止まっていた時計
少し騒ぎがあったが、それから何分か並んで俺たちも大聖堂の中に入ることができた。
両開きの巨大な木の扉、聖騎士が押して開いて、案内してくれる。
陽光を透かして、カラフルに彩るステンドグラス。
どこかから聞こえてくるオルガンの壮言な調べ。
その真ん中、光を浴びて静かに座り、こちらに微笑みかける人物。
まるで女神のようだった。
その背後にあるパンフレットに合った女神セラスの巨大な像よりも、今目の前にいるこの人の方が偉大に見える。
聖女、フレア・メイ・テンス。
「ようこそいらっしゃいました。聖女のフレアです。本日はどういった御用で?」
良く通る声だった。
エルナの声とも違う。
あの日、広場で聞いた本人の声。
アルビレオとエルナの二人が顔を見合わせ何か不思議そうな顔をしている。
千年前の二人にしかわからないものなのだろう。
ひとまず質問に答える。
「俺の、俺の記憶喪失を治して欲しいんです」
そういいながら俺は歩く。
三人も俺の後ろに続く。
「記憶喪失、それはそれは……どうぞおかけください」
そういって反応を示しながら席に着くように促される。
「さて、記憶喪失、とのことでしたね。
色々苦労もあったでしょう、グランディアからかなり遠いですからね」
「はい、けれどこの国良いところですよね」
優しく話しかけられれば、それに答えようと自然に言葉が優しくなる。
……いや、まて?
「あれ?俺たちグランディアから来たって言いましたっけ?」
「貴方もあの日フラムさんの話を聞いていましたからね」
「「フラム?」」
そんなことまで覚えていたのかと驚いている俺に反して、千年前の二人はフラムという名前に引っかかっているようだ。
二人からすれば自分たちの守護する迷宮を発見した人物だもんな。
「はい、フラムさんのお話ですね。あの際広場で何か話されていたようですから、印象に残っています」
そういって、俺の目を見て確かめるように頷く。
そうして再度頷き、掌を俺の方へ向ける。
「目を閉じて」
「は、はい」
真っ暗な瞼の裏、何も見えなくっても掌を向けられているのはその存在感を確かに感じる。
恐ろしいまでの魔力の塊、今までにないほど大きな力の存在。
暗闇の中に、淡い光が灯って、それがじんわりと暖かく広がっていく。
頭の中に、奥に、そのぬくもりが広がっていく。
「……ふむ?」
そんな不思議そうな声が聞こえる。
「目を開けてください」
その言葉に従い、目を開く。
……特段自分で変わったところは感じない。
「申し訳ありませんが、貴方の身体の中から異常は感じられませんでした」
「へ?」
「分かっています、貴方の発言を疑っているのではありません。
貴方は確かに記憶がなく、困っているのでしょう。
しかし、申し訳ありませんが、私には治せません、治すべき異常が見当たりません」
「そう……ですか……」
聖女でも無理なのか、と項垂れて話を聞いていると、そんな俺の様子が哀れになったのか彼女が言葉を続ける。
「そうですね……解消のお手伝いはできませんでしたが、貴方は、自分の中にあるものを忘れているといったような感じではなく、どちらかというと抱えているような……健康ではあるのですがなんだか違和感を感じました」
「抱えている?」
なにも抱えていないことが悩みなんだけどな……?
「えぇ、傷付いて、どうしようもないなんてことではなく、むしろ貴方の中に傷がありません。
それでも違和感を感じてしまいます、貴方が自身のことを分かれず困っているように」
自分の身体をもう一度見てみる。
それでもにも答えが見つからない。
「……そうですね、貴方の身体を今どうこうするというのは難しそうですし、お連れの方の治療をいたしましょうか?そちらの、もう一名の魔人の方、ひどい呪いにかかっていますね、その鎖も呪われています、解呪いたしましょうか?」
そう言って。彼女はアルビレオの方を向いた。
「……いや、構わない、私は呪いとうまく付き合っている。
これがベストコンディションだ、ありがとう」
「自らの命を削るような恐ろしい状態をベストと呼んでいいのか、いささか疑問ですが、貴方の身体です、わかりました。私には何も言うことはありません。
……しかし先ほどから貴方からは強い視線を感じます、何か助けになれることはありますか?」
そう話しかければ
ジャラリ。
俺の背後でアルビレオが動く音がした。
「聞きたいことがある」
「答えましょう」
「貴様は、誰のためにその力を使っている」
『貴様』という呼び方に、そばに控えていた一人の聖騎士が視線をアルビレオの方に向ける。
「もちろん、困っている人の為ですよ」
「人間だけか?」
空気が少し張り詰めたような気がした。
アルビレオはどうしたんだろうか、自分たちよりも先に入っていった異種の人たちもいたし、何よりさっき俺のことを助けようとしてくれてた。
「いいえ」
短く、きっぱりとそう言い切った。
「『人』というのは何も人間だけを指す言葉ではありません。
エルフでも、獣人でも、それこそ魔族でも、私の前に苦しんで助けを求める人がいるのなら、必ず手を差し伸べて、救います」
その言葉と共にあった微笑は信じるには十分な輝きだった。
「……そうか」
後ろにいるアルビレオは今どんな顔をしているのか気になったが、振り向けなかった。
少し間をおいて、アルビレオの質問の意図を考えていると、フレアが口を開く。
「そうだ『アルビレオ』という言葉を知っていますか?」
内心ドキッとした。
なぜ彼女がその名前を?
