第七話「エルフ里の日常・後編」
前日に引き続き、今日も訓練場で黙々と鍛錬していた。
「はぁ……はっ……」
体の芯が研ぎ澄まされていく。そんな感覚がある。
決して楽とは言えないが、昨日より体は軽い。
俺は、自分の二の腕を見下ろした。
「見た目はそんな変わってないけど、かなり締まってきたな」
もっと筋肥大して、ボディビルダーみたいに膨らむと思っていたが──実際はまるで逆だ。余計な脂肪が削げ落ち、身体の輪郭が鋭くなってきている。
ライルは、上半身を晒しながら腕立てをしていた。
「ふっ……ふっ……術士の、おかげだ。肉体の密度を高め、無駄のない身体を作っていくんだ」
彼の肢体は、鍛え抜かれた刃のようだ。どれほど鍛えればこうなるのだろう。
「何でもありだな、魔法ってやつは」
「あの人が特別なんだ。熟練の魔導士でも、これほどの技を持つ者は多くない」
後ろの小屋を見ると、長い白ひげの老エルフがいた。
今日も変わらず、こくん、こくんとうたた寝している。
まじで何者なんだよ、この爺さん。
基礎トレーニングが一通り終わると、ライルは一息ついた。
「お前、身体強化魔法は使えるか」
「しん──?」
「使えないのか。得意魔法はなんだ」
「魔法、使ったことない……ッスねぇ」
「なん、だと」
信じられないものを見るように、ライルは目を見開いた。
どうやらこの世界では、人間でも超常的な力を使えるらしい。
「……魔法はイメージだ。なかでもエルフは身体を強化し、風を操ることを得意としている」
エルフの人間離れした動きは、肉体に魔法を使っているというわけか。
「そして体の奥に流れる魔法の源を、〈マナ〉と呼ぶ。基本的には、自身に宿るマナの属性をベースにして、魔法を使っていくことになる」
「なるほど」
「中には例外もいるが──」
「あーだこーだ言ってもわからんだろ!」
背後には褐色肌の男、グレース隊長がいた。
「実際見るのが一番だ。ほらよ!」
木剣がひゅっと弧を描くと、ライルへ向かって飛んだ。
「実戦訓練だ、ライル。成長してるか見てやる」
「……隊長、手加減はしませんよ」
「当たり前だろ。殺す気で来──」
グレースが言い終わる前に、ライルは地を蹴った。速い──ッ!
凄まじい勢いの横薙ぎに、衝突の重音が響く。
意表を突いた刹那の一撃──だったが、グレースは木剣を合わせ防いでいる。
「悪くはないな」
ライルは舌打ちすると、間髪入れず斬りかかった。
二撃、三撃、速すぎる!
振る、突く、叩きつける斬撃の嵐に、グレースの体勢が崩れた。
「おっと」
「もらった──ッ!」
上段から振り下ろした必殺の一撃。
受ければ必死の豪閃を、柔らかく添えるようにグレースは流した。
木剣の軌道は逸れ、木床が叩き割れていく。散った木片の中で、ライルはよろけた。
それを追撃するように、グレースは木剣を振り上げ──
「おらァ!」
袈裟斬りの爆ぜるような剣圧に、ライルは後方へと飛ばされた。
「ぐっ……!」
「風牙隊の教え、その三──優勢こそ油断すべからず。忘れたのか」
いまだグレースの表情は崩れず、笑みを浮かべている。
音を置き去るような凄まじい試合だ。
「ふぅ……」
ライルは深呼吸すると、表から情を消した。
動から静──有から無──動きを止めた彼に応じるように、ざわりと風が吹き始める。
体から滲みだす深緑のオーラ──木剣の刀身に、深緑の覇気が宿っていく。
「ようやく本気出したか」
「ハァアアア──ッ!!!!」
木剣に纏った深緑は、鋭利な風刃となって放たれた。
ブォンッ!
