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World of Fantasia(ワールド・オブ・ファンタジア)  作者: 緋色牡丹
第一章「永遠の森」

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第六話「エルフ里の日常・中編」

 俺とフィオナは、森の高所に造られた木の足場に立っていた。

 木々の隙間から日光が漏れ、渡り橋の先ではエルフたちが弓を放っている。

 ここは、里を警護する〈守り手(もりて)〉と呼ばれるエルフたちの訓練場だった。

 パンッと乾いた弦の音は、どうも耳慣れない。

 ライルは栗色の短髪をくしゃりとかき上げた。

「弓の使い方? ふん……軟弱な人間に教えることなどない」

 緑の軽装、薄緑の瞳に端正な顔──韓国アイドルを思わせる容姿だが、言うことは毒が強い。

 挿絵(By みてみん)

「すぐに弱音を吐くに決まってる」

「そんなこといって、ライルだって昔は泣き虫だったじゃない」

「お、おいっ。フィオナ!」

「転んだらすぐ泣いてたし」

「くっ……」

「長老、フィオナがいじめてくる~って」

 フィオナは両手で泣き真似をした。

「わかった! わかったよ。教えればいいんだろ、教えれば……」

 もうやめろと言わんばかりに、彼は赤面している。

「覚悟しろよ。風牙(ふうが)隊の訓練は、甘くはないぞ」

 ライルは襟元を指で整えると、にやりと笑った。


 鍛えられた腹筋、たくましい上腕筋。そして、真っ白なふんどし。

 肉体美を見せつけるように、ライルは半裸で仁王立ちしていた。

「さぁ──服を脱げ」

「ひぃッ……!」

「小娘のような声を出すな」

 呆れたようにいって、ライルは腰に手を当てた。

「基本は体づくりだ。体力は全ての土台になる」

 自衛官時代を思い出す。あの頃は肌寒い夏の早朝に、半裸で走らされていた。

 今となっては良い思い出だ。

 俺は麻布の白シャツに手をかけ、緑のズボンとともに脱ぎ捨てた。

 下着はライルと同じ、白ふんどしだ。正直、はき方が合っているか自信がない。

 だが仕方あるまい。用意されていた下着は、これしか無かったのだ。

 ライルは顎に指を添え、値踏みするようにこちらを見ている。

 ふむふむ、とフィオナも眺めていた。

 うぅ、恥ずかしい……。

「なかなか鍛えているようだな──悪くない」

 ライルが俺を褒めたのは初めてだった。なんか嬉しい。

「よし。他のやつらの真似をしてみろ」

 訓練中のエルフたちは、腕立て伏せをしていた。

 てっきり魔法を使うのかと思ったが、少しがっかりだ。

 俺は木床に腕をつき、床すれすれまで顎を下げていった。

「ファイト~!」

 フィオナの黄色い声援を受けながら、一、二、三と回数を重ねていく。

 五十を越える頃に、ライルは口を開いた。

「貴様は、戦士だったのか」

「いやっ……戦士というかっ、くっ……前にっ、国を守る……仕事についていたことがっ、あるんだ」

 ぜぇぜぇと息を切らせながら、とぎれとぎれに答えた。

「ぐっ……あぁ~!!」

 限界を迎え、床に倒れ込んだ。

「もう限界なのか……だらしない。エルフの守り手たちは、最低でも千回は出来るぞ」

「せん──」

 気が遠くなる小言を聞きながら、天を仰いだ。

 樹々の隙間から見える空は、どこまでも青い。

「だいじょーぶ? 緋色」

 フィオナが上から覗き込んできた。

 俺の頭上に、青白いスカートが揺れている。

 大丈夫ではない。真っ白な布が、見えちゃっています。

「あぁ……大丈夫……」

 疲労は限界を突破していた。

 全男子が歓喜するイベントに、何も反応する気になれない。

「休めたか、早く起きろ。次は百回だ」

「ちょ、体壊れるって! 死ぬ、死ぬって!」

「安心しろ。壊れても、彼に言えばすぐ治る」

 ライルは後ろの小屋を指さした。

 風通しのいい木造の東屋(あずまや)に座っているのは、長い白ひげを生やした老エルフ。

 茶色のローブを羽織り、抱えた長杖に体を預けている。

 よく見れば、こくり、こくりと意識を失いかけていた。

「なるほど──いや、めっちゃ不安なんですけど!」

 一瞬だけ納得しかけたが、どう見ても信用できない。

「不安など、限界までやれば消える。さぁ、やるぞ!」

 ライルは四つん這いになり、腕を上下させた。

 エルフの訓練は、とてつもなく原始的だった──。

 

