第八話「狩人の流儀」
刺激的な出会いから一週間、里の暮らしにも慣れた頃。
夜になると決まったように、西外れにある古家を訪れていた。
きぃ、と木戸を開けると、研究机と椅子が乱雑に並んでいる。
椅子の一つに、踊り子のような衣装を着た女が腰かけていた。長い耳に、褐色の肌──〈ダークエルフ〉と呼ばれる彼女は、エルフの中でも特異種らしい。
「こんばんは。ヴァネッサ」
女は長い黒髪を手で流し、こちらに振り返った。
「ああ、山田か」
彼女の名は、ヴァネッサ・レヴァン──魔法の先生である。
授業料は人間について教えること。妙な契約だが、彼女はそれを気に入っていた。
ヴァネッサは黒板の前に立つと、カッカッと羽ペンを走らせた。
「主要な五大元素は火水木風土──他にもあるが、滅多にいないから省く」
鮮やかな色で、炎、水滴、葉、渦巻く風、岩の絵が描かれていく。
「魔法の属性は多岐にわたる。人によっては、固有能力──〈ギフト〉が発現することもある」
彼女が掌を上に向けると、ゆらり──空気が震え、手のひらにボッと火が灯った。
「エルフの得意属性は風だが、理解を深めれば他属性も扱える。そして、先天的なマナの質と量──それらを総合したものを〈魔力〉と呼ぶ」
揺れる炎は燃え盛り、勢いを増していく。
「へぇ……呪文を唱えたりしないんだ」
「よく知ってるな!」
「まぁね」
俺はどや顔で答えた。ただのゲーム知識である。
「呪文を唱える場合もある。強大な魔法であればあるほど、自身のマナだけでは足りない」
燃え上がっていた火は、ガスが切れたようにふっと消えた。
「そこで、詠唱の出番というわけだ。精霊や神といった人外の力を借り、規格外の魔法を行使する。しかし、これは難度でいうと最高クラス──覚える必要はない」
「ええっ。俺もカッコいいやつ、なんか出したいんだけど」
「お前にはまだ早い。それに、マナの使い方も知らないだろう」
「うっ……たしかに……」
「ふふ、そう落ち込むな。何事も手順がある。今日は実際に、お前のマナを──」
バンッ!
豪快に扉が開く音がした。
そこには浅黒い肌をした男──グレースがいた。
「おっ、いたいた。よっ! 山田!」
「隊長──なんでここに」
「ここに入り浸ってるって聞いてな。様子を見に来たんだ」
「……ノックぐらいしろ」
ヴァネッサは不快そうに言った。
「あー忘れてた! 悪い悪い。ガッハッハ!」
「何をしに来た。グレース」
「言ったろ? 可愛い妹と、部下の様子を見に来たんだって。ほれ!」
グレースが何かを放り投げると、ヴァネッサはそれを掴んだ。
彼女の手には、葉っぱに包まれた餅──草餅が握られていた。
「チッ。私に構うな」
「まーだ思春期なのかぁ? 母ちゃんもお前の顔見たがってるぜ。たまには帰って来いよ」
「私は……母の顔など、見たくない」
ヴァネッサは、グレースの妹らしい──肌の色、顔、よく見ると似ている。
グレースは一瞬だけ目を伏せたが、すぐにいつもの笑みを取り戻した。
「気が向いたらでいいさ。じゃ、俺はもう行くぜ。山田、またな!」
空気を察したように、グレースは出ていった。
ヴァネッサは差し入れられた草餅を見て、勢いよくそれを机に叩きつけた。
「あぁッ! イライラする!」
家族仲はあまり良くないらしい。
深く聞くのは、やめておいた方がいいだろう。
「──取り乱して悪かったな。許せ」
「いや、いいんだ。色々あるだろうし」
「……助かる。気を取り直して、授業の続きを始めよう」
ヴァネッサは軽く息を吐いた。
「自身の魔法を極めた者を、〈魔導師〉や〈魔女〉と呼ぶ──という話は以前したな」
「ああ。体内のマナを鍛錬し続けて、人知を越える道に至った者──だよな」
「正解。よく覚えているな、えらいぞ」
よしよし、とヴァネッサは俺の頭を撫でた。
──子供だと思われている気がする。
