偽物の空の下
八層
アベルは、古びた石畳の上に立っていた。
先ほどまで歩いていた七層とは、何もかもが違う。
足元には大小の石が規則正しく並べられ、左右には崩れかけた壁が続いている。
壁の一部には、人の手で削られたような模様まで残っていた。
「……本当に、誰かが作ったんだ」
しゃがみ込み、石畳へ手を触れる。
自然にできたものではない。
誰かが石を運び、並べ、道を作った。
その当たり前の事実が、今のアベルには不思議でならなかった。
「誰が……何のために?」
返事はない。
今度は代わりに風が吹いて、頬を撫でた。
……風……?
天井を見上げた……いや、空を見上げた。
「……わぁ」
迷宮の中、ここは地下八層。
その天井には大空が広がっていた。
吹く風も、空に浮かぶ太陽も、全てそこにあった。
グランディア以外で空を見あげたのはこれが初めて。
ただ、風がどんなに強く吹いても雲は動かない。
やがてわかる、これは偽物の空なのだ。
アベルは立ち上がり、道の先を見た。
道は、緩やかに下っている。
遠くには崩れた石柱が何本も立ち並び、その奥には建物らしき影も見えた。
「……行ってみるか」
剣の柄に手を添えながら歩き出す。
石畳を踏むたび、靴底から小さな音が返ってくる。
こつ。
こつ。
その音がいつもなら静かな迷宮に響くはずなのに、風の音がそれを遮る。
しばらく歩くと、道の端に何かが落ちているのを見つけた。
「……これ、灯り?」
拾い上げる。
錆びた金属の枠。
中には小さな魔石が嵌め込まれていた。
今は……ほとんど光っていない。
けれど、これは明らかに誰かが作った道具だ。
「昔は……これで道を照らしてたのかな」
アベルはそれを元の場所へ戻した。
その時だった。
背後から、何かを引きずる音が聞こえた。
ずる。
ずる。
「……?」
振り返る。
しかしそこには何もいない。
剣の柄を握り、さらに進む。
古い道は次第に広くなっていった。
両脇には崩れた建物。
壁だけが残った家。
屋根が落ちた小屋。
そして、道の端には水路があった。
今もわずかに水が流れている。
「ここ……街だったのか?」
アベルは立ち止まった。
建物の残骸を見渡す。
人が住んでいた。
道を歩いていた。
灯りをつけていた。
水を使っていた。
そんな生活の痕跡が、そこら中に残っている。
「古いもの……なのかな……何年前のだろう」
自分の知らない時代。
自分にはない『過去』のもの。
……いや、迷宮の入口で発見されたのなら……俺も昔はここに住んでいたのか?
しかしボロボロで何かがあって滅んだ……いや、何より、俺もこの迷宮内で『造られた物』だとしたら……
そう考えると、胸の奥が少しだけざわついた。
建物の内部に、小さな石造りの部屋を見つける。
中を覗くと、壁際に壊れた棚。
中央には石で作られた台。
その奥には、灰の残った炉まであった。
「……休憩所?」
アベルは中へ入った。
炉の灰に触れる。
もちろん冷たい。
火が消えてから、どれだけ経ったのかも分からない。
それでもここには、誰かが座っていたのだろう。
旅の途中で休み。
水を飲み。
食事をして。
また道へ戻った。
「……ここなら……休めるかな」
アベルは背負っていた荷物を下ろし、少しだけ休んだ。
水を飲む。
食料を確認する。
剣の刃を拭う。
荷物の重さでさえ体力を明確に削り始めた頃だった。
一度ここに荷物を置いて周囲の探索を始める。
部屋を出てすぐ、頭上から蛾の大群が舞い降りる。
迷い蛾……とは違う、あれは
「……灰灯蛾か!」
魔力に群がり、それを吸収してくる厄介な魔物。
迷い蛾みたいな惑わすような力は無いが、どっちにしても遭遇していいことは無い。
「ただ、お前らなら」
火を生み出す。
小さな炎を手のひらに浮かべる。
そして、飛んでくる大群に目掛けて放つ。
引火した灰灯蛾も逃げ惑う。
蛾たちが一斉に離れた。
「……やっぱり火は苦手らしいな」
大きな炎を作る必要はない。
小さな火を灯しながら、ゆっくりと進む。
しかし灰灯蛾は一定の距離を保ってついてくる。
まるで、アベルの魔力が消えるのを待っているようだった。
「……嫌な奴らだな」
火を絶やすことなく歩き続ける。
ずっとあいつらは着いてきた。
し今度は道の向こうからドスドスと何かが走る音が聞こえる。
「……今度はなんだ?」
わざわざ正面に立って戦う必要はない。
物陰に隠れ、敵の様子を見る。
そこにやってきたのは、山羊のような角と、狼のように長い鼻。そして鋭い目を持った魔物だった。
そんな奴が何かを目指して、ズンズンと走っている。
そこまで足は早くないが……
「お?」
俺の目の前でピタリと止まった。
俺も反射的に剣を抜く。
しかし、俺の方を見たあと、鼻をスンスンと鳴らし、俺に興味を無くして俺が来た道の方を歩いていった。
「……なんだったんだ?あい──つ」
あの魔物が歩いてきた道を俺も歩いていこうとした。
しかし決して目を離してはいけないと振り返った。
「あーーーーーっ!!?!?!」
俺が荷物を置いたあの石造りの部屋に頭突きをして突撃しようとしている魔物の姿が見えた。
「まて、まてまてまてまて!!?」
走る。全力で走る。
魔法を放ち牽制するも、引火しても身体を振り回し、俺を無視して部屋に侵入していく。
「まっ、まてって!!!」
何とか追いついて、部屋の中へ剣を抜いて、敵へ飛びつく。
ちょうど魔物も俺が背負っていた荷物へ飛びついた。
「クソッ!」
魔物が食いついたのは、腰に結びつけていた食料袋だった。
「やめろ!」
しがみつき、口を荷物から離させ、剣の柄で殴る。
魔物が離れる。
そしてすぐさま斬りかかりにいく。
こいつは今度は逃げようとした。
しかし、逃げる前に刃を突き刺し、深く入った。
魔物が倒れ、黒い粒子へ変わっていく。
「はぁ……はぁっ……っクソ、こいつ……俺じゃなくて、食料を狙ったのか」
残った魔石を拾う。
こ、こいつ……魔石が小さい……!!