 それから俺は、千回に到達するまで腕立てを続けた。

 腕は震え、肩は悲鳴を上げ、何度も限界を越えていく。

 そのたびに、後ろの老エルフは俺に魔法をかけた。

 長い杖を軽く振るだけなのに、筋肉がじわりと再生する感覚がある。

「若いって、良いのう」

 爺さんは眠たげな目で、白い長ひげを撫でていた。

「はぁっ、はぁっ……」

「ふん……少しは根性があるようだな」

「いや、もう、無理かも……です……」

 虐待ですよ、これは。

「何を言っている。そんなことで、里を守れるのか!」

 里の兵士じゃない──と言おうとしたが、更に厳しくなる予感がしたのでやめた。

「守れないであります。やらせていただきます!」

 満足そうに、鬼教官はうんうんと首をふっている。

 軍隊でもここまで厳しくないぞ……。

 そこから小一時間、俺の悲鳴は鳴りやまなかった──。

 

「さて、次は弓の訓練だな。射場にいくぞ」

 ライルは涼しげな顔でそう言った。

 こいつの体力はどうなってるんだ。そう思ったとき、

「フィオナー! ひーろー!」

 どこからか、少女の明るい声がした。

 声の方へ顔を向けると──数十メートル先の樹上に、薄緑の髪を揺らす少女がいた。

 あれは、リーリーだ。

 彼女はこちらに手を振り、枝から枝へと、風に乗るような身軽さで近づいてきた。

 忍者かよ。

 少女は目の前に着地すると、弾むように声を上げた。

「遅いっ! 遅い! リーリーずっと待ってた! あそぼー!」

 あらためて見ると、彼女は本当に小さい。小学生みたいだ。

「珍しい奴が居ると思ったら……ここは、遊び場じゃないぞ」

「ライル、うるさい! きらーい」

 リーリーがベッと舌を出すと、ライルは眉間にしわを寄せた。

「ほんと仲いいよね~」

 フィオナが笑うと、二人は同時に振り返り──

「「良くない!」」

 完璧に声を合わせていた。

 仲いいな、こいつら……。

 

「まずは、構え方を教えてやる。ほら、僕の弓を使え」

 ライルは木製の弓を差し出した。思ったより重い。

 そして促されるまま足を開き、体を半身にした。

「弓は強く握るな、指で添えるだけだ。弦は三本の指で引く。腕じゃなく、背中で引け」

 ぎりぎりと、弓がしなっていく。

 小刻みに腕が震えた。

「視線は矢の先じゃない。的の中心の奥だ──力を入れるな、ほどくように──放せ!」

 言われるがまま、矢を離した。

 

 ひゅっ。

 

 弧を描いた矢は、はるか下へと落ちていった。

「……難しいな」

 狩人の道は、遠く険しいようだ。

「ひーろっ、ひーろっ」

 リーリーが俺の腕を引っ張っている。

「うん?」

「リーリーが教えたげる!」

 そういうと、彼女はすうっと弓を構えた。

 驚くほど滑らかな動作だ。

「こうしてると、風が教えてくれるんだ」

 リーリーは空気を深く吸い込み、完全に動きを止めた。

 森に溶け込んだその様は、まるで一枚の絵のようだ。

 そこにいたのは小さな子供ではなく、紛れもない狩人だった。

 ゆるりとした風が吹くと、少女の長い耳はピクッと動いた。

「いま!」

 

 ビュッ!

 