気恥ずかしいが、嫌な気はしないので黙っていた。
外に出ると、空一面に星が瞬いていた。里の夜空はいつも美しい。
ヴァネッサは芝生の上に座ると、足を組んだ。
これは──座禅の姿勢だ。
「鍛錬のやり方は色々あるが……いまから、師匠直伝の鍛錬法を教えてやる」
──師匠、どんな人なんだろう。
「真似してみろ。まずは目を閉じ、体内を流れるマナを見つけるんだ。ふぅぅ──」
彼女は深く、ゆっくりと息を吐いた。
俺も姿勢を整え、同じように呼吸を深めていく。
「体を鎮め、周りの音を、命を、すべてを感じるように、心を無にしていく。胸に湧き上がるマナを──そっと探るんだ──」
丁寧に、言葉を選ぶように、ヴァネッサは説いた。
沈んでいくような感覚だ。心が落ち着いていく気がする。
「鍛錬していけば、空気中に漂うマナ──〈魔素〉や、命に宿っている魔力も感じられるようになるぞ」
小一時間ほど、同じ姿勢で目を閉じていた。
──うん、尻いてぇなコレ。
そう思い始めた頃、体の奥に温もりを感じた。
それは、ぽうっと広がる小さな熱だ──その余熱は胸から指先へ、全身にゆっくり流れていく。
そして気づいた。空気中にも、同じ気配が漂っている──それはかすかに、でも確かに。
そうか──これが、魔素なのか。
木陰を走る小動物──ふわりと浮かんだ精霊──命の気配がする。
この世界は、マナで満ちている──。
ふと、妙な引っかかりを感じた。
違和感の正体は、横に座るヴァネッサだ。
──おかしい。
もっとも存在感のある命、であるはずなのに──彼女からは、何も感じない。
「ああ、私か。もうそこまで気づいたか」
「ヴァネッサ、もしかして……霊的なやつ、なの?」
「ちがうちがう、マナを隠しているんだ。マナというのは力でもあるが、弱点にもなるからな」
彼女はその場に立ち、んーっ、と背筋を伸ばした。
「周りに、自分の位置がバレるってことか」
「察しがいいな。その通り」
えらい、えらいと俺の頭を撫で、彼女は微笑んだ。
「マナを隠さない者は、手の内を晒してカードゲームをしているようなものだ」
「なるほど。馬鹿だな」
「ちなみにお前は、全てをさらけ出している」
「いやんッ! 見ないでぇっ!!」
「しかし、お前は不思議だ。なんというか……そう、まるで誰かが、回路を後付けしたような……」
ヴァネッサが首を傾げたとき、彼女の横に老エルフが現れた。
「もっと、やわらか~く、リラ~ックス。ホッホッホ」
──気配に、まったく気づかなかった。
老エルフはヴァネッサの大きなお尻を、撫でるように触っている。
ていうか、この人っ──訓練中に体を治してくれる、謎の爺さんだ!
「……おい……尻に触るな、ジジイ」
ヴァネッサは、爺さんの手をペシンッと叩き落とした。
「ホッホッホ」
「まったく……紹介しよう。このエロジジイは、私の師匠だ」
「えぇッ!?」
「非常に遺憾だが、こう見えて里一番の魔導師だ。皆、師匠のことを──」
「大したもんじゃない。爺さんでえーよ」
ヴァネッサの言葉を遮るように、爺さんは言った。
「お爺さん、そんな凄い人だったんですね」
「ホッホッホ」
「いつも回復、ありがとうございます。あれって、どうやって──」
爺さんに質問していると、ヴァネッサは消えていた。
──なんだか機嫌が悪そうだったな。
そして爺さんの話は、ほとんど理解できなかった。
灯りの落ちた室内に、ヴァネッサは立っていた。
「……大したもんじゃない、か」
ぽつりと漏らす、誰に言うでもなく。
「天才という奴は、いつも忌々しい」
机に置かれた兄の手土産──草餅に触れた。
冷たい闇の中で、それは唯一の温もりのようだった。
*
ダッダッダッ、森を走り、走る、走った──!
「はぁっ、はっ、はぁッ……!」
背後から、強烈な魔力の気配。
それは迫っていた。凄まじい勢いで、俺に──ッ!
ドン、ドン、ドンッ!
