第1話 見えすぎる荷物持ち
この酒場で一番まぶしい光を、誰も見ていない。
夕暮れの冒険者ギルド。依頼帰りの冒険者たちがジョッキを打ち鳴らし、笑い声が天井の梁まで響いている。
僕――ルークの目には、その一人ひとりの体から、淡い光がにじんで見える。
剣の才を持つ者は赤く。癒やしの才を持つ者は緑に。光の強さは、その人の中に眠っているものの大きさだ。
生まれたときから、ずっとこうだった。止めようと思っても止まらない。目を閉じても、まぶたの裏がほのかに明るい。
「おいルーク、エールのおかわり!」
「はい、ただいま!」
僕は空のジョッキを両手に抱えて、カウンターへ走る。
パーティ「暁の翼」に入って五年。僕の仕事は荷物持ちと雑用だ。測定ランクはF。冒険者として、一番下。
この世界では、才能は数字で決まる。ギルドの測定器に手をかざせば、魔力も筋力も、すべてが数値になって浮かび上がる。その数値がランクになり、ランクがその人の価値になる。
僕に見えるこの光は、測定器には映らない。
だから――誰も信じない。
両手にエールを抱えてテーブルへ戻ると、アルベルトさんが仲間たちに今日の討伐の話をしていた。
「――で、僕はとっさに判断したんだ。正面からじゃなく、沢沿いの道から回り込もうってね」
「さすがリーダー!」「あの判断がなきゃ、オーガの群れに真正面からぶつかってたぜ」
仲間たちが口々に褒める。アルベルトさんは照れたように笑って、金色の髪をかき上げた。
僕は黙ってジョッキを配った。
沢沿いの道を提案したのは、僕だった。
今朝、出発前に荷物を詰めながら「街道の先、足跡が多すぎます。沢沿いのほうが安全かもしれません」と小さく言った。アルベルトさんは「ふうん」と生返事をして、出発の直前に、自分の考えとしてそれを口にした。
いつものことだ。
盾役のグレンさんに構える高さを少し下げたほうがいいと伝えたのも。弓使いのリサさんに、矢羽根の重さを変えてみたらと言ったのも。全部、雑談のふりをした独り言で、全部、いつの間にか誰かの手柄になっていた。
それでいい、と思っていた。
僕の言葉のままだったら、きっと誰も聞いてくれない。Fランクの荷物持ちの意見なんて。だったら、誰の手柄でもいいから、届いてくれたほうがいい。
「ルーク、お前も見てたろ? リーダーのあの采配」
「……はい。すごかったです」
「だろ!」
グレンさんが僕の背中をばしばし叩く。赤い光をまとった大きな体。彼の素質は、本当は盾ではなく大剣だ。五年前に一度だけそう言って、笑われた。
グレンさんはそれからも、ずっと盾を構えている。
「よし、明日は休みだ。ルーク、装備の手入れ頼むな」
「はい」
「あと俺の靴な。底がすり減ってきてる」
「はい」
アルベルトさんがジョッキを掲げた。
「暁の翼に乾杯! 来月にはBランクの昇格試験だ。僕たちなら必ず受かる!」
歓声が上がる。僕も小さくジョッキを持ち上げる真似をした。中身は水だ。荷物持ちに酒は出ない。
空いたジョッキを集めて、もう一度カウンターへ向かう。
カウンターの横を通りかかったとき、窓ガラスに自分の姿が映った。黒髪の、冴えない十八歳。
その体のまわりには、何の光もない。
他人の光は嫌というほど見えるのに、僕自身のだけは、鏡を見ても一度も見えたことがない。
(それが答えなんだろうな)
僕には、何もない。
――そのときだった。
酒場の隅で、ぼんっ、と小さな爆発音がした。
「うわっ!?」「またかよ!」
煙の中から、けほけほと咳き込みながら少女が顔を出す。赤い髪が煤だらけだ。手には、先端が裂けた杖。
「えへへ……ごめんなさーい! またやっちゃった!」
少女は明るく笑って頭を下げた。周りの冒険者たちがどっと笑う。
「暴発のセラだ」「学院を追い出された落ちこぼれだろ」「測定器を壊したって噂だぜ」
僕は、ジョッキを落としそうになった。
光が。
彼女の体から、見たこともないほどの光が溢れていた。
赤でも緑でもない。真昼の太陽を直接見たような、白金の輝き。この酒場中の光を全部集めても、彼女ひとりに届かない。