グレースは身をよじり避けた。
木床を抉る衝突に、巻き起こる粉塵。
視界を奪う煙幕の奥で、ライルはすでに前に詰めている。
地を蹴り、迷いなく横へ滑り込んだ。
「そこだ!」
煙を巻き込んだ横薙ぎの一閃。
それを見て、グレースは静かに笑った。
乾いた衝撃音と共に、一振りの木剣が宙を舞う。
もやの中に見えるのは、二人の黒い影。
地べたに手をついた影の喉元に、剣を突き付けていたのは──グレースだった。
「負けました……クソッ……!」
「成長したなぁ。でも、まだ一本やれないな。ガッハッハ! 精進、精進あるのみだぞ~!」
グレースは背を向けると、手を振りつつ歩き去っていった。
ライルは唇をきゅっと結んだ。
それから静かに立ち、栗色の髪を後ろへ流した。
「……という感じに、マナを使えば風を刃にすることや、武器の強度を上げることも可能だ」
「真似できる気がしないんだけど。隊長の剣、速すぎて見えなかったぞ」
「当然だ。グレース隊長は、エルフ随一の剣の使い手──剣聖だ。僕は一度も勝ったことがない」
なぜかライルは自慢げだ。
「魔法について知りたいなら、僕よりも適任者がいる。夜になったら、里の西外れにある古家を訪ねてみろ。取り合ってくれるかは分からないが……」
「わかった。行ってみるよ」
そのとき、ぐぅと盛大に腹が鳴った。
森は夕暮れの影を落としている。もうそんな時間か。
「今日はここまでにしよう。また明日、さぼらず来いよ」
「ああ。色々とありがとう、助かるよ」
訓練場をあとにして、里の中央にある大樹の食堂へ向かった。
民家よりもはるかに大きな樹──その太い幹から伸びた空中回廊に、食堂は建てられている。
中に入ると木造の大広間があり、ランタンの落ち着いた光が店内を照らしていた。
酒を酌み交わすエルフたちで賑わっており、喧騒は不思議と心地がいい。
注文をして、しばらくすると──料理が運ばれてきた。
「お待たせしました」
テーブルに並んだのは、エルフの郷土料理。
木製ジョッキに注がれた果実酒。湯気を立てるキノコスープ。樹皮の皿には、鹿肉の香草焼き。
肉をひと口大に切ると、切り口から淡い紫の光が滲み出た。
芳醇な香りに喉が鳴り、口に放り込んだ。
「うめぇ──」
ぼそりと呟き、焼きたての白パンをかじった。肉の脂が混ざり、じゅわりと溶けていく。
「んー……!」
俺は泣きそうになった。
訓練で疲れ切った後の飯は、この世の何よりも美味。至高である。
──この瞬間のために生まれてきたのかもしれない。
なんて思うほど、体に染みる味だった──。
*
夜。
里の西側──森の外れに、俺は足を踏み入れていた。
足元には、小さなランプが灯っている。道は薄暗く、古家など見つからない。
「おっかしいな……どこだ、ここ」
ライルが言っていた場所は、このあたりのはずなんだが。
しばらく森の小道を進むと、石で組まれた広い階段を見つけた。
──この先だろうか。
数十段ほどの階段を登りきると、見渡すかぎりの泉が静かに広がっていた。
蛍のような精霊たちが淡い光を灯し、水面を幻想的に彩っている。
泉の対岸には、木造の大きな社──祭殿のような建物があった。
ザッ。
美しい光景に見惚れていると、足音がした。
月光を溶かしたような青緑の長髪。薄いベールがついた黄緑の衣。額の中央には、ひし形に輝く翠玉──絵本から出てきたような、美しいエルフの少女がそばに立っていた。
「ここ、立ち入り、禁止」
緑色の大きな瞳で、少女はじっと俺を見つめている。
「そうなのか──悪い、ここが何処かも分かってなくて」
「精霊の、庭」
「って、君も入ってるじゃないか」
「わたし、守り人。だからいい」
静かに彼女はいった。
表情は能面のように変わらず、感情はまったく見えない。
そんな少女の周りで、精霊たちはふわりと光を揺らした。
「……不思議。みんなあなたのこと、好きみたい。入っていい、言ってる」