重音が地面を伝った、その瞬間。
「ガァアアアア!!!!!!!!」
咆哮が森を裂いた。
姿を現したのは、狼の頭骨に一角を生やした巨大な獣。
眼窩の奥で赤い光が揺れ、黒鉄色の体毛は逆立っている。四肢は太く、爪は小刀のように長い。
ホーンウルフのような見た目だが、並の個体ではない──小さな民家ほどの大きさだ。
大気中の魔素が乱れると、稀に生まれる変異体──エルフたちは畏れと警戒を込め、それをこう呼んだ。魔素に狂い、形を歪めた狂獣──〈魔獣〉と。
「っ……何でこんな奴が──!」
地を削る勢いで、それは距離を詰めてきた。
速ッ──!
魔獣は四肢が沈むほど力を籠めると、一角の生えた頭を大きく振りかぶった。
横薙ぎ──!
俺は銀剣を反射的に構えた。ほとんど勘のガードだ。
「ぐぅっ……!」
直後、俺の体は弾かれた。
ダンッ!
木の幹へ衝突し、肺から空気が絞り出た。
痛みより先に感じたのは、恐怖。
魔獣はよだれを垂らしながら、近寄って来る。
反撃を恐れているのか、ゆるりと。勝利の余韻に浸るように、ゆっくりと。
──後悔していた。
俺は、いったい何をしているのか。
なぜ、こんな場所に居るのだろうか。
そもそも、俺の人生は、どこから間違って──。
魔獣の濡れた牙が迫った。
もう眼前に、
ああ、
「いやだ……」
──時は遡り、早朝。
このエバーウッドのエルフ里にきて、もはやひと月が経とうとしていた。
「森の空気は、傷ついた心を癒してくれる。そう、俺は地上を彷徨う旅人っ! その名も──」
自分に酔っていると、ふと視線を感じた。
横にいたのは、緑髪の少女──リーリーだ。じっと、黙ってこちらを見ている。
「えと、邪魔して、ごめん……先、行くねっ!」
「待って! 置いてかないでっ! リーリーさーーん!!」
リーリーは言葉より速く、すぐに見えなくなってしまった。
里の壮麗な景色を眺めながら、今日も訓練場へ歩いていく。
ここ数日、この世界──ファンタジアについて調べた結果、いくつか興味深いことがわかった。
まず──今はファンタジア歴二〇二五年、七月二日。
元いた世界と同じ年号だ。季節の巡り方、太陽の動きさえも地球と似ている。
偶然として片づけるには、気になる点が多いが……理由はわからなかった。
しかし──転生したのがここで、
「ほんっとうに良かった……!」
ファンタジアには、人間を露骨に嫌う国もあるらしい。
もし、そんな場所に転生していたら──考えるだけで恐ろしい。
転生者は他にもいるのか、なぜ俺なのか。疑問は尽きないが、謎は解けそうにない。
気楽にいこう──そう思っていないと、やってられない。
広大な訓練場についた。今日も朝陽は眩しい。
だが、空気はいつもと違っていた。
銀の長剣を静かに磨く者。
青緑の弓を持ち、弦の張りを確かめる者。
革の軽装備を締め直し、呼吸を整える者。
いつも回復してくれる爺さんも、今日はいない。
そして褐色肌の男──グレースはいつものぼさぼさな茶髪ではなく、きっちり髪を整えていた。
ライルも栗色の短髪を念入りに整え、体をゆっくり伸ばしている。
その横に立ち、俺は声をかけた。
「……腕立て、しないのか」
「ああ、今日は野外訓練だ」
「野外?」
「風牙隊、集まれ!」
グレースが大きく声をあげた。
エルフたちは迷いなく隊長のもとへ歩み寄っていく。
この里には五百を越える守り手がいるが、グレース率いる風牙隊は選りすぐり──里の精鋭を集めた、三十人弱の特殊部隊だった。
──なんで俺、ここにいるんだ?
