第2話 杖を捨てろ
「……は?」
少女はぽかんと口を開けた。それから、ぷっと吹き出す。
「あはは! なにそれ、新しい慰め方? これ、学院から持ってきた一番いい杖だよ? ……折れちゃったけど」
「うん。でも、君には小さい」
「……へんな人」
少女は涙を手の甲でごしごし拭って、いつもの笑顔に戻った。いや、戻ろうとしていた。
「あたし、セラ。暴発のセラって言えば、この町じゃちょっとした有名人だよ。えへへ」
「僕はルーク。……さっきまで、暁の翼で荷物持ちをしてた」
「さっきまで?」
「抜けてきたんだ。君とパーティを組みたくて」
セラの笑顔が止まった。
「……からかってる?」
「からかってない」
「だってあたし、測定不能だよ? 学院も追い出されたし、どこのパーティも入れてくれないし、そもそも魔法、一回もちゃんと撃てたことないし」
指を折って数える声が、少しずつ小さくなる。
僕は彼女の前にしゃがんだ。
「セラ。少しだけ、僕の目を見てくれる?」
「え、な、なに急に」
「お願い」
戸惑いながらも、彼女はこちらを見た。翠色の瞳と、目が合う。
その瞬間、白金の光が流れ込んできた。頭の奥に、言葉が浮かぶ。
――素質:底なしの魔力。
――開花の条件:杖を捨て、自らの手で放つこと。
こめかみが、ずきりと痛んだ。思わず顔をしかめる。
「だ、大丈夫?」
「平気。……わかったよ、セラ」
僕は痛みをこらえて、言った。
「杖を捨てて。手から直接、魔法を撃つんだ」
沈黙。
セラは数秒固まったあと、ぶんぶんと首を横に振った。
「むりむりむり! 杖なしの魔法なんて、学院で一番最初に禁止されることだよ!? 『魔力が暴れて腕が吹き飛ぶ』『下品な野良魔術師のやり方』って、先生たちみんな言ってた!」
「君の魔力は、杖に入りきらないくらい大きい。だから杖が壊れて、暴発してるんだ」
「……なんで、そんなことわかるの」
まっすぐな問いだった。僕は少しだけ迷って、正直に答えた。
「見えるんだ。人の才能が、光みたいに」
笑われる、と思った。五年間、ずっとそうだったから。
でも彼女は、笑わなかった。
「……あたしのは、何色?」
「白金。今まで見た誰よりも、まぶしい」
セラは自分の両手をじっと見つめた。煤で汚れた、小さな手だった。
「……変な人」
さっきと同じ言葉なのに、声が少し震えていた。
「杖なしは、まだ怖い。でも――パーティは、組んでみてもいいよ。お試しで!」
ぱっと顔を上げて、彼女は笑った。今度の笑顔は、少しだけ本物に見えた。
翌朝。ギルドの掲示板の前に二人で立つと、周りからひそひそ声が聞こえた。
「おい見ろ、荷物持ちと暴発女だ」「本当に組んだのかよ」「一週間どころか三日だな」
セラは「えへへ、有名人!」と胸を張っている。強い。
「ルークくん、セラちゃん。おはよう」
カウンターからノーラさんが手招きした。
「最初の依頼を探してるのよね? これなんてどうかしら」
差し出されたのは、東の森での薬草採取。Fランク向けの、一番簡単な依頼だ。
「……地味!」
「最初は地味なくらいがいいの。それに、東の森なら人も来ないから――少しくらい魔法の練習をしても、怒られないわよ?」
ノーラさんは片目をつぶった。この人はいつも、言葉にしないところで助けてくれる。
ギルドを出たところで、セラが「ちょっと寄り道!」と僕の袖を引いた。連れていかれたのは、大通りの端にある古い杖屋だった。
「杖、昨日折れちゃったから。魔法使いが杖なしで依頼に行くなんて、ありえないでしょ?」
「でもセラ、杖は――」
「わかってる、わかってる。でもさ」
セラは棚に並んだ杖を眺めながら、少しだけ声を落とした。
「杖を持ってないと、あたし、魔法使いじゃなくなっちゃう気がするんだ」
店主の老人が、セラの赤い髪を見て鼻を鳴らした。