 放たれた矢は風を裂き、真っすぐ飛んでいく。

 遠くで、パスッと乾いた音がした。

「当たった、のか?」

 小さな赤い的が向こうにあるが、距離がありすぎてよく見えない。

 目を細める俺の横で、ライルは忌々しそうに舌打ちした。

「チッ……ど真ん中だ」

 リーリーはふふんと息を吐き、得意げに胸を張った。

「にひっ! どうどう!? わかった!? ねぇねぇ、わかった!?」

「いや……まったく、わからんね」

「えー! なんで!?」

 頬をぷくりと膨らませ、リーリーは不満げだ。

 その背後で、明るく突き抜ける声がした。

「むだむだ。そいつは感覚派だからな」

「グレースだ!」

 振り返ると、乱れた茶髪に褐色の肌をした男──グレースが歩いてきた。無精ひげの生えた口元には、気さくな笑みが浮かんでいる。

「おい、隊長と呼べ。リーリー」

「いいんだよ、オレが許可してんだ」

「やったー! グレースすき! おんぶして!」

 リーリーは勢いよく飛び、グレースの背中にしがみついた。

「おっととっ」

「あれでも一、二を争う弓の使い手なんだよ」

 フィオナが小声でいうと、ライルの長い耳はピクリと動いた。

「一番は、僕だ」

「むっ……リーリーが一番! ライルは二番!」

「ほお……やるか?」

「いいよ。勝負ね!」

 二人の視線がぶつかり、バチバチと火花が散った──気がする。

「お前ら、山田を忘れてるだろ。ちゃんと教えてやれ」

 グレースは肩をすくめ、ため息まじりに言った。

 

 *

 

 フィオナは木陰に腰を下ろし、書庫から借りてきた本を静かにめくっていた。

 その膝には、リーリーがくっついて眠っている。疲れたのだろう。

 俺はその前で、弓の訓練を続けていた。

「ちがう、ちがう。いいか、姿勢はこうで──もっと体の力を抜くんだ」

 今まで毒を吐いていたのが嘘のように、ライルの指導は真剣だ。

 何度も俺の姿勢を直し、驚くほど丁寧に教えてくれている。

 

 集中しろ──。

 

 矢を見るのではなく、的を、もっと奥を。

 力をほどくように、放つ!


 ビュッ!


 ──パスッ。


 乾いた音がした。

「やった! 当たってるよな!?」

「……ああ。上出来だ」

「緋色、すごーい!」

 フィオナは本を閉じ、嬉しそうに手を叩いた。

「ふん、僕が教えてるんだ。当然の結果だ」

「ライル、すっかり仲良くなったね」

「なっ!? 勘違いするな! コイツはそう、ただの弟子──ただの弟子だ!」

 耳が微妙に赤い。

 これが、ツンデレという奴か。

 ライルは軽く舌打ちすると、こちらを向いた。

「今日はこれぐらいで勘弁してやる。基本しかやっていないがな」

「あぁ~……づがれだ~……」

 俺がぐったりと肩を落とすと、フィオナは立ち上がった。

「お疲れさま。じゃ、ライルの家いこっか!」

「はっ? おいっ、勝手に何を」

 ライルはぎょっとしている。

「執事さんが来て良いって言ってたもん」

「いつのまに……」

「リーリーは来る?」

 フィオナはスカートを掴んでいたリーリーに声をかけた。眠そうだ。

「んぅ~……リーリー、ねむい……」

 そういって、ふらふらと去って行った。本当に気まぐれな少女である。

 

 里の外れ、森の中を三人で歩いていく。

「ひっさしぶり~♪ ひっさしぶり~のライルんち♪ ふふん~、ふん♪」

 フィオナはハミングしながら、夕暮れの小道を軽やかにステップしていた。

 俺の横にいるライルの表情は、いつもより柔らかい気がする。

 木々の密度が徐々に薄れると、大きな屋敷が姿を現した。何本もの巨木が絡み合い、一つの邸宅を形作っている。

 ──貴族の家みたいだ。

 豪華にあしらわれた正門をくぐり、木製の大階段を上がっていく。

「でかいな……もしかして、ライルはお坊ちゃんなのか」

「気安く名を呼ぶな。坊ちゃんでもない」

 階段を上りきると、ライルは重厚な扉を押し開けた。

 足を踏み入れると、木と石が調和した広いホールだった。

 絢爛なシャンデリアが柔らかな光を落とし、花の添えられた廊下には気品が満ちている。

 正面に見えるのは、巨大な肖像画。黄金の額縁の中で、青年が弓を携えて笑っている。深い森のような瞳は優しく、驚くほどライルに似ている。

「先代当主、アルハーツ様でございます」

 しわがれた深い声がした。

 顔を向けると──黒の執事服を纏う、丸眼鏡の老エルフが立っていた。

 口周りの白髭と後ろに流された白髪は、上品に整えられている。

「執事さん、こんばんは!」

「よくぞお越しくださいました、フィオナさま。そして、旅の流れ人──山田緋色さま」

 彼は胸に手を当て、やわらかく腰を曲げた。

「坊ちゃんに新たな友人が出来るとは、私めはとても、とても感動しております」

 やっぱり、坊ちゃんじゃないか。

「誰が友人だ! こいつは、ただの顔見知りだ」

「だそうです」

 俺は軽く笑うと、老執事は穏やかな顔をした。

「すいませんね。あまり人と接することに慣れておらず、照れているのです」

「爺や、子ども扱いするなと言っているだろう。もてなしの準備は終わっているのか」

 ライルは腕を組み、いつもの調子だ。

「ええ、ええ。食堂にご案内いたします」

 老執事は頷くと、廊下の奥へと片手を伸ばした。

 

