共存都市 エルセリア
あの祭りから一週間。
この村での暮らしに慣れ、戻ってきた川の水を使いまた村が活き活きとしてきた。
目を覚まして朝食を済ませた俺たちは、アルビレオとここに来た本当の目的、エルセリアを目指しリュネ村を出発した。
村は、今日もいつもと同じ様子だ。
畑へ向かう人。
川へ水を汲みに行く人。
家の前を掃除する人。
しかし、俺たちが遠出することを知ると、皆揃って門の前に集まってくれた。
「本当に、また帰ってくるんだよね?」
村の入口まで見送りに来てくれたリラが、そう尋ねる。
「あぁ。一か月はここに滞在する予定だからエルセリアを見に行ったら、また戻ってくるよ」
「よかった!」
リラは嬉しそうに笑った。
祭りの時とは違って、今日はいつもの動きやすい服装だ。
今日もこの後村で仕事を頑張るんだろう。
「じゃあ、帰ってきたらまた話聞かせてね。エルセリアってどんなところだったとか!」
「もちろん」
「約束だからね!」
「あぁ、約束」
小指を差し出され、俺も小指を絡める。
その様子を少し離れたところから見ていたアルビレオが、僅かに笑った。
「では、行くぞ」
「はい」
振り返る。
小さな村。
昨日まで自分とは何の関係もなかった場所。
それなのに、もう帰る場所の一つのように感じる。
「……ただいまって言える場所、増えたな」
小さく呟くと、アルビレオがこちらを見る。
「そうだな」
それだけだった。
俺たちは村を離れ、山道へと入っていった。
* * *
エルセリアへ向かう道は、昨日までの探索とは少し違っていた。
リュネ村へ流れ込む川を避け、山の反対側へ進んでいく。
木々は深く、道らしい道もほとんどない。
そんな道を迷わずに行けても三日はかかる距離だった。
ただ、幸いなのは、アルビレオは迷う様子がなかった。
「この先に、本当にエルセリアがあるんですか?」
「ある」
「目印とか道全く見えないですけど」
「昔はあった」
「……昔は?」
嫌な予感がして聞き返す。
何かあったのだろうか。
アルビレオは何でもないことのように答えた。
「千年も経てば、道くらい消える」
「それもそうか……」
そう言われると何も言えない。
しかし、少し進んだところで、アルビレオが足を止めた。
「来るぞ」
「え?」
次の瞬間、茂みが大きく揺れた。
飛び出してきたのは、狼の群れ。
以前迷宮で戦ったものとよく似ている。
「これ……」
「追い払おう」
アルビレオが鎖を放つ。
狼の足を絡め取り、そのままどこかへ投げ飛ばす。
『追い払う』 ということは殺さないのだろうか?
……魔石にならないなら確かに無駄な殺しになるからかな。
俺も剣は抜かず、鞘に収めたまま叩く。
キャインと甲高い鳴き声をあげて、一目散に逃げていってくれた。
「……迷宮の魔物と似てる」
「迷宮に生成された生き物にはどれもモデルがあるだろうからな。
ここにいる魔物達も、私の階層を象徴する呪いに関するものだ」
「……迷宮って、本当に何なんでしょうね」
「さあな」
アルビレオはそれ以上答えなかった。
さらに進む。
今度は岩陰から、角の生えた大型の獣が現れた。
見覚えがある。
しかし大きくないし、黒い霧も発していない……正直弱そうだ。
五層で戦った呪角獣とは違う。
「また魔物だ」
「この辺りは魔物が多い」
アルビレオがそう言いながら、鎖を構える。
しかし、俺が先に走り出した。
「今度は俺がやります!」
「無茶はするな」
「大丈夫!もう元気なんで!」
剣を振る。
魔物の角を弾き、懐へ潜り込む。
斬撃と言うよりも打撃。
当たり所が良かったのか一発で魔物が倒れた。
「……ふう」
「以前より動きが良くなったな」
「そうですか?」
「あぁ」
それだけ言って、アルビレオは歩き出した。
「エルセリアはもう近い」
その言葉に、俺も歩みを速める。
アルビレオの言葉に少し喜びながら、未だに何一つとして俺は目印も見つけれていない。
本当に、昔はここを通って人が暮らしていたのだろうか。
* * *
山を越える。
すると、景色が一気に開けた。
遠くに巨大な山々が連なっている。
その谷間。
二つの山に挟まれるようにして、大きな盆地が広がっていた。
「……あれが?」
「あぁ」
アルビレオが指を向ける。
そこには確かに、よく見れば遠くに崩れた建物が見えた。
かつては街だったのだろう。
しかし今は、木々に覆われ、ところどころから石造りの建物が顔を出しているだけだ。
「ここは、山に囲まれているんですね」
「あぁ。外から来るには、この道を通るしかない」
「それなら、守りやすそうです」
「それが理由の一つだ」
アルビレオは街を見つめながら話し始めた。