「整列!」
考える間もなく、全員が横十人・縦三列の隊列を瞬時に組んでいく。
俺は二列目、先頭ライルの横だ。
皆が休めの姿勢をとり、長剣の先を地へと落とした。
「傾注! 今日は野外訓練だ。魔獣狩りに行くぞ!」
空気がピンと張る中で、俺はライルを見た。
「あの、狩りって……俺、まだ自信ないんですけど」
「基礎はもう叩き込んである。あとは、実戦あるのみ」
ライルがそういうと、前列にいたリーリーが振り返った。
「だいじょーぶ! リーリーもいくし!!」
「……そうか、そうだよな!」
めちゃくちゃ不安である。
「そこ、静かに! いつもどおり別れていくぞ! 風牙一隊は俺、二隊はリーリー、三隊はライルが班長だ!」
俺は挙手した。
「隊長! 自分はどうすれば?」
俺は正式なメンバーではないので、ぶっちゃけ行きたくない。こっちは銃すら持たない平和主義国家、日本から来たんだ。命は賭けたくないし、魔獣とか絶対ヤバいって熊より強そう。
「山田は……ライルについていけ!」
「えー!! リーリー、緋色と一緒がいい!」
リーリーがそういうと、ライルは瞬時に口を開いた。
「だめだ。お前は二隊の班長だろう」
「やーだー! ライルのいじわるっ!!」
「黙れ。二班は森の奥に行くんだぞ……山田にはまだ早い」
えっ、ていうか、行かないとダメなんだ。
脳裏に浮かんだのは、もはや死語となった感嘆詞。
トホホ……
行きたくないでござる……。
里を出てすぐ──深い森へと続く集結地に、俺たちは集まっていた。
遠くには里の尖塔がまだ見え、しかし一歩進めば完全に戦場──そんな境界の場所だ。
「集合は太陽が西に落ちる前、夕刻! くれぐれも無理はするな! 以上! 別れ!!」
グレースの号令が響くと、風牙隊は一斉に姿勢を正し、それぞれの班長を先頭に散って行った。
訓練時の和やかさはなく、任務前の張りつめた気配がある。
ザンッ!
ライルは銀剣を地に突き立てた。
「傾注! 三隊は後方支援。漏れた敵の処理をする! 一匹も逃すなよ。わかったか!」
エルフたちは応と声をあげた。
ライルは俺を見ると、
「山田は、僕から離れるな」
きゅん──!
ライルさん、イケメンッ。
俺が女だったら、間違いなくこいつに惚れている。
「遅れるなよ。行くぞ!」
ライルは地を蹴り、前へ跳んだ。
やべっ、行かないと。
「≪身体強化≫!」
俺は、ヴァネッサ直伝の魔法を発動させた。
体内のマナを集中させ、魔力を両足に流し込む。
イメージするんだ──鋼のような筋肉を、強靭な肉体を。
ダッ!
地を蹴った。
軽い。気持ちがいい──体が普段より動く全能感。
ライルの背に続き、森の中を駆けていく。
木々の間を抜ける細道は、いつの間にか崖沿いの道に変わっていた。
その崖道は大きく蛇行し、遥か下、谷底へと続いている。
先陣は、すでに下ったのだろう。
風が抜け、頬が冷たくなった。
その時。
地面が激しく震えた。森の奥から、何かが押し流れてくる。
一つ、二つ、三つ……数が多い!
「来るぞ!」
ライルが叫んだ。
直後、前方百メートルほど先の林間から、額に角を生やした狼の群れが飛び出てきた。
群れは瞳を揺らしながら、こちらへ雪崩れ込んで来る。
「構え!!」
ライルの掛け声と同時に、守り手たちは銀の長剣を構えた。
二人一組で死角を潰しながら、押し寄せる群れを長剣でいなしていく。
エルフの勇ましい声と獣の咆哮が交錯し、崖道は戦場に変わった。
「ハァァアアアッ──!!」
ライルは一人で複数を相手にしている。
刃が走るたび、狼は裂かれ飛んでいく。凄まじい戦闘力だ。
俺は長剣を握りしめた。
狼たちの勢いは止まらず、崖道に押し寄せている。
「デヤァアッ!!!!」
ライルが無数の狼を斬り払う中、一匹が縫うように抜けて来た。
──やれる。やるしかない。
「来いよ。オラァ!」
気勢を込め叫んだ。
「山田! 僕から離れるなッ!」
だめだ。狼はもう迫っている。
剣を横へ構え、突進の一撃を受け止めた。
──なんて力だ!
