第4話 測定不能
「……ルーク?」
アルベルトさんは、ジョッキを置いてゆっくりと歩いてきた。人垣が自然に割れる。町で評判のCランク冒険者が通るとき、みんなそうする。
彼はカウンターの牙を見下ろし、それから僕を見た。
もう、いつもの笑顔に戻っていた。
「すごいじゃないか、ルーク。鎧猪の牙なんて、よく見つけたね」
「見つけたんじゃなくて、セラが倒したんです」
「うんうん、わかってるよ」
アルベルトさんは優しくうなずいた。子どもの嘘を聞き流す大人のように。
「東の森だろう? あそこに鎧猪が出たなら、きっとどこかのパーティが深手を負わせて、取り逃がしたんだ。弱っていたところに運よく出くわした――そういうこともあるよ」
周りから「ああ、なるほど」「それならわかる」と安堵の声が漏れた。
その一言で、空気が変わった。さっきまでのどよめきが、「なんだ、まぐれか」という笑いに変わっていく。
「ちがうよ! あたしが、この手で――」
セラが身を乗り出す。アルベルトさんは、困ったように眉を下げた。
「君が暴発させた魔法が、たまたま当たったのかもしれないね。でも、それを実力だと思うのは危ないよ。次は運が味方してくれない」
そして、僕の肩に手を置く。昨日と同じように。
「ルークも。危ないことはもうやめなよ。君に何かあったら、僕は悲しい」
それだけ言うと、彼は仲間の待つテーブルへ戻っていった。
悪意はない。たぶん、本当にない。
ただ、あの人の中では、僕はいつまでも「守ってやるべき役立たず」のままなのだ。
「……お二人とも、ちょっといいかしら」
ノーラさんの声で、我に返った。彼女は牙を持ち上げ、断面をじっと見つめていた。
「規則でね、本来のランクより上の魔物を倒したと申告があったら、測定をやり直すことになってるの。実力があるなら、数値にも出るはずだから」
カウンターの奥に、水晶の球をはめ込んだ台座がある。冒険者なら誰もが一度は手をかざす、測定器だ。
周りの冒険者たちが、わらわらと集まってくる。見物のつもりだ。
「まずはルークくんから」
僕は手をかざした。水晶がぼんやりと曇り、数字が浮かび上がる。
魔力、筋力、俊敏さ。どれも五年前とほとんど変わらない。
――総合評価:F。
「ま、そうだろうな」「荷物持ちは荷物持ちだ」
笑い声が起きる。わかっていたことだ。僕の光は、僕にも測定器にも見えない。
「次、セラちゃん」
セラが一歩前に出た。いつもの笑顔だけど、口の端が少しこわばっている。学院でも、冒険者登録のときも、この水晶は彼女を「故障」と判定してきたのだ。
彼女が手をかざす。
瞬間、水晶が真っ白に輝いた。
ギルド中の影が消えるほどの光。数字が浮かび上がりかけて、ぐちゃぐちゃに崩れ、――ぴしり、と音がした。
水晶の表面に、細いひびが走っていた。
――測定不能。
静まり返ったギルドに、誰かの声が響いた。
「……また壊しやがった」
どっと笑いが起きた。「暴発女は測定器まで暴発させるのか」「修理代、誰が払うんだよ」
セラは「えへへ……ごめんなさーい」と頭をかいた。
でも僕には見えていた。水晶が輝いた瞬間、その光は彼女の白金と同じ色をしていた。壊れたのは、測れなかったからじゃない。測る器が、小さすぎたんだ。
杖と同じように。
この世界の「器」は、たぶん、ある大きさまでのものしか測れないようにできている。
「……結果はこうよ」
ノーラさんが、記録用紙にペンを走らせた。
「牙は本物。だから鎧猪の素材の買い取り金は、きちんとお二人に払います。でも、測定で数値が確認できない以上、討伐実績としては認められない。ランクは二人ともFのままよ」
そう言ってから、彼女はちらりと周りを見た。野次馬が「ほらな」と満足して散っていく。
それを確かめて、ノーラさんは声を落とした。
「――これは窓口としての答え。ここからは、わたし個人の意見。」
彼女は牙の断面を指でなぞった。
「この焦げ跡、外側から焼かれたんじゃない。一瞬で芯まで熱が通ってる。弱った魔物をつついたくらいじゃ、こうはならないわ」
「ノーラさん……」
「わたしは信じるわ。セラちゃんが倒したって」
セラの顔が、ぱあっと明るくなった。
「ノーラさん、大好き!」
「はいはい。……それとルークくん」
ノーラさんは、今度は僕の顔をまじまじと見た。
「脇腹。かばってるでしょう。今夜は大人しく寝ること。いいわね?」
……この人には、何も隠せない。
その夜。
僕たちは、ギルドの裏通りにある安宿「麦穂亭」の食堂で、二人だけの小さな祝いの宴を開いた。
鎧猪の素材を売ったお金は、思っていたよりずっと多かった。二人で一か月、美味しいものを食べられるくらい。
「半分こで、ちゃんと割り勘!」
セラは銅貨を一枚ずつ二つの山に分けていく。細かい。実に細かい。昨日、「借りは作らない」と言ったのは本気だったらしい。
「……ランク、上がらなかったね」
僕が言うと、セラは銅貨を数える手を止めた。
「いいの。あたしはわかってるもん。ルークもわかってる。ノーラさんも。三人もいる!」
指を三本立てて、得意げに笑う。
「昨日まで、ゼロだったんだよ? すごい増え方じゃない?」
その計算に、僕は少しだけ笑ってしまった。そうだ。昨日の今頃、僕はエールのジョッキを運んでいた。たった一日で、ぜんぶが変わった。
「それにね、あたし、決めたんだ」
セラは、スープを一口すすってから言った。
「数字で認めてもらえないなら、認めるしかないってところまで、積み上げればいいんだよ。一体じゃまぐれ。十体なら実力!」
「その前に、小さい魔法の練習だね。森に道を作るのは、一日一回まで」
「えー!」
セラは頰を膨らませて、それからけらけら笑った。
食堂のランプの下で、彼女の白金の光は、昨日より少しだけ穏やかに揺れていた。震えては、いなかった。
部屋に戻ると、壁の小さな鏡に自分の顔が映った。
やっぱり、何も光っていない。
でも、帰り道にセラが言った「ひとつ見つけたかも」という言葉が、頭の片隅にひっかかっていた。結局、何を見つけたのかは教えてくれなかったけれど。
翌朝。
脇腹の痛みは、ポーションのおかげでほとんど引いていた。麦穂亭を出て大通りを歩いていると、前を行くセラが「あっ」と声を上げた。
町の南門から、馬車の列が入ってくる。
磨き上げられた黒い車体。扉には、金色の三日月と杖の紋章。その後ろに、揃いのローブを着た若者たちが、整列して歩いている。
通りの人々が道を開け、ひそひそと囁き合う。
「王立魔法学院だ」「辺境で実地訓練だとよ」「貴族の子弟ばかりだぞ」
列の先頭。ひときわ立派な白馬に、銀色の髪の少年が乗っていた。端正な顔立ち。胸には、他の学生よりひときわ大きな金の記章。
その体からは、水色の光が、淡く立ち上っていた。
「……セラ?」
隣を見る。
セラは、笑っていなかった。
水をかぶったみたいに顔から血の気が引き、その視線は、銀髪の少年に釘付けになっていた。
「……ユリウスさま」
かすれた声で、彼女はその名を呼んだ。
そのとき、白馬の上の少年が、ゆっくりとこちらを振り向いた。