「この場所は、呪いが集まりやすかった」
「呪いが?」
「周囲の山々から流れ込む呪いが、この谷に溜まる。普通の人間が長く暮らせる場所ではなかった」
「じゃあ、どうして街を?」
「だからだ」
「え?」
「誰も住みたがらない場所なら、誰にも追われることもない」
その言葉に、少しだけ引っかかった。
呪いが人を救っているという話にだろうか。
……それとも
「……誰にも?」
「あぁ」
アルビレオはそれ以上言わず、街へ向かって歩き出した。
俺はその背を見ながらふと思う。
ならここにはどうして今は誰も住んでいないんだろう。
* * *
近づくにつれ、街の姿がはっきりしてくる。
道がある。
石畳。
崩れた家。
倒れた街灯。
朽ちた看板。
しかしそのどれも植物に覆われている。
「ここ……本当に街だったんですね」
「そうだ」
「もっと……なんというか、すごいところを想像してました」
「どんな場所を想像していた?」
「都市っていうくらいだから、もっと立派なのかなって」
「そうだな、今の様子はお世辞にも立派とは言えない。
しかしここら辺には立派な建物が沢山あった」
「ほんとですか……?」
「……本当だ……例えばそこ」
アルビレオは、崩れた建物を一つ指差した。
「そこは鍛冶屋だった」
「ここが?」
適当な瓦礫の山にみえる。
「その隣は食堂」
それも瓦礫の山……あ、木片ある、テーブルとか椅子かな。
「じゃあ、あっちは?」
「宿だ」
「……よく覚えてますね、俺には違いが分からないや」
「……忘れられるものか」
一瞬だけ、アルビレオの声が低くなった。
俺はその声の方を見る、酷く悲しそうな顔をしていた。
けれど、すぐにいつもの表情へ戻っていた。
それから案内に続き、街の中心へ進む。
広場らしい場所に出た。
中央には壊れた噴水があるがら今では水はもう流れていない。
その周囲には、花が咲いていた。
赤白黄色、様々な色の花だ。
「綺麗ですね」
「……そうか?」
「はい」
アルビレオは少しだけ花を見つめた。
その花から目を逸らさず、言葉を漏らす。
「……ここは昔、市場だった」
「市場?」
「あぁ。朝になると人が集まり、食料や道具を売っていた」
「楽しそうですね」
その言葉に、アルビレオは答えなかった。
ただ、花を見ていた。
少し進むと、崩れた建物があった。
壁だけが残っている。
「これは?」
「学校だ」
「学校……」
俺は中を覗き込む。
床には木片が散らばっている。
「ここで子供たちが勉強してたんですか?」
「そうだ」
「アルビレオさんもここで教えてたとか?」
「……私は教える側ではない」
「じゃあ、先生がいたんだ」
「あぁ」
「どんな先生だったんです?」
「よく怒る女だった」
「ははっ」
思わず笑う。
アルビレオも、ほんの少し口元を緩めた。
「でも、子供たちは皆あの先生が好きだった」
「へえ」
そんな話をしながら歩く。
初めはただ森の中に散乱する瓦礫のように思っていたが、過去を、思い出を聞く度に俺には、この場所がだんだんとただの廃墟ではなくなっていくように感じられた。
* * *
やがて、大きな時計塔が見えてきた。
……いや。
見えている、という表現は正しくない。
途中から、折れている。
塔の上半分が失われ、崩れた石が周囲に散らばっていた。
「これ……」
「時計塔だ」
「……なんで折れてるんです?」
アルビレオは答えなかった。
しばらく時計塔を見つめている。
その顔は、今まで見たことがないものだった。
怒っているわけでもない。
1番近いのは悲しんでいるようにも見える。
諦めるしかない何かを、壊れた大切なものを見るような。
ただ、何かを思い出している。
「……戦いで壊れた」
やがて、それだけを口にした。
「直さなかったんですか?」
「…………もう必要ない」
「時計なのに?」
「街がないからな」
俺は時計塔を見上げた。
止まった時計。
崩れた石。
蔦。
蜘蛛の巣。
千年前の街には、ここから時刻を知らせる音が響いていたのだろう。
今は、風の音しかしない。
その少し先には、もう一つ巨大な建造物があった。
展望台。
こちらも途中から折れている。
「これも戦いで?」
「あぁ」
「二つとも?」
「あぁ」
「一体……何と戦ったんですか?」
アルビレオは、少しだけ空を見上げた。
「昔のことだ」
それ以上は話さなかった。
俺は展望台の残骸を見上げる。
ここからなら、街全体が見えたのだろう。
中に入り、途中で折れてしまっているところまで向かい、街を見下ろす。
山々に囲まれた街は、何故か息苦しく感じた。
山が守ってくれているというより、閉じ込めているような、固く閉ざしているような。
