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World of Fantasia(ワールド・オブ・ファンタジア)  作者: 緋色牡丹
第一章「永遠の森」

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第八話「狩人の流儀」

 刺激的な出会いから一週間、里の暮らしにも慣れた頃。

 夜になると決まったように、西外れにある古家を訪れていた。

 きぃ、と木戸を開けると、研究机と椅子が乱雑に並んでいる。

 椅子の一つに、踊り子のような衣装を着た女が腰かけていた。長い耳に、褐色の肌──〈ダークエルフ〉と呼ばれる彼女は、エルフの中でも特異種らしい。

「こんばんは。ヴァネッサ」

 女は長い黒髪を手で流し、こちらに振り返った。

「ああ、山田か」

 彼女の名は、ヴァネッサ・レヴァン──魔法の先生である。

 授業料は人間について教えること。妙な契約だが、彼女はそれを気に入っていた。


 ヴァネッサは黒板の前に立つと、カッカッと羽ペンを走らせた。

「主要な五大元素は火水木風土(かすいもくふうど)──他にもあるが、滅多にいないから省く」

 鮮やかな色で、炎、水滴、葉、渦巻く風、岩の絵が描かれていく。

「魔法の属性は多岐にわたる。人によっては、固有能力──〈ギフト〉が発現することもある」

 彼女が掌を上に向けると、ゆらり──空気が震え、手のひらにボッと火が灯った。

「エルフの得意属性は風だが、理解を深めれば他属性も扱える。そして、先天的なマナの質と量──それらを総合したものを〈魔力〉と呼ぶ」

 揺れる炎は燃え盛り、勢いを増していく。

「へぇ……呪文を唱えたりしないんだ」

「よく知ってるな!」

「まぁね」

 俺はどや顔で答えた。ただのゲーム知識である。

「呪文を唱える場合もある。強大な魔法であればあるほど、自身のマナだけでは足りない」

 燃え上がっていた火は、ガスが切れたようにふっと消えた。

「そこで、詠唱の出番というわけだ。精霊や神といった人外の力を借り、規格外の魔法を行使する。しかし、これは難度でいうと最高クラス──覚える必要はない」

「ええっ。俺もカッコいいやつ、なんか出したいんだけど」

「お前にはまだ早い。それに、マナの使い方も知らないだろう」

「うっ……たしかに……」

「ふふ、そう落ち込むな。何事も手順がある。今日は実際に、お前のマナを──」

 

 バンッ!

 

