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数値がすべての世界で、僕にだけ『測定不能』の才能が見える 〜見捨てられた少女たちと成り上がる〜  作者: guil727


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第30話 撃てない手(第3章 第9話)

「――おかえり!」

麦穂亭の扉を開けた瞬間、食堂中から声が飛んできた。

宿の主人。顔馴染みの行商人たち。それに――いつかそこに座っていたのか、片腕を吊ったベンさんと、額の包帯が取れたダリオさんまでいた。

「……なんで、皆さんが?」

「受付の姉ちゃんが、今日帰ってくるって言ってたからな」

ダリオさんが、ぶっきらぼうに言った。その土色の光は、旧坑道の後より、ほんの少しだけ強くなっている。

「……鉱夫組合の坑道の封鎖、手伝うことにした。――それだけ、言いに来た」

それだけ言うと、ダリオさんはジョッキを一気に飲み干して、そっぽを向いた。ベンさんが、その横で小さく笑っていた。

――恐れて遠ざけてきた場所に、自分から戻ること。

あの人の開花の条件だった。

「さあさあ、座った座った! 今日は宿のおごりだ!」

宿の主人が、大きな皿を運んできた。羊肉と根菜を生地で包んで焼いた、この宿の一番のごちそうだ。

そして――三人で座る、いつもの小さなテーブルの前で。

「……フィオちゃん。そこ、あたしの座ってたところだよね?」

「……今日は、空いてましたので」

フィオが、僕の右の席に、すでにちょこんと座っていた。いつもならセラの場所だ。

「……じゃあ、あたしこっち!」

セラが、左の席にどさりと座る。そして――椅子ごと、ずりずりと、こちらへ寄ってくる。

右側でも、小さな椅子が、こっそりと、こちらへ寄ってくる。

……狭い。

「……二人とも、肉の皿が取れないんだけど」

「あたしが取る!」

「……わたしが取ります」

左右から、同時に手が伸びた。

セラの手は、まだ手首まで包帯だった。だから、皿をつかむことはできなかった。その包帯の手が、皿の縁で、むなしく滑る。

その瞬間、セラの笑顔が、ほんの一瞬だけ、固まった。

フィオが、黙って皿を受け取って、三人の真ん中に置いた。そして、一番きれいに焼けた一切れを、セラの皿に、そっと取り分けた。

「……今日は、譲ります」

その言葉は、いつもより、ずっとやわらかかった。

セラは、「えへへ、ありがとー!」と笑った。その笑顔は、いつもと同じだった。

――いつもと、同じすぎた。

その白金の光の奥で、何かが、小さく、震えているのが見えた。初めて会った夜に見た、あの震え方に、よく似ていた。

翌日。

癒し手のところへ、セラの手を診てもらいに行った。

包帯をほどかれた手のひらは、まだ、うっすらと赤かった。水ぶくれはもうない。でも、つるりとした新しい皮膚が、光を反して、ひどく薄そうに見えた。

「……このまま大人しくしていれば、あと二十日で元の手に戻るでしょう。それまでは、魔法は一発も駄目よ」

癒し手は、そう言ってから、少しだけ言葉を選んだ。

「……それから。治ったあとも、素手であの強さの魔法を撃つかぎり、また同じことになるわ。あなたの魔力は、あなたの手には重すぎる。何か、手を守るものが要るでしょうね」

「……杖じゃ、だめなんですよね」

セラが、笑って言った。

「杖だと、杖が爆発しちゃうし。素手だと、手が焼けちゃうし。……あはは、どうしようね、これ」

その「あはは」が、部屋の天井で、ひどく乾いた音を立てた。

その夜。

寝付けなかった。

いや――寝付けなかったのは、たぶん、壁の向こうの光のせいだった。

勝手に入ってくる光を、自分から追いかけない。それが、癒し手との約束だった。でも、隣の部屋の白金の光が、さっきからずっと、ちりちりと小刻みに揺れているのは、追いかけなくてもわかった。

