第一歩
目を覚ます。
そこは、どことも知れぬところで、清潔な衣服に包まれ、起き上がろうと思えば思い通りに体が動く。
右腕も、左腕も、足も自由に動く。
周囲には二人の人間がいて、俺が目を覚ましたことに気が付くと、驚いたような顔をする。
「起きた!起きたぞ!!」
突然、大きな声が響く。
それに驚き、目を向ければ、こちらを見て驚いた顔をしている男女が二人。
すぐに女性は安心させるためか、笑顔を向けてくれる。
どうやら二人が俺の目覚めを待っていたらしい。
「何であんなところで倒れてたんだ?あそこはまだ世間に公表されてないし、勝手に入るもんじゃないぞ……」
「ま、まぁ皆落ち着いて。びっくりしてるだろうし……怪我してない?痛いところとか…なぁい?」
その二人は自分に向けて次々に言葉を投げかけてくる。
何を言っているのか、その言葉の意味は、知らないはずなのになぜかわかる。
そして、その質問に答えようと頭を巡らせるも、自身の記憶というものが……ない、何もない。
誰なのか。
自分が何者なのか。
自分の体に違和感すら感じるほどに何もない。
「わから…ない…」
何とかそう言葉を返すことで精一杯だった。
そう返せば、口々に話し合っていた二人も顔を見合わせ、俺の言葉の意味を考え始めた。
「な、なにがわからねぇんだ?」
「言葉……じゃないもんね、うーんと……落ち着いて聞いてね、君、どこか痛いところは?」
そうして、落ち着かせる意味も込めて、女性にもう一度、先ほどよりもゆっくりとした声で質問される。
「あ……ない」
身体を少し動かしてみる。
首や腕を回して、少し関節のなる音はあるが、どこにも痛みはない。
「いたくない」
そう返せば、何度も自分の容態を心配してくれた女性は安堵の笑みを浮かべる。
「よかったぁ……」
そう言って胸を撫で下ろす。
「それなら、改めてあなたの事を教えて?お名前は?どこから来たの?お父さんとお母さんはどんな人?」
答えようと頭の中を探した。
名前は?自分の名前はなんだ、誰にどんなふうに呼ばれていた?
どこから来た?自分の住んでいたところはどんなところで、何があった?
自分の両親は?俺はいったい何から産まれてきた?
それが、誰もが答えられそうな簡単な答えがーー
「わからない……」
自分で口をついて答えが出て、その事実がよりはっきりと自分に突き付けられる。
何もない、何者なんだ俺は。
「記憶がないってことか?なんかショックなことでもあったのか……?」
男性はそう呟きながら、眉根を寄せ、俺の体をもう一度確かめる。
「怪我とかは特にしてなかったんだけどなァ……後で白花薬房のばあさんのとこ連れてくか……?
身体の怪我ってわけじゃないけど何かわかるかもしれねぇ」
「そうねぇ……」
二人は困ったような顔をした後、自分と目線を合わせてくれる。
「でも、こんな状態で色々心配されてもいきなりすぎて困るよね」
その言葉に男性も「ああ」と短く返す。
「……そうだな……怖くないか?」
何のことを言っているのかわからず、俺は首を傾げた。
その様子に、もう少し詳しく男性は話してくれる。
「何にもわからない、ってのは怖くねえか?俺なら相当怖いけど、大丈夫か?」
そう言われて、初めて自覚した。
怖い。
未知への恐怖、自分の知らないことばかりで、自分を助けてくれる存在も、自分のこと自身も知らない。
そうだ、ここはどこなんだ。
知らない天井に、知らない人。
自分は、誰なんだ、どこの誰なんだ。
考えれば考えるほど自分の中に一つ二つと風穴があいて自分が空っぽになっていくような感覚。
「俺は……誰なんだ……?」
不意に自分の口からこぼれた言葉。
二人は何も答えてはくれなかった。
困ったような顔の女性、しかし男性が少し寄って口を開く。
「分からねぇ、けどそれを探せばいいんだ」
「さがす……どうやって」
「わからない、けど、探せばいつか必ず見つかるはずだ、お前が誰なのか、どこから来たのか、お前の親についてだったりも、きっとわかる。
だから大丈夫だ。」
その言葉に続くように女性も
「そうね、それに、記憶がないならこれからたくさんのことを知って、そして探し方もどんどん見つけていけばいいの」
そういって二人から温かい言葉をくれた。
別に声を聴いて、体の温度が上がったわけでもないのに、なぜか温かいと思った。
『これから』
その言葉が不思議と胸に残った。
* * *
少し落ち着いてから、俺は二人に自分が見つかった場所についての話を聞いた。
俺が見つかったのは今いるこの街から少し離れた場所。
そこにある、とある迷宮の入り口付近だったらしい。
「……迷宮」
その言葉に自分の胸の奥で何かが反応した。
知っている。
迷宮の言葉の意味は知っている。
けれど……意味を知っている以上の何かを感じた。
自分が倒れていた場所だからだろうか?