 豪快に扉が開く音がした。

 そこには浅黒い肌をした男──グレースがいた。

「おっ、いたいた。よっ! 山田!」

「隊長──なんでここに」

「ここに入り浸ってるって聞いてな。様子を見に来たんだ」

「……ノックぐらいしろ」

 ヴァネッサは不快そうに言った。

「あー忘れてた! 悪い悪い。ガッハッハ!」

「何をしに来た。グレース」

「言ったろ? 可愛い妹と、部下の様子を見に来たんだって。ほれ!」

 グレースが何かを放り投げると、ヴァネッサはそれを掴んだ。

 彼女の手には、葉っぱに包まれた餅──草餅が握られていた。

「チッ。私に構うな」

「まーだ思春期なのかぁ? 母ちゃんもお前の顔見たがってるぜ。たまには帰って来いよ」

「私は……母の顔など、見たくない」

 ヴァネッサは、グレースの妹らしい──肌の色、顔、よく見ると似ている。

 グレースは一瞬だけ目を伏せたが、すぐにいつもの笑みを取り戻した。

「気が向いたらでいいさ。じゃ、俺はもう行くぜ。山田、またな!」

 空気を察したように、グレースは出ていった。

 ヴァネッサは差し入れられた草餅を見て、勢いよくそれを机に叩きつけた。

「あぁッ! イライラする!」

 家族仲はあまり良くないらしい。

 深く聞くのは、やめておいた方がいいだろう。

「──取り乱して悪かったな。許せ」

「いや、いいんだ。色々あるだろうし」

「……助かる。気を取り直して、授業の続きを始めよう」

 ヴァネッサは軽く息を吐いた。

「自身の魔法を極めた者を、〈魔導師〉や〈魔女〉と呼ぶ──という話は以前したな」

「ああ。体内のマナを鍛錬し続けて、人知を越える道に至った者──だよな」

「正解。よく覚えているな、えらいぞ」

 よしよし、とヴァネッサは俺の頭を撫でた。

 ──子供だと思われている気がする。

 気恥ずかしいが、嫌な気はしないので黙っていた。


 外に出ると、空一面に星が瞬いていた。里の夜空はいつも美しい。

 ヴァネッサは芝生の上に座ると、足を組んだ。

 これは──座禅の姿勢だ。

「鍛錬のやり方は色々あるが……いまから、師匠直伝の鍛錬法を教えてやる」

 ──師匠、どんな人なんだろう。

「真似してみろ。まずは目を閉じ、体内を流れるマナを見つけるんだ。ふぅぅ──」

 彼女は深く、ゆっくりと息を吐いた。

 俺も姿勢を整え、同じように呼吸を深めていく。

「体を鎮め、周りの音を、命を、すべてを感じるように、心を無にしていく。胸に湧き上がるマナを──そっと探るんだ──」

 丁寧に、言葉を選ぶように、ヴァネッサは説いた。

 沈んでいくような感覚だ。心が落ち着いていく気がする。

「鍛錬していけば、空気中に漂うマナ──〈魔素〉や、命に宿っている魔力も感じられるようになるぞ」


 小一時間ほど、同じ姿勢で目を閉じていた。

 ──うん、尻いてぇなコレ。

 そう思い始めた頃、体の奥に温もりを感じた。

 それは、ぽうっと広がる小さな熱だ──その余熱は胸から指先へ、全身にゆっくり流れていく。

 そして気づいた。空気中にも、同じ気配が漂っている──それはかすかに、でも確かに。

 そうか──これが、魔素なのか。

 木陰を走る小動物──ふわりと浮かんだ精霊──命の気配がする。

 この世界は、マナで満ちている──。

 ふと、妙な引っかかりを感じた。

 違和感の正体は、横に座るヴァネッサだ。

 ──おかしい。

 もっとも存在感のある命、であるはずなのに──彼女からは、()()()()()()

「ああ、私か。もうそこまで気づいたか」

「ヴァネッサ、もしかして……霊的なやつ、なの?」

「ちがうちがう、マナを隠しているんだ。マナというのは力でもあるが、弱点にもなるからな」

 彼女はその場に立ち、んーっ、と背筋を伸ばした。

「周りに、自分の位置がバレるってことか」

「察しがいいな。その通り」

 えらい、えらいと俺の頭を撫で、彼女は微笑んだ。

「マナを隠さない者は、手の内を晒してカードゲームをしているようなものだ」

「なるほど。馬鹿だな」

「ちなみにお前は、全てをさらけ出している」

「いやんッ! 見ないでぇっ!!」

「しかし、お前は不思議だ。なんというか……そう、まるで誰かが、回路を後付けしたような……」

 ヴァネッサが首を傾げたとき、彼女の横に老エルフが現れた。

「もっと、やわらか~く、リラ~ックス。ホッホッホ」

 ──気配に、まったく気づかなかった。

 老エルフはヴァネッサの大きなお尻を、撫でるように触っている。

 ていうか、この人っ──訓練中に体を治してくれる、謎の爺さんだ!