 大理石の廊下を案内されていくと、樹海を閉じ込めたような中庭に出た。

 木々の中には、白い光粒がふわりと浮かんでいる──精霊だ。

 光が揺らめく中心には、青白い輝きを宿した巨樹がそびえている。

 その幹の奥深くには、一張の弓が抱かれていた。水晶を思わせる弓幹(ゆがら)は、静かな光を発している。つたに包まれたその弓は、樹の中で眠っているかのようだった。

「ライルはね、代々聖弓を受け継ぐ家系なんだよ」

 俺の疑問を察したかのように、フィオナはそう言った。

「セイキュー?」

「神聖な弓のこと! エルフに伝わる宝具なんだ。ああして精霊樹にくっつけて、力を貯めてるんだよ」

 老執事は聖弓へと顔を向けると、灰色の瞳を細めた。

「ええ。もう八十年以上、あそこで眠っています。この家の嫡男は、百歳であれを受け継ぎ、旅に出るのが習わしなのです」

 なるほど。エルフの中でも特別、ライルはエリート貴族さまというわけだ。

「私も先代に続き、各地で腕を振るったものです」

 老執事は軽く腕を振ってみせ、頬をゆるめていた。

 それから少し歩くと、すぐに大食堂についた。

「では、ここでお待ち下さい」

 中央には磨かれた大きな長テーブルが置かれ、室内は温かい光で満ちている。

「来るの久しぶりー!」

 フィオナは窓側の椅子に駆け寄ると、慣れた様子で座った。

 どこに座ればいいんだろう。とりあえず、フィオナの向かいでいいか。

「二人とも、仲良いんだな」

 腰を下ろしながらそう言うと、フィオナは微笑んだ。

「最近あんまり構ってくれないけどね」

「僕も夜警があったりで、色々と忙しいんだよ」

 上座に腰かけたライルは、わざとらしく溜息をついた。

「坊ちゃんのような貴族なら、働かなくてもいいんじゃないですか」

 俺なら昼まで寝て、酒を飲むだろう。

「馬鹿を言うな。率先して皆の手本になり、里を導く。それが貴族としての務めだ。あと坊ちゃんって言うな」

「貴族も大変なんだな……居候とはいえ、何もしてないから気が引けるよ」

 とは言いつつも──俺は手先が器用なわけでも、何かしらの技能があるわけでもない。

 仕事を見つけるのは、骨が折れそうだ。

「守り手になったら? 訓練もついていけそうだし。ねっ、ライル」

 フィオナがそういうと、ライルは俺を見た。

「……人手は常に足りていない。断る理由はない」

 てっきり反対されるかと思っていたが、意外な返答だ。

「訓練はまだ序の口だがな」

 ライルはあくどい笑みを浮かべた。

「あれで序の口かぁ。そういえば、フィオナは何を──」

 聞こうとしたとき、食堂の扉が開いた。

 侍女たちが続々と入り、長机に皿が並んでいく。

 最後に入ってきた老執事は一礼すると、机に並んだ料理を手で示した。

「お待たせしました。こちら、本日の御馳走──森のホーンビースト燻しロースト、星蟹の甲殻盛り合わせ、月の香草パン。それから、精霊樹の赤果酒(せきかしゅ)でございます。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」

 挿絵(By みてみん)

 炙られた肉の香ばしい薫りと、赤果酒の甘い香りが広がっている。

 ライルは胸の前で手を組んだ。

「女神アストレアに、感謝を込めて──」

 フィオナもそれに続いた。俺も二人にならい、手を組んだ。

「いただきます」

「いっただきま~す!」

「……いただきます」

 フィオナがフォークを取るのを横目に、俺も料理に手を伸ばした。

 ホーンビーストの燻しローストは、切れ目から肉汁がとろりと溢れ、香草の薫りが立っている。

 一口噛むと、肉はほろりとほどけた。

「うんまっ……!」

 手が止まらない。

 月の香草パンをちぎると、爽やかな香りが漂った。脂を切るように口に運べば、後味がすっと軽くなる。

 星蟹の身はぷりっと弾み、甘い潮の香りが食欲をさらに刺激した。

 そして赤果酒は極上だ。ほのかな酸味と甘みが広がり、より肉の美味さを引き立てている。

 それぞれの料理が、バランスよく互いを引き立てていた。

「うっめぇ~~!!」

 今日の疲れが吹き飛ぶような、そんな味がした。

 

