第零層
千年前、この世界では人と魔族で戦争があった。
今では物語の中にありきたりな、勇者が悪なる魔王を討つおとぎ話。
千年前、その世界での戦争の火種は、果たして正義か、怨恨か、あるいはそれを始めたものですら忘れてしまったのかもしれない。
それほど長く、凄惨で、もはや誰も救われることの無い大戦。
それでもーー。
この世界に、人と魔族の間に平和を求める者がいた。
この世界の可能性に、希望を見出した者がいた。
この世界を、知りたい者がいた。
この世界で、恋に恋する者がいた。
この世界に、存在を知らしめんとする者がいた。
この世界に、救いを求めた者がいた。
この世界に、何も残せぬ者がいた。
この世界を、守り続ける者がいた。
そして、この世界の戦争を終わらせる者がいた。
戦争が終わってから、千年。
この世界は、今も続いている。
多くの願いを、叶えられぬまま。
多くの未練を、抱えたまま。
それでも世界は回る。
ーー千年前のある日。
その日も、戦火は止まなかった。
夜の森に、男の声が響く。
「走って!」
小さな赤子を抱きかかえ、二人の男女が夜の森を走る影がある。
不安定な視界に脚元、崩れそうな体制も腕の中の小さな我が子を守るためにそれでも前へ前へと押し進む。
「なんとか…この子だけでも…!」
そう告げながらなんとか走る妻を抱き寄せる。
「……あぁ」
震えているのは男の手か。
女の肩か。
もう逃げ場などない。
どうしようもなくなっても、それでも願うしかなかった。
この子の無事を、こんな世界でも、自分たちのもとに生まれてきてくれたこの子のために。
戦火の中で生まれた愛に。
何年先でも笑顔でいて欲しい、願わねば叶わない、こんな戦火から生き延びて欲しい。
「…どうか、神様」
小さな手を、母が包む。
「どうか、この子を…『アベル』を助けてください」
その上から、父の手が包む。
もうこれ以上逃げられない、追手もすぐそばまで来ている。
怨念じみた執着心、未発見のまま帰るような真似を奴らはしない。
それでも、『どうかこの子だけは強く生きて欲しい』
誰かがその願いを聞き入れたのか、周囲が青白く輝く。
二人は、その光を最後の希望だと思った。
それが二人に残された、最後の時間だった。
そして――二人の命は、そこで途絶えた。
そんな小さな悲劇は歴史の中に一行だって残されることはない。
だからこそ、この日逃した命に気づくこともない。
その死に際、夫婦が安堵の笑みを浮かべたことも。
ーー千年後
世界は変わらず回り続ける。
千年前の戦争は、確かにこの世界に大きな傷を残した。
しかしそれでも今の世界は平和だと言えるだろう。
無事を願い、夜眠る前に毎晩神に無事を祈る必要もない。
だからこそ、今はきっと平和なのだ。
そんなある時、巨大な迷宮が現れた。
発見者は世界最高にして、最強の冒険者。
曰く、百層からなる大迷宮。
この星へ深く伸びる様から、誰が呼んだかーーその名も『深星迷宮』
その果てには、願いを叶える秘宝があるという。
戦争もなく、平和なこの世界。
平和を願う必要さえなくなった昨今、その力に多くの存在が魅入られ『冒険都市グランディア』に集まる。
誰もがその迷宮について知りたがった。
その冒険者の話を聞きに多くの人間が集まった。
しかし、いつになってもその男は現れない。
男は一人、深星迷宮の入り口にいた。
「どいつもこいつも願い、願いって、自分勝手で嫌になるぜ」
そういいながら、誰よりも自分勝手にふるまう男。
その迷宮の入り口で、一人の青年を見下ろしながらそう言う。
「なぁ、ガキ、オマエもそう思うよなぁ」
そういいながら、ぼろきれを身に纏い、眠る青年を担ぎ上げる。
「……な~んでこんなところで寝てんのかは知らねぇけど、生きてっといいな」
他人事のように人を救い、そしてニヤリと笑う。
「なぁ?」
青年の顔を覗き込みーー
「『アベル』」