靴底が地面を削り、俺の身体は弾き飛ばされた。
「ぐっ……!」
踏ん張ろうとしたとき、浮遊感が身を包んだ。
──地面が、ない。
手を伸ばすも、何も掴めない。
人は死を感じると、世界が遅く見えるという。
ああ──今日の空、こんなに青かったんだ。
重力は、遅れてやってきた。
「山田!! 山田ー!!!!」
「うぉおおおああああああーーーー!!」
落ちていく、落ちていく。谷底へ、深い闇へ。
枝葉が頬を裂くように流れ、落下の風が耳を切り裂いた。
深い森の底へと、俺は飲み込まれていった──。
──湿った土の匂いが鼻を刺した。
「う……痛ぇ……」
脇腹の鈍痛をさすり、ゆっくりと目を開いていく。
見上げれば、木々の隙間から光が差し込んでいた。
「生きてる、よな。俺……」
体の下には、落ち葉が積もった厚い葉床──どうにか命は拾ったらしい。
「ん……?」
この葉床、よく見ると変だ。自然とできたにしては大きい。
まるで何か大きな生物が、寝るために用意したような──。
そう思ったとき、ズシ、ズシ──と地を揺らす音がした。
唸るような低い獣声も聞こえる。
喉がごくりと鳴った。とてつもなく、嫌な予感がする。
「……」
気づけば走っていた。振り返ることなく、前へ!
──ヤバい、ここは、ヤバい!
「グァガァアアア!!!!!!!!」
咆哮が、背を突き刺した──!
──そして、現在。
眼前に迫る魔獣をみて、走馬灯のように記憶がよぎっていた。
「……ッ」
死を覚悟した、その時。
シュバッ──!
一閃の矢が、魔獣の顔面へ突き刺さった──ように見えたが、矢は噛み砕かれていた。
異常を察したのか、魔獣は後ろに跳躍していく。
シュババッ──!
空から、無数の矢が降り注いだ。
風を纏った矢じりは、宙で軌道を曲げ、魔獣の目へ、腹へと突き刺さっていく。
「ガァアアアア!!!!!!」
「これはっ──」
負傷した魔獣は咆哮をあげ、後ずさった。
遠くから聞こえるのは、もう聞きなれた少女の声。
「風牙二隊、前へ! 獲物は瀕死だ! 囲め!!」
木々の間から、エルフの精鋭──風牙二隊が姿を現した。
先頭を駆けるのは緑髪の少女──リーリーだ。その表情に、普段の陽気さは微塵もない。
リーリーは五本の矢をつまみ上げ、弓へと添えた。
「風よ──風の大精霊エルゼよ。古き盟約を風に示せ──理を曲げ討つは汝の怨敵──裂き断てまつれ──≪軌風翠閃・五連≫!」
詠唱に応じるように、緑翠色の覇気が矢を包んだ。
そして──弦を引き、放った──ッ!
爆──ッ!
穿つように疾駆する五本の翠閃。
それは弓射というより、弓を踏み台にしたカタパルト発射だった。
魔獣は跳ね、走り、飛んだ。
回り、回って、避ける──しかし矢は軌道を変え、逃走を許さない。
魔獣の動きが鈍っていく。息が荒い。
次の瞬間──
ダンッ! ダンッダンッ! ダンッダンッ!
魔獣の体毛が爆ぜた。命中ではない、あれは炸裂だ。
黒鉄色の皮膚は、五本の風矢に突き破られた。
魔力で矢じりを強化したのか──それも、複数の矢を一度に!
『複数の魔法を行使するのは、繊細なコントロールと集中を要する』
ヴァネッサはそう言っていた。これは並の技術ではない。
リーリーがやっているのは、ゲームのコントローラーをいくつも同時操作しているようなものだ。彼女は天才だと自分で言っていたが──どうやら、自称ではないらしい。
木の幹にもたれていた俺の方へ、リーリーは近づいてきた。
「あれっ? ひーろ、何してるの? だいじょーぶ?」
「大丈夫、じゃない……ありがとう……ありがとうございます……」
俺は感極まり、リーリーに抱きついた。なんか、ちょっと臭い。
「なんで居るのー? ここ、リーリー担当なのに!」
「いや、足滑らしちゃってさ──」
──この一帯の魔獣は一掃され、戦闘はひと段落ついた。
エルフたちは手際よく魔獣の肉をはいでいる。
ライルは深く頭を下げた。
「すまなかった。僕の失態だ」
「いいって。そばを離れた俺が悪いんだ」
「しかし……」
彼が沈むのは珍しい。
責任を感じているんだろう。何ていい奴なんだ。
「いいからいいから。俺らも肉はごうぜ」
「ああ……」
魔獣の解体は順調に進んでいき、里に持ち帰る分を荷に詰めた。
巨体は隅々まで削がれ、もう見る影もない。
「ここまで綺麗にやるんだな」
「命を無駄にはしない。それが守り手──いや、狩人の流儀だ」
肉を剝いでいるあいだに、ライルは元の調子に戻っていた。
最後は、焚き火の準備だ。
グレースは剥いだ肉を掲げた。
「持ち帰れない分は食うぞ~。お前ら、残すなよ~!」
じゅう──!