「そう、お前はその迷宮の入り口でフラムさんに見つけられたんだ」
「フラム……知ってる名前だ」
「お、流石のお前でも知ってるか、そうそう『《世界最強の冒険者》フラム・アイオーン』この街にいる人間で知らない冒険者はいないぜ?」
「……そんな人に俺は拾われたのか」
「そうそう、俺たちもたまたま街歩いてたらお前を押し付けられてな、初めて話したぜ!
だからある意味お前には感謝してるんだぜ?」
うんうんと頷きながら話を聞く。
本当にその人に憧れているのだろう、嬉しそうに話を続ける。
「そんでよ、フラムさんってすげぇんだぜ?この世界で最強って呼ばれるくらいで、色んな闘技大会で優勝したり、世界中冒険して、お前が寝てた『深星迷宮』を発見したのもあの人だし、今日この後その迷宮について話してくれるんだ。
それには聖女様とか剣聖様とか、魔王まで話聞きに来るみたいでよ!そんな人達でもなかなか会えない世界一の自由人なんだぜ、そのほかにーーー」
と、まだまだフラムの話が続きそうになったが、女性が横から割り込み、話を中断させる。
「いつまでフラムさんの話してるのっ!
まずはこの子にもっと話すことあるでしょ?もーー」
そう言って話の主導権を今度は女性が握る。
フラム・アイオーンについて、何をした人物なのかは知らなかったが、なぜか名前を知っていた。
それほどの有名人。本当にすごい人に拾われたんだな、俺は。
「……えぇーっとね、それで、君が発見された時の状態なんだけど、それが妙で……今まで見たこともない格好で、それに持ち物も何もない。
なのに体には傷一つなくって……記憶については残念だったけど、だからなおさら何であんなところにいたのかわからないの……あそこはまだフラムさんに立ち入り禁止だって言われてたのに……」
と彼女は困ったように笑う。
俺自身にも何故そんなところにいたのかはわからない。
だからこそ、その迷宮について余計に気になった。
何故そんなところに行ったのか、どうして倒れていたのか。
その話を聞いていた、自分の話を遮られて少し拗ねていた男性が何か思い出したように立ち上がる。
「そうだ、恰好、思い出した。
お前が倒れてた時に着てたもの、残してあるぞ」
そう言ってすぐそばにあるボロボロの布を見せる。
あまり信じたくないが、着ていた……というのなら……
「……服?」
「……って呼んでいいのかわからんぐらいボロボロだけどな……」
ところどころ裂けて、泥で汚れて、焼けたような跡まであった。
貰った自分はきっと困った顔をしていただろう。
ただ、こんなものにも、手に取ってみれば不思議な感覚があった。
胸が大きくざわめく感覚。
『自分のものだ』
そういう確信がどこかにあった。
なぜかもわからない……ただ、目を覚まして初めて感じるこの感覚、この感情を『懐かしい』というのだろう。
だからわかる。これは、俺のものだ。
「……ずいぶん大事そうに触るんだな、何か思い出したか?」
俺の様子を見て、そう言葉をかける。
「……いや、何も。けど、なんだか懐かしい感覚……」
指で優しく布をなぞる。
ほつれて、汚れにまみれたその布の、ほつれた糸の隙間に何かが見えた。
「……?」
そこだけ、妙に丁寧に縫われている。
布が傷んでいるせいで、ほとんど解けてしまっているが、なにか文字のようなものが残っていた。
「あら?なにかかいてあるわね……何この文字……?」
「ア……ベル……?」
声に出して、それを一つ一つ読み上げる。
「読めるの?どこの言葉だろ……」
彼女も知らないどこかの国の言葉、ただ、頭の奥に少し痛みが走る。
「さぁな、どっかのメーカーの名前か?……そういえば、フラムさんもアベルって言ってたな……このぼろきれの文字読んだのか?こんなどっかの言葉も読めるとかフラムさんやっぱすげぇな!」
「そうね……これ、何かわかる?」
頭の奥の痛み、なぜか読めるこの言葉、いったいこれはなんだ?
