。
「それじゃあ、おやすみルーク! 明日もがんばろーね!」
大きく手を振って、彼女は階段を駆け上がっていった。その明るさが、かえって胸に引っかかった。
(もう少し、何か言えばよかったんじゃないか)
でも、何を? 「本当は傷ついてるでしょう」とでも? それを言ったら、彼女が必死に守っている笑顔を、僕が剥ぎ取ることになる。
見えているからといって、それを口にしていいとは限らない。
その線引きがわからないまま、僕は自分の部屋で天井を眺めていた。
どれくらい経っただろう。
閉じたまぶたの裏で、何かが動いた。
この力は、壁も床も関係ない。近くにいる人の光は、目を閉じていてもぼんやり感じられる。宿の主人の穏やかな緑。向かいの部屋に泊まっている行商人の黄色。
そして――隣の部屋にあったはずの白金が、ゆっくりと、宿の外へ遠ざかっていく。
僕は飛び起きた。
廊下に出て、隣の扉を叩く。返事はない。取っ手を回すと、鍵はかかっていなかった。
部屋は、空っぽだった。
寝台は一度も使われた様子がない。小さな机の上に、昨日割り勘した銅貨が、きっちりと半分積まれていた。
その下に、一枚の紙切れ。
丸っこい、元気な文字だった。
『ごめんね。やっぱりあたし、ルークに迷惑かけちゃう。ルークは、もっといいパーティに入ってね。』
文字の最後が、小さくにじんでいた。




