第10話 二人のパーティ
ベルナの町に戻ったのは、日が傾きかけた頃だった。
学生たちは互いに肩を貸し合い、教官は担架で運ばれ、その後ろを、引きずるように大熊の角が続いた。灰色の、曲がった角。大人四人がかりでようやく運べる大きさだ。
門番が、口をあんぐりと開けていた。
ギルドの扉を開けると、中はもう大騒ぎになっていた。
「――だから、僕は全員に撤退を指示したんです」
ホールの中央で、アルベルトさんがギルド長に訬えていた。いつもの穏やかな声で。
「あの魔物は、Cランクの僕たちではどうにもならなかった。全滅を避けるには、あれが最善の判断だった。そもそも、あんな森の奥へ学生を連れていった学院側の判断が――」
そこで、彼の言葉が途切れた。
扉から入ってきた僕たちを、――そしてその後ろに運び込まれてくる大熊の角を、見たのだ。
ホールが、しんと静まり返った。
その沈黙を破ったのは、担架の上で身を起こした教官だった。
「……灰角の大熊は、討伐された」
それから、まっすぐにセラを指した。
「そこの少女が、一撃で仕留めた。私は最後の一瞬しか見ていないが、学生全員が証人だ。――そして、その少年が、逃げ遅れた学生たちを導いてくれた」
ざわめきが、一気に広がった。
その中を、大きな足音が近づいてきた。背中に学生を一人背負ったままの、グレンさんだった。額に巻いた布に、血がにじんでいる。
彼は、アルベルトさんの方を一度だけ見て、それからギルド長に向き直った。
「……ルークがいなきゃ、全滅してました。俺も含めて」
それだけ言うと、グレンさんは背中の学生を癒し手に預けに行った。アルベルトさんの方は、もう振り返らなかった。
アルベルトさんは、笑っていた。
ただ、その笑顔は、口元だけが動いていて、目はどこも見ていなかった。
その夜、ギルド長に呼ばれた。
奥の部屋には、ノーラさんもいた。机の上には、二枚の登録証。
「……結論から言う」
ギルド長は、渋い顔で口を開いた。
「測定値は変わらん。だが、Bランク相当の魔物を、学院の教官と二十人の学生の前で討ち取った。これを「まぐれ」で片付けたら、ベルナのギルドは王都中の笑い者だ」
そこで、ちらりとノーラさんを見る。
「……それに、こいつがうるさい。『前例がないなら、作ればいいんです』と、もう三回も言いやがった」
「四回です」
ノーラさんが、すました顔で訂正した。
ギルド長は、大きなため息をついた。
「実績による特例昇格だ。セラ、お前はDランク。ルーク、お前はEランク。――測定値を通さずにランクを上げるのは、このギルドでは初めてのことだ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
隣で、セラが固まっている。それから、ゆっくりと、その顔が赤くなっていく。
「……Dランクって、あたしが?」
「そうだ」
「あたし、測定不能なのに?」
「その件だがな」
ギルド長は、セラの登録証を指で叩いた。「測定結果」の欄。今まで「測定不能」と書かれていたそこに、線が引かれ、新しい文字が書き込まれていた。
――規格外。
「書いたのは、わたしよ」
ノーラさんが、片目をつぶった。
セラは、登録証を両手で包むように持ち上げた。そして、その三文字を、何度も何度も指でなぞった。
「……欠陥品じゃなくて、規格外」
その声が、小さく震えていた。
「それと、もう一つ」
ギルド長が、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
「DランクとEランクが組むなら、正式なパーティとして登録してもらう。パーティ名を書け」
セラと、顔を見合わせる。
「ルークが決めて!」
「えっ、僕?」
「だってルークが、あたしを見つけたんだもん」
僕は紙を前に、しばらく考えた。
酒場の隅で、笑いながら震えていた白金の光。夜の空き地で、蛍のように漂った小さな光の粒。
そして、たぶんこの町にも、まだたくさんいる。誰にも見つけてもらえずに、暗いところで光っている人たちが。
僕は、ペンを取った。
「……『灯火』。ともしび、でどうかな」
「ともしび?」
「暗いところでも、光ってるものを、ちゃんと照らして見つけられるように。……そういうパーティにしたいんだ」