「いや、そんな男知らんな」
アルビレオがそう返せば、リラは何が何だかよくわかっていない様子だ。
俺も、なぜ自分の正体を隠すのかよくわからない。
「………そうですか。
貴方の言葉はその人になんだかよく似ています。今でもあなたは苦しんでいるんですね」
フレアとアルビレオは知り合いではないのか。
何も喋れず、重い沈黙の中耐える。
「……そう……だな、人間も魔族も今のように優しくはなかった。
魔人だからと迫害されたり、雪の中宿に泊めて貰えないこともあった。
産まれた子が、両親によってその存在を隠されたりすることなんてよくあることだった」
「……それは、ひどく悲しいことだったと思います」
「……思う?貴様は知らないだろう」
「はい、知りません。貴方の痛みも、苦悩も、その感情も」
アルビレオが黙る。フレアが言葉を続ける。
「だから軽々しく『分かった』とは言えません。
ただ分かることといえば、先ほど聖騎士から聞きました、外の騒ぎを鎮めるために一役買っていただけたそうですね。
ここに来られる方々は心に深い傷を持っている。
それを悪意から守れるのは、同じくその傷を理解できる者なのでしょう。
貴方は、誰かのために本気で怒れる優しい人なのですね」
「……何でもないことだ、ただ、当然の事をしただけだ。
差別の側面を知らずに生きているのなら貴様は恵まれている」
「恵まれている……そうですね、否定はしません」
「誰かを救えば、感謝される。人を救える。……私は違った
差別に傷付いた者、最愛を失い傷付いた者、助け合えるはずなのに差別という呪いが疑心暗鬼にさせて……私の救済はあまりにも脆い」
「それでも貴方は人間を信じ、期待してたんですね」
アルビレオの話は重くて、救いがないような話だと思った。
ただ、フレアの一言で、なぜそんな重く苦しい道をアルビレオが歩いて来られたのか分かった気がした。
「していたのは認める。今のセレスティアの人間の様子を見てほとほと愛想も尽きたがな」
「貴方はどれほど傷ついて、どれほど考えてきたのかわかりません。
私にも、貴方の心の傷は癒せないかもしれない。
……ただ、貴方も差別する側になってはいけません」
「……なんだと?」
殺気、怒気、そういった背筋がゾクリとする感覚。
こんな圧を背後に振り向かないでいるのが精いっぱいだ。
「人という言葉から人間を連想して、貴方が溝を深めてしまっている。
セレスティアの人間だって、皆が貴方の敵ではないでしょう。
少なくともこの世界は千年前の戦争から進歩しているんです。
聖騎士を筆頭にこの国が良い方向に、世界と繋がれるように歩いているつもりです」
「……私が、溝を深めている?貴様らが手放し、線を引いたというのにか?」
「私は当時のことを知りませんから、綺麗事しか言えませんが、差別に耐える人たちは、同時に差し伸べられた救いの手を受け入れられる体制でいることも大切なのではないのでしょうか」
「その手が、罠でないという確証は?」
「ありません。人を信じるのに高尚な論理が必要でしょうか。
どん底の中、蜘蛛の糸ほどの細いものでも希望に縋ろうとしなければ何も始まりません。
それを拒絶し、誰からも助けを求めないように自治区のような物を築くのは悪くないでしょう。
ただ、希望の糸でできた大きな蜘蛛の巣は、手を差し伸べられるのではなく、手で払われるのが世の常でしょう」
「……信用して、よかったなどと思えたことは殆どない、結局人間は人間だ」
アルビレオのその言葉を聞いて、フレアさんの言っていた言葉の意味が分かった。
『貴方も差別する側になってはいけません』
人間という枠組みで否定し、拒絶してるこれも、差別であり呪いなのだろうか。
フレアさんもアルビレオの言葉を聞いて困ったように少し俯く。
難しい話だ。
話の内容が難しいというのもあるが、なにより、この話の着地点が見つからない。
どこまで行っても悲観するか決別するしかないじゃないか。
ただ、アルビレオがこんなに話しているのは珍しい、感情をむき出しにしているのも珍しい。
未練の解消に何か一役買ってくれているのだろうか。