石畳の道。
市場。
学校。
家。
人。
昔はここにあったもの、この中にあったもの。
それらが生きていた光景を想像する。
「……なんだか、不思議ですね」
「何がだ?」
「今はこんななのに、アルビレオさんが話すと、ここに人がいたように思える」
「いたんだ」
「……そっか」
俺はそれ以上何も言えなかった。
もう少し高いところからこの街を見れば、何か変わったのだろうか。
迷宮の中の塔は、折れてなかったのにな。
そんなことを思いながら歩いていると、顔に蜘蛛の巣がかかる。
罠を張るのが上手なヤツめ、なんて思いながら指で巣を壊して顔にかからないようにして歩いた。
* * *
その後も街を歩いた。
俺は気になったものを見つけるたび、アルビレオに質問した。
これは何だったのか。
ここには何があったのか。
誰が使っていたのか。
アルビレオは、その全てに答えた。
だが、一つだけ違うものがあった。
俺が崩れた建物の向こうを指差した時だった。
「アルビレオさん、あっちは?」
「……知らないな」
「え?」
「そこは私もよく知らない」
初めてだった。
アルビレオが、この街の中で知らないものがあるだなんて。
「何かあるんですか?」
「何もないだろう」
「じゃあ──」
「何もない、次に行くぞ」
その声は静かだった。
けれど、妙に強かった。
俺はそれ以上聞かなかった。
ただ、そこへ続く道を一度だけ見る。
草木に覆われ、奥は見えない。
「……分かりました」
「……………すまない」
「……何がですか?」
それだけ言って、俺はアルビレオの隣へ戻った。
しばらく歩く。
街の外れまで来たところで、俺は振り返った。
「アルビレオさん」
「何だ?」
「この街、綺麗ですね」
「……」
「ボロボロだし、住めそうにもないですけど」
「なら、綺麗ではないだろう」
「でも、花とか木とかいっぱいありますし」
崩れた家の壁から、白い花が伸びている。
「街だった頃とは違うけど、これはこれでいいんじゃないですか?」
アルビレオは答えなかった。
ただ、俺と同じように花を見る。
「……そうかもしれないな」
その声は、とても小さかった。
「そろそろ戻ります?」
「そうだな」
俺たちは来た道を戻る。
街を出る直前、俺は何となく振り返った。
時計塔。
展望台。
崩れた家々。
緑に覆われた石畳。
千年前には、ここに大勢の人がいた。
でも今は誰もいない。
「……エルセリア」
口に出してみる。
それは不思議な名前だった。
アルビレオが作った街だ、誰にも邪魔されない場所。
人間も、魔族も、きっといろんな人が暮らしていた場所。
今は、誰もいない。
もう誰もここにはいない、地図にも載っていない、誰の記憶にも残っていない。
共存都市と呼ばれたその都市に、誰も存在していない。
こういうものなのだろうか、時間の移り変わりとは、こんなに残酷なのだろうか。
俺には分からない。
過去がないから、こんな事をしたこともないから。
千年という時間は、アルビレオを忘れて世界がぐんぐん進んで置いていってしまった。
アルビレオの時計はきっと、あの崩れた時計塔と同じで止まっているんだろう。
何もできることがない。
* * *
夕方の山道を二人で歩く。
ここからまた何日かかけて帰っていく。
街を出てすぐ、少しの間無言が空気を支配する。
「……そういえば、ここら辺は呪いが多いのに、綺麗ですね」
「そうだな、千年前は私が何とかしていたが、今では呪いの力自体が弱まっているのか、思っていたよりも綺麗だった……それは嬉しい誤算だった」
村に帰る中、そんな他愛のない話をしていた。
その間、何度もあの街がどうしてあんなことになったのか聞こうと思った。
ただ、上手く言葉が出てこなかった。
俺たちはまた、リュネ村の方へ向かう。
最近できた、帰る場所へ向かって。
英雄とは何なのだろう。
この人の人生とはいったい何なのだろう。
それは、無常さを憐れむ言葉ではなく、単なる興味だった。
なぜ、あの街を築いたのか。
なぜ、あんなにボロボロなのか。
なぜ、十層の様子と違うのか。
守れなかったとは、どういうことなのか。
そんな彼が、なぜ今迷宮の守護者をしているのか。
千年間、どのように過ごしていたのだろうか。
分からないことばかりだ。
そして、聞けなかった。
街から離れ、山を越える。
遠ざかっていくエルセリアを、アルビレオは一度だけ振り返った。
崩れた時計塔。
折れた展望台。
緑に覆われた街。
そして、千年前から変わらない山々。
かつて自分が守ると決めた場所。
その場所へ背を向けて、彼は歩き出した。