そして――その光が、部屋を出て、廊下を通り、裏口の方へと移っていく。

……初めて会った夜と、同じだ。

裏口の石段に、小さな背中があった。

膝を抱えて、その膝に額を押しつけている。包帯の手が、膝の上で、不自然に開いたままだ。握ることができないから。

「……セラ」

肩が、びくりと跳ねた。

それから、ゆっくりと、顔が上がった。

泣いていた。それを、慌てて包帯の手の甲でこすろうとして――その包帯の粗い布が頬をこすって、「っ」と小さく顔をゆがめた。

「……えへへ。ばれちゃった」

笑おうとした。でも、笑わなかった。

セラは、何かを思い出したように、ゆっくりと、包帯の手を自分の髪へと持ち上げた。

片側の毛先に結ばれた、銀色の紐。

それを、包帯の指先で、そっと、触った。

――合図。

「もう限界」の、合図だった。

僕は、何も言わずに、彼女の隣に座った。

「……手が熱くなったんじゃないんだけどさ。使っても、いいのかな」

「……うん。いいんだよ」

セラは、しばらく黙っていた。それから、膝を抱えたまま、小さな声で言った。

「……あたしね。学院を追い出されてから、ずっと怖かったの。魔法が撃てないあたしは、誰にもいらない子なんじゃないかって」

その声が、少しずつ、震えていく。

「でも、ルークが、必要だって言ってくれて。すごいって言ってくれて。ちゃんと撃てるようになって。……だから、もう大丈夫だと思ってたのに。……二十日も撃てなくて、治っても、また焼けちゃうんだって」

そこで、声が、詰まった。

「……撃てないあたしは、また、いらない子になっちゃうのかなって」

――まただ。

あの空き地で、触れて見た、一番奥の暗闇。膝を抱えた幼い少女が、ずっと同じ言葉を繰り返していた。「すごくないと、いらない子になる」。

あの光は、まだ、そこにいたのだ。

言葉を探した。いや――探さなくても、たぶん、もう知っていた。

「……セラ。僕は、セラが撃てるから、一緒にいるんじゃないよ」

セラが、息を止めた。

「セラが通気坑の上で石を割ってたとき。指先が、ずっと震えてたんだよね。もし僕たちが下にいなかったらどうしようって。――それでも、夜の山を一人で登って、火で風を確かめて、通気坑を見つけてくれた。……あれは、魔法じゃないよ」