(なんだ、これ……)
五年間、何百人という冒険者を見てきた。でも、こんな光は一度もなかった。
セラと呼ばれた少女は、笑いながら倒れた椅子を直している。誰も手伝わない。彼女も助けを求めない。ただ、ずっと笑っている。
――笑いながら、杖を握る指先が、白くなるほど力んでいた。
気づいたら、僕は自分のテーブルに戻っていた。
「アルベルトさん」
リーダーのアルベルトさんが、爽やかな笑顔でこちらを見る。金髪に整った顔立ち。町で評判のCランク冒険者だ。
「どうしたんだい、ルーク」
「あの子を……パーティに誘えませんか」
僕が隅の少女を示すと、テーブルが一瞬静まり、それから仲間たちが吹き出した。
「暴発女を?」「冗談だろ」
アルベルトさんだけは笑わなかった。ただ、困ったように眉を下げた。
「ルークは優しいなあ」
穏やかな声だった。
「でも、現実を見ようよ。彼女の測定結果は知ってるだろう? 測定不能――つまり、器具が壊れて数値が出なかった。そういう子を入れたら、仲間が危ない」
「でも、あの子には――」
すごい才能が、と言いかけて、言葉が止まる。
五年前、同じことを言った。笑われた。それから二度と言わなかった。
「見えるんだっけ? 才能の光が」
アルベルトさんは笑顔のまま、僕の肩に手を置いた。
「その話はもうやめようって言ったよね。君が役に立てなくても、僕たちは君を見捨てたりしない。だから――分不相応なことは言わないでほしいな」
周りから、くすくすと笑い声が漏れる。
優しい言葉だった。
優しい言葉の形をした、蓋だった。
僕はもう一度、隅の少女を見た。彼女はまだ笑っていた。その笑顔の下で、白金の光がかすかに震えている気がした。
五年間。
見えているのに、何もしなかった。笑われるのが怖くて、黙っていた。
(このまま、また黙るのか?)
「……アルベルトさん」
自分の声が、思ったより静かに響いた。
「僕、パーティを抜けます」
テーブルが凍りついた。アルベルトさんの笑顔が、初めて固まる。
「あの子と組みます。今まで、お世話になりました」
僕は頭を下げ、背中の荷物袋を下ろした。中身はすべて頭に入っている。ポーションの数も、予備の剣の刃こぼれも、誰の靴がそろそろ駄目になるかも。
「……そっか」
アルベルトさんは、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「残念だけど、ルークが決めたなら止めないよ。困ったら、いつでも戻っておいで」
「一週間もたねえよ」「暴発に巻き込まれて終わりだろ」
笑い声を背中で聞きながら、僕はテーブルを離れた。足が震えていた。生まれて初めて、自分で何かを選んだ。
酒場の隅へ向かう。でも、そこにもう彼女の姿はなかった。
「セラちゃんなら、さっき出ていったわよ」
カウンターから声がした。受付嬢のノーラさんだ。ギルドでただ一人、僕を名前で呼んでくれる人。
「……ルークくん、無理しちゃだめよ」
少しだけ寂しそうに、でもどこか嬉しそうに、彼女は微笑んだ。
「でも――ちょっと、かっこよかった」
僕は頭を下げて、ギルドの扉を押し開けた。
夜の通りは冷えていた。石畳の先、町外れへ続く道の闇に、白金の光がぽつんと浮かんでいる。
「……見つけた」
光を追いかけて、町の外の空き地に出た。少女はその真ん中で、ひとり杖を構えていた。
「よーし……今度こそ、今度こそ……!」
昼間の明るさとは違う、張りつめた声。
杖の先に、小さな火が灯る。次の瞬間、杖が内側から悲鳴を上げた。ひびが走る。光が膨れ上がる。
「――っ、だめ、また……!」
ぼんっ、と轟音。
爆風に煽られて、少女の体が後ろへ倒れ込む。僕はとっさに駆け寄った。
煤だらけの顔で、彼女は折れた杖を見つめていた。
笑っていなかった。
その目に、涙がにじんでいた。
僕は息を整えて、言った。
「君の魔法が悪いんじゃない」
少女が、ゆっくりと顔を上げる。
「杖が、小さすぎるだけだよ」