 食事が終わりかけた頃──かすかな足音とともに、薄白いローブを揺らす女性が現れた。

 長い銀青の髪、白い肌。琥珀色の瞳は、焦点が定まっていないように見える。

「ライル、あの人はどこにいるのですか。探しても見つからないのです」

「母上……」

 ライルがそう呟くと、控えていた老執事が声をかけた。

「奥様、お体に障ります。どうかお部屋に」

「まったく。あの人は何をしているのかしら」

「母上」

「お客様も来ているというのに……皆さん、ごめんなさいね」

「母上!」

 ライルは机を叩き、声を荒げた。

「父上は……もう、居ません」

「ああ……そう、そうでした。出かけているんでしたね。いつ帰ってくるのかしら」

「……そろそろ、お休みになってください」

 ライルが目配せすると──老執事は慣れた様子で、奥方を部屋の外へと連れていった。


 静寂。

 

 短い沈黙のあと、ライルは口を開いた。

「滑稽だろう」

 その声は沈んでいた。

 どう返せばいいのか分からない。

「父は、八十三年前の戦争にいった。魔人との戦争だ。幼い僕は、父の帰りをずっと待っていた。だが、戦争から帰ってきたのは……フィオナの祖母と、弓だけだった」

 フィオナは寂しげに下を向いている。

「母は、聡明で明るい人だった。小さい僕に、よく本を読んでくれた。今では、食事をとったことも忘れてしまう」

 エルフも病気とは無縁ではないようだ。

 体の傷は癒せても、心までは治せないらしい。

 ライルは席を立った。

「興が冷めたな。今日はもう、お開きにしよう」

「……ごちそうさまでした」


 誰も口を開かないまま、静かな廊下を抜け──玄関ホールに着いた。

「それでは、正門までお送りいたします」

 老執事が重厚な扉を押し開けると、ひやりとした夜気が流れ込んだ。

 扉の外に出ると──

「おい、山田」

 ライルの声が飛んできた。

 彼に名を呼ばれるのは、はじめてだ。

「ライル──ライル・ハーケン」

「えっ?」

「……名前だよ! 僕の名前は、ライル・ハーケンだ」

 ライルは顔を赤らめた。

 ただの名乗りだというのに、なんだか胸が熱い。

「俺は、山田、山田緋色。改めてよろしく──ライル」

「ふん、まだ認めたわけじゃないからな」

 フィオナはニヤケ面だ。

「ふふ、照れちゃって~」

「食事を共にした奴に、名乗らないのもおかしいだろう」

「友達できてよかったね、ライル」

「友達じゃない。そいつは弟子で、僕は師匠だ」

「あはは!」

「ふんっ。山田、明日は朝から訓練だ。遅れずに来い」

 ライルの口調は相変わらず厳しいが、その顔はどこか優しかった。

 そのあとは、正門まで執事が見送ってくれた。

「山田さま……坊ちゃんは貴族の立場故に、フィオナさま以外の友人が出来なかったのです。どうか……どうか坊ちゃんを、よろしくお願いします」

「ええ、もちろんです。というか……強制的に、仲良くなってしまう気がします」

 明日から始まるであろう訓練を想像し、俺の笑みは引きつった。

「また、お待ちしております。私のことは、どうぞセオドリックとお呼びください」

 セオドリックは満足そうに微笑んだ。

 彼に見送られながら、俺とフィオナは邸宅を後にした──。

 ライルにも色々あるんだな。

 エルフも、人間とさほど変わらないのかもしれない。

 そう、思った。

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― 新着の感想 ―
 腕は確かだけど、具体的な説明省きまくりで、人間が風に道具抜きで頼れるか聞くの忘れながら伝授するリーリーと鏡映しに、指に関する力の抜き加減など丁寧に弓の扱いを伝授しますね、ライル。  蟹の旨味も吹き飛…
楽しく先を読ませて頂いています。 たくさんキャラが出てきましたね。 魅力的に書き分けられててすごいなと。 ふと疑問に思ったのですが、異界人と流れ人は違う表現?それとも意味は同じ?ふと気になったもので…
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