焚き火の上に肉をかざした。
リーリーは肉を眺めながら、よだれを垂らしている。
「はやくっ、はやくっ」
脂が弾け、香ばしい匂いが風に乗って広がっていく。
肉の表面がじりじりと焼け、赤身がわずかに汗を浮かべた。
そろそろかと思ったとき、ライルが取り出したのは──謎の小瓶。
「山田、これを使え」
「これは、まさか──塩!?」
「洞窟からとった岩塩だ。かけてみろ……飛ぶぞ」
くくっ、とライルは口角を上げた。
──どれどれ。
小瓶の塩を、ひとつまみ振りかけていく。
俺は肉にかぶりついた。
ジュワッ!
溢れ出る肉汁──!
「うっ、まッ!!!!」
体の奥まで染みる味だ。戦いの恐怖も、痛みも、一口で消えていく。
ほとばしる野性の旨味──これは確かに、飛ぶ。
「よし……」
俺は、水が入った竹筒を取り出した。
そして、森の樹からとった赤い樹液を混ぜれば──山田特製・激甘ジュースの完成である。
「クックック……リーリー、キミも一杯やるかね」
「んっ……何これ。ん……んっ? あっまぁああああ! うぇぇー!!」
リーリーは舌をべっと出した。樹液で真っ赤だ。
「ふ……お子ちゃまにはまだ早いか」
「訳の分からんものを作るな」
「美味しいのに……」
ライルに咎められたその時、背後から明るい声が飛んできた。
「おう、山田! ちょっといいか」
グレースだ。視線をやると、彼は何も言わず歩きだした。
ついて来いということだろう──。
「こっちだ」
少し離れた木陰に、ひっそりと小さな焚き火が灯っていた。
静まり返った空気の中で、ぱち、ぱち……と薪の音がする。
グレースは倒れた大木に腰を下ろした。焚き火の揺らぎが、彼の横顔に淡い影を落としている。
「まぁ座ってくれ」
促されるまま、俺は隣に座った。
「隊長、どうしたんですか」
「その、だな……ヴァネッサとは、最近どうだ」
「ヴァネッサ──さんですか。妹さんには、良くしてもらってますよ。教え方も上手いし」
美人だし、服はエッチだし、褐色肌に性癖が狂わされそうになっている。
「そうか……あいつとは、今後も仲良くしてやってくれ」
珍しいな。いつも明るいグレースが、どこか暗い雰囲気だ。
「あいつはさ、俺と比較されてきたんだ。才能は十分だっていうのに、殻に閉じこもっちまった」
そういえば、『ダークエルフは生まれながらに高い能力を持つ』と、本に書いてあったな。
数少ない褐色肌は、才能の証というわけだ。
「剣聖なんて呼ばれちゃいるが……俺は、妹に何もしてやれない、情けない兄貴なのさ」
自嘲気味にグレースは笑った。
──誰かと比較され生きるというのは、どんな気持ちなんだろう。
ヴァネッサが兄を遠ざける理由は、きっとそこにあるのかもしれない。
「山田。俺じゃあ、ヴァネッサを笑わせてやれないんだ。あいつを……頼む」
グレースは太ももに両手を置き、深く頭を下げた。剣聖ではなく、ただの一人の兄として。
──どうにかしてやりたい。
家族と仲良くできないというのは、とても、とても辛いことだろう。
「ええ、もちろん。任せて下さい!」
「……そーかそーか! ガハハ! お兄ちゃんって呼んでいいぜ! 式はいつにする!?」
「いや、結婚はしないと思います。あと、普通に隊長って呼びます」
いつか何の垣根もなく、二人で仲良く話して欲しい。
焚き火の明かりを見つめながら、そう願った。