「……――」

「崖のときも。手から煙が出てるのに、『向こうで息が止まりそうな人がいるんでしょ』って。……僕は、そういうセラと、一緒にいたいんだ」

セラは、何も言わなかった。

ただ、その白金の光が、ゆっくりと、震えるのをやめていくのが、追いかけなくてもわかった。

「……――っ、だからさぁ……」

やがて、その声が、くしゃくしゃになった。

「……そういうの、ずるいって、何回言えばいいのよぉ……」

こつん、と、肩に、小さな重さが乗った。

包帯の手が、ゆっくりと、僕の袖を、指先だけでつまんだ。握れないから、つまむだけ。それは、少しだけ、フィオのやり方に似ていた。

「……ちょっとだけ、こうしてていい?」

「……うん」

そのとき。

背中の後ろの扉が、きい、と小さく鳴った。

振り向くと、琥珀色の光が、扉の隙間から、そっと覗いていた。

「……――っ、あ、あの……セラさんの光、壁越しに……じゃなくて、背中が、ぶわって……」

フィオの光も、セラを感じていたのだ。

セラが、僕の肩に頭を乗せたまま、小さく笑った。今度は、本当に笑っていた。

「……フィオちゃんも、おいでよ。こっち、空いてるから」

セラが、包帯の手で、自分の反対側の石段を、とんとんと叩いた。

フィオは少し迷ってから、そっとセラの隣に座った。そして、セラの包帯の手を、自分の小さな両手で、そっと包んだ。

「……セラさんは、いらない子じゃないです。……わたしに髪留めを選んでくれたのは、セラさんですから」

その一言で、セラは、また泣いた。今度は、声を上げて。

三人で並んで、しばらく、夜空を見ていた。

翌日から、三人で工房街を回った。

「手を守るもの」。癒し手の言葉を頭に、武具屋、防具屋、魔道具屋を、片っ端から。

「……魔法使い用の手袋? あるにはあるがな。杖の代わりにどれだけの魔力を通すつもりだい」

「……杖が、一発で砕けるくらいです」

そう答えると、どの店の主人も、少し黙ってから、呆れたように笑った。ときには、「そりゃ新しい冗談か?」とも言われた。

そして――最後にたどり着いたのは、工房街の一番奥にある、一番大きな工房だった。

「ゴドウィンの工房」。この町の冒険者なら、誰でもその名を知っている。アルベルトさんの剣も、ここの作だ。

炉の熱気が、入り口からそのまま流れ出してくる。何人もの弟子たちが金槌を振るう、その一番奥で。白い髭を胸まで生やした、岩のような老人が、腕を組んでこちらを見ていた。

その光は、何度も燃やされた炉の灰のような、深い赤褐色をしていた。

「……『灯火』だと? 大熊をやったっていう、あの娘っ子のところか」

親方は、セラの包帯の手をじっと見て、それから、ゆっくりと首を振った。

「……無理だな。あの大熊を一撃で穿つほどの魔力を通して、焼けも溶けもしねえ金属なんぞ、この世にはねえ。王都の宮廷工房にだって、ないだろうよ」

それは、意地悪で言っている声じゃなかった。何十年も金属を触ってきた者の、ただの事実だった。

そのとき。

後ろで、若い弟子の一人が、吹き出した。

「……そんなもん作ろうとするのは、うちを追い出されたトトくらいのもんだよな」

「違いない。あいつ、いつも『魔力を食う金属』とか言って、誰にも使えねえ失敗作ばっか作ってたもんな」

笑い声が、工房の中に広がる。

親方が、「黙って手を動かせ」と一喝した。笑いは、すぐに止んだ。

でも、その親方の赤褐色の光が、「トト」という名前が出た瞬間、ほんのわずかに、揺らいだのを、僕は見ていた。

――魔力を食う金属。

「……その人は、今どこに?」

親方は、しばらく、答えなかった。

それから、背を向けて、炉の方へ戻りながら、ぶっきらぼうに言った。

「……知らん。破門した弟子のことなんぞな」

その光は、まだ、わずかに揺れたままだった。

工房を出ると、もう日が傾きかけていた。

「……ルーク。今の人たち、『トト』って言ってたよね」

セラが、包帯の手を胸の前で合わせながら、言った。

「うん」

「……魔力を食う金属って、もしかしてさ……」

そこまで言って、セラは口をつぐんだ。期待して、また駄目だったら。そう思ったのかもしれない。

そのとき。

フィオの琥珀色の光が、ぴくりと、工房街の、少し外れの方へと向いた。

危険を告げるときの形じゃない。もっとやわらかく、でも確かに、何かに引かれているような形。

「……あの、ルークさん。あっちの方、ぶわっとはしないんですけど……何か、すごく熱いものがある気がします」

フィオの光の先。

それは――癒し手の家の裏手。工房街へ続く、あの細い路地の方角だった。

十日目の夜、炉の火のような光が、重いものを引きずっていた、あの路地。

「……行ってみよう」

路地の奥の小屋は、近くで見ると、小屋というより、古い物置を無理やり作業場にしたような建物だった。壁の板は焦げ、屋根からは小さな煙突が新しく突き出している。

その窓から、本物の火の光が漏れていた。

――かん。 かん。

あの夜と同じ、小さな、でも不思議とよく通る金槌の音。

そして――その内側に、あの光があった。炉の一番熱いところのような、茜とも橙ともつかない、燃える光。

扉を叩こうと、手を上げた。

その前に――金槌の音が、ぴたりと止まった。

ばん、と、内側から扉が開いた。

「――さっきから、外でごちゃごちゃ、うるさいんだけど」

頭一つぶん、いや、もう少し上から、声が降ってきた。

背が高かった。僕よりも。肩幅が広く、袖をまくった腕は、細いのに硬そうな筋が浮いている。玉のような汗の伝う首元に、焦げ跡だらけの革の前掛け。赤茶色の短い髪は、焦げた刷毛のように、あちこちにはねていた。

そして――顔中、煤だらけだった。

その煤の向こうで、炉の火を置き忘れたような、赤い瞳が、僕たち三人を、じろりと見下ろしていた。

「……何。……文句ある?」

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