「……おい……尻に触るな、ジジイ」

 ヴァネッサは、爺さんの手をペシンッと叩き落とした。

「ホッホッホ」

「まったく……紹介しよう。このエロジジイは、私の師匠だ」

「えぇッ!?」

「非常に遺憾だが、こう見えて里一番の魔導師だ。皆、師匠のことを──」

「大したもんじゃない。爺さんでえーよ」

 ヴァネッサの言葉を遮るように、爺さんは言った。

「お爺さん、そんな凄い人だったんですね」

「ホッホッホ」

「いつも回復、ありがとうございます。あれって、どうやって──」

 爺さんに質問していると、ヴァネッサは消えていた。

 ──なんだか機嫌が悪そうだったな。

 そして爺さんの話は、ほとんど理解できなかった。

 

 灯りの落ちた室内に、ヴァネッサは立っていた。

「……大したもんじゃない、か」

 ぽつりと漏らす、誰に言うでもなく。

「天才という奴は、いつも忌々しい」

 机に置かれた兄の手土産──草餅に触れた。

 冷たい闇の中で、それは唯一の温もりのようだった。

 

 *


 ダッダッダッ、森を走り、走る、走った──!

「はぁっ、はっ、はぁッ……!」

 背後から、強烈な魔力の気配。

 ()()は迫っていた。凄まじい勢いで、俺に──ッ!

 

 ドン、ドン、ドンッ!


 重音が地面を伝った、その瞬間。

「ガァアアアア!!!!!!!!」

 咆哮が森を裂いた。

 姿を現したのは、狼の頭骨に一角を生やした巨大な獣。

 眼窩の奥で赤い光が揺れ、黒鉄色の体毛は逆立っている。四肢は太く、爪は小刀のように長い。

 ホーンウルフのような見た目だが、並の個体ではない──小さな民家ほどの大きさだ。

 大気中の魔素が乱れると、稀に生まれる変異体──エルフたちは畏れと警戒を込め、それをこう呼んだ。魔素に狂い、形を歪めた狂獣──〈魔獣〉と。

 挿絵(By みてみん)

「っ……何でこんな奴が──!」

 地を削る勢いで、それは距離を詰めてきた。

 

 速ッ──!

 

 魔獣は四肢が沈むほど力を籠めると、一角の生えた頭を大きく振りかぶった。

 

 横薙ぎ──!

 

 俺は銀剣を反射的に構えた。ほとんど勘のガードだ。

「ぐぅっ……!」

 直後、俺の体は弾かれた。


 ダンッ!

 

 木の幹へ衝突し、肺から空気が絞り出た。

 痛みより先に感じたのは、恐怖。

 魔獣はよだれを垂らしながら、近寄って来る。

 反撃を恐れているのか、ゆるりと。勝利の余韻に浸るように、ゆっくりと。

 ──後悔していた。

 俺は、いったい何をしているのか。

 なぜ、こんな場所に居るのだろうか。

 そもそも、俺の人生は、どこから間違って──。

 魔獣の濡れた牙が迫った。

 もう眼前に、

 ああ、

「いやだ……」

 

 ──時は遡り、早朝。

 このエバーウッドのエルフ里にきて、もはやひと月が経とうとしていた。

「森の空気は、傷ついた心を癒してくれる。そう、俺は地上を彷徨う旅人っ! その名も──」

 自分に酔っていると、ふと視線を感じた。

 横にいたのは、緑髪の少女──リーリーだ。じっと、黙ってこちらを見ている。

「えと、邪魔して、ごめん……先、行くねっ!」

「待って! 置いてかないでっ! リーリーさーーん!!」

 リーリーは言葉より速く、すぐに見えなくなってしまった。

 