そんなことをぐるぐると考え込んでいると、隣に座っていたリラが不意に言葉を漏らす。
「……でも」
全員の視線が小さな彼女の方へ反射的に向く。
聖女も、聖騎士も、英雄も。
リラは自分の感情を言葉にするので精いっぱいで、そんな視線に気にせず続ける。
「でも、けれども、同じようなこと言っちゃ嫌だよ。
リュネ村にだって沢山人間の人はいるけど、皆仲良く楽しくやってるよ?」
そういって、リラが振り返る。
俺はリラの横顔までしか見れない、アルビレオの顔は見れない。
リュネ村にいるとき、とっても楽しかったじゃん!リラ達も一緒にいれてとっても楽しかったのに『人間は人間』なんて言ったら……さみしいよ……」
「ち、違う……!」
「違うの?」
「っ……」
とっさに否定したアルビレオ、しかしリラの言葉に何も言えない。
差別された側とした側は確かに違う、だというのに同じことをしてしまっている。
だからアルビレオは、差別されたことを理由にできない。
今やそれは同じ傷をリラにつけてしまった凶器になっているから。
代わりに、フレアが言葉を告げる。
「お嬢ちゃん、リラちゃんって言うのね」
「へ?は、はい!」
バッと勢いよく振り返る。
ずっと座っていた聖女が立ち、リラの目の前まで歩いてきていた。
「貴女はとても素敵な子ね、優しくって勇敢でとってもいい子」
そういって柔らかく微笑みながらリラの頭を 撫でる。
恥ずかしそうに頬を赤くして縮こまるリラ。
言葉を肯定し、リラの心の傷を癒すように撫でる。
フレアは頭に手を置いたまま、言葉を続ける。
「この中で最も正しいのは、私でも貴方でもなく、この少女のようですね、とても敵いそうにありません。
大丈夫、私たちは貴方を裏切りません。
この国の人たち全員を、千年前の誰かと重ねて欲しくありません。
恐れる気持ちも仕方ないですが、今度は信じてください」
「……ずいぶんと、都合のいいことを言う」
「そうですね、そうかもしれません」
「自分は聖女だから違うとでもいうのか」
「いえ、私は私です。
聖女だからではありません、一人の私と、そんな私の暮らすこの国の人たちのことです。
ね、ガレーネ?」
そういって彼女が親しげに名前を呼んだのはそばに控えていた聖騎士。
兜を脱ぎ、その長い金髪を揺らしながら、赤い瞳を真直ぐ向けてくる、
長い耳は、ミーヤとよく似たエルフの特徴だ。
「はい、その通りでございます」
そういって肯定する女性に見覚えがあった。
「あ!さっきのお姉さん!」
怖がっていたリラを笑顔にしてくれた、あの真面目な聖騎士だった。
「こんにちは、リラ様。お元気そうで何よりです。」
少し笑顔を見せて話してくれるが、言葉が硬い。
「ガレーネは私の幼馴染で、今もこうして守ってくれています。
そんな彼女はエルフと魔族の血が流れています。
それでも、私は彼女以上に頼りにしている存在はいないと言い切れるほど信じています。
もちろんこの大聖堂で私の守護を任されているくらいですから」
フレアさんがガレーネさんの話をするとき、とても誇らしげに胸を張って話していた。
その様子を見て、アルビレオは少し間をおいて
「すぐに答えは出せない」
とだけ言った。
「はい、考えていただけるだけで嬉しいです」
──ゴォォォン!!!
その時、大きな大きな鐘の音が鳴る。
──ゴォォォン!!!
──ゴォォォン!!!
その音を聞いて、フレアは笑う。
「長くなってしまいましたね、もうお昼になってしまいましたか。
嬉しい答えも聞けましたし、一度解散にしましょうか」
そういって小さく手を叩く。
そして俺の方を向く。
「貴方のお名前は何ですか?」
「あ、アベルです」
「アベルさん、貴方の記憶喪失について力になれずすみません。
祈ることしかできませんが、これからの貴方の旅路に幸あれ」
そういって両手を重ね祈ってくれる。
ガレーネさんも同じように祈ってくれる。
大聖堂の中、祈る彼女たちは、セラスの像に背を向けてでも俺のことを祝福してくれた。
昼の時報。
時間が確かに進んでいた。
アルビレオの止まった時計も、夜明けから進んでいく。
カチリ──カチリ──カチリ
ジャラリ、ジャラリ、ジャラリ