「……わからない、けど、なぜか読める……?」
「なんて言ったっけ……アベル?」
「うん……アベル………アベル」
何度も言葉を頭の中で反芻する。
これが何かはわからない。
ただ、自分について知る小さなピース。
このぼろきれと自分以外に自分について知るヒントはどこにない。
家族も、故郷も、過去も名前も、何も。
「アベル……忘れないように、これを俺の名前にする。
誰かがそれを聞いて、何か教えてくれるかもしれない。」
自分の名前を確認するように、もう一度その文字を見る。
違和感はなく、むしろ、少しだけしっくりくる。
「アベル、ね。いい名前だと思うわ」
「よかったなアベル、お前の記憶の第一歩だ!」
そういって二人は俺の名前を呼んでくれた。
その後二人は「もうすぐフラムさんの話あるし、行くわ、またな」
と、部屋を後にして去っていった。
ベッドの上には俺の体と、この街冒険都市『グランディア』について細かく記された地図。
地図の見方はわかったし、二人にも問題ないと言われた。
少し離れたところにあるテーブルには金貨が何枚も入った小さな袋があった。
曰く「フラムさんがお前のために置いて行ってくれたってよ、この宿も向こう三日は貸してくれるらしい……流石世界最強の冒険者だよな~!」
といっていた。
またフラムの話になりそうだったので止められていた。
その袋の下には紙が。
この街の冒険者ギルド『アステル』の場所について。
そこに行ってみろ、という意味なのだろうか。
しかし、あの二人には『白花薬房』という魔法薬店で体を見てもらえ、とも言われた。
地図で場所はわかる。
行こうと思えば行けるのだろう。
これからどうするのもきっと俺の自由なのだ。
窓際に置かれたベッドから街並みを見下ろす。
ざわめきと活気。
日は傾き始めているはずなのに、どんどんと人がやってきて、みな同じ方へ歩いていく。
フラムの話を聞きに来た人もいるのだろう。
ただ、冒険者らしくない普通の人たちも多くいる。
フラム・アイオーンという男を見に来たのか、それとも聖女や剣聖、魔王を見に来たのか。
何にしてもこの街に多くの人間が集まり、それに乗じて祭りのような盛り上がりを見せていた。
俺は、このベッドから降りて、これからどこにだって行ける。
なら、行きたい場所は一つ。
「……フラム・アイオーンに、あってみたい」
もちろん、会って話したりなんて言うのは無理かもしれない。
けれど、それでも名前しか知らない自分の命の恩人を見てみたい。
自分を助けてくれて、金貨もくれた、それでもそれを何とも思っていないのか、当たり前のように人を助ける。
そんな英雄じみた彼がどんな男なのか、見てみたい。
ベッドから降りて、自分の足で立つ。
少しきしむ地面の音と、自分がいなくなって少しベットが安心したような音を鳴らす。
そして俺は机の上の金貨と地図を手に取り、扉へ向かって歩き出す。
何も知らない。
何も覚えていない。
それでも、今の俺には行きたい場所がある。
フラム・アイオーンに会いに行こう。