 里の壮麗な景色を眺めながら、今日も訓練場へ歩いていく。

 ここ数日、この世界──ファンタジアについて調べた結果、いくつか興味深いことがわかった。

 まず──今はファンタジア歴二〇二五年、七月二日。

 元いた世界と同じ年号だ。季節の巡り方、太陽の動きさえも地球と似ている。

 偶然として片づけるには、気になる点が多いが……理由はわからなかった。

 しかし──転生したのがここで、

「ほんっとうに良かった……!」

 ファンタジアには、人間を露骨に嫌う国もあるらしい。

 もし、そんな場所に転生していたら──考えるだけで恐ろしい。

 転生者は他にもいるのか、なぜ俺なのか。疑問は尽きないが、謎は解けそうにない。

 気楽にいこう──そう思っていないと、やってられない。


 広大な訓練場についた。今日も朝陽は眩しい。

 だが、空気はいつもと違っていた。

 銀の長剣を静かに磨く者。

 青緑の弓を持ち、弦の張りを確かめる者。

 革の軽装備を締め直し、呼吸を整える者。

 いつも回復してくれる爺さんも、今日はいない。

 そして褐色肌の男──グレースはいつものぼさぼさな茶髪ではなく、きっちり髪を整えていた。

 ライルも栗色の短髪を念入りに整え、体をゆっくり伸ばしている。

 その横に立ち、俺は声をかけた。

「……腕立て、しないのか」

「ああ、今日は野外訓練だ」

「野外?」

「風牙隊、集まれ!」

 グレースが大きく声をあげた。

 エルフたちは迷いなく隊長のもとへ歩み寄っていく。

 この里には五百を越える守り手がいるが、グレース率いる風牙隊は選りすぐり──里の精鋭を集めた、三十人弱の特殊部隊だった。

 ──なんで俺、ここにいるんだ?

「整列!」

 考える間もなく、全員が横十人・縦三列の隊列を瞬時に組んでいく。

 俺は二列目、先頭ライルの横だ。

 皆が休めの姿勢をとり、長剣の先を地へと落とした。

「傾注! 今日は野外訓練だ。魔獣狩りに行くぞ!」

 空気がピンと張る中で、俺はライルを見た。

「あの、狩りって……俺、まだ自信ないんですけど」

「基礎はもう叩き込んである。あとは、実戦あるのみ」

 ライルがそういうと、前列にいたリーリーが振り返った。

「だいじょーぶ! リーリーもいくし!!」

「……そうか、そうだよな!」

 めちゃくちゃ不安である。

「そこ、静かに! いつもどおり別れていくぞ! 風牙一隊は俺、二隊はリーリー、三隊はライルが班長だ!」

 俺は挙手した。

「隊長! 自分はどうすれば?」

 俺は正式なメンバーではないので、ぶっちゃけ行きたくない。こっちは銃すら持たない平和主義国家、日本から来たんだ。命は賭けたくないし、魔獣とか絶対ヤバいって熊より強そう。

「山田は……ライルについていけ!」

「えー!! リーリー、緋色と一緒がいい!」

 リーリーがそういうと、ライルは瞬時に口を開いた。

「だめだ。お前は二隊の班長だろう」

「やーだー! ライルのいじわるっ!!」

「黙れ。二班は森の奥に行くんだぞ……山田にはまだ早い」

 えっ、ていうか、行かないとダメなんだ。

 脳裏に浮かんだのは、もはや死語となった感嘆詞。

 トホホ……

 行きたくないでござる……。

 

 里を出てすぐ──深い森へと続く集結地に、俺たちは集まっていた。

 遠くには里の尖塔がまだ見え、しかし一歩進めば完全に戦場──そんな境界の場所だ。

「集合は太陽が西に落ちる前、夕刻! くれぐれも無理はするな! 以上! 別れ!!」

 グレースの号令が響くと、風牙隊は一斉に姿勢を正し、それぞれの班長を先頭に散って行った。

 訓練時の和やかさはなく、任務前の張りつめた気配がある。


 ザンッ!

 

 ライルは銀剣を地に突き立てた。

「傾注! 三隊は後方支援。漏れた敵の処理をする! 一匹も逃すなよ。わかったか!」

 エルフたちは応と声をあげた。

 ライルは俺を見ると、

「山田は、僕から離れるな」

 きゅん──!

 ライルさん、イケメンッ。

 俺が女だったら、間違いなくこいつに惚れている。

「遅れるなよ。行くぞ!」

 ライルは地を蹴り、前へ跳んだ。

 やべっ、行かないと。

「≪身体強化(ブースト)≫!」

 俺は、ヴァネッサ直伝の魔法を発動させた。

 体内のマナを集中させ、魔力を両足に流し込む。

 イメージするんだ──鋼のような筋肉を、強靭な肉体を。


 ダッ!

