第19話 約束の道(第2章 第9話)
「……セラだ」
そう呟いた自分の声が、少し震えていた。
「……え?」
「蓋の上にいる。……今、ちょうどこの真上を探してる」
白金の光は、土と石の向こうで、うろうろと往ったり来たりしていた。何かを確かめるように、立ち止まっては、また少し動く。
ダリオが、息を吸い込んだ。
「――おい! ここだ! ここにいるぞ!」
縦穴の中で、その大声がごうごうと反響する。
一拍。
それから、蓋の隙間から、ひどくくぐもった、だが間違いなく聞き覚えのある声が降ってきた。
「――ルーク!? ルーク、そこにいるの!?」
「いるよ! 全員いる! フィオも、ダリオさんも、カイさんも!」
今度は、少し長い間があった。
「……よかった……よかったあ……」
その声が、はっきりと泣いていた。
だが、すぐに、いつもの勢いを取り戻した声が続いた。
「待ってて! 今、道作るから!」
「――待ってセラ! 吹き飛ばしたら、全部こっちに落ちてくる!」
「わかってる! だから、細く、細く、でしょ!」
その言葉と同時に、蓋の上の白金の光が、すっと静まった。
光が、彼女の指先へと集まっていくのが、土越しにもわかった。縫い針ほどの、細い細い光。岩場の丘で、岩蜥蜴の口の中へと消えていった、あの光。
じじっ、と、小さな音がした。
蓋の上のどこかで、石が一つ、乾いた音を立てて割れる。そしてまた一つ。
それは、爆発でも、崩落でもなかった。
針で、一つずつ石を穿ち、割っていくような――気の遠くなるほど丁寧な、作業の音だった。
「……あの嬢ちゃん、あんなこともできんのかよ」
ダリオが、半ば呆れたように呟いた。
「十日前は、できませんでしたよ」
僕は、少しだけ笑った。
そのとき、すぐ上で、フィオの光が、ぴくりと向きを変えた。
「――セラさん! そこの石、割ったら、右の大きいのが崩れます! 先に、左のを!」
蓋の上の音が、ぴたりと止まる。
「……フィオちゃん?」
「はい! 左の、平たい石です! それなら、他は動きません!」
「……わかった!」
じじっ、と、また音がする。今度は左で。石が割れ、ゴトリと転がる音。だが、蓋は揺れない。
そこから先は、二人の声が交互に響くだけだった。
「次は!?」
「真ん中の丸いの! それは大丈夫!」
「その次!」
「その下の土、細く割ってから――はい、今の強さで!」
こんな声を、フィオが出すのを、僕は初めて聞いた。大きくて、途切れなくて、少しも迷っていない声。
下から、上を導いている。
やがて――
めりっ、と、頭上で木がたわむ音がした。
「――蓋、もう軽いです! ダリオさん!」
「――おうっ!」
ダリオが、カイを背負ったまま、片手で蓋を押し上げた。筋肉が軋むような、助けを求めるような唸り声。
ばきん、と、四十年分の木が割れた。
――冷たい風が、一気に顔を打った。
風と一緒に、土の粒と、草の匂いが降ってくる。
そして――光が。
割れた蓋の向こうに、空があった。
こぼれそうなほどの、星空だった。
その星を背に、穴の縁から、赤い髪の少女が身を乗り出していた。煤と土と涙で、顔中ぐちゃぐちゃにして。
「――迎えに来たよ! 道、作ったよ!」
穴を登りきった瞬間、僕は山の斜面に倒れ込んでいた。
そして、その上から、勢いよく、何かが飛びついてきた。
「――ルークのばかっ! ばかばかばかっ!」
セラだった。僕の胸に顔を押しつけて、子どものように泣いている。
「……痛いよ、セラ。左肩……」
「しらない! ぜんぜん待ってなくていいって言ったのに! 待っててって言ったの、あたしなのに! それなのに……」
もう、何を言っているのか、自分でもわかっていないようだった。
それから彼女は、穴から這い出してきたフィオを見つけると、今度はそちらへ飛びついた。
「フィオちゃん! すごい! すっごい! あんな、あんな大きい声で! 全部当たってた!」
「ひゃっ、あ、あの、セラさん、くるし……」
フィオは抱きつかれたまま、あたふたと手を泳がせていた。その琥珀色の光は、星空の下でも、広がったままだった。
通気坑の出口は、坑道の入り口から山を半分ほど登った、山腹の窪地にあった。
カイを草の上に寝かせ、セラが持ってきた水と包帯で、もう一度足を冷やしなおす。熱はまだ高いが、冷たい夜風に当たって、少しだけ顔色が戻った気がした。
「……どうやって、ここを見つけたんだ?」
包帯を巻きながら聞くと、セラは鼻をすすりながら答えた。