なんなんだこいつ!!石に化けた魔物は結構大きい魔石を落としたってのに、なんでこんな小さな魔石だけなんだ……!!こいつ自体は弱かったけど……!!
「……お、落ち着け、俺……!何をやられた?」
食料袋を確認する。
破れてはいない。
「危なかった……!」
今度は荷物を背負ったまま歩く。もう二度と、手放さない。
アベルは思う。
今までは自分を狙ってくる魔物ばかりだった。
けれど違う。
魔力を狙う灰灯蛾。
食料を狙うあの魔物。
迷宮で生きるために必要なもの、それそのものを狙う魔物もいる。
「……戦うだけじゃ駄目なんだな」
また一つ、覚えた。
歩く。今度は荷物を背負い、もう二度と離さないようにする。
しかし少し進んでまた休む。
食べる。
水を飲む。
そして、守る。
それら全部が冒険なのだ。
しばらくして、道の先に階段が見えた。
「……あれが、九層への階段か」
アベルは駆け寄った。
だが、すぐに足を止めた。
階段の周囲には、奇妙なほど何もない。
魔物の気配もない。
音もない。
「……」
警戒しながら一段下りる。
さらに一段。
そして──
* * *
九層。
足が床についた瞬間、違和感を覚えた。
「……静かだ」
静かすぎる。
六層には水の音があった。
七層には迷宮内の魔物の音があった。
八層には、風の音があった。
けれどここには。
何もない。
魔物の声が聞こえない。
羽音もない。
水の音すらない。
自分の足音だけが、妙に大きく響いている。
こつ。
こつ。
こつ。
暗い。
炎を使って真っ直ぐ歩いていく。
灯りを向けても、壁が見えるわけではない。
ただ、炎が揺らめく。
風が吹いている。
そちらを向けば、白い光がこの暗闇に差し込んでいた。
走った。
風が前髪を浮かせて、額や首にその風が触れていく。
心地良い風だった。
視界が開く。
強い光に目を細め、思わず反射的に手を太陽の方へ向け、影を作る。
「……ここが……九層」
それは、迷宮の中とは思えない程……平和で、辺鄙な田舎の街。
耳を澄ませば色んな音が聞こえてくる。
風が木を揺らす音、川のせせらぎ。
匂いは……風に乗って花の匂いがする。
家屋もある。
水車を回している少し大きな家。
家族ひとつ暮らすのに十分そうな小さくも大きくも無い家。
そこに併設された物置小屋。
綺麗……ではない。
しかし、昔に造られた物にしては状態がいい。
「……魔物が、いない?」
アベルは剣を抜いたまま進む。
広い。
これまでの階層より、明らかに広い。
そして。
遠くに、はるか遠く巨大な壁が見えた。
「……壁?」
近づく。
壁は高く、厚い。
その向こう側は見えない。
ところどころ崩れているが、それでも人が作ったものだと分かる。
……城壁。
そう、城壁だ。
そう呼ぶのが一番近かった。
「……入口か?」
壁の中央には巨大な門があった。
しかしそれは重く固く閉じられている。
その門を見つめながら、アベルは思う。
八層で見た建物。古い道。
そして、この巨大な壁。
全部が繋がっている。
誰かがここで暮らしていた。
誰かがこの門を通った。
誰かが、この中の街を守る為に。
「……ここを守りたかったのか?」
俺はずっと、誰に向けてこんな質問を投げかけているのだろう。
いつも通り答える声はない。
八層の道を歩く中、ずっと探しているものがあった。
鐘だ。
あの時聞こえた鐘の音。
あれは一体どこから、誰が、どうして、どんな理由で鳴らしたものなのか。
どういう意味があるのか。
それを知る為に探していた。
しかし、今までそんなものは見当たらなかった。
九層も、それらが見当たることはなかった。
辺鄙な村。
しかし、だからこそ過ごしやすそうに見える。
辺りを探索するも、魔物の気配は無い。
夜になれば危ないかと思ったが、偽物の空の太陽は消して沈むことはなく、暑くも寒くもなく、ただそこに浮かんでこの箱庭を照らしているだけだった。
水車がぐるぐると回るのを見ながら、家へノックをする。
バカバカしいと思うかもしれないが、人が住んでいるかもしれないと思うほど、この村には生活感があった。
しかし、誰もいなかった。
扉を押せば、簡単に開いた。
「……おぉ?」
家の中は、酷く荒れていた。
荒らされたのかもしれない……あの俺の荷物を狙った魔物とかに。
しかし、何かから逃げ出したようにこの家は荒れていた。
誰から、何から……?