 

 地を蹴った。

 軽い。気持ちがいい──体が普段より動く全能感。

 ライルの背に続き、森の中を駆けていく。

 木々の間を抜ける細道は、いつの間にか崖沿いの道に変わっていた。

 その崖道は大きく蛇行し、遥か下、谷底へと続いている。

 先陣は、すでに下ったのだろう。

 風が抜け、頬が冷たくなった。

 その時。

 地面が激しく震えた。森の奥から、何かが押し流れてくる。

 一つ、二つ、三つ……数が多い!

「来るぞ!」

 ライルが叫んだ。

 直後、前方百メートルほど先の林間から、額に角を生やした狼の群れが飛び出てきた。

 群れは瞳を揺らしながら、こちらへ雪崩れ込んで来る。

「構え!!」

 ライルの掛け声と同時に、守り手たちは銀の長剣を構えた。

 二人一組で死角を潰しながら、押し寄せる群れを長剣でいなしていく。

 エルフの勇ましい声と獣の咆哮が交錯し、崖道は戦場に変わった。

「ハァァアアアッ──!!」

 ライルは一人で複数を相手にしている。

 刃が走るたび、狼は裂かれ飛んでいく。凄まじい戦闘力だ。

 俺は長剣を握りしめた。

 狼たちの勢いは止まらず、崖道に押し寄せている。

「デヤァアッ!!!!」

 ライルが無数の狼を斬り払う中、一匹が縫うように抜けて来た。

 ──やれる。やるしかない。

「来いよ。オラァ!」

 気勢を込め叫んだ。

「山田! 僕から離れるなッ!」

 だめだ。狼はもう迫っている。

 剣を横へ構え、突進の一撃を受け止めた。

 ──なんて力だ!

 靴底が地面を削り、俺の身体は弾き飛ばされた。

「ぐっ……!」

 踏ん張ろうとしたとき、浮遊感が身を包んだ。

 ──地面が、ない。

 手を伸ばすも、何も掴めない。

 人は死を感じると、世界が遅く見えるという。

 ああ──今日の空、こんなに青かったんだ。

 重力は、遅れてやってきた。

「山田!! 山田ー!!!!」

「うぉおおおああああああーーーー!!」

 落ちていく、落ちていく。谷底へ、深い闇へ。

 枝葉が頬を裂くように流れ、落下の風が耳を切り裂いた。

 深い森の底へと、俺は飲み込まれていった──。

 

 ──湿った土の匂いが鼻を刺した。

「う……痛ぇ……」

 脇腹の鈍痛をさすり、ゆっくりと目を開いていく。

 見上げれば、木々の隙間から光が差し込んでいた。

「生きてる、よな。俺……」

 体の下には、落ち葉が積もった厚い葉床(はどこ)──どうにか命は拾ったらしい。

「ん……?」

 この葉床、よく見ると変だ。自然とできたにしては大きい。

 まるで()()()()()()()が、寝るために用意したような──。

 そう思ったとき、ズシ、ズシ──と地を揺らす音がした。

 唸るような低い獣声も聞こえる。

 喉がごくりと鳴った。とてつもなく、嫌な予感がする。

「……」

 気づけば走っていた。振り返ることなく、前へ!

 ──ヤバい、ここは、ヤバい!

「グァガァアアア!!!!!!!!」

 咆哮が、背を突き刺した──!

 

 ──そして、現在。

 眼前に迫る魔獣をみて、走馬灯のように記憶がよぎっていた。

「……ッ」

 死を覚悟した、その時。

 

 シュバッ──!

 

 一閃の矢が、魔獣の顔面へ突き刺さった──ように見えたが、矢は噛み砕かれていた。

 異常を察したのか、魔獣は後ろに跳躍していく。

 

 シュババッ──!