セラは、しばらく口の中でその言葉を転がしていた。
それから、ぱあっと笑った。
「――いい! すっごくいい!」
「灯火」。それが、僕たちのパーティの名前になった。
その夜、麦穂亭の食堂で、三人だけの祝いの宴を開いた。
ノーラさんは、仕事が終わってから来てくれた。いつもの制服ではなく、素朴な蒼いワンピースを着ている。それだけで、なんだか別の人に見えた。
「『灯火』の結成に、乾杯!」
セラが果実水の杯を高く掲げる。僕の杯の中身は、今日は水じゃない。宿の主人が「祝いだ」と、生まれて初めて飲む薄い葡萄酒を注いでくれた。
「それにしても、ノーラさん、四回も言ってくれたんですね」
「……五回よ。一回は、ギルド長が耳を塞いでたから数に入ってないの」
ノーラさんは、杯を少し傾けて、笑った。
「……わたしね、昔、冒険者になりたかったのよ」
「えっ」
「測定値が足りなくて、あきらめちゃったけど。だから――だから、かな。数字じゃないもので前に進む人を見ると、つい応援したくなっちゃうの」
その言葉で、僕は初めて、ノーラさんの光をじっと見た。
ずっとそばにいたのに、ちゃんと見たことがなかった。穏やかな緑の光だと、勝手に思っていた。
でも、その緑の奥に、もう一つ、小さくて強い光が、封じ込められたように眠っていた。
(……この人も)
「……ルークくん? どうかした?」
「いえ、なんでも。……ノーラさん、ありがとうございました」
今はまだ、言うべきじゃない。そんな気がした。
宴がお開きになり、部屋に戻る途中、廊下でセラが振り返った。
「ねえルーク。前に、ルークの才能、ひとつ見つけたかもって言ったでしょ?」
「うん。結局、教えてくれなかったけど」
「まだないしょ。でもね」
セラは、人差し指を二本立てて、得意げに笑った。
「今日、二つ目も見つけたよ」
それだけ言うと、彼女は「おやすみ!」と自分の部屋に飛び込んでいった。
部屋に戻り、壁の鏡を見る。
やっぱり、何も光っていない。
でも、もう、それを「答え」だとは思わなかった。
翌朝。
学院の馬車の列は、太陽が昇る前に町を出ていったと、門番から聞いた。特に何の言伝もなかった。あの銀髪の少年が、この町で何を思って帰っていったのかは、わからない。
その代わり、ギルドは、ある噂で持ちきりだった。
「『暁の翼』が、学生を置いて逃げたらしいぞ」
「盾役を見捨てたってのも本当か?」
「来月のBランク試験、どうなるんだかな」
アルベルトさんは、いつものテーブルで、仲間たちに向かって穏やかに話していた。「あれは戦術的撤退だよ」という声が、聞こえてくる。ただ、そのテーブルに、グレンさんの姿はなかった。
僕に気づいたアルベルトさんが、立ち上がってこちらへ来た。
「やあ、ルーク。昇格したんだってね。おめでとう。――運がよかったね」
その笑顔は、いつもと同じだった。ただ、その金色の光は、以前より少しだけ、くすんで見えた。
僕は少し考えてから、言った。
「……アルベルトさん。グレンさんの盾、新しいのに替えてあげてください。ずっと前から、ひびが入ってたんです」
アルベルトさんの笑顔が、そのままの形で、止まった。
何か言い返される前に、僕はお辞儀をして掲示板の方へ歩き出した。仕返しのつもりはない。ただ、もう言いそびれたくなかっただけだ。
「ルーク! こっち! これ見て!」
掲示板の前で、セラが手を振っている。Dランクの依頼書を、両手に何枚も持っていた。
そちらへ向かおうとして、――僕は、足を止めた。
ホールの隅。太い柱の陰。
そこに、小柄な少女が、身を縮めるようにして隠れていた。背中には、体に不釣り合いなほど大きな剣。周りの冒険者の視線がちらりとも向くたびに、びくりと肩を跳ねさせている。
「おい、あれ『逃げ足のフィオ』じゃねえか」
「またパーティに置いていかれたのか? いや、先に逃げたんだっけか」
下品な笑い声が、少女をさらに小さくさせる。
でも、僕の目は、その小さな体から離せなかった。
琥珀色の光が、少女を包んでいた。
柱の陰にいても、影に飲まれないほど強い光。
セラの白金に次ぐ、この町で二番目にまぶしい光だった。