「……坑道を出たら、もう暮れかけてたの。町までは、半日かかるでしょ? それじゃ間に合わないって、あたし、もうパニックになっちゃって……そしたら、ベンさんが「荷車に坑道の図がある」って」
鉱夫組合が、依頼と一緒に渡していた、四十年前の坑道の図だ。そこには、坑道の奥のあたりから、上へと伸びる線が一本、書き込まれていたのだという。
「ベンさんが、「これはたぶん通気坑だ。下に風が通ってるなら、あいつらはきっと風をたどる」って。……だから、ロイドさんを荷車に寝かせて、ベンさんに見ててもらって、あたしだけで登ってきたの」
「……一人で? 夜の山を?」
「予備の照明、持ってたもん」
セラは、足元に転がる照明を指さした。それから、少し得意げに胸を張った。
「でも、図は古くて、場所が全然わからなくて。だから、蓋がありそうなところで、照明の火を地面に近づけて回ったの」
「火を?」
「うん。下に風が通ってるなら、上から吸い込まれるでしょ? そしたら、この窪地でだけ、火が石の隙間に吸い込まれるみたいに、すーっと傾いたの!」
……この子は。
暴発ばかりしていた少女が、わずか十日で、縫い針ほどの光で石を一つずつ割り、風の向きを火で確かめて、夜の山で通気坑を探し当てた。
「……すごいよ、セラ」
「えへへ、でしょ!」
そう笑ってから、セラは、ふいに顔をゆがめた。
「……でもね。指先、ずっと震えてたんだよ。石を割りながら、もしこの下にルークたちがいなかったらどうしようって。もし強くしすぎて、全部崩しちゃったらどうしようって。……だから、下からフィオちゃんの声がしたとき、すっごく安心したの」
セラは、隣に座ったフィオの手を、そっと握った。
「……ありがとう。フィオちゃんの声があったから、怖くなかった」
フィオは、何か言おうとして、口を開けて、閉じた。それから、うつむいて、小さくうなずいた。
前髪の下の頬が、星明かりにもわかるくらい、赤くなっていた。
山を下りるのに、一刻もかからなかった。
坑道の入り口で、片腕のベンが、荷車のそばにしゃがみ込んでいた。照明を掲げて登ってくる僕たちの姿を見つけると、彼はよろけながら立ち上がった。
そして――ダリオの背中のカイを見て、その場にへたりこんだ。
「……ばかやろう。……生きてやがった」
その声は、笑っているのか泣いているのか、わからなかった。
そのとき。荷車の上で、毛布にくるまれていた影が、もぞりと動いた。
「……うるせえな……何の騒ぎだ……」
ロイドだった。後頭部を押さえて、いかにも頭が痛そうな顔で。
「……ここはどこだ。……おい、なんでダリオが泥だらけで、カイを背負ってんだ。……なんで、『灯火』の連中がいるんだ」
一瞬の沈黙。
それから、セラが吹き出し、ベンが笑い、カイが痛い足を抱えて「笑わせんな」と呻いた。
ダリオだけが、笑わなかった。
「……帰りながら話す。全部な」
ダリオが荷車を引き、その上にカイとロイド。ベンが片手で後ろを押し、僕たち三人がその周りを歩いた。
夜の街道。前を行くフィオは、時々立ち止まっては、「そこの窪み、車輪がはまります」「右の茂み、狐がいるだけです、大丈夫」と、小さいがよく通る声で告げていった。そのたびに、ダリオが「おう」と答える。
一日前には、考えられない光景だった。
ベルナの北門が見えてきたのは、空が白み始めたころだった。
門の前に、人影が一つ、立っていた。
穏やかな緑の光。その奥に、封じ込められたように眠る、小さくて強い光。
「……ノーラさん?」
ギルドの制服の上に、分厚い外套を羽織ったノーラさんが、門にもたれていた。その目の下には、一晩中眠らなかった人の、濃い隈があった。
彼女は、僕たちを一人ずつ数えるように見て、それから、長い長い息を吐いた。
「……おかえりなさい。全員、ちゃんといるわね」
その声が、少しだけ震えていた。
そのとき、荷車を引いていたダリオが、その持ち手を、そっと地面に下ろした。
そして、ノーラさんの前へ、重たい足取りで歩いていった。
「……受付の姉ちゃん。カイとロイドを、癒し手のところへ頼む」
「ええ、もちろん――」
「それと」
ダリオは、一度だけ、振り返った。
その視線の先にいたのは、僕でもセラでもなかった。前髪で目を隠した、小さな少女だった。
「……今日、ギルドが開いたら、人を集めてくれ。できるだけ大勢。――俺には、全員の前で言わなきゃならねえことがある」