 

 空から、無数の矢が降り注いだ。

 風を纏った矢じりは、宙で軌道を曲げ、魔獣の目へ、腹へと突き刺さっていく。

「ガァアアアア!!!!!!」

「これはっ──」

 負傷した魔獣は咆哮をあげ、後ずさった。

 遠くから聞こえるのは、もう聞きなれた少女の声。

「風牙二隊、前へ! 獲物は瀕死だ! 囲め!!」

 木々の間から、エルフの精鋭──風牙二隊が姿を現した。

 先頭を駆けるのは緑髪の少女──リーリーだ。その表情に、普段の陽気さは微塵もない。

 挿絵(By みてみん)

 リーリーは五本の矢をつまみ上げ、弓へと添えた。

「風よ──風の大精霊エルゼよ。古き盟約を風に示せ──理を曲げ討つは汝の怨敵──裂き断てまつれ──≪軌風翠閃(きふうすいせん)・五連≫!」

 詠唱に応じるように、緑翠色の覇気が矢を包んだ。

 そして──弦を引き、放った──ッ!

 

 (バン)──ッ!

 

 穿つように疾駆する五本の翠閃。

 それは弓射というより、弓を踏み台にしたカタパルト発射だった。

 魔獣は跳ね、走り、飛んだ。

 回り、回って、避ける──しかし矢は軌道を変え、逃走を許さない。

 魔獣の動きが鈍っていく。息が荒い。

 次の瞬間──

 

 ダンッ! ダンッダンッ! ダンッダンッ!


 魔獣の体毛が爆ぜた。命中ではない、あれは炸裂だ。

 黒鉄色の皮膚は、五本の風矢に突き破られた。

 魔力で矢じりを強化したのか──それも、複数の矢を一度に!

『複数の魔法を行使するのは、繊細なコントロールと集中を要する』

 ヴァネッサはそう言っていた。これは並の技術ではない。

 リーリーがやっているのは、ゲームのコントローラーをいくつも同時操作しているようなものだ。彼女は天才だと自分で言っていたが──どうやら、自称ではないらしい。

 木の幹にもたれていた俺の方へ、リーリーは近づいてきた。

「あれっ? ひーろ、何してるの? だいじょーぶ?」

「大丈夫、じゃない……ありがとう……ありがとうございます……」

 俺は感極まり、リーリーに抱きついた。なんか、ちょっと臭い。

「なんで居るのー? ここ、リーリー担当なのに!」

「いや、足滑らしちゃってさ──」

 

 ──この一帯の魔獣は一掃され、戦闘はひと段落ついた。

 エルフたちは手際よく魔獣の肉をはいでいる。

 ライルは深く頭を下げた。

「すまなかった。僕の失態だ」

「いいって。そばを離れた俺が悪いんだ」

「しかし……」

 彼が沈むのは珍しい。

 責任を感じているんだろう。何ていい奴なんだ。

「いいからいいから。俺らも肉はごうぜ」

「ああ……」

 魔獣の解体は順調に進んでいき、里に持ち帰る分を荷に詰めた。

 巨体は隅々まで削がれ、もう見る影もない。

「ここまで綺麗にやるんだな」

「命を無駄にはしない。それが守り手──いや、狩人の流儀だ」

 肉を剝いでいるあいだに、ライルは元の調子に戻っていた。

 最後は、焚き火の準備だ。

 グレースは剥いだ肉を掲げた。

「持ち帰れない分は食うぞ~。お前ら、残すなよ~!」

 

 じゅう──!

 

 焚き火の上に肉をかざした。

 リーリーは肉を眺めながら、よだれを垂らしている。

「はやくっ、はやくっ」

 脂が弾け、香ばしい匂いが風に乗って広がっていく。

 肉の表面がじりじりと焼け、赤身がわずかに汗を浮かべた。

 そろそろかと思ったとき、ライルが取り出したのは──謎の小瓶。

「山田、これを使え」

「これは、まさか──塩!?」

「洞窟からとった岩塩だ。かけてみろ……飛ぶぞ」

 くくっ、とライルは口角を上げた。

 ──どれどれ。

 小瓶の塩を、ひとつまみ振りかけていく。

 俺は肉にかぶりついた。

 

 ジュワッ!