九層はやはり安全ではないのだろうか。
他の家もだいたい同じような形だった。
ただ、危険な魔物どころか、生き物さえ植物を除けばこの階層にはいなかった。
荷物を広げる。
今度こそ、落ち着いて休めそうだ。
川の水に頭を突っ込む。
喉が乾いているが、今はまだ飲めない。
鍋に汲んで、乾いた薪があったから火をつけて、今熱しているところだ。
俺が川の水を浴びたのは……身体を洗いたかったから。
「っ……!!!きっもち良いぃ……!!!」
冷たい水が疲れた頭をはっきりさせる。
包帯を外し、傷口の周りにある汚れを洗って見れば、下流に汚れが流れていく……俺結構汚いな?
傷口に付けても染みたりしないし、口に含んでも痺れは無い。
ある程度安全だろうと思い、身体を拭き、洗う。
衣服も川で洗濯し、絞れば汚水が出てくる。
こんな服着ていては病気になってしまう。
迷宮の中でこんなにゆっくりできるところがあるとは思わなかった。
焚き火の近くに服を干し、沸騰した水を冷やす。
そして服が乾くまでの間に食事を取る。
干し肉と、パン。
変わらずそれだけだが、この辺りに生えている野草や、収穫されていない野菜がある。
調味料も家を探せば見つかった。
干し肉を切る様の小さなナイフで野菜をきって、鍋に入れていく。
いくつか生のまま齧ってみれば、久しぶりに食べたみずみずしいその食感に感動した。
簡単なスープと、パン、そして干し肉。
一品増えるだけでとても豪華な食卓になった。
かなり腹が減っていたのだろう、鍋いっぱいのスープを簡単に平らげ、アベルは満足気な笑みを浮かべている。
乾いた服に袖を通せば、その清潔感に身体が軽くなったような錯覚を覚える。
そして、火の始末をしたあと家をひとつ借り、二階のベッドで眠ることにした。
もちろん警戒は怠らない。
寝てる間に敵が来ないように罠をいくつか仕掛けておくことにした。
簡単なものだが、紐に引っかかれば音が鳴る。
この迷宮から学んだ、罠の有用性と厄介さだ。
警戒こそしていたが、久しぶりに身体を横にし、満腹感と疲労ですぐに眠りに落ちてしまった。
* * *
「……ん……ぁ」
目を覚ます。
外は晴れ、いい天気だ……じゃない、ここは迷宮だ。
そんな違和感を感じながら、罠が作動せず充分な休息を取れたことを確認する。
顔を洗い、野菜とパンを食べ、水を飲む。
外ではどれほど時間が経っているのか分からないが、体力が回復したおかげでかなり先に進める。
包帯を巻き直し、大きな欠伸をした後、遠くの壁を見上げる。
固く閉ざされた門扉を押せば、厳かな音と共にゆっくりと開く。
隙間から強風が吹き荒れるも、負けじと押せば完全に開く。
暗闇が、ぽっかりと口を開けていた。
門のすぐ先に、階段。
普通なら笑ってしまいそうな欠陥構造だが、迷宮であれば変な話でもないのかもしれない。
意を決して足を一歩踏み出す。
ゴォォォン!!
すると鐘の音が、すぐ向こうから大音量で響く。
ゴォォォン!!
この先に誘われているのだろうか?
この先に、何かがある……いや、誰かいる。
今までとは違う。
ゴォォォン!!
三度目の鐘の音、その後鐘の音は止む。
剣をもう一度握り、前へ進む。
誰かに会いに行くために。
* * *
夜明けを知らせる鐘の音が鳴る。
その音を聞きながら、コーヒーを傾ける。
カップを置き、男がボソリと呟く。
「来たか……」
硬く閉ざされた門が開く。
「……君は英雄足り得るのか」
ジャラリジャラリと、足音に混じり鎖の音。
瓦礫を踏みつけにし、男は歩き出した。