少女は、彼らの言葉を理解しているようだ。
「なぁ。ここ、何するとこなんだ」
「祈り──聖なる庭園は、母なる空に通じ、女神に届く──らしい」
「らしいって……」
神様にお祈りをする場所──日本でいう神社みたいなもんか。
ここは、里にとっての聖域なのだろう。
「アストレアさま、ずっと見てる」
少女は泉のほうへ歩き、そっと立ち止まった。
月光に照らされた水面の前で、両手を重ね、静かに祈っている。
その姿は、言葉も出ないほどに神秘的だった。
「そうだ。このへんにあるっていう、古家を探してるんだけど──君、知らないか」
「……あっち」
少女は細い小道を指さした。俺が来た方向とは、真逆の道だ。
「ありがとう。あと、勝手に入って悪かった。それじゃ行くよ」
「また、おいで」
「えっ?」
「精霊が、言ってる」
「……ああ、わかった。また来るよ」
少女は小さく頷いた。
その場を離れる直前──ふと後ろを振り返ると、少女は変わらず祈り続けていた。
一体、何をそこまで祈るのだろう。
無表情な彼女の内心を、いつか聞いてみたい──そう思った。
林道を歩いていると、木陰から低く艶のある声が聞こえた。
「ほお……あの子が部外者を通すなんて、珍しいこともあるもんだ」
闇に溶けるような黒長髪。褐色の肌に、金の瞳が鋭く光った。
翡翠色のドレスは胸元やへそが大胆に開いた作りで、踊り子のような装いだ。
「なんだ、ジロジロと。この肌の色が珍しいか」
「いえ……美しい人だなと思って……すいません」
「ほお──ダークエルフを美しいという人間は、初めてだ」
ぐいと観察するように、彼女はにじりよってくる。
「ええっと……あなたは何故、こんなところに」
「満月の夜は、空気中の魔素が安定するんだ」
そういって、ぐいと、さらに詰めてきた。
「私はその濃度を測定し、研究しているというわけだ」
さらに、ぐいと詰めてくる。
──近い。
気づけば、彼女の端正な顔が目前に迫っていた。
金の瞳が、射抜くように俺を見つめている。
近い! 距離! マジでキスする五秒前!
「あの、距離が近いというか、俺も男であって、困るというか……ッ」
フィオナに初めて会ったとき、恥じらいもなく着替えていたことを思い出した。
エルフの女たちは、男に対する距離感がどこかおかしい。
「エルフは繁殖能力が低く、性的な欲求は強くない。お前のように、女の胸を見て発情する者などいないのだ」
彼女は豊満な胸を見せつけるように、手で寄せてみせた。
「おおっ──」
「昔は精力の強い種族と交わり、強い子をもうけていたという」
彼女はさらに近づいてくる。
俺はじりじりと後ずさったが、背後の木にぶつかり──逃げ場はもうなかった。
「ちょ、ちょっと」
「人の子は精が強いと聞く、試してみるのも悪くはない」
唇が触れる寸前。
舌なめずりの、官能的な音。
ごくりと、喉が鳴った。
「こういうのは、手順がっ──」
「はっはっは! 冗談、冗談だよ坊や。エルフジョークって奴だ」
慌てる俺をみて満足したのか、彼女は腹を抱えて笑っている。
何だか、物凄くがっかりした気分だ。
いや、まあ、うん。良いんだけどさ、うん……。
「そんな顔するなよ、ふふ」
「別に、これが普通の顔だし。がっかりなんてしてません」
「悪かったって。そうだなぁ……詫びといってはなんだが、何か困ったら声をかけるといい。私は、この先にある古家に住んでいる。話ぐらいは聞こう」
視線の先をよく見ると、森の奥に古い家がぽつんと建っていた。
どうやら、彼女が俺の尋ね人のようだ。
「人間をからかうのは面白いな」
彼女はくつくつと笑い、家の方角へと歩いて行った。
ふと思い出したのは、昔観たスパイ映画──女性工作員の誘惑に、男が騙されるシーンだ。
男はなんて馬鹿なんだと思っていた。
今なら分かる。
俺は、秒で落ちる。
恐るべし、ハニートラップ──。