「暴発の嬢ちゃんか。うちの上等な杖を壊されちゃかなわん。一番安いのにしときな」
セラは「えへへ、ですよねー」と笑って、店の隅の樽に突っ込まれた細い杖を一本抜き出した。銅貨を数える。財布の中身を、ほとんど全部出していた。
「僕が出すよ。少しなら貯めてある」
五年間の荷物持ちの給金は本当にわずかだけど、使い道もなく貯まっていた。
「だめ」
セラがきっぱりと首を振った。
「パーティ組んで一日目で、借りなんて作りたくない。あたし、自分の分はちゃんと自分で稼ぐ冒険者になるの」
笑顔のままだったけれど、その声には曲がらない芯があった。僕はそれ以上、何も言えなかった。
(この子は、施しがほしいわけじゃないんだ)
誰かに必要とされたい。誰かと対等に並びたい。白金の光の奥にあるものが、少しだけ見えた気がした。
東の森は、ベルナの町から歩いて一刻ほどの場所にある。
「ルーク、見て見て! これ薬草? これは?」
「それは毒草。こっちが薬草だよ。葉の裏に白い筋があるほう」
「すご! なんで知ってるの!?」
「五年間、ずっと荷物持ちだったから。採取も野営の準備も、全部僕の仕事だった」
セラは籠を抱えて、森の中を跳ねるように進んでいく。思い込んだら一直線で、僕が呼び止める前に、もう次の茂みに頭を突っ込んでいる。
……振り回されるって、こういうことか。
それでも、悪い気はしなかった。誰かと並んで歩くのは、久しぶりだった。
「ねえ、ルーク」
休憩した木陰で、セラが水筒から口を離して言った。
「ルークの光は、何色なの?」
「え?」
「人の才能が光って見えるんでしょ。じゃあ、ルークのは? やっぱり荷物持ちの才能? 茶色とか?」
「茶色……」
思わず苦笑する。それから、少し迷って答えた。
「わからないんだ。自分のだけは、見えない。鏡を見ても、水たまりを覗いても、何も光ってない」
「……ふうん」
セラは首をかしげ、じーっと僕の顔を見つめた。近い。
「な、なに」
「見えないだけで、ないとは限らないじゃん」
あっけらかんとした声だった。
「あたしだって、測定器には映らなかったけど、ルークには見えたんでしょ? だったら、ルークのも、どこかにちゃんとあるよ」
「……」
「よし、決めた! ルークの才能は、あたしが見つけてあげる!」
セラは勢いよく立ち上がり、ぐっと拳を握った。
「見えないのに、どうやって?」
「気合い!」
「気合いかあ」
笑ってしまった。でも、胸の奥が少しだけ温かかった。
五年間、誰にも言えなかったことを、言った。そして、笑われなかった。
籠が半分ほど埋まった頃、僕は足を止めた。
地面に、大きな足跡がある。蹄の形。それも、人の頭ほどの大きさ。
(この森に、こんな大きな魔物はいないはずだ)
周りの木の幹を見る。高い位置に、何かを擦りつけた跡。樹皮が剥がれ、鉄のような匂いがした。
「セラ、静かに。戻ろう」
「え? でもまだ籠が――」
その言葉が終わる前に、森が揺れた。
木々をへし折りながら、それは現れた。
灰色の巨体。全身を鉄のような外殻に覆われた猪。突き出た牙は、僕の腕よりも太い。
鎧猪。本来なら、もっと深い森の奥にしかいない魔物だ。Fランクの冒険者が出会っていい相手じゃない。
「下がって、セラ!」
「だ、大丈夫! あたしだって魔法使いだもん!」
セラが、今朝買い直したばかりの杖を構える。安物の、細い杖。
「待って、その杖じゃ――」
「ファイアボール!」
杖の先に火球が膨れ上がる。
大きい。今までよりもずっと。セラが本気で、全力を込めている。
だからこそ――杖が耐えられなかった。
ぴしり、と乾いた音がした。
杖が、根元から粉々に砕け散った。
行き場を失った炎が、セラの手元で弾ける。彼女の体が吹き飛び、地面を転がった。
鎧猪が、低くうなる。
その赤い目が、倒れたセラをまっすぐに捉えていた。