 溢れ出る肉汁──!

「うっ、まッ!!!!」

 体の奥まで染みる味だ。戦いの恐怖も、痛みも、一口で消えていく。

 ほとばしる野性の旨味──これは確かに、飛ぶ。

「よし……」

 俺は、水が入った竹筒を取り出した。

 そして、森の樹からとった赤い樹液を混ぜれば──山田特製・激甘ジュースの完成である。

「クックック……リーリー、キミも一杯やるかね」

「んっ……何これ。ん……んっ? あっまぁああああ! うぇぇー!!」

 リーリーは舌をべっと出した。樹液で真っ赤だ。

「ふ……お子ちゃまにはまだ早いか」

「訳の分からんものを作るな」

「美味しいのに……」

 ライルに咎められたその時、背後から明るい声が飛んできた。

「おう、山田! ちょっといいか」

 グレースだ。視線をやると、彼は何も言わず歩きだした。

 ついて来いということだろう──。

 

「こっちだ」

 少し離れた木陰に、ひっそりと小さな焚き火が灯っていた。

 静まり返った空気の中で、ぱち、ぱち……と薪の音がする。

 グレースは倒れた大木に腰を下ろした。焚き火の揺らぎが、彼の横顔に淡い影を落としている。

「まぁ座ってくれ」

 促されるまま、俺は隣に座った。

「隊長、どうしたんですか」

「その、だな……ヴァネッサとは、最近どうだ」

「ヴァネッサ──さんですか。妹さんには、良くしてもらってますよ。教え方も上手いし」

 美人だし、服はエッチだし、褐色肌に性癖が狂わされそうになっている。

「そうか……あいつとは、今後も仲良くしてやってくれ」

 珍しいな。いつも明るいグレースが、どこか暗い雰囲気だ。

「あいつはさ、俺と比較されてきたんだ。才能は十分だっていうのに、殻に閉じこもっちまった」

 そういえば、『ダークエルフは生まれながらに高い能力を持つ』と、本に書いてあったな。

 数少ない褐色肌は、才能の証というわけだ。

「剣聖なんて呼ばれちゃいるが……俺は、妹に何もしてやれない、情けない兄貴なのさ」

 自嘲気味にグレースは笑った。

 ──誰かと比較され生きるというのは、どんな気持ちなんだろう。

 ヴァネッサが兄を遠ざける理由は、きっとそこにあるのかもしれない。

「山田。俺じゃあ、ヴァネッサを笑わせてやれないんだ。あいつを……頼む」

 グレースは太ももに両手を置き、深く頭を下げた。剣聖ではなく、ただの一人の兄として。

 ──どうにかしてやりたい。

 家族と仲良くできないというのは、とても、とても辛いことだろう。

「ええ、もちろん。任せて下さい!」

「……そーかそーか! ガハハ! お兄ちゃんって呼んでいいぜ! 式はいつにする!?」

「いや、結婚はしないと思います。あと、普通に隊長って呼びます」

 いつか何の垣根もなく、二人で仲良く話して欲しい。

 焚き火の明かりを見つめながら、そう願った。

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― 新着の感想 ―
第五話から第八話までを拝読しさせて頂きました。 緋色がエルフの里で少しずつ新しい居場所を築いていく過程が、とても丁寧に描かれていると感じました。 最初は、美しい森や焼きたてのパン、珍しい街並みなど、…
 ヴァネッサさん、第三者には気さくになれてもグレースさんを始めとする家族とは虐待とまではいかずとも、ギクシャクした仲のようですね。  身体補強や、ヴァネッサさんのマナ消しを交えながらの教授、リーリーの…